09-29 滑り込みセーフ
室内の温度が下がったような気がした……というより、実際に室温は下がっていた。部屋の壁、天井、床は霜で真っ白くなっている。
『屋敷妖精』であるマリーは、主に食料保存のため、憑いている家の特定の部屋の温度を下げられるのである。
その温度はおよそ摂氏マイナス70度。マグロの冷凍保存を行う特殊な冷凍庫の温度である。
吸い込む空気は肺を凍てつかせ、眉毛、まつ毛が凍る。
あまりの寒さに目をつむると瞼が凍りつき、文字どおり目も開けられなくなる。
こぼれた涙はたちまちに凍って頬に張り付いた。
「あわわわわわわわ」
「ぐががががががががががががが」
「ささささささむむむむむむいいいいいいい」
その唇も、閉じたが最後凍りついてしまい、無理やり口を開くと唇が切れてしまうという事態に。
さすがにこれはやりすぎたかと、マリーは室温を摂氏マイナス30度くらいまで上昇させた。
それでも極低温であり、3人はがくがく震えている。
そんな3人を、マリーはあっという間に縄で縛ってしまった。
「これでいいでしょう」
そしてマリーは工房内の温度を元に戻す。
3人はようやく人心地がついたようだが、縛られているので身動きが取れなかった。
「さて、それでは明日までそうしていていただきましょうか」
そう言ってマリーは、3人にふっと息を吹きかける。
すると3人は途端に眠り込んでしまった。
「明日の朝、ゴロー様たちがお帰りになったら処分を決めていただきましょう」
そう呟くと、工房を立ち去ったのである。
残されたのは雁字搦めに縛り上げられ、眠らされた3人の黒装束の男たちだけであった……。
* * *
ハカセの指導の下、組み上げた自動車は2トムほどの重さになっていた。
「これだと、運ぶのが大変そうだねえ」
「ですね。『アルエット』なら、なんとか運べそうですが」
「シャーシとボディを分けて運ぼうかね?」
現在の時刻は午前4時。最早日付が変わっていた。
巡航速度が時速250キルほどもある『アルエット』で2回に分けて運べばなんとかこの日のうち、という期限に間に合いそうである。
「ああ、それなら確実に運べると思います」
「それじゃあ、それでいこうかね」
「わかりました」
『アルエット』の最大積載量は1トムほど。
研究所と王都の距離は約400キル、時速250キルなら1.6時間だ。
2往復しても6時間半ほど。分割した部品を組み直しても昼前には完成できそうである。
ちなみに、モノコック構造ではないので、ボディといっても骨組み状態で、外板は王都にあるゴローの屋敷で張ることになる。
その時間を入れてもこの日のうちには完成できると思われた。
* * *
そして、午前6時。
1度めの荷物……シャーシを運んできたゴローは、工房を覗いて驚いた声を上げていた。
「うわ、なんだこれ」
縄で雁字搦め……ぐるぐる巻きに縛られた黒装束の男たちが転がっていたからである。
「お帰りなさいませ、ゴロー様」
「あ、マリーか。これ、何だ? ……大体の見当は付くけど」
「はい、侵入者です」
「やっぱりな」
ゴローは、ヘリコプターを研究所に移したのは正解だった、と思った。
「どうやら『新型ヘリコプター』を壊そうとしていたようです」
「予想どおりか」
「フロロ様とわたくしとで脅かし、捕まえておきました」
「うん、ご苦労さん」
「どう致しましょうか?」
「そうだなあ……もう一度研究所へ行って、自動車のボディを運んでくるから、それまで逃げ出さないように見張っていてくれるか? 大体昼前には戻るから」
「わかりました。お任せください」
そしてゴローは『アルエット』でもう一度研究所へと向かったのだった。
* * *
2度めに戻ってきた時にはアーレン・ブルーとサナも乗っていた。
「それじゃ、この3人は私が尋問しておく」
「頼むよ」
「僕は工房へ行って安心するよう伝えてきます」
「そっちは任せた。だけど、すぐ戻ってきて外板を張っておいてくれよ」
「わかってますよ」
そしてゴローはとんぼ返りで研究所へ。
研究所に『アルエット』を置いて『新型ヘリコプター』に乗り換え、ハカセとルナールを王都へ連れてくるのだ。
「フランク、それじゃあまた留守番を頼むよ」
「はい、ハカセ。行ってらっしゃいませ」
そして『新型ヘリコプター』は研究所の空に舞った。
「ゴロー、ご苦労さんだねえ」
「ゴロー様、お疲れではないですか?」
「大丈夫大丈夫。任せておいてくれ」
休みなしの操縦であるが、疲れ知らずの『人造生命』だからこそできることだ。
* * *
そして全員が揃ったのは午後1時半。
アーレン・ブルーはサナに少し手伝ってもらいながら、自動車の組み立てと外板を張り終えていた。
つまり9分9厘、完成したことになる。
残る1厘は最終調整である。
これはゴローが行う。
ブレーキの効き具合、アクセルの感度、ハンドルの重さ、サスペンションとダンパーのバランスなど、細かな項目が多い。
が、これまで作ったほとんどすべてのテストを担当してきたゴローには、膨大な経験とノウハウの積み重ねがあった。
屋敷中庭でぐるぐると走り回った結果、30分で納得のいく設定に調整を終えることができたのである。
* * *
「ゴロー、大丈夫か!?」
「おお、できておるな!」
そしてそのタイミングで、ローザンヌ王女とモーガンが来訪したのである。
「殿下、ちょうど今、自動車が完成したところです」
「うむ。………………なに!?」
ゴローの言葉を少し時間を掛けて理解したローザンヌ王女は驚いた顔をした。
「自動車の方は盗まれたとモーガンから報告を聞いたが?」
「はい、残念ですがそのとおりです」
「では、なぜ完成できた?」
「みんなで頑張って徹夜して作り直しました」
「何だと!? ……うーむ……苦労して間に合わせてくれたのか…………ゴロー、サナ、アーレン、礼を言うぞ」
ローザンヌ王女はほっとした顔をしたあと、ゴローたちに頭を下げた。
ちなみにハカセは屋敷の奥に退避している。
「で、ヘリコプターもできているのだな?」
「はい、もちろんです。テスト飛行も済んでおります」
「うむ……さすがだな。ゴローたちに依頼してよかったよ」
「恐縮です」
そしてゴローとアーレンは、王女とモーガンに完成の報告を正式に行った。
「ご依頼の『新型ヘリコプター』と『自動車』、完成しましたので納品いたします」
「うむ、ご苦労であった」
こんな時なので略式の納品式であったが、ローザンヌ王女は契約書の完了欄にサインをしてくれたのである。
「自動車とヘリコプターは王城へ持ってきてくれるか?」
「はい、大丈夫です」
ヘリコプターはゴローが、自動車はアーレンが、それぞれ乗って運べばいい。
これで、とにかく依頼は達成……なのだが、もう1つ問題が残っていた。
「殿下、モーガン閣下、実は……」
捕らえた侵入者である。
「なんと、賊が侵入したのだと?」
「はい、幸い、フロロとマリーが退治してくれました」
工房の隅に転がされている3人の黒装束をゴローは指差した。
「少し尋問もしてみましたが、お金で雇われただけで、事情は知らないようです」
サナが説明する。
その内容は皆ががっかりするものだった。
これで事件解決、とはいかないようである……。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は都合により4月3日(日)14:00の予定です。
20220329 修正
(誤)吸い込む空気は肺を凍てつかせ、まつ毛、まつ毛が凍る。
(正)吸い込む空気は肺を凍てつかせ、眉毛、まつ毛が凍る。
(誤)3人はようやく人心地がついたうようだが、縛られているので身動きが取れなかった。
(正)3人はようやく人心地がついたようだが、縛られているので身動きが取れなかった。
(誤)「あ、マリーか。これ、何だ? ……大体の検討は付くけど」
(正)「あ、マリーか。これ、何だ? ……大体の見当は付くけど」
(誤)残る1分は最終調整である。
(正)残る1厘は最終調整である。
20240825 修正
(旧)『アルエット』を置いて『新型ヘリコプター』に乗り換え、ハカセとルナールを連れてくるのだ。
(新)研究所に『アルエット』を置いて『新型ヘリコプター』に乗り換え、ハカセとルナールを王都へ連れてくるのだ。




