第10話 ~教会領戦線 その6~
ほのかな光に包まれた、清涼なる空間。
そこは、白亜の巨石から掘り出されたと言う聖なる広間だ。
光を取り入れる窓には、陽光を厳かな色合いの宗教画にかえるステンドグラスがはめられ、聖印たる七つの円をモチーフにした意匠が、彼方此方に凝りこまれている。
綿密に計算されたであろう、光と影と色彩のコントラストが、見る者に高位なる存在を確信させるような、そんな造り。
唯一神教会、その総本山たる聖地の一角、幾つかある聖堂の一つが、そこだった。
この聖地に生まれ、教えに従い続けた者のみが入り得る、聖域である。
白亜の長机と並ぶ椅子は、この部屋が何らかの会合の場だと知らせていた。
事実、この場は会合の場でもある。
唯一神教会の聖職者その責任者たちが、聖地の行く末を協議する聖導の間だ。
しかして、今ここは本来の静謐さを破る怒声に溢れていた。
「どういう事だ!? 一向に背教者共の歩みが止まらぬではないか!!」
「聖別隊は何をして居ると言うのだ!? このような時の為の神秘であろう!」
「判らぬ。放った者らが戻らぬのだ……」
「何のための遠視の神秘者や託宣の神秘者だと思っておる! 探らせよ!」
「命じておるに決まっておろう! されど、その者らも何も見通せぬどころか、呪われたかのように光を失ったわ!!」
「そのようなことが……」
唯一神教会、その上位の聖職者である、教導者たち。
それらが、口々に言い争っていた。
無理もない。皇王率いる皇国の軍勢は、今や聖地の間近まで迫っている。
これまでの歴史の中で、他の強国から聖地は度々狙われてきたが、ここまで聖地に接近を許したのは、初めての事なのだ。
攻めるに難い天然の防壁たる聖地周辺の地形と、神秘や奇跡といった超常の力。
これらがこれまで唯一神教会の本拠地である聖地を護って来た。
しかし、近年現れ出した『門』とその中の力を積極的に取り込み強大化した皇国は、それらを以てしても抑えきれないのだ。
「だから言ったのだ! 工作を行うにも秘匿を厳にせよと!」
「だが背教者どもをこれ以上のさばらせるわけにはゆかぬ! 穢れた力がこれ以上はびこる前に動かねば!」
「今はその様な事を言って居る場合ではない! 彼奴等を聖地にこれ以上近寄らせてはならぬ!!」
「だが、如何にする!? 聖洞の祝福者、聖別隊ともにだれ一人戻らぬとなると、浄化の道は使えぬと判断すべきだ」
聖洞の祝福者とは、闇に閉ざされた地下通路に最適化された襲撃者達、そして聖別隊もまた、教団の抱える神秘によって武装した者達だ。
それがある時を境にして、だれ一人戻って来ない。聖地を護る、貴重な戦力がだ。
それらは尋常ならざる力を持つが、仮に撃退されたとしたならば、忌まわしき『門』の先の力によるものであろうことは疑いが無い。
皇国が、何らかの手を打ったのであろう。
遠隔視の神秘や、高い的中率を誇る予言の神秘の持ち主も、何らかの妨害を受けているのか、有用な情報を得られずにいる。
こうなるが故にこそ、唯一神教会は『門』の力を求める皇国を、これまで迂遠な手段を取りつつもその活動を妨害してきたのだ。
しかし、昨今の『門』の大規模増加に際して現場の者が焦った為か、この様に攻め込まれるに至っている。
険しい隘路が多く、皇国も軍の体を維持したまま進軍するに向かぬ地形故に、いまだ聖地への侵入を許していないが、このままでは時間の問題であろう。
それが判って居るからこそ、教導者たちは終わらぬ評議を続けているのだ。
教導者達の表情は、これまで無かった事態に焦りの色が強い。
本来静謐に包まれたこの広間は囁き程の声量で十分評議可能であり、声を張り上げる等無作法極まりない行いのはずだ。
そんな形式などかなぐり捨てる有様は、とてもまかりなりにも宗教家とは思えぬ姿。
当然、そんな教導者達を冷ややかな、いっそ凍り付きそうな程の冷徹な視線で見つめる者が居た。
長く伸びる白亜の長机の最奥、他の者とは画する格式を持った玉座とさえいえそうな椅子に座る者。
唯一神教団の地上での最高位。主たる唯一神の代弁者。
至尊の座と呼ばれるその位に座るのは、威厳に満ちた壮年の男だ。
教導帝、アヴァロフ3世。
そう呼ばれる男は、冷ややかな視線を投げかけたまま、微動だにしない。
その胸中はいかなるものなのか、うかがい知る者は、この場に一人のみ。
「彼らは、あのような調子ですけど……猊下はどうなされるの?」
その傍に控える、一人の女。
服ではなく、聖なる布を幾重にも巻き付け長衣のように纏ったその姿は、教導者でも女性が付き得る最高位、教導母と呼ばれるものの特徴だ。
唯一神教会の女性信徒は、皆彼女の娘として扱われる、そんな存在である。
「知れたこと。これまで通り、聖地は落ちぬ」
「そうでしょうね。でも、これまでとは違うのも確かよ」
「変わらぬ。変えさせぬ」
教導母の言葉は、至尊の座の存在に向けるには、余りに砕け過ぎていた。
しかし教導帝は意に介した様子はない。
……いや、もしその声を聴く者が居たら、余りの恐怖で失神していたかもしれなかった。
それは怒りだ。
表面だけは何とかとりつくろえていた怒りが、言葉に乗り周囲に広がる。
「ヒッ!?」
勘気に触れるというのは、こういう事を言うのだろう。
アヴァロフ三世の座にほど近い席に居た運の悪い男が、一瞬で泡を吹き、気絶する。
圧倒的怒りが、教導帝の中に渦巻いている証拠だった。




