婚約破棄された魔導エンジニア、魔導OSで辺境から人類救済はじめます
「リュシア・フォン・エルンスト、おまえとの婚約をここに破棄させてもらう」
王太子エドアルト・フォン・レーヴェンハルトが宣言した。天井の高い大広間に、その声が大きく響いた。
わざわざ王城まで呼び出されて、これだ。
王太子の脇には、司祭たち、聖職者たちがずらりと並んでいた。その面子を見て、何が気に食わなかったのかもおおよそ推測できた。
「理由をお伺いできますか?」
私は王太子に尋ねた。
「大司祭、説明をお願いできますか?」
王太子は自分の口ではなく、大司祭に説明を依頼するようだ。もしかしたら自分で婚約破棄の理由を理解していないの?
「リュシア・フォン・エルンスト、あなたは魔導OSなるものの研究をされていますな?」
「はい、王立魔導工学研究所での、私の研究の主テーマです」
「私もあなたの論文は読ませていただきました」
「そうなんですか? すごい可能性があると思いません、魔導OSは?」
「いや、大教会の見解は真逆です」
大司祭は眉を顰めた。
「あなたの研究は、魔法研究の大きな弊害になると判断しました。仮に魔導OSなるものが実用化し、社会に出回るようになったとしたら、魔導機械が人の代わりに魔力を扱い、人の代わりに働くことになるだろう? そうなると、魔導機械が人から仕事を奪い、人から努力や思考を忘れさせる結果をもたらし、最悪の場合、人類の破滅に導く恐れのある、邪教とも言える存在だと認識しました。ですから、それを先導しようとするあなたは世界を破滅に導く魔女に等しい」
そんなところだろうと思った。私の魔導OSには、人間の魔力の限界を突破しうる大きな可能性があるというのに……この愚かな者たちは人類の発展を大きく遅らせることになるだろう。後の歴史家の笑い物になるがいい。
そもそも王家とエルンスト侯爵家の政略結婚だったので、私としては婚約破棄はありがたかった。これで余計な政治のことなど考えずに、遠慮なく好きな研究に没頭できるというものだ。
「そういうことだ、リュシア。私は魔女と結婚などするわけにはいかない」
エドアルトが司祭の後をついで、そう言った。
王太子殿下、あなたこそ自らの頭で考えて、その結論に至ったのか、再確認してください。
「それから、おまえはこの王都からも追放だ。魔女に相応しい、ブリットモアに行ってもらう。二度とこの地を踏むことを許さん。死罪にならなかったのは、元婚約者としてのせめてもの温情だ」
ええ? それは困る……王立魔導工学研究所を離れることになったらアクセスできる書物がほとんどなくなって研究効率が落ちてしまう。
しかし、むしろそれが王太子や保守的な司祭たちの狙いなのだろう。研究所はどうなってしまうのだろうか。
しかし、逆らうことなどできない。相手は王太子なのだ……
「わかりました……」
でもブリットモアなんて聞いたこともない。どこなの?
※
「お父様、改めて、ご迷惑おかけして申し訳ございません」
エルンスト侯爵家の邸宅を離れる日、父のコンラート・フォン・エルンスト侯爵が見送りに出てくれた。
「もういいんだよ、リュシア。それよりも無理に王太子と婚約を進めてしまった私のほうこそ謝らせてくれ。こんなことになるとは思いもしなかったよ。大教会派の化石どもがこんな手に出てくるとはな。機を見て、必ず王都に戻してやるからな」
「ありがとうございます。王立魔導工学研究所のこともよろしくお願いいたします」
エルンスト侯爵家は研究所に最も大きな出資をしている。そのことも政敵の大教会を刺激した一因なのだろう。
「ああ、もちろんだ。それよりも気をつけるんだぞ。ブリットモアには強力な魔獣の襲撃が増えているらしいからな」
「はい、十分に気をつけて、好きな研究を続けますわ」
そう言うと、父はかすかに微笑んだ。
「魔獣が多いということは、裏を返せば……」
「うそ!? 魔石がたくさんあるの?」
「ああ、そうだ」
今までは、書物と紙に向き合っての研究だったけれど、これからは実物を動かし放題ってことじゃない。王太子の妃になるよりよほど楽しいわ。
書物や工具などの荷物と、私を乗せた馬車が、辺境のブリットモアに向かって出発した。その荷物の中には、私が開発した魔導OSの入った魔導デバイスも入っていた。
こんな原始的な馬車も、魔導工学を使えばもっと効率的な移動方法に代替できるようになるのだが……
※
ブリットモアは「辺境」と呼ばれるに相応しい土地だった。王都から離れ、通称「魔獣の森」と呼ばれるエレクトラの森に接し、その森の奥には敵対するルンメル王国が存在している。
森からの瘴気が強いせいか、霧がかり、空は灰色がかって見えた。陰気な土地だ、というのが私の第一印象だった。
私がブリットモアに到着したときも、ちょうど魔獣襲撃にあった直後らしく、町は物々しい状況だった。
町の中まで魔獣の侵入を許したのか、一部の建物は瓦解し、死体や怪我人がしきりに運搬されていた。
私を出迎える者もおらず、軍の指揮官らしき者も見当たらなかったため、遠慮しながらも、一人の怪我人を担架で運んでいた騎士らしき者たちに声をかけた。
「エルンスト侯爵令嬢ですか。申し訳ございません、お迎えもできず」
応えたのは、運搬していた騎士たちではなく、怪我人その人だった。
「あなたは……」
「カイルです。灰狼騎士団の団長です。こんな姿でのお出迎えになってしまって、情けない限りです」
この数十年間、国境を最前線で守ってきた、屈強さで知られる辺境の騎士団「灰狼騎士団」の若き団長のカイル・ヴァルトハイトと言えば、王都でもその勇名が轟いていた。灰狼の名は、団長カイルの灰色の髪と瞳に由来する。
その彼が、右腕の肘から下と右脚の膝から下を失って、担架に乗せられていたのだ。
その切断口は、魔獣に食いちぎられたのか、ズタズタの状態だった。包帯で止血されているようだが、出血量もひどいはずだ。
大量の魔石を夢想して興奮していた自分が恥ずかしくなった。魔獣が大量に発生する現実をきちんと認識できていなかった。
「命がある限り、戦線に立って人々を守りたいのですが……」
※
私はこの町のために自分のできることをやろう。そして、私のできることは魔導工学しかない。
ここから世界を変えてやるんだ。
私は用意された邸宅に着くなり、一室を工房に改造するための作業に入った。
工房といっても作業台と、工具棚と素材棚、書棚を設置しただけの簡易なものだ。
持ってきた荷物を棚に並べていると、「リュシア様!」と叫ぶ声が聞こえた。
表に出ると、一人の騎士が立っていた。
「どうかされましたか?」
「カイル団長がリュシア様とお話がしたいと仰られていて、よろしければいらしていただけませんでしょうか?」
私はすぐに身支度し、その騎士と治療所に向かった。
カイルは治療所のベッドに横たわっていた。もちろん、右腕と右脚は失われたままだ。
しかし、私はその灰色の瞳から、戦いへの火が消えていないことを見てとった。
「カイル、具合はいかがですか?」
「リュシア様、わざわざお越しいただきありがとうございます。なぁに、手と脚を失ったくらいで死にはしませんよ。こんな状態でもオーガくらいは倒せると思います」
そう言ってカイルが笑った。
「あなたはこのヴァレンティア王国でも随一の戦士と言われています。そのあなたがこのような目に遭うとは、どれほど強力な魔獣と戦ったのですか?」
「ドラゴンでした。しかも森の瘴気でかなり強化されたミアズマ・ドラゴンです」
「ミアズマ・ドラゴン?」
聞いたことがない。ドラゴン種というだけで強力なのは間違いないが、それがさらに強化されたドラゴンなんて……
「俺もあそこまで強い魔獣にあったことないですね。森の瘴気の濃度が上がっているのが原因だと思います。
少なくとも今のヴァレンティア王国に、いや、ひょっとすると人類の誰もドラゴンを倒すほどの力を持つ者はいないかもしれない。あんなのが世に出たら、王国はめちゃくちゃにされます。ここで何とか食い止めないと」
「灰狼騎士団に被害状況は? まだ戦えるのですか?」
「五百人いた団員は二百人まで減りました。町の人々や建物にも多くの被害が出ました。俺の手足も含め、腹一杯人間を喰らって、いったん帰ってきましたが、腹が減ったらまた襲いに来るでしょう」
「そんな……下手したら灰狼騎士団ですら全滅しかねないじゃないですか」
「そうです。リュシア様、王都で何をされたのか知りませんが、あなたが今ここによこされたのは、死刑宣告に等しいかもしれない」
私は言葉を失った……大司祭や王太子はそこまで私を敵視していたのか……
「ですが、俺はあなたを含めて、町も町の人々も守りたい。しかし、傷ついた灰狼騎士団と右腕右脚を失った俺ではとても困難だ。はっきり言ってしまえば無理です。そこで王立魔導工学研究所の主席研究員のリュシア様に相談があります」
「魔導OSのことをご存知なのですか?」
「はい。俺は難しいことは知りません。ただ、あなたの研究が人間の能力に拡張に繋がりうるということは理解しているつもりです」
「悪魔に魂を売ることになるかもしれませんよ。私の研究は大教会に睨まれていますから」
「構いませんよ。平民からの叩き上げの俺に失うものなどありはしません。人々を守れる可能性があるのなら、悪魔に魂を売ることだって躊躇うべきではありません。
それに、俺はあなたがこのブリットモアにいらしたことが運命だったのではないかと思っています」
カイルは灰色の瞳で私をまっすぐ見つめた。「運命」という言葉に少しドキッとした。
「わかりました。では、あなたのために魔導OSを組み込んだ義肢と武器を造りましょう。ただ、いくつか素材が必要です」
「魔石なら、ここにはいくらでもありますよ」
「魔石だけでは義肢そのものは作れません。木材か義肢のベースと、できれば魔伝導率の高いミスリルがあるといいのですが、それは難しいと思うので、代替になるのは……」
「義肢のサンプルはこの治療所にありますし、ミスリルもありますよ」
「え? ミスリルあるんですか?」
「俺は金の使い道も知らないもんで、鍛冶屋もいないこの町で、いつか強い武具を作ろうと素材をいろいろ買い込んでいますし、魔獣のドロップ品も溜め込んでいます。ミスリル以外にもいろいろあるので、必要なものは何でも使ってください」
※
灰狼騎士団のメンバーに連れられ、カイルの家に入ったときは唖然とした。
カイルの言った通り、ミスリルインゴット以外にも、王都であれば国宝扱いされるような希少な素材や魔石がそこらじゅうに乱雑に散らかり、埃を被っていたのだ。
しかし、これなら魔導OSを組み込んだ高性能な魔導機械がいくらでも作れそうだ。
確かに、私がこのブリットモアに来たのは運命かもしれないと思った。
魔導炉のような大きな設備の準備をする時間はないのでミスリルインゴットの精錬は諦めるしかないだろう。今あるインゴットの中から純度の高いものを選別するしかない。
乱雑に置かれているように見えた素材も、一応近いもの同士でまとめられているらしく、ミスリルも一つの区画にまとめられていた。
私はミスリルインゴットを一つずつ手に取り、少量の魔力を通し、反応のよかったものを選んでいった。どこで手に入れたのかはわからないが、それなりに純度の高いものもあるようだ。これならいける。
ミスリル以外にも使い道のありそうな素材を見繕って、私の工房まで運ぶよう、同行してくれた灰狼騎士団のメンバーに依頼した。
素材を運搬し終えて、灰狼騎士団のメンバーは「何か手伝えることがあれば詰所にいるので教えてください」と言って帰っていった。
ドレスを脱ぎ捨て、作業用のつなぎに着替えた。ドレスなんかよりこの服のほうがずっと着心地がいい。こんな色気のない女じゃ、遅かれ早かれ、王太子には捨てられていたわね。
工房を整えて、さっそく作業に取りかかる。いつまたミアズマ・ドラゴンが襲ってくるかもわからない今、大至急で作業を進める必要がある。
ここまで大量の素材を使った製造はしたことがないが、それなりに実習もしてきている。理論も誰よりも知り尽くしている。できるはずだ。
まずはカイルの義肢だ。
治療所から持ってきた木製義足のサンプルを、金鋸を使い、測定したカイルの脚のサイズに合わせて切断し、ヤスリで削った。細かい調整は、実際にカイルに装着してもらってからになるので、今の段階ではだいたいでよいだろう。
さらに義足を縦に切り取り分解し、鑿で、神経線を通すための溝や、魔導OSチップを埋め込む溝を彫った。
そこに既製品の金属の留め具を取り付けて、義足が開閉できるようにした。
義足本体がある程度できたら、ここからが本番だ。
ミスリルはそのままでは硬すぎて加工できない。そのため、王都から持ってきた携帯魔導作業台を使う。
作業台には魔法陣がいくつか描かれており、そこにミスリルインゴットを置き、火属性の魔石を台の魔石溝に嵌め込む。すると、熱と振動がミスリルに伝わり、ミスリルが柔らかくなるので、そのタイミングを逃さず加工していくのだ。
まずはミスリルインゴットを金鋸で棒状に切り取る。そして、ミスリル棒をロール・プレスに何度もかけ、平たい板状にしていく。
次に金切り鋏で細い線状に切り取っていく。
魔導作業台の力でミスリルは柔らかくなるとはいえ、加工に腕力は必要だ。男手が欲しいが、素人に触らせて素材を台無しにするわけにもいかない。一人で根気よくやるしかない。
線状にしたミスリルの先端をドロープレートの小さな穴に通して、ペンチで引き、断面を丸く整えた、さらに細い線状にしていくのだが……これはきつい。私の力では引っぱりきるのが難しいのだ。
前言撤回。早々に諦めて、私は灰狼騎士団の詰所に行って手伝いをお願いした。落ち着いたら使用人と助手を手配してもらいましょう。
灰狼騎士団の屈強な騎士がミスリル線の加工をしている間に、私は魔導OSのプログラミングの作業を行うことにした。
羊皮紙を取り出し、人間語で仕様を書き込んでいき、さらにその仕様を、魔導OSが理解可能な魔導言語に翻訳していく。
石板の魔導コンソールに試作版魔導OSのコアとなるOS「アレス」が組み込まれた小さな水晶の魔導OSチップを嵌め込み、魔力を通しながら、羊皮紙に書き込んだ魔導言語を詠唱する。
すると水晶の魔導OSチップが淡く光り、プログラムが流し込まれたことが確認できた。
そうこうしている間に、灰狼騎士団の騎士がミスリルの線を仕上げてくれていた。
これが義肢に魔導OSの指令と魔力を伝える神経線となるのだ。
木製義足に慎重にミスリル神経線を埋め込み、魔導OSチップを嵌め、留め金で閉じる。生身の足との接地面から飛び出たミスリル神経線の端子と受容ルーンが埋め込まれた魔導樹脂を接続し、その樹脂をそのまま接地面に貼り付けた。また一本長く飛び出させたミスリル神経線は、装着用のベルトに這わせ、腰の位置で魔石用の受容ルーンと接続し、ポケットに入れた。そのベルトも義足に金具で取り付けて完成だ。
一気に造り上げたが、まだ脚しかできていない。カイルに装着してもらってテストもしなければならないのだ。まだまだやらないといけないことがある。
※
私は睡眠も食事もほどほどに、三日三晩作業を続け、アレス式魔導義肢《腕》と《脚》、そして竜穿魔導槍を完成させた。
疲労困憊ではあったが、気分はひどく高揚していた。私の魔導OSが実用化される時が来たのだ。
また灰狼騎士団の騎士に完成品の運搬を依頼し、さっそく治療所を訪ねた。
カイルは驚異的な回復力で、すでに上体を起こし、体を動かせるまでになっていた。
「カイル、できたわ」
ドレス姿でない私に一瞬ぎょっとしたようだったが、私だと認識すると、カイルの表情は瞬時に明るくなった。
「本当ですか?」
「ええ、さっそく装着させてほしいんだけど、体調は大丈夫かしら?」
「はい、問題ないです」
「念のため、お医者様も同席いただいて、接続の作業は私がやるわ」
人体に魔導OSの組み込まれた義肢を実際に接続させるのは初めてだ。そもそも人類の誰もやったことがない作業になるだろう。それでもここまでやったらやるしかない。こうしたことも想定して、人体の構造もしっかり勉強しているんだ。
カイルの足の包帯を解いていく。生々しい傷口が露わになる。私は片眼鏡式の顕微鏡で、しっかりとその傷口を観察する。
魔導回路も神経もぐちゃぐちゃにされてしまっている。
「痛いと思うけど我慢してね。動かないように誰か抑えてくれる?」
「大丈夫ですよ。痛みには慣れています」
カイルはそう言って微笑んだ。
痛みに慣れていたって、体は反応してしまうでしょう?
私は魔導メスを使って、傷口の表面を少しずつ削っていった。メスには清浄のルーンが埋め込まれ、瘴気汚染や雑菌の除去も同時にされる。
カイルは顔色一つ変えず、ぴくりとも動かない。足が壊死しているわけでもないので、相当な痛みのはずなのだが……
血が少しずつ流れ出し、見にくくなったが、カイルがまったく動かないおかげで作業はしやすく、生身の脚から魔導回路を引き出すことに成功した。複数の魔導回路を束ねて魔導結節としてまとめ、そのノードを義足の魔導樹脂に押し当て、魔導糸で縫い留めた。これで肉体の魔導回路とミスリル神経線が接続可能となるはずだ。
義足につけられたバンドを太ももに巻き、さらにベルトを腰にも巻きつけて固定する。最後に魔導樹脂に魔力を流すことで、止血と防腐処置がされ、生身の脚に吸い付くように接着された。
「これで施術は完了だけど……痛くなかったの?」
「死ぬほど痛かったです」
「え? そんなふうに見えなかったけど……」
「死ぬほど根性がありますので」
カイルがにやりと笑った。
※
同様の手順で、義手の施術も終わり、いよいよテストだ。魔導OSを起動するため、ベルトのポケットの受容ルーンに無属性の魔石を入れた。
「さあ、立ってみて」
私は魔導コンソールを手にし、そこに埋め込まれた水晶を覗き込む。魔導OSとの接続に問題はなさそうだ。
カイルが生身の左脚をベッドから下ろし、続けて義肢の右脚を下ろす。
「何だ、これは?」
カイルの第一声だった。さっそく問題?
「違和感があるの?」
「逆ですよ。違和感がなさすぎて、それが異様なんです」
「何を言っているのかよくわからないわ。問題ないってこと?」
「俺は足を無くしているんですよ? それが、足の感覚が戻っていて、義足が自分の足みたいなんです。地面の感触もしっかり感じるんですよ」
「ああ、それは魔導OSの機能よ。失われた皮膚と神経の代わりに魔力が環境の状況を検知して、あなたの魔導回路を通して、感覚をフィードバックしているのよ。感覚用も魔力をミスリル神経線に流して、その魔力が検知した情報をあなたの魔導回路に送信する制御をしているのが魔導OSなの。義肢として最低限備えるべき基本機能でなくて?」
「よくわからないけれど、すごい機能があるということだけはわかりました」
「基本機能と言ったでしょう? こんなのぜんぜんすごくないわ。あなたはより強い相手を倒さないといけないのでしょう? 生身のあなたでは倒せなかったミアズマ・ドラゴンを倒すために強力な機能も入れているわ」
そう言いながら、私は感覚機能が動作したことに内心歓喜していた。
私たちは本格的なテストのため、治療所の外に出ることにした。
カイルも問題なく歩けているようだ。
「すごい。歩くのもほとんど支障がない」
「あなたの脳からの指令も魔導回路を通して送られるの。義足には関節がないから少し歩きにくいかもしれないけれど、その違和感も魔導OSが可能な限り吸収して動作補正してくれるわ。脚の動作に関係のない信号はノイズとして除去されるから、スムーズに動くはずよ」
治療所の外に出て、周囲に何もない広い草地に出た。
「義足の右脚で地面を蹴ってジャンプしてみて」
カイルが言われた通りに、右脚を踏み込んで飛び上がった。すると、カイルの身長の三倍程度の高さに飛び上がり、降りてきた。カイルは空中でバランスを崩して着地がうまくできず、地面に倒れ込んだ。
「大丈夫!?」
「はい、大丈夫です。いや、びっくりしました。思ったよりずっと高く飛び上がったので……」
「魔力で地面との反発を増幅しているの。コントロールに慣れが必要になりそうね。魔力で空気の抵抗を強めて蹴ることもできるから、二段ジャンプしたり、急降下可能よ。
同じように、水平に走るようにするのも試してみてもらえる?」
今度はカイルは義足を傾けるような形で、横に飛び跳ねた。
右脚が置かれていた地面が大きく削れ、カイルが矢のような速度で移動したかと思うと、やはりまたバランスを崩して倒れ込んだ。
まあ、カイルは頑丈そうだから大丈夫よね。
「すごい……前回の戦闘ではミアズマ・ドラゴンの攻撃を避けきれずに手足を喰われてしまったんですが、この速度で動ければやつの速度にもついていけそうです」
「ちょっと慣れるまで練習ね。あとは腕と武器だけど」
今回製造した竜穿魔導槍は柄が短く、穂先が長めの短槍だ。
「腕のほうは関節がなくて槍を握れないから、通常時は竜穿魔導槍は生身の左腕で剣のように使ってもらえる? いざという時だけ、義手の手のひらの真ん中にある窪みに差し込んで使って。義手の魔導OS連携して、高出力の攻撃ができるんだけど、何度も使える技ではないから注意して」
カイルは左手で竜穿魔導槍の柄を握り、何度か振ったり、突いたりした。
「軽いですね」
「穂先はミスリルと隕鉄の合金よ。いろんな素材をお持ちみたいだったけれど、強度ではそれが一番高いものだったわ。扱いやすいし、強度も間違いないわ。竜の鱗を貫くには、そのくらいでないと心許ないでしょう? 柄は樫の芯にミスリル線を通しているので、義手と接続して、魔導OSからの魔力信号を受け取れるようになっていて、柄と穂先の結節点に、二重魔導コアーー貫通と浄化の核を仕込んであるの」
私は興奮気味に話をしたが、カイルはぽかんとした顔でこちらを見て、「はぁ」とだけ言った。
※
カイルは練習を繰り返し、次第に慣れてきたのか、ジャンプ時の着地や、右脚ブーストでの移動もスムーズになってきたようだ。それでもときおり体勢を崩してしまうので、出力制御の調整かバランス制御の調整が必要かなと考えていると、突然、警鐘の音が響いた。
そこに一人の騎士が慌てた様子で治療所の外の私たちのもとへやってきた。
「魔獣の襲来です!」
「え!? もう?」
「大丈夫です。いけますよ」
カイルはそう言ったが、正直もう少しテストしてデータを取りたかった。
が、そうも言っていられない状況だろう。
カイルはすでに走り出していた。
「馬に乗るよりこのほうが速いな……俺は先に行きます。リュシア様は、騎士と一緒に後から安全を確認しながら来てください」
そう言って、カイルはアレス式魔導義肢のブーストで、あっという間に走り去っていった。
私も慌ててついていきたいところだが、そんなに速く走れるわけないじゃない。
「リュシア様、馬にお乗りください」
騎士が言うので、馬に乗せてもらった。馬に直接乗るなんてことは初めてだ。
左手で魔導コンソールを抱え、右手で馬の首にしがみつく。馬には申し訳ないけれど、最悪の乗り心地ね。やっぱり魔導車を早々に開発したいところだわ。
騎士とともに、町を囲う城壁の外に回り、魔獣が出た現場に到着すると、すでにカイルが最後の一匹となったオーガを、竜穿魔導槍で一閃し、倒したところだった。
地面には何十体もの人間の二倍以上の体躯のオーガの死体が散乱していた。
「カイル!」
「リュシア様、すごいですよ。実践でもまったく問題ないどころか、以前よりもずっと強くなった気がします。脚だけじゃなく、この竜穿魔導槍の強度と扱いやすさも素晴らしいです。ほぼ一撃で、すべてのオーガを倒せました」
魔導コンソールにも目立ったエラーのログは出ていなさそうだ。
と思っていると、魔導コンソールの水晶の中に映し出されたルーンがかすれ、ノイズが入ったように見えた。何これ?
カイルのほうを見る。
彼はこちらではなく、森のほうを見ていた。
「やつです。オーガの血の匂いが呼び寄せてしまったかもしれない……」
その魔物は、大きな翼を広げ、空を飛んでこちらに向かってきていた。全身に鉛色の鱗をまとい、鱗の隙間から煙のように紫の瘴気噴き出す姿はおぞましく、禍々しかった。
その姿を見た私は魔導OSのことなどもどうでもよくなるくらい怖かった。
私は王都での暮らしで、生きた魔物に出くわすことなどなかった。このブリットモアの人々は日常的にこのような危険とともに暮らしており、彼らがここで魔物を食い止めていてくれるおかげで、私たちは安全に暮らせていたのだ。
「ミアズマ・ドラゴンです。下がってください!」
カイルが叫んだ。私は正気を取り戻した。灰狼騎士団でさえ倒せなかった敵が迫っている。ここで食い止めなければ、王都や他の町にも大きな被害が出てしまうのだ。
ミアズマ・ドラゴンは急降下してきたかと思うと、オーガの死体に大きな口で噛みついた。オーガに半身が瞬く間に消え、ドラゴンが骨ごと噛み砕くような大きな咀嚼音を立てた。不快極まりない音だった。
カイルがミアズマ・ドラゴンを睨んだ。ドラゴンのほうは冷徹な目でカイルを見返していた。
「リュシア様、こいつには竜穿魔導槍で切りつけただけでは攻撃は通りません。右腕のアレス式魔導義肢を使います」
「わかった。じゃあ、槍を手のひらに差して、相手を殴るようにすれば、魔導回路から魔導信号が出て、槍の貫通と清浄のコアが作動するわ」
カイルが右腕の義肢の手のひらに竜穿魔導槍の柄を差し込んだ。
余裕な様子でオーガの食事を続けるミアズマ・ドラゴンに、先手必勝とばかりに右脚ブーストで跳びかかった。
ミアズマ・ドラゴンも予想外で不意をつかれたのか、その眉間に竜穿魔導槍が直撃し、コアが鈍く光った。
ミアズマ・ドラゴンがその禍々しい紫の瞳をカイルに向けた。槍は貫通しきらず、ドラゴンの額に小さな傷をつけただけだった。
すかさずカイルは右脚ブーストで後ろに跳び退いたが、着地に失敗し、尻もちをついた。
「硬すぎる! 衝撃で義肢にひびが入ってしまいました」
私はログのルーンを見た。
《貫通コア起動失敗》《清浄コア起動失敗》《バランス制動失敗》
え? 何で?
まさか……あのドラゴンは魔導OSに干渉しようとしている? あのバカ王太子や大司祭よりもよほど知能が高いんじゃないの? いや、そもそもあの瘴気がエラーを起こしている?
ミアズマ・ドラゴンが大きな口を開け、カイルに向けていた。
もう考えている余地はない。私が今取れる手段は一つしかない。
「カイル! 五秒だけ耐えて!」
メモをしている暇はない。私は頭の中で必要なルーンを整理する。
ミアズマ・ドラゴンが瘴気ブレスをカイルに放った。カイルは右脚ブーストで横に跳躍した。
ブレスが通過した地面にあったオーガの死体や植物や地面の土石まで腐食していた。
強い腐臭が私の鼻にまで届いてえづいてしまうが、集中続ける。
魔導コンソールに向かって慎重にルーンの詠唱を行う。コンソールの水晶が淡く光り、魔導波が義肢の魔導OSへと飛んでいく。
ミアズマ・ドラゴンが一つ羽ばたいたかと思うとカイルに猛スピードで飛びかかった。
「カイル!」
カイルは上に跳び上がった。今までよりもずっと高く。
「リミッターを外したわ。もう一度アレス式魔導義肢で攻撃して。これであなたと心中するわ!」
瘴気が干渉してくるなら、その干渉を吹き飛ばすだけの出力を出すしかない。
もう木製の義肢は保たないだろう。魔石の魔力も使い切る。
これでだめならそういう運命だったと諦めよう。魔導OSはその程度のものだったのだと。そして、人類は魔獣に蹂躙される運命なのだと。
「やってやりますよ!」
カイルが上空で下に向きを変え、右脚ブーストを使った。ミアズマ・ドラゴンに向かって急降下を始める。カイルを見失っていたようで、急速に近づいてくるカイルに気づくのが遅れている。
「魔導過駆動!」
白く強い光が竜穿魔導槍から放たれ、直視できなかった。
※
灰色の煙が立ち昇っていた。
その色は瘴気ではないはずだった。
灰色の煙の中から、灰髪の頭が覗いた。
「カイル!」
私はカイルに駆け寄った。
「あんな無茶なブーストして大丈夫なの?」
「痛いのは慣れてますよ。あなたの施術に比べたらなんてことないです」
そう言ってカイルは笑った。
次第に煙が薄れていくと、そこには頭に義肢から伸びた竜穿魔導槍を突き刺されたミアズマ・ドラゴンが倒れているのが見えた。煙はオーバーヒートした義肢から出ていたようだった。
「やったのね!」
「ああ、リュシアお嬢様、あなたは天才だ」
カイルがぼそっと言った。その灰色の髪と瞳を持った男の精悍な顔に少しどきりとした。
「あなたこそ、本物の戦士だわ」
勇敢で、素敵な人だ、と思った。
思わずカイルに抱きついた。
「リュシアでいいわよ。もう侯爵令嬢なんてやってられないわ」
※
ミアズマ・ドラゴンの出現とその凶悪さはすでに王都に伝わっており、同時に報じられた王国最強の灰狼騎士団の敗北は大きな衝撃を与えたようだった。
しかし、王政府が有効な手立てを打てぬまま、数日が経ち、カイル・ヴァルトハイトによるミアズマ・ドラゴンの討伐成功が伝えられたときには、大きな安堵と希望、そして一部の者には大きな動揺を与えたのだった。
カイル・ヴァルトハイトの勇猛さは知られるところではあったが、その討伐に魔導OSが組み込まれた義肢と武器が決め手となったことが大きな話題となったのだ。
王立魔導工学研究所で魔導OSの第一人者であったリュシア・フォン・エルンスト侯爵令嬢と婚約破棄し、追放にまで至らせた王太子エドアルト・フォン・レーヴェンハルトとその擁護者である大教会は、王政府から強く糾弾された。
その結果、王太子エドアルトは王位継承順位を最下位にまで落とし、大教会も評議会での議決権を大きく減らす結果となった。
そんな折、ブリットモアの私の邸宅の前に立派な馬車が止まった。
何事かと思っていると、馬車から降りてきた男が、王都からの使者だと名乗った。その使者は無表情で尊大な雰囲気の男だった。
「リュシア・フォン・エルンスト侯爵令嬢、あなたに王政府から、王都への帰還命令が出ました」
「は? 私は二度と王都の地を踏むなと言われたんですけれど?」
そう返すと、使者の男は無表情を崩し、露骨に狼狽えた顔をした。
すると、馬車からもう一人、若い男が出てきた。
「王国宰相補佐のユリウス・フォン・ヴァルトレインと言います。この男が不躾なものいいで申し訳ございませんでした」
宰相補佐? 何か偉そうな肩書きだけれど、使者と違い、尊大な態度ではなかった。
「私は以前からあなたの魔導OSの研究に注目していたのですが、そのせいで冷遇されていたのですが……これは失礼でしたね……王政府も大教会もなかなか理解できなかったんです。あなたの研究は先進的すぎました。
ですが、あなたがこのブリットモアで大きな成果を出したことでその風向きが大きく変わりました。おかげで私も地位を取り戻すことができました。今や王都ではあなたはカイル団長とともに英雄扱いです。それで、あなたのために大きな予算を王立魔導工学研究所にも割り当て、よりよい研究の環境を整えようということになったのです」
あら、いい話じゃない。
「王太子殿下も婚約を再考してもよいと仰っておられます」
ぷっと吹き出してしまった。
「ありえないですよね? 落ち目の王太子なんて。やめておいたほうがいいです」
そう言ってユリウスは笑ったが、使者は驚いたようにユリウスを見た。
「はい、再婚約はありえないですわ。王立魔導工学研究所のことはありがたのですが……このブリットモアのほうが現場に近くて、よい研究ができる気がしますの」
そう言うと、ユリウスは優しく微笑んだ。
「私もそう思います」
「え?」
私と使者が同時にそう声を上げた。
「カイル団長ですよね? 彼と実地で実験もできるこの地で研究を続けていただいたほうが、王国の防衛の観点でもよりよいだろうと私も思っていました。そう言ったんですけれどね、政府の連中にも」
「はぁ」
「しかし研究の支援はさせてください。あなたの研究は間違いなく王国や人類に繁栄をもたらすものです。王立魔導工学研究所のために確保した予算もこちらに回しますので、必要なものは何でも言ってください」
そう言い残してユリウスは去っていった。
※
「王太子と婚約なんてすごいじゃないか」
裏で隠れてユリウスとの会話を聞いていたのか、カイルがそう言った。彼には私の助手として工房に来てもらっていた。
「へー、そんなこと言うんだ。じゃあ受けてもいい?」
カイルは複雑な表情をした。
「じゃあ、受けるわ」
「えっ?」
カイルは今度は露骨に焦った表情を見せた。
「研究の支援の話だけね。私たちが救うのは民であって、王太子なんてどうでもいいでしょう?」
「ああ、そうか。そうだな」
カイルは安堵の表情を見せた。表情の変化を見るだけで面白い。戦場ではあんなに冷静で頼りになるのに。
「私はもう新しい恋を見つけたから、他の婚約は全部お断りよ」
小声でそう言った。
「え?」
「何でもない!」
私はカイルに微笑んだ。
ここで私はカイルと研究に勤しむのだ。これからがとても楽しみだった。
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