章間 第1話 ~砂漠の女王~
夜光のマイフィールドの中核を占める中央島。その名をアクバーラ島という。
インド神話の宇宙観において、大地を支えているという亀の名を持つこの島は、大まかにいくつかの地方に分かれていた。
その一つ、西方地区。
広大な砂地が広がるその場所は、アナザーアースにおける砂漠地帯のモンスターを住まわせるために調整された地域だ。
砂漠には巨大な大砂蟲や人面獅子、蠍人の野盗や毒蛇など、危険なモンスター達が配置されており、また時折砂嵐などが巻き起こる過酷な大地でもある。
ただそんな砂漠の中に在って、一筋流れる大河周辺のみが肥沃な土地となっており、その中流域には一つの町が設定されていた。
砂漠の町、イオシス。
古代エジプト風の岩と干し煉瓦で作られた町は、とある女王により治められていた。
イオシスの町の中心、ピラミッドと神殿を組み合わせたような王宮に君臨するその彼女。
名はネフェル・イオシスと言った。
黄金がちりばめられた謁見室。
跪いて異常を知られる兵に、尊大ながらも的確に指示を下すのは、豪奢な玉座に見合わない姿だった。
まだ10代前半と思しき、深い闇色の髪と透き通るような日焼けとは無縁の白い肌の少女。
可憐さと威厳を奇妙なバランスで兼ね備えた彼女こそ、この地域の支配者であった。
新たな命を受けた兵が下がると、次々と新たな報告がもたらされる。
「南方森林よりの食料移送ですが、砂嵐により2日ほどの遅れが出ております!」
「地神の神官に伝えよ。大砂蟲に運ばせるようにとな。備蓄を怠るわけにはゆかぬ」
「関屋商店街なる者らが、交易の許可を求めておりますが、いかがすべきでありましょうか?」
「その者らについては我が王より聞いておるゆえ、よきにはからえ」
それらを的確に処理し、幼き姿の女王は、姿に見合わぬ威光を発揮し続ける。
事実、その姿は擬態でしかない。
彼女、ネフェル・イオシスは、人間NPCではない。
いや、人間ではあるののだが、同時に複数のモンスター種族特性を持つ、れっきとしたモンスターの一種なのだ。
アナザーアースにおいて、とあるレイドコンテンツのボスを務める彼女は、砂漠を支配する上級アンデット『ファラオ』であり、同時に複数の亜神と融合を果たした複合神性であった。
今のこの幼い少女としての姿も、その亜神の内の一柱の影響によるもの。
ただし、アンデットの『ファラオ』でありながら、復活の議を経た事により生きた人間としても活動する、そんな奇妙な存在であった。
「海上の霧が晴れたとは誠かえ?」
「はは~っ! 陛下直下の隼乗りの飛行兵が確認しましたが故、確かかと!」
「ならば海上の見回りを厳とせよ。彼方から何が来るかわからぬがゆえにな。特に北じゃ。我が王の領域近海にも監視の目を伸ばすのじゃ」
その亜神は、砂漠の天空を支配する光隼神。
七曜神の中でも太陽を司る陽光神の眷属神の内の一柱である光隼神は、主と同じく幼い少女の姿をしており、融合したネフェル・イオシスもまたその姿に引きずられているのだ。
天空を舞う隼の神格であるが為、眷属として巨大な隼とその乗り手達を召喚が可能。
遮蔽物に乏しい砂漠の昼間では、隼乗りの飛行兵の目から逃れられるものではない。
広い範囲を見回る彼らが海上の異常をいち早く察知したのも道理であった。
そして、他の神性の影響は、別の形で表れている。
「あらあら……霧が晴れるなんて、何が起きているのかしらね?」
「我が王が『外』とやらを以前より調べていることと無関係ではあるまいよ。我らも心せねば」
女王が佇む玉座の裏側。女王より自然と放たれる後光により色濃く影が落ちるそこより、妙齢の女な声が響いていた。
執務を補佐する臣下たちも気づかないそれは、もう一人の女王にして、まぎれもなくネフェル・イオシスその人である。
女王が融合したもう一柱。砂漠の闇に潜む毒蛇と蠍の神性。
この場で玉座にある女王のみが認識するその姿は、鎧じみた甲殻に覆われた上半身と丸太めいた長い胴を持つ闇色の鱗を持つ毒蛇のそれ。甲殻の隙間から覗くのは、幼い少女の姿とは別の妙齢な美女の貌。
闇蛇神の神性と融合した部分は女王の影として分裂し独立しているのだった。
女王としての姿を光のイオシスとするなら、此方は闇のイオシス。
こちらは、砂漠の町の裏を支配する暗殺結社の長でもある。
「ここで役立つところを見せて、我が王にアピールせねばな。何時までも狐や蝙蝠達の後塵を拝してばかりもおれぬからの」
「そうよね。私達の領域は我が王の直轄地の隣。ここを任されてると言うのは、私達の王の期待の表れだものね」
もっとも双方の姿は違えど、思考は同じ方向だ。
彼女もまた夜光に滅びの世界からこの地に招かれ救われた者だが、招かれた時期が異なる。
夜光がアナザーアースのサービス終了を受け、モンスター全種をテイムしようと考える以前から、マイフィールドは広大であり幅広いモンスターを住まわせていた。
特に中央島を据え、マイフィールドを今の広さに拡張した際に、各地の特徴を際立たせるために配置したモンスターの一体。それが彼女だ。
イヨシスの治める西方砂漠地帯は、万魔殿がある北西域の隣に位置し、他の支配モンスターの領域に比べ最も近い。
それが彼女の自負に繋がっていた。つまりは、最も夜光の信頼を得ていると。
なお、夜光にそのような考えはなく、領域の配置も偶然なのだが。
「もし『外』から何か良からぬものが来たなら、領域の外縁に位置する我が王の本拠万魔殿は特に危ういわね。いざとなれば救援の兵が必要になるわ。機動性を重視して飛行兵を集めたい所ね」
「いや、隼乗りは偵察に専念させるべきじゃろうな。兵を動かすのであれば、太陽船を出すべきじゃ」
夜光の本拠地である万魔殿は、マイフィールドの北東に位置しており、外との境界に近い。
霧が晴れマイフィールドが未知なる『外』へと開かれた今、万魔殿は余りに無防備であると言えた。
その直近の領域を治める女王イオシスとしては、何かあれば直ぐに救援を送り忠誠を示さなければならない。
しかし、一つ問題があった。
「あら、我が王が命じても居ないのに、太陽船を出すの?」
「外界と我が王の領域を隔てる境界たる『霧』が消えたのじゃ。異常事態なら、それなりの対応をすべきじゃろう?」
砂漠の女王にして最上級のアンデット『ファラオ』である彼女は、幾つかの強力な能力を持っている。
その一つ、『大陽船』。
現実のエジプト神話に登場するをモチーフにしたそれは、大規模戦闘が存在するアナザーアースにおいては、一軍を乗せ移動できる空中戦艦だ。
その名の通り太陽が照らす中でのみ運行可能であるため運用に制限も多いが、機動性を求められる状況に在っては強力な手段となる。
しかし、一つ問題があった。
強力であるがゆえに、使用そのものにも制限があるのだ。
それは……。
「そうね、異常事態だものね。なら、本当の姿にならないとね」
「そうよな。このような時であれば、許されよう」
悪戯気に笑い合う幼き女王と妙齢の女王。おもむろに互いが手を伸ばすと、触れ合ったそこから眩い日輝きが周囲に満ちた。
そして次の瞬間、そこにはただ一人の女王の姿があった。
年のころは20代にも見える褐色の肌と星々が瞬く夜空のような艶やかな黒髪。
何より、その美貌こそ特筆すべきだろう。
かつてのアナザーアースにおいて、最も美しいと賞されたモンスター。
大規模戦闘イベント『砂漠の女王の嘆き』のボスとしてあった、彼女本来の姿。
普段は光と闇に分かれて活動しているが、その真なる姿がこの形態。
光や闇のみならず、砂漠で崇められる亜神、すなわち熱たる炎や砂嵐、そしてオアシスや大河の癒しすら習合した、七曜神に迫ろうかという神威。
彼女をテイムするには、光、闇、真の姿の三連戦を踏破しなければならなかった。
その度に全く特徴が違う戦闘をこなす必要があるなど、かつてのアナザーアースに在ってやりごたえのあるコンテンツとして知られおり、同時に、ネフェル・イオシスの美貌もあってスクリーンショットが撮られまくるポイントでもあった。
「久々にこの姿へと戻れど問題なさそうじゃな。これなら十全に我が王の城をお守りできようぞ」
平時は身体が二つある方が利便性が効くため、女王としての政務を行う光と、裏の工作を行う闇とに分かれているものの、先に述べられた太陽船の運行や、その他の強力な特殊能力の発揮など、真の力を発揮するにはこの形態である必要があった。
そして、彼女ネフェル・イオシスとしても重要なのが、その美貌。
テイムされ、夜光を己の王として仰ぐようになり、そして意思を得た。
その結果、彼女もまた夜光の仲間モンスター達のように、強い感情を夜光に向けるようになっていたのだ。
同時に常から夜光に傍侍るリムスティア達に強い嫉妬を抱く様にも。
(この特異な状況で活躍したなら、我が王の寵愛を得られる筈! 蝙蝠達や狐には負けていられぬわ。そしてゆくゆくは妾こそ我が王の隣に!!)
無暗に熱意を滾らせる女王は、表向きには平静を保ちながら、配下を呼び出し新たな命を下していくのだった。




