プロローグ 堕ちし世界樹 その12
関屋が取り出したモノは、小指の先程の球体だ。
表面に複雑な文様が描かれ、その文様が定期的に明るさを増す。
まるで鼓動か呼吸でもしているような点滅の様子は、見る者をある種の不安に掻き立てるかのようだ。
よく見れば、その球体は透明な箱に収められていた。
「大罪の種?」
アキュラは鸚鵡返しに聞き返すも、隣に控えていた彼の相棒たる人猫のミミが、あからさまに警戒し始めたのを見て取り、表情を引き締めた。
これは、本気で危険な物なのだと。
期待通りの反応を見た関屋は、更に言葉を続ける。
「ああ、俺らもまだ良く解っていないんだがな……お前さんをここまで案内してきた姉ちゃんが居ただろ?」
「居たな。何だか妙な事を言って居た気がするが……? 何時の間に消えたんだ?」
そう言われ、アキュラは先刻まで確かにここに居た筈の少女を探すが、戦場の様子に意識を向けている内に既にこの場を去った後だったようだ。
アンナと名乗った彼女は、自分を創造神だと言っていた。
「あの何かおかしな女が、何かしたのか?」
「あの姉ちゃんが、こいつを持ち込んだのさ。キッチリ処分しておいてくれとな。こいつを放置すると、最悪ああなるらしい」
クイと親指を壁に投射された彼方映像に向ける関屋。
そこには、先ほどまで圧倒的な力を誇っていた世界樹の成れの果てが映し出されていた。
今はもうほぼ打倒された後とは言え、暴走したとしか言えないような事態が、この小さな欠片が引き起こすとは、アキュラもにわかには信じがたい。
「コイツは、一応この種の状態では無害と言っていい。だが、いくつかの条件が合致すると、こいつは宿主を探し始めるらしくてな。それで、宿主になる相手に宿り、更に条件が揃うと、開花するんだとさ」
「本当なのか、それ?」
「さてなぁ……確かめようにも、今回みたいな厄介ごとが発生しかねんのが頭の痛い話なのさ」
もっとも、それは関屋も同様なのだろう。
何とも胡散臭いものを見るように、透明なメースの中の大罪の種を見やる関屋は、厄介ごとが増えたとでも言いたげだ。
「七大魔王っているだろう? あいつらは所謂七つの大罪って奴のそれぞれを担当してるんだが、この種の宿主になって種を開花させると、少なくとも七大魔王に匹敵する力を発揮するようになるらしい。だが、まともな判断は出来なくなるらしくてなぁ」
「最悪じゃねえか! そんなもの、早く消し飛ばしちまえよ!?」
そんなものに憑りつかれた結果が世界樹の暴走だと言うなら、とにかくさっさと処分するべきだとアキュラ。
しかし、関屋は首を振る。
「厄介なのがそこでなぁ……種の状態だと、何をやっても破壊できないと来た。開花した方は、さっき夜光達がやったように、割と力業でどうにかできるらしいがな」
「つまり、こいつを破壊するには、今回みたいな事態が起きかねないって事かよ……」
先刻白銀の巨人が振るった斬撃は、開花した大罪の種をも切り裂き、消滅させた。
同様に、強力な攻撃であれば宿主ごと叩けば破壊は可能なのだ。
しかしそれは大きな博打だ。
宿主ごと種の開花直後に斃したのなら良いが、倒し損ねれば今回の事態の焼き直しとなる。
さらに、と関屋は加える。
「そもそも、しばらく俺らも今度みたいな軍は動かせねえぞ? 夜光なんざ、手持ちの戦力全力稼働させたせいで、備蓄が空っ欠になってるって話だ。人間だろうと、モンスターだろうと、戦争は金食い虫ってこったな」
「世知辛いな……」
実際、西方大陸の各地に送った戦力や、精霊界で邪樹翁の群れに対抗した戦力は、夜光の位階がかなり上がり、消費コストをかなり抑えられるようになった今でも、かなり深刻な出費となっている。
特に莫大なのが、七曜神と七大魔王のコストだ。
世界の運行を司る神々が個別の戦争に力を貸すとなると、どうしても代償が必要となる。
大量の聖別した供物や生贄を用意し、天界や魔界から彼らを引っ張り出した夜光は、余りの出費に倒れそうになった程。
「だからまぁ、この持ち込まれた大罪の種は、直ぐに壊すって訳にもいかなくてな。それで研究用としてウチに持ち込まれたわけだ」
「大丈夫かよ? アンタも宿主にされるんじゃないのか?」
「このケースに入れてりゃ、問題ないらしいがな。これを持ち込んだあの姉ちゃんが言う限りでは、だが」
関屋は、大罪の種を収めた透明なケースを示す。
ケースの中では、種は借りて来た猫のように点滅が大人しくなるのだとか。
その物言いに、アキュラは訝し気な表情を浮かべた。
「本当に……あのアンナって奴、何者なんだ?」
「そいつは、俺達もまだつかみきれて無くてな」
大罪の種と呼ばれるナニカを持ち込んだことや、不明だらけの経歴は謎が多い。
しかし明確なことが一つ。
「夜光は、信じた。なら俺達はそれに従うさ。あいつは俺達のリーダーだからな」
写され続ける映像は、美しい悪魔が世界樹の樹木乙女を抱き留め、深い眠りへといざなって居た。
□
わたしはすべてをうしなった。
もう、たたかうちからも、マスターを探すためのからだを、うみだすこともできない。
だけど、ああ。
マスターが、マスターがいる。
ああ、マスター……わたしのもとにかえってきてくれたのですね?
ああ、うれしい……マスター……。
□
美しい悪魔、夢魔の女王にして、愛欲の魔王を自称するリムスティアは、その種族からして精神の魔法に秀でる。
特に、相手を眠りに落とすのは得意中の得意と言っていい。
「……せめて醒めない、そして幸せな夢を」
戦う力の一切をゲーゼルグ操るギガイアスに切り伏せられた樹木乙女は、抵抗することもできずに深い夢の中へと堕ちていた。
もし、核──大罪の種が健在であれば、これほど容易く世界樹の意思である樹木乙女を眠らせられなかっただろう。
しかし、世界樹の意思は眠りにつき、樹木乙女は求めていた彼女の主とこの先過ごすのだろう。
永遠に。




