第31話 ~ある神徒の記憶~
その男は、生涯を信仰に捧げていた。
聖地で生まれ育った敬虔なる信徒の両親の元に生まれ、尊き教導者の教えに学び、祝福を授けられた。
唯一なる神の教えに従わぬ、背教者たちとの戦いに身を投じ、数多の戦場を駆けた。
……男には才能が有った。
男の身体に祝福は良くなじみ、他の祝福者達と比しても卓越した神秘を宿したその身体は、神聖なる者に至りながら男に自意識を許していた。
それは、この世界にあって、超人と言っていい領域だ。
男だけではない。
同様の、同時に別種の力を持つ者達を、教会は特に優れた祝福者として扱い、神徒として呼びならわした。
それは、時の情勢も大きく影響していた。
聖地より東方の大草原に、唯一神教会を是としない、独特の祖霊信仰を基幹とする大帝国が興ったのだ。
燎原の火の如くに周辺国家を攻め滅ぼした大帝国は、遂に聖地にまで鉾を向けたのである。
もしこの男と他の数人からなる神徒達が居なければ、過去に興りし東方の大帝国の聖地侵攻は成っていただろう。
神徒達は、背の翼で空を駆け、白き聖鎧は数多の矢を小雨程度の威に落とし、振るう剣は大帝国の将の首を跳ね飛ばした。
幾ら身体を槍や剣に貫かれようとも突き進み、時に炎の雨さえも呼び出しだした神徒達は、守勢から一転して大帝国の各地を荒らしまわった。
そして、血戦の時が来る。
大帝国の聖地にあたる祖霊の地にて、神徒と祝福者からなる軍は大帝国の本体、大帝自ら率いる軍とぶつかったのだ。
その兵力差は大帝国側が10倍に届くほど。
しかし、神徒そして祝福者たちの超常の力は、数の不利を意にも介さず、地を覆いつくす程の大軍を、まるで只の麦でも刈るか如くに薙ぎ払った。
遂には、その男の剣は大帝その人をも切り捨てる。
聖地侵攻から端ある大戦を制したその男は、まさしく聖地の英雄であった。
しかし、祝福は人に余る力だ。
大きすぎる力は急速に神徒達を侵食し、遂にはその身に最後の破綻が訪れる。
祝福が、根の張り場所を求め始めたのだ。
祝福を受けた殆どの者は、この時点ですでにまともな意識などない。祝福の導きに従い、聖地の地下奥深くにある聖なる墓所へ自ら足を運び、聖樹の一本へと姿を変えるのだ。
そこは約束の地だ。
眠りの中にあるような微かな意識は、祝福がもたらす高揚感や幸福感に包まれながら、永劫の眠りにつく。
その男も、その様になる筈だった。
しかし、男は余りにも祝福に馴染みすぎていた。
祝福を、己の身体の一部として扱い得るほどに。
故に、祝福の求めに応じ聖なる墓所へ至った男は、その神秘を維持しながらその地を見て回ったのだ。
何しろ、そこは聖地にあって最も神聖な領域の一つだ。
信仰篤き男にとって、この地の巡礼は、その生涯にわたった献身の対価のように思えたのだ。
だが、男は不運だった。
聖なる墓所たる聖樹の森の奥、ひときわ巨大な大聖樹に至った男は、感じ取ってしまったのだ。
その中央に眠る不浄に。
大聖樹のウロから続く通路は、冒涜的でさえあった。
何故、聖なる大樹が、この様なものをあらゆる物から守るかのように、抱いているのか?
何故、先より感じる気配が、男が退けた大帝国よりも魔を感じるのか?
進むほどに、男の心を苛み……男は、寝所へとたどり着いた。辿り着いてしまった。
そこに居たのは……。
□
「っ!? 忌避感が、強くなったわね!? でも、もう少し覗かせてもらうわよ?」
白金の森、その内の一本の巨木。
その下で根にうずもれるかのように朽ち果てつつある骸の前で、リムスティアは手をかざしていた。
この骸は、未だ僅かながらに意識がある、そう感じ取ったリムスティアは、この地の何らかの情報を得ようと、骸の記憶と意識を読み取っていたのだ。
だが、表層の意識は正気を完全に失い、過去の残滓に囚われていた。
信仰の元に聖地の敵を全て切って捨てていた男の表層意識は、拠り所を失って粉々になっていたのだ。
僅かな意識の断片を辿り、記憶に触れるだけでも時間がかかり、リムスティアは他の仲間と比べても完全に遅れている。
しかし、その甲斐はあった。
男の意識が持っていた情報は、聖地の『神秘』や『祝福』と呼ばれる特異な力について、深く触れ得た者のみが持つ貴重なものだ。
この地下に繁茂する『白金の祝福』のような特異な力の元が他にもあるらしいと言うのは、特に重要な点だろう。
そして、男の辛うじて正気であった頃の最後の記憶。
明らかに異常さを伝えるそれは、今のリムスティア達に必要なものだ。
だからこそ、忌避感から忘却へ押し込まれようとされる記憶を、リムスティアは必死になって読み取っているのだ。
種族と称号の両面で精神に秀でていなければ、伝説級に至った魔王であるリムスティアを以てしても、最後の記憶は読み取れなかっただろう。
しかし、事は成った。
男の記憶の中、『白金の大樹』の最奥、秘された寝所の記憶が開かれる。
それは……。
「……神徒と呼ばれるほどに親和性が高かったのが、仇になったか。この封印の間に至るとは」
「そこは、褒めてあげるべきではないかしら? 聖人にも認定したのでしょう?」
巨大な寝台に横たわるナニカと、その傍らに佇む二つの人影。
ナニカは、まるで肉の塊だ。あのような醜悪な存在、それも不浄の気配を隠しもしない様に、男は思わず手の内に得物を現出させる。
あれは、この地に在ってはならない。
その筈だ。その筈なのに。
何故、尊きお二方が、そのような者の傍に在られるのか?
「無作法にも程があろう。控えよ、■■■。誰の前だと思っている」
「あら、私達を護ろうとしているのでしょう? その献身は汲んであげるべきだと思わない? それとも……」
男の様子にまるで動じない、至尊たるべきお二方。
その姿が、不意にブレた。
次の瞬間そこに居たのは、寝台に横たわるナニカにすら並ぶ、異形の、悍ましい、
「この姿を、感じ取ったのかしらね?」
「……勝手にこの身まで干渉するな。腹立たしい……!」
世に在ってはならない、モノだ。
男の知る、祝福などとは明らかに違う、世に在ってはならぬモノ。
「獣?!」
「……その通りだ、愚か者。そして叫ぶな……こやつが起きたであろうが」
「あら大変。彼、寝起きは良くないのよね」
異形と化した二人の声に視線を向けると、寝台で横になっていたナニカが、目を開き、男を見て、
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!????! あっああっあああああああああ!!!」
男は、壊れた。
□
「今、のは……!?」
リムスティアは、いつの間にか、骸の前で膝をつき、息を荒げていた。
男の記憶、それはあの『白剣の大樹』の奥深くに眠る存在を示している。
そして、寝台の異形と、二つの影。それらに共通した感覚を、リムスティアは知っている。
「滅びの、獣……まさか、3体も、ここ聖地に……!?」
夜光達が降し、その核を封じて来た滅びの獣たち。
男の記憶にある滅びの獣たちの姿は、リムスティアが知るこれまでの獣達と異なることから、7対いる内の残り3体に該当するだろう。
そのうちの二体は、男の記憶の中で人の姿を取り、活動していた。
すなわち、唯一神教会の頂点である、教導帝と聖母。残る一体は、この先の『白金の大樹』の中だ。
人の姿を取っている二体は、常時この地下空間に居る訳では無いだろうが、大樹の中に居る獣はこの先で必ず待ち構えているに違いない。
ならば、直ぐにでも仲間に合流して、この情報を伝えなければならない。
滅びの獣は、いずれも超常の力を持ち合わせており、伝説級に至ったリムスティア達でも容易な相手ではない。
何より……、
「……報告、しない訳には行きませんわよね」
主たる夜光に知らせねばならない。
滅びの獣の情報は、真っ先に伝えるようにと言明されているのだ。
しかし、リムスティアは迷う。
「ミロードは、伝えればきっと来てしまうわ。不調の身体を押して……でも、それは」
この地の脅威は、命奪われた後も浸食という形で続く呪いのようなモノ。
その呪いから夜光を遠ざけるため、ここへはゲーゼルグら仲間モンスター達だけでやって来たのだ。
しかし、滅びの獣に関わるとなれば、夜光は動く。動く性分なのだ、リムスティアの主は。
リムスティア達が心配しようが、同じプレイヤーであるホーリィが諫めようが、動くべきと決めたら動いてしまう。
それが判っているだけに、リムスティアは迷った。
だが、迷う猶予は既にリムスティアに残されてはいなかった。
「っ!? 今のは……!?」
膨れ上がった巨大な気配。
リムスティアが向かうべき先、『白金の大樹』の方向で、何かが起こり始めているのだ。
既に、大樹での戦闘が始まっているのは明らかだ。
ならば、滅びの獣も既に動き始めている可能性が高い。
だからこそ、リムスティアは動くしかなかった。
「ミロード、お知らせしたいことが……!」
ユニオンリングでの遠隔通信を起動させたリムスティアは、こみ上げる思いを押さえながら、夜光を呼び出した。




