第13話 ~悪魔は踊る 謁見、そして急転~
謁見室の真中を数多の化け物の視線にさらされながら、フォルタナ号の船長クライファスは、ようやく玉座の前、壇間近へとやってきていた。
初めは両側に並ぶ化け物達への恐怖を覚えていたものの、既に落ち着きを取り戻している。
クライファスは、内海諸国群でも大きな発言権を持つ、クサンドル商人連合の中にあって、上位の商人の評議会に席を連ねるベランディア商会の一員だ。
クサンドル商人連合においては、各商会にあって正式な承認と認められた者だけが、その商会名を屋号として名乗ることを許される。
クライファスもまた、ベランディア商会の一員であり、屋号を許された者の一人。
現在ベランディア商会は、20席ある評議会の席次の内、第6席に位置する有力な商家だ。
他の国で言えば、有力な諸侯と同等か、もしくは財力で上回る分それ以上の格と言えた。
故にこそその一員であるクライファスは、様々な国家とも渡り歩き、内海諸国群でも有力な聖地の教会領にも赴いたことさえある。
その際の記憶は余り気分が良い物ではなく、思い出したくもない。しかしだからこそ、この場ではその経験が生きていた。
(隙を見せれば即座に此方に刃を向けかねなかった大聖堂の聖堂騎士団に睨まれながらの礼拝に比べれば、幾ら姿が恐ろしかろうと、春のそよ風と変わらぬな)
事実恐ろし気な化け物達は、よく見ればあくまで客人であるクライファスを観察しているだけだ。
であるならば、近衛や騎士が並んでいるのと何の変わりがあるだろう?
むしろクライファスらが粗相をしない限り、案内人らが度々口にしていた偉大なる主の目の前での愚行を望みはしない筈。
そもそも、クライファス達を害するつもりであるなら、わざわざこのような壮麗な宮殿に招き寄せる必要がない。
無論、宮殿で不敬を働き、それを元に国元へ何らかの干渉をする可能性も考えられるが、そのようなおこないをする必要もない。
何しろ、この地は彼らの領地であり、そうでないものはフォルタナ号の船員達だけだ。初めに彼らを殺して何らかの証拠を作り上げることなど容易い筈。
同時にクライファスは、背後に続く二人の内の片割れ、海豹乙女なる存在を自称するニーメと言う少女の事を考える。
この島での旅の間、常に見習い上がりのヨハナンに付いて回っていた少女は、船乗りたちが噂する伝説の存在、海乙女めいた姿になれるらしい以外は、可憐さはともかくごく普通の少女と言っていい。
案内人の先触れとしてやってきて、そのまま彼らに同行し続けたニーメは、見方を変えれば船員達に差し出された人質のようなモノと言えなくもなかった。
それらを考慮したならば、クライファス達をここに招いたのはもっと別な理由があるに違いない。
それならば、望むところだ。
何しろクライファスはラディオアサ・フォルタナ号の船長であるのと同時に、数多の交渉を重ねて来た熟練の商人でもある。
相手が何らかの利を望むのなら、それに応じてこちらの利を通すだけの事。
そのような覚悟を固めたクライファスは、遂に段の下にたどり着いた。
玉座は何段にもなった壇の上に在り、そこにこの島の主という存在が腰かけている。
段差と王たる存在の身の丈とで、遥か高みから見下ろされているような気分になったクライファスらは、そのままよくある謁見の場での対応として跪こうとし、
「ああ、そのままでかまいません。我らが主は、慈悲深く懐深いお方。客人に臣下の礼を取らせるような真似は望まれません」
壇の中段脇に控えるルーフェルトに止められていた。
思わずクライファスは玉座に座る万魔の主なる者の様子をうかがうも、気分を害した様子もなく、長衣のフードに覆われた頭が頷くのみ。
此処まで近づいてもフードの中は判別しにくく、主というのが大柄な人物であること以外は一切伺いしれない。
また、言葉も直接クライファスに告げるのではなく、両脇に控えた漆黒の鎧の騎士と蜥蜴と人を掛け合わせたような戦士を介しルーフェルトが伝えるようだ。
内海諸国群でもそのような勿体ぶったやり方を好む国も存在するため珍しくはないが、同時にそれらの国は格調を重んじる。
先に告げられた礼の不要という言葉とは裏腹のように、クライファスには思えるのだ。
だが、それをここで指摘しても仕方のない事。
「それは恐れ入る。では、この地の王たる方にご挨拶させていただこう。この身はクサンドル商人連合所属、ラディオサ・フォルタナ号が船長、クライファス・エル・ペランディラと申す者。商人連合第六席、ベランディラ商会の末席に連なるを許されております。この地の偉大なる王に、この度の歓待に、心よりの感謝を」
クライファスの名乗りに玉座の主が頷くと、玉座を挟みルーフェルトの対になる位置に立つ、少女が応える。
「我らが主にして王、慈悲深き万魔の主は、貴公らの来訪に心よりお喜びになられておいでじゃ。よくぞこの地に参られたと。貴公らの来訪はこの地が開かれた証。かつて閉ざされしこの地が解き放た証となる貴公らは、この地の明日を占う吉兆となるであろうと、我らが主は仰られておられる」
「閉ざされた? 開かれた、とは?」
「聞いた通りのままと考えられよ。この地は世界の果てにて閉ざされておった。されど長きにわたる封印は、此処に解かれたのじゃ。故にこの地は開かれし外を知らねばならぬと、我らが主は仰られた。そこへ貴公らの来訪が重なった。まさしく吉兆であろう?」
少女の物言いはやや迂遠ながら、クライファスにとって最も知りたかった内容が含まれていた。
この地での滞在の間に実感したこの地の豊かさ、そしてこの地で得ていた資源に対し、クライファスらが支払える対価。
それは情報なのだ。
なるほど確かにそれならば、クライファスらから得られる者であり、彼らを歓待するのも理解できる。
しかし、とクライファスは考える。
「だが、我らがこうして言葉を交わせているのは、既にこの地が我らの国元のような東の大陸と何らかの交流があるからではないのか?」
それは、海豹乙女が見習い上がりのヨハナンと言葉を交わしたと聞いた時からクライファスの内にあった疑念だ。
東の大陸でも、土地によって言葉は変化し、例えば皇国の北の北方群島諸国と内海諸国の南の砂塵国では全く言葉が通じないほど変化してしまっている。
それが、およそ誰も渡った事の無い筈の大西海で隔てられたこの地で、何故問題なく言葉が交わせているのか。
「それに関しては、簡単じゃ。この地の者は意訳の術が施されているのでの」
「意訳の術?」
「言葉の差異を超える術じゃ。お互い気付かぬが、我らはそれぞれ別の言葉を話しておるのじゃよ」
この地の者は皆共通してその様な力が付与されているらしいと聞き、クライファスは驚く。
確かに少女らの口元だけ見ていると、聞こえ来る言葉と全く合致していない。
不思議な術であるが、これも少女らの言う万魔の主の加護だとされてしまえば、クライファスとしては何も言えなくなる。
同時に、本当にこの地にやって来たのがフォルタナ号が初めてなのだと彼は理解する。同時に、その意義も。
「つまり、この身に求められているのは、我らの国を、この地より東の大地を語れば良いと言う事か? だが、この地で我らが得た物に比べ、対価として差し出すには軽くはないだろうか?」
「この地は偉大なる我らが主の加護により豊かなれど、変化に乏しい。我らが慈悲深き主は、それを憂いておられる。貴公らがもたらす新たな風や物品は、如何なるモノであれこの地に新しき変化を呼ぶと、我らが主は期待しておいでじゃ」
少女が語る中、壇上の主が一つ頷くと、居並ぶ者たちの中からずんぐりとした体格の男か何かを持って一歩踏み出した。
その男が手にしているのは、フォルタナ号に積まれていた交易品の一つ、内海南の諸国の内の一つ、砂塵国ファメラの陶磁器だ。
航海中に破損したナソー国の白磁に比べると他国での受けは悪いものの、絵付けは特徴的であり珍しくは在るだろう。
少しでも対価になるかと思い渡した品が、どうやら思いの外歓心を買ったのだとクライファスは理解し始める。
国元では当たり前の物も、この地では価値あるものになり得るのだと。
「故に、我らが主は貴公らと、貴公らの国との、交易を望んでおられるのじゃ。ここより遥か東の地、そのあらゆる物を持ち込まれよ。さすれば我らが主は、貴公らに望む褒賞章を下賜なされるであろうぞ」
「……なるほど、理解した。しかし、我が船の交易品ならばともかく、国ごととなるとこの身一存で決定して良い物ではない。正式な交易は国元に戻り判断させていただいて宜しいか?」
クライファスの言葉に、少女は玉座の王を仰ぎ、万魔の主は一つ頷く。
「我らが慈悲深き王は、それを良しとなされた。ならば東の地に戻られよ。我らが万魔の主は、吉報を期待されておいでじゃ」
少女の言葉に、場の空気がフッと軽くなる。
恐らくは必要な謁見はこれで終わりという事なのだろう。
ならばとクライファスはこの場を辞そうと声を上げかけ、
「すみません御主人様! お願いがあります!」
「お、おい、ニーメ!?」
背後で上がった二つの声に思考が止まる。
今までクライファスの背後に控えていた二人の片割れ、案内人の一人である海豹乙女のニーメが、壇上の彼女の主に語り掛けたのだ。
何事かと思う間もなく、少女は壇上の主に告げる。
「わたし、この人と結婚します! 結婚を許してください!!」
「……えぇ!?」
思わずとばかりに上がった声。
今まで沈黙を貫いていた壇上の万魔の主の声は、謁見室に響き渡り、それを契機に謁見室にざわめきが広がっていく。
(……存外に若い声だ。沈黙を保っていたのは威厳を保つためだったのか?)
周囲に困惑が広がるのと同時、ヨハナンの慌てふためく様を背後に感じ取る中、クライファスはそんな感想を抱くのだった。
書籍1巻2月15日付で刊行しています。
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