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11-25 セラックの実験

 マッツァ商会に『コーヒー』について説明した翌日、ゴローは『温室』を見に行った。


「お、いい感じに育っているな」


 プランターに植えたトウガラシもだいぶ成長していた。もうすぐ花も咲きそうである。


「マリーとフロロのおかげだな」


 季節は秋も深まり、かなり涼しくなっている。

 王都の気候では、屋外で南方の植物を栽培するのは無理なのだ。

 それが、この『サンルーム』とフロロのサポートで可能になっていた。

 そして水やりはマリーに任せっきりである。


「あと1週間くらいで収穫できるかな」

 そうすれば、『トウガラシスプレー』を量産することもできるし、香辛料として料理に使うこともできる。

 王家の財力ならともかく、高価な香辛料であるトウガラシを護身用とはいえ大量に使うのは抵抗があったゴローなのである。


*   *   *


 居間に戻ったゴローは、ハカセに聞いてみる。


「さてハカセ、今夜研究所に戻りますか?」

「うーん、どうしようかね……『ナイロン毛虫』と『セラック』の実験はやっておきたいねえ」


 その結果が良好なら、マッツァ商会で買えるだけ買ってきてもらいたい、とハカセは言った。


「そうですね、ハカセがそう言うならそうしましょうか」

「決まりだね。……よし、それじゃあさっそく『ナイロン毛虫』の素材検証をやるよ。サナ、ヴェル、手伝っておくれ」

「はい」

「はい!」


 ……と、サナとヴェルはハカセに連れられて実験室へ向かったのだった。


*   *   *


 ハカセの実験室は、屋敷の北西の角……一番奥まった場所にある。

 元は倉庫だった場所を改装したものだ。

 ちなみにお隣はティルダの工房である。

 ティルダの工房は、こちらが本家で、主にアクセサリー作りのための工房となっている。

 研究所の方は、精密な金属部品を加工することに特化している(もちろんアクセサリーも作れるが)。


 で、ハカセの方は、こちらがおまけ。

 神秘学的・魔術的な実験は研究所でなければできない。ガーゴイルや自動人形(オートマトン)は作れないのだ。

 こちらでできるのは錬金術的・化学的な実験である。


*   *   *


「できるだけ透明な蒸留酒って、何があったかねえ?」

「そうですね……ウオッカがいいんじゃないでしょうか?」


 ヴェルシアが答えた。


「それじゃあそれを一瓶もらおうかねえ」

「取ってくる」


 サナが率先して取りに行った。


「ウオッカをどうするんですか?」

「セラックを溶かすのさね」

「え?」


 セラック虫の樹脂(以下セラック)は水には溶けないがアルコールには溶ける。

 これを利用して、ハカセは『セラックニス』を作ろうとしているのだ。

 そのために度数の強い蒸留酒が必要になる。

 また、塗料に使うので、できるだけ色や香りがない方が都合がいいのである。


 ところで地球では、ワインの蒸留は7〜8世紀頃から行われていたといわれるし、ロシアの蒸留酒ウオッカ(ウオツカ)は12、14、15世紀頃、という説がある。

 なのでハカセも、酒を蒸留することで度数が強くなることを知っていたし、ゴローの『謎知識』講義により、その主成分が『エタノール(エチルアルコール)』であることも知っていた。


 ウオッカは度数は強いが癖がないのでチョイスされたわけだ。

 同じ理由で、ゴローもコーヒー豆をウォッカに漬け込んでいる。


「ハカセ、これ」

「お、サナ、ありがとうよ」


 早速ハカセはウオッカ1デシリル(リットル)(=100cc)をビーカーに出し、そこへセラックを少しずつ入れていく。


「簡単に溶けますね」

「うん、まだまだだねえ」


 秤で重さを量りながら少しずつ溶かしていく。

 30グム(グラム)ほど溶かすと、溶液は薄い琥珀色になり、やや粘性も増したようだ。


「このくらいかねえ……試してみよう」


 ハカセは小さな刷毛を使い、セラック溶液をかまぼこ板くらいの木の板に塗ってみる。

 もう1つ、手元にあったハンカチにも塗り、平らに広げて乾かしてみる。


「ゴローの『謎知識』で聞いたところによれば、水には溶けないので上塗り塗料にしているらしいからね」

「防水にも使える?」

「だからやってみるのさ」


 木材への上塗りと、布の防水に使えるなら、用途が広がる。


「さて、それじゃあ本番だ。樹脂として使えるか、試してみるよ」

「はい」


 そう、こちらが主目的である。


「セラックを鍋に入れて熱して溶かす」

「松脂と蜜ロウを入れるんですね?」

「そうそう。分量は今のところあたしの勘さね」


 そう言いながら、ハカセは溶けたセラックをかき回している。


「この硬さなら……蜜ロウをあともうちょっと」

「そうすると蜜ロウは25グム(グラム)、松脂は20グム(グラム)ですね」


 ヴェルシアは、そんなハカセの作業を見つめながら分量を把握していくのだった。


*   *   *


「できたよ!」


 型に流し込んで丸棒4本、板に挟んで平板2枚を作ってみたのである。

 どちらも精度はまるきり出ていないが、性質を調べるには十分である。


「ゴローさんを呼んできます」

「うん、頼むよヴェル」


 ゴローはすぐにやってきた。


「ハカセ、これですか?」

「うん。どうだろうねえ?」

「そうですね……」


 ゴローは丸棒を1本手に取り、曲げてみる。


「割合硬いですね。弾力もある」


 さらに曲げていくと、丸棒は折れ曲がった。


「木の枝とは違って折れ飛ばないだけいいかも」


 次に平板を手に取るゴロー。


「この厚さだとほとんど色味を感じませんね……うっすらと茶色みがかっているかな、くらいだ」


 この板もゴローは曲げたりひねったり引っ掻いたりしたあと、結論を出す。


「『謎知識』の言う『スチロール樹脂』に近い感触ですね」

「ふうん? その『すちろーる樹脂』がどういうものかは知らないけれど、『謎知識』が言う樹脂に近いものができたということかねえ」

「そう言っていいと思います」


 スチロール樹脂も、水には強いがラッカーシンナーのような溶剤には弱いので多少似ているかもしれない、とゴローは思った。


「よし、それじゃあ塗料の方も乾いたね。ゴロー、見ておくれ」

「はい。 ……これはいいですね」

「ううん、きれいになったねえ」

「すべすべです」


 木の板に塗ったセラックが乾くと、ツヤのあるツルツルの面ができあがっていた。


「木工によさそうですね」

「ティルダが喜びそうだねえ。……こっちはどうかねえ?」


 布に塗布した方は……。


「ああ、こりゃあ固すぎたんだねえ」


 布を揉むと、セラックはひび割れてぱらぱらと剥がれてしまったのである。


「うーん……蜜ロウを多めにしたらどうでしょう?」


 ヴェルシアが言う。


「うん、それが一番だろうね。やってみよう」


 ということで、ハカセとヴェルシアの試行錯誤が始まったのである。

 終わるまではまだ時間が掛かりそうなので、一旦研究室を出たゴローであった。


*   *   *


「ああ、そろそろ夕食の支度だな」


 メインの献立は『屋敷妖精(キキモラ)』のマリーがやってくれるので、ゴローとしてはサナが喜ぶ『甘いおかず』を作ろうと考えた。


「……卵焼きだな」


 砂糖をたっぷり入れた卵焼きは甘い。

 が、その分焦げ付きやすくなるので要注意である。


 ゴローは白身と黄身を一緒に混ぜた『全卵』を使う。

 卵4個を割って中身をボウルにあけ、菜箸でかき回して白身と黄身を混ぜる。

 そこに砂糖をたっぷり入れてよくかき回す。

 砂糖が溶け切っていないと食べた時にジャリッとするので念入りにかき回す。

 そこに隠し味の醤油を一垂らし。


 熱したフライパンに薄く油を引いて、そこに溶いた卵を入れて焼く。

 焦げ付く前にフライ返しでひっくり返し、両面を焼く。

 焼きすぎると焦げるし、焼きが足りないと固まりきらなかった卵が流れ出してくるのでタイミングの見極めが肝心である。


 とにかく、そんな手順でゴローは甘い卵焼きを4人分作ったのである。

 もちろん一番大きいのがサナの分で、一番小さいのが自分の分である……。

 お読みいただきありがとうございます。


 次回更新は9月21日(木)14:00の予定です。


 20230914 修正

(誤)王家の財力ならならともかく

(正)王家の財力ならともかく

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― 新着の感想 ―
[一言] 玉子焼おいしそう
[一言] >王家の財力ならともかく、高価な香辛料であるトウガラシを護身用とはいえ大量に使うのは抵抗があったゴローなのである。 香辛料はやはり高価なのですね、乾燥させて一味唐辛子が作れるから「かけ蕎麦…
[一言] >>高価な香辛料であるトウガラシ 仁「サクッと量産しとるやないかい」 明「胡椒他の香辛料もやるのか?」 56「農業はスローライフ・・・か?」 >>サナ、ヴェル、手伝っておくれ 仁「・・・・…
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