第14話 ~悪魔は踊る それは何時でも突然に~
「わたし、この人と結婚します! 結婚を許してください!!」
「……えぇ!?」
突如告げられた海豹乙女からの言葉と、視界の端に浮かんだ表示に、僕は思わず声を上げてしまった。
しまった。決して声を出さないように言われていたのに。
でも仕方がないと思うんだ。完全に想定外だったから。
僕は視線をルーフェルトに送る。
「失礼、外つ国の方々。少々身内のみの話をしたく、一旦下がっていただけるだろうか?」
高慢の大魔王は僕の意図を察したのか、この場に結婚宣言をした海豹乙女のみを残し、フォルタナ号の二人を下がるように促す。
「……う、うむ。其方も色々あるのだろうな。では我らは辞させていただく」
「い、いや、ニーメ!? 結婚っていきなり何を言いだすんだよ!?」
「ヨハナン、気持ちはわかるが、この場は下がるぞ」
「せ、船長!?」
こちらの混乱を向こうも察したのか、二人は謁見室の扉の向こうに消えてくれた。
そこでようやく、僕はため息の様な一言を漏らす。
「……やっちゃったなぁ」
来訪者が居なくなり、僕等だけになった謁見室に、ため息交じりの声が響いていた。
同時に玉座にかかっていた幻影魔法──威厳を保つための大柄な王の姿──が消え、堰を切ったようにルーフェルトやハーミファス、そして案内人のポーレリスが騒ぎ始める。
「いやどういう事だね、ポーレリス? 結婚? 聞いていないのだが」
「えっ、てっきりご存じなのかと」
「いや待てどういう事なのじゃ!? ご存じとは何のことじゃ!?」
騒ぎの中心であるはずの海豹乙女の少女は、遥か格上の神や大魔王に囲まれても涼しい顔。
そして問題は、僕の視界の端に浮かぶ表示。
>>契約モンスターから契約解除提案を受けています。
>>契約を解除しますか?<Y/N>
それは、僕が初めて受けるモンスターからの別れの提案だった。
少し状況を整理しよう。
そもそも今回の謁見は、ルーフェルトが立ち上げた外交部主導の計画だった。
目的は、『外』からの来訪者であるラディオアサ・フォルタナ号の船員達に、今後の東の大陸からの人の流れの呼び水になってもらおうと言うもの。
同時に、東の大陸からの人の流れを一旦僕の島へと誘導し、西の大陸が落ち着くまで干渉させない事にあった。
今現在、『外』の世界に実体化した無数のマイフィールド、その殆どは僕の領域であるアクバーラ島の北西から西にかけて存在している大陸に存在していた。
そこでは今、幾つかのマイフィールドの勢力が相争う混乱した状況にある。
プレイヤーが居るマイフィールドは元々数が少なく、同時に内部の混乱の収束に注力しているのか余り動きは無い。
だけど代わりに主不在の領域が、関屋さんの商店街の周囲でぶつかった2勢力のように外へと侵食しているのだ。
関屋さんの商店街の付近でぶつかり合ったのは、比較的位階が低い勢力同士だったけど、ホーリィさんの神殿都市や帝国系統のような高位の位階のNPCが居るタイプのマイフィールドとなると話は違う。
僕等の同盟の仲間の領域はまだそういった勢力同士の争いに巻き込まれていないけれど、仮に巻き込まれたら伝説級のモンスターを投入してたとして直ぐに状況を収められるかどうか。
なにしろ西の大陸に偵察に出したモンスターや、風浪神の分体をもってしても入り込めない領域がある程なのだ。
僕のように伝説級のモンスターを配置したマイフィールドも、案外多い様子。
そんなマイフィールド同士の蟲毒めいた状況が西の大陸の現在であり、此処に更に東の大陸から何らかの干渉や接触があると、どういう化学変化を起こすか判ったモノじゃない。
不幸中の幸いは、僕のマイフィールドのアクバーラ島が、西の大陸からやや東寄りに位置していて、航路の関係上東西の行き来の中継点になって居る事だ。
そこで僕の島を東の大陸に意識づける事で、意図的に僕の島に誘導し、西の大陸への接触を当分遮断する。
その間に西の大陸が安定するなら良いし、時間を掛けられるなら西の大陸が安定するように此方からも干渉できるだろう。
その呼び水となるのが、フォルタナ号の船員達だ。
彼らにはこのまま東の大陸に帰って、僕の島の豊かさと、交流することで得られる利を宣伝する広告塔になってもらう。
例えるなら、現実世界で北米大陸を発見したコロンブスのように。
もっとも歴史で起きた被害を再現しないように、釘をさす必要もある。今回の彼らに僕の島を見せ、謁見の場で力を誇示したのはそういう理由があった。
そんな豊かな領域の支配者は、寛大ながらもミステリアスな存在として、船員達に正体を悟らせないのが理想だ。
そういう意味では、僕自身が玉座に座らず誰か代役を立てても良かったのだけど、僕以外の誰かを玉座に座らせるのは皆が嫌がった為に断念。
同時に僕の素の姿を来訪者に見せるのは避けたかった。
何しろ僕は皇国でこれまで活動してきたし、今後もそうするつもり。
更に言うなら主に活動してきたのが港町のガーゼルや皇都など、他国からも人が訪れる場所であることを考えると、僕の姿や声を知っている者が今後この島に海路でやってくる可能性がある。
つまり、僕らの東の大陸での活動を悟らせることにもつながる。
だからこうして、大柄な支配者の幻影を纏って、さらには声も出さないようにしていたのだ。
だけど海豹乙女の不意打ちに、化けの皮がはがれてしまった気がする。
あの船長、僕の声に少し反応していたから、動揺を気取られたのは間違いない。
だけど、まぁ、まだフォローできる範疇のはずだ。
今はもっと優先しないといけない事があった。
「そもそも何でこの娘はこの場に来ておったんじゃ? 案内人はポーレリスだけで十分じゃろう?」
陽光神の疑問ももっともだった。
僕も上位悪魔のポーレリスが案内人とは聞いていたし、初めに船員に接触した海豹乙女を接点として交渉につなげると言う話も聞いていた。
だけど、よくよく考えるとこの場に彼女は本来必要ない。
交渉相手はあの船の責任者である船長が居てくれれば良かったのだ。
だけど海豹乙女のこの場に居る事が当然と言った態度から、何らかの理由があるのかと僕はスルーしていた。
そしてそれは僕以外も同様だったらしい。
「あの船員達との窓口に海王から借りたのは聞いているよ。とはいえこの場に呼ぶほどでもなかった筈だ。心を読めるポーレリスが咎めていなかったので、気にはしなかったが……どうなのかね、ポーレリス?」
「いやこの者自身全く疑念も無く、あの若い船員の傍にいるのが当然と考えて居まして……」
「……心を読めても、当人が全く疑念に思っておらなんだら、怪しむことも出来ぬのは、サトリの能力の弱点かのう」
外交部のトップである大魔王のルーフェルト、案内人のポーレリス、そしてこの謁見の場のまとめ役である陽光神ハーミファスは、未だに平然としている海豹乙女の少女を見ては困惑した様子。
どうもこの海豹乙女は随分と変わり種の様だ。
海豹乙女というのは、英国スコットランドなどに見られるアザラシ人間の伝承だ。
男性の場合もある為、正確には海豹人間とするべきなのだろうけど、アナザーアースでは女性体しか存在しなかったため、基本的に寒冷地の海の乙女として語られるモンスターだった。
元々の伝承では日本に伝わる天女の羽衣のように、アザラシに変わる為の皮を男性に隠されて婚姻に至る、異類婚姻譚の系統の伝承であることが多い。
セルキーは、皮を人間の男に盗られると、その男の言いなりになり妻になるしかなくなるのだ。
彼女達は妻として恋人として完璧とされるけれど、海を恋しく思うが為に隠された皮を見つけてしまうと直ぐに海に帰ってしまう。
このように基本的には悲恋や離別で終わる伝承が多いのだけど、何故かこのニーメという海豹乙女は、自分からアザラシの皮を捨てるほどアグレッシブなようだ。
なんと言うか、強い。
更に言うなら、先ほどから意識の端にに浮かぶ表示だ。
こんなのは初めて見る。
かつてのアナザーアースにおいては、維持コストや配置コストの未払いなどで召喚中断が発生した時に似たような表示が現れる事は在った。
しかしそれはあくまで召喚の解除で、こんな契約からの離脱を示すような事例は無かったはずだ。
これも、皆が自意識を持った結果の一つなのだろうか?
謁見室での短いやり取りでも見て取れたけど、ニーメがあの若い船員に操られている様子はない。
どう見ても、自発的に、自分の意思で動いている。
だとすると結婚つまり自分の主をあの船員と定めてしまったために、僕との契約と矛盾が発生してしまっているのだろう。
その結果が、視界の端の表示なのだろう。
「結婚かぁ……随分彼のこと、気に入ったんだね」
「一目ぼれです! ビビっときました!!」
「そっかぁ、一目ぼれかぁ」
一切迷いなく断言するニーメに、僕はそうとしか言いようがない。
僕自身恋愛の類は距離を置いていたから、そっち方面に全力で走られると何ともコメントに困る。
(リアルだと、体格差とかいろんな意味で踏み込めなかったしなぁ……)
思わず内心で吐露しつつ、ふとこの場で一番それ方面に詳しい色欲の大魔王ラスティリスに視線を向けると、満面の笑みを浮かべていた。
そういえば、昨夜船員達を歓待した宴の場の持て成し要員は、皆彼女の配下であり全員読心の力持ちだ。
つまりニーメの内心を、ラスティリスは完全に把握しているはず。
それをここまで放置しているのは、問題ないと判断したのと同時に、彼女はこの状況が『美味しい』ものになると予測したのだろう。
相変わらずの享楽趣味に頭が痛くなる。
とはいえ目の前で期待の面持ちで居る海豹乙女を、これ以上待たせるのも忍びない。
モンスターが僕の手を離れる。それが寂しくないかと言われれば嘘になるけれど、同時に僕はそれを喜ばしく思う。
僕がアナザーアースのモンスター達をマイフィールドに集めたのは、彼らの王になる為じゃなくて、皆を何らかの形で残したかったからだ。
いわば、避難船の船長でしかない。
災害から助かったのなら、避難船から踏み出そうとするのを縛ってはいけないはずだ。
ただし、二つの事を彼女に課す必要はあった。
「わかった、認める。だけど二つ契約してほしい。一つは、この島の事を決して漏らさない事。それは、判るよね?」
「はい! 主様やこの島の秘密は守ります!」
「いや、他のプレイヤーの事とか、アナザーアースの事もだからね?」
守秘義務というのは何時だって大事だ。
僕らの同盟の方針からこれまでやってきたことを彼女は余り把握はしていない筈だけど、だからといって情報が漏れるのは避けたい。
これに関しては、精神魔法が得意なリムに誓約の魔法で縛って貰えば対応できる。
そしてもう一つ。ちょっとした事を言い含めた僕は、自己主張を続けた意識の端の表示に応える。
>>契約モンスターから契約解除提案を受けています。
>>契約を解除しますか?<Y/N>
> Y
>>契約モンスターの契約を解除しました。
すると、僕の目の前に巨大な魔導書が浮かび上がった。
万魔の主の力の象徴である、魔物図鑑だ。
ひとりでにめくれるページ、そして止まったそこは海豹乙女達の項目。
無数に並ぶ名前の中、ニーメと記された部分が光に解け、消えていく。
それが、契約解除の証だった。




