第16話 ~大西海の嵐 迫りくる脅威~
「何で結婚なんてことに……俺達、この前会ったばかりじゃないか」
「でもビビって来たのよ! わたしの旦那様はこの人だって!」
「そ、そうなのか?」
宮殿の一室、謁見室に踏み出せなかった船員らが待っていた控室に船長クライファスとヨハナンは居た。
この部屋も控え室と思えないほど華美ではあるが、流石に先ほどの無数の化け物の群れを見た後では落ち着いて過ごすことが出来る。
そんな控室で案内人のポーレリスからしばらく待つように告げられた彼らは、主から婚姻の許可を得て来たと喜ぶ海豹乙女のニーメの無暗に高いテンションに圧倒されていた。
特にヨハナンは、間近に迫られ、ほぼ告白されているも同然の状況に困惑を隠せない。
ニーメは海豹乙女の伝承にあるように、若く見目麗しい乙女だ。
それが自分との愛を叫ぶ有様に、困惑と同時に照れもある。
一応彼は見習い明けしたばかりとは言え正式な船員として過ごして来た。
その為これまでに同僚の船員に連れられ色街に繰り出した事もあり、多少なりとも経験を済ませている。
「それに昨日だって……」
「わ!? ま、待て! 言うなよこんなところで!?」
そして昨夜。
他の船員らが歓待役の美女たちと連れだって用意された個室に消えたように、彼もまたニーメと部屋を同じくしたのだ。
その際の出来事を思い出すと、ヨハナンも流石に恥ずかしさで何処か穴にでも入りたくなる。
今まで経験した相手とは別格というべき少女の身体に溺れ、その時に彼女の決定的なものを奪った事実を自覚せずにはいられないのだ。
故にこそ、ヨハナンは既にニーメの言葉を無碍にできなくなっていた。
具体的に言うならば、既に尻に敷かれ始めている。
そんな若人の恋模様は、本来であるならば他の船員らの良いおもちゃになるはずだが、大半の船員は同様に昨夜の歓待で骨抜きになって居るため、はやし立てる者はいない。
むしろ、当面はこの地に滞在して、東の国の様子を語ってもらいたいと案内人からの要請と、その間は昨夜と同様の歓待をさせていただきたいと言う言葉に、陶酔の余り魂が抜けかけていた。
あの無数の美女の歓待を再び受けられるとなれば、謁見室の化け物の事など忘れて期待に胸躍らせる方がよほど建設的であろう。
そんな中船長のクライファスだけは、しばらく前に交わしたポーレリスとのやり取りを反芻していた。
「どうも、季節外れの嵐が起きているとの連絡がありまして、今戻られても出航するには困難かと」
「嵐だと? この時期にか?」
「ええ。南洋上に雲の列が発生して、北上する見込みであるとか。今戻られれば、皆様が東の大陸に向けて出港しようにも困難で御座いましょう。そして滞在なされるのであれば、港町や道中の町ではなく、この宮殿が望ましいかと存じます」
ポーレリスの言う通り、道中の町や港町と比べて、宮殿は比べるのも烏滸がましい素晴らしさだ。
同じ滞在するにしても、それが良いかと素直に問われれば、クライファスもこの宮殿であると答えるであろう。
クライファスとしては、今の所この地の王という存在の思惑に乗っても良いと考えている。
彼らフォルタナ号の船員をこれほどまでに歓待し、また多数の土産物と共に東の大陸に返そうと言うのが、恐らく一種の生存戦略であるとクライファスはとらえていた。
恐らく、この島のような場所は他にもあるのだろう。
今回たまたまフォルタナ号が辿り着いたのがこの島であり、この地の主はそれを利用しようとしているのではないか?
東の大陸からの航路を自身の島に集中させることで、交易などで多大な利益を得ようとしているのではないかというのが、今の所のクライファスの予想であった。
この地の豊かさと船体修復中に得られた美に名食物の数々は、国元に帰ればどれ程の富に化けるか想像もつかない。
何しろ国元は商人の国だ。既存の作物を遥かに超える味わいの果実が、どれほどの価値を生むか判らないものは居ない。
一度食べたのなら、栽培方法などを算段付け始めるだろう。
逆に、この地の豊かさを知った国元の商人達がどう動くかはわかり切っている。
商人連合の重鎮たちは、それぞれこぞってこの島に船を向けるだろう。
商人連合と言えば聞こえはいいが、その実態は謀略渦巻き毒薬とナイフと金貨が躍る魔境だ。
特に儲け話というのは連合にとって常に劇物だ。
他の評議会員を出し抜くために、少しでも商人はそれに乗り銅貨一枚でも多く利を確保しようとする。
その絵図を描いたものにとっては、フォルタナ号はその動きを演出するために、被害なく東の大陸に戻って貰わねばならないのだろう。
更に今後彼らに同行すると思われるニーメだ。
この美少女の生地が、東の海に浮かぶちょっとした国ほどもある島だと知れたら、基本好色な船乗りたちの心をどれ程鷲掴みにするか想像もつかない。
彼女からこの島の事を更に詳しく聞くのは、この短い旅路の間におよそ無理と理解するに至っているが──道中彼女は海底の様子を詳しく知ってはいたが、地上の事にはトンと疎かった──それでも、得られる情報は在るだろう。
それらを加味しないとしても、この地の住人を手厚く遇する事で、この地に再度訪れた際に得られる利は増すに違いない。
クライファスは、それらの計算をしたうえでその思惑に乗ることとしたのだが、同時に違和感もあった。
(この地に来るきっかけとなった嵐と言い、この時期には珍しい。この地の特異さと言い、大きな何かが起こっているのではないだろうか?)
それは純粋なる船乗りとしての直感であった。
とは言え、それを確かめる術は無く、現状彼にできることは多くない。
「そ、それで、結婚してくれる、よね?」
「だから待てって! そう言うのは、その、色々と順番って奴があるだろ!?」
(まだ積んでいた交易品はある。この地にも商人が居る以上、交渉次第ではまだまだ貴重な品が得られるやもしれん)
目の前で繰り広げられる若い男女の微笑ましいやり取りを眺めつつ、クライファスは、フォルタナ号が積んでいた交易品と引き換えに更なる富を確保できないか、模索していた。
フォルタナ号の船員らがそんなひと時を過ごす中、アクバーラ島の者達は慌ただしく動き回っていた。
クライファスに告げられた南方の嵐の発生、フォルタナ号の修復中に察知されていたそれは、風浪神から忠告されていたものだ。
しかしニーメの契約解除の後、南方から急ぎの報せが届くとその意味は一変する。
その嵐に潜む何かが居る。
南方に飛ばした隼乗りの飛行兵が受けた攻撃は、明らかに『外』の世界の者ではありえない。
何しろ、水平線の彼方からの砲撃だ。
そんな事が可能ならば、夜光がこれまで『外』で活動してかなりの情報網を広げた現在、噂としてでも耳に入るはずだ。
しかし、これまでにそんな強力な兵器の情報はなかった。
となれば、可能性は大きく分けて二つ。
プレイヤー絡みか、滅びの獣か。
「で、調べたんだがな。ありゃヤバイ。とんでもないのが南から来るぞ?」
それを確かめるために急遽東西の大陸の調査に駆け回っていた風浪神が呼び戻され、南方の海域に飛ばされたのだ。
風を司るゼフィロートは、空気の流れがある場所ならばどこにでもたどり着ける。
そして、風浪神は目撃した。
激しい嵐の海の中、欠片も揺るがずゆっくりと北上し始めている巨大な何かを。
丁度謁見室でアクバーラ島の主要な者達が集まっていた為、風浪神はこの場でその情報を展開する。
「まぁ見てもらった方が早いか。こいつだ」
風浪神は、まずは見た方が早いと、己が見た物を幻影としてとして謁見室の巨大な空間に投射した。
途端に、謁見室に困惑が広がる。
「何じゃ、あれは?」
「海に浮かぶ氷の塊……氷山?」
浮かんだ幻影は、嵐の海原。しかしそこに、暗雲に昏く沈む海の中、純白の影が確固たる存在感を示していた。
そう、氷山だ。
まるで巨大な棚のような氷山が、嵐の海の中浮かんでいる。
「いや、只の氷山じゃないぞ」
「えっ?」
「よく見ろ、その上を」
「……え? あっ、何か乗ってる?」
そうその上には、その巨大さに見合うような無数の影と、更に武骨なシルエットが存在していた。
「あれは、動く拠点だ。氷山の要塞か、動く以上軍船……いや、戦艦か」
風浪神が告げるのは、氷山戦艦の来襲であった。




