第26話 ~天上の讃美歌~
境界の赤い霧を抜けるとそこは、煉獄だった。
風浪神による強引な空の旅は、僕を簡単に赤い霧の元、更にはその内部へと打ち込んだ。
勢いのまま上空から区画を見下ろすと、仄かな魔力の輝きに照らされ、空を赤い霧に覆われた区画は、怨霊じみた黒い影が飛び交っていた。まさしく煉獄のような有様というほかない。
僕は共に飛ばされた仲間の一人、今も僕を背に空を駆ける九尾の狐の九乃葉に問いかける。
「うわ、こんなことになってるの!? このは、ゼルが何処に居るか判る? ゼルの偽物の騒ぎはバリファス諸侯の盟主の屋敷付近で起きたと聞いたから、この辺りで一番広い屋敷のアタリだと思うのだけど」
「もちろんどすえ、あの屋敷や思います。せやけど……」
「うん、ちょっと下手に近寄れないね」
眼下に並ぶ邸宅の中、目標らしき場所は直ぐに判別がついた。
だけど、そのに近寄るには、辺りに溢れた黒い影が邪魔だ。
殆どは地上で獲物を探しているようだけれど、中には上空を舞う者も居る。
そして僕らを見つけたのか、これまでに何体も襲い掛かってきていた。
もっとも、その殆どはこのはが振るった光の属性の尾で迎撃されている。
如何にも闇属性らしい姿だけに、光属性は効果的だったようだ。殆ど触れるだけで叩き落されるどころか消滅していった。
「これ、化石邪霊みたいね。ミロード、あたしの後ろに。石化の状態異常が危険だわ」
「わかった、前は任せるよ、リム。このは、リムに前を任せて突破しよう。ゼル達が心配だ」
「わかりましたえ!」
もう一人僕を守るように、魔獣形態の九乃葉の前に出たのはリムスティア。猛禽と蝙蝠の翼を羽ばたかせる彼女は、漆黒の全身鎧を身にまとった戦闘態勢だ。
確か、化石邪霊は触れた者に石化の状態異常デバフを付与して来る嫌なモンスターだった。
状態異常への耐性をある程度貫通して来る厄介な特性があるから、基本的に紙装甲な僕のような魔術師称号がメインのビルドでは相性が悪い。
その点暗黒騎士の称号を持ちタンク役もこなせるリムならば安心だ。
彼女の漆黒の鎧は、魔界の瘴気を取り込んだ魔瘴銀製。悪魔などの闇に通じる種族以外が身に付けると常時継続ダメージが発生すると言うデメリットも持ち合わせているけれど、この金属で加工した武具は各耐性にボーナスを得られる。
リムスティアは悪魔族の一種である淫魔種の魔王であり、デメリット無しに高い防御力と耐性を享受できるのだ。
その強さは、今まさに発揮されている。
「「「「オォォォォォォォォォォォ!!」」」」
「あら、あたしに触れたいの? でもダメ。私はミロードの物なの。でもそうね、魔力なら触っても良いわよ? いい夢を見せてあげる」
高度を落とし、ゼル達の元へ向かおうとする僕らの前に、新たな獲物を察知した無数の化石邪霊が押し寄せて来た。
怨念めいた呻き声を幾重にも響かせ、先頭を飛ぶリムに殺到する。
だけどリムは、そんな悪夢のような光景にも怯まない。
それどころか楽しむ様な声を上げると、その身から魔力を開放する。
リムの掲げる漆黒の盾と鎧は、石化の状態異常など悉く跳ね除け、更には同じ闇の属性ながらもその属性の強度差で近寄る邪霊を逆に侵食するほど。
リムは精神的な魔術を得意とする淫魔種、その魔王だ。対して化石邪霊はその名の通り、あくまで邪霊。実態を持たずその存在は霊的、精神的影響を強く受ける。
二つがぶつかり合えばどうなるか。
結果は僕の目の前で繰り広げられている。
影の濃淡が苦悶の表情にも、太古の生物の骨にも見える化石邪霊は、リムスティアの纏う闇色の魔力に触れると霞のように消え去っていく。
表情めいた濃淡が、恍惚としたものと変わっていたのは気のせいではないだろう。
邪霊は悉く終わらない夢に取り込まれ、その精神的霊的エネルギーを絞り尽くされて消滅しているのだ。
まったく味方ながら、そして僕自身がこういう風に育て上げたとはいえ、何とも怖い光景だった。
特に邪霊の表情が良くない。あんな恍惚とした表情になるなんて、どんな夢を見せられているのやら。
目の前で消滅する様を見せられても、少し興味を持ってしまったのは仕方のない事だと思う。
そこでふいにリムが僕を振り返った。
フェイスガードを下ろしているから表情は見えない。だけど隙間から見えた瞳は、妙に嬉し気に見えたのは気のせいだろうか?
そんなことが頭をよぎる。
「主様、あそこゼルとマリィがみえましたえ。マリィの障壁で耐えていたようですわ」
「あ、うん。ありがとうこのは。行こう」
そこへ不意の振動。どうやら九乃葉がゼル達を見つけたみたいだ。
いけないな。ちょっと雑念に囚われてた。
気を取り直して言われた方を見ると、ゼルとマリィ、そして何人かが障壁の中に避難しているのが見えた。
あれは、商会の会頭とレディスナ……?
並んだ組み合わせに意外なものを感じながら、僕達はマリィの障壁の傍へと飛び込む。
僕らの存在をみてとったのか、マリィが一瞬障壁を消滅させる。
その隙をくぐり入り込もうとする邪霊をこのはとリムがことごとく消滅させる中、僕らは再び展開された障壁の中へと足を踏み入れた。
「ゼル!? その腕は!?」
障壁の中に入って気付いたのは、ゼルの腕だ。
肩口で切り落とされ、失われている。
簡単な応急処置はされているようだけど、ゼルほどの実力者が腕を失うとは想定していなかった僕は、思わず声を上げてしまった。
「御館様、申し訳ござらぬ。あの邪霊共に触れられ、不覚を取りまして……石化が全身に至る前に切り落としたので御座る」
「自分で切り落としたの!? 無茶するなぁ」
当人は何でもない事のように話しているけど、当然重症だ。
四肢の切断のような重大な損傷は、位階の低いの治癒魔法やポーションでは治せない。
マリィは闇側とは言え高位の奇跡を扱える<闇司祭>だけど、防護の障壁を維持しながらの治療は難しかった様子。
それならばと、僕はストレージから上位再生薬を取り出し、振りかけた。
コレは関屋さんの商店街からの支給品だ。
高品質で仕上げられたこれは作成に上級以上の薬学系称号が必要で、体力の大幅回復と同時に失われた四肢や重要器官の再生まで行える。
僕らが『外』で活動するにあたって、こういった品は十分に用意されていた。
ただ、この手のアイテムはこの世界では効果が高すぎるのもあって、基本的にストレージの中に保存されている。
つまりストレージを持たないゼル達召喚モンスターでは持ち歩けなかった。
だからこそ、今の今まで治療できなかったのだろう。
この場には、グラメシェル商会の会頭も居るけれど、彼には僕らが蘇生の方法さえ持ち合わせている事もバレている。
なら、四肢の再生位は今更見せても問題ないだろう。
「おお、助かりまして御座いまする、お館様。腕一本では愛用のこやつを振るうのに難儀して御座った故に!」
「凄いね、やはり君たちの能力や物品は。ところでそれを家で取り扱わせてはもらえないかな?」
「その辺りは商売専門の仲間が居るので、そちらと交渉してください」
すぐさま元気を取り戻したゲーゼルグは、愛用の剣を構えてやる気に満ち溢れている。
障壁の周囲を飛び回っている化石邪霊は、霊体だけに本来は物理攻撃は通用しない。
だけどゼルの持つ剣『泰山如意神剣』は、別だ。
泰山とは、道教の聖地五山の中の一つ。
そこで祀られている泰山府君こと東岳大帝は、気や寿命、死後の世界の事などを司り、伝説においてその山頂には人間の寿命が記された台帳が存在しているとされる。
アナザーアースにおいても東方地域に同様の名を持つ山が存在していて、そこに君臨するNPC東岳大帝からの試練を受けることでしか、『泰山如意神剣』は手に入らない。
そして泰山の名を冠するこの大剣は、如意の名の通りに使用者のサイズに合わせて大きさを変え、また超常の物さえも切り伏せる力が宿っている。
つまり、ゴースト系や精霊のような実体のない物さえ切り伏せることが出来るのだ。
ただ、やはり両手持ちの大剣というのは、襲いかかってくる邪霊の群れの全てを処理するのに向いていなかったみたいだ。
本人は不覚と言っているけれど、幾ら伝説級の位階の剣聖とはいえ、大波が押し寄せたようなモノだから、よく片腕に触れられただけで済んだと言えるのではないだろうか?
あと、会頭が目を輝かせているのはどうしたものだろう?
もう皇国にはかなりの『門』の中の品が溢れているようだけど、四肢などの欠損を癒せるポーションの類は貴重な筈。
皇国の政商であるグラメシェル商会とはある程度の関係を結ぶべきだとは思うけど、商売の機微は正直専門外だ。
だから、後で関屋さんに丸投げしておこうと思う。
何より、今はこの場を収めないと。
「この数を切り捨ててたらキリが無いから、まとめて浄化するよ。リムとこのはは周囲を警戒、マリィは障壁をこのまま維持で、ゼルは近くによって来た奴だけお願いするね」
僕は仲間達に手早く指示すると、ホルダーに収めていた魔物図鑑を取り出し、一体のモンスターを思い浮かべる。
すると魔物図鑑は宙に浮き、ひとりでに頁がめくれてあるモンスターの項目で止まる。
そこには、純白の翼と光輝く輪を頭上に浮かべた、天界に住まう神々の使いである天使の姿が描かれていた。
「天界の浄化の輝きをここに! 瞬間召喚<浄化天使>!!」
僕の呼び声に応え、空中に魔法陣が出現し、その中から無数の光が飛び立つ。
それは魔物図鑑に描かれている通りの姿、すなわち天使そのものだ。
「「「ラ~~~~~~~♪」」」
見目が整いすぎて中性的な印象の彼もしくは彼女達は、僕の上空で円を描くように並ぶと、声高らかに謡いだした。
それはまさしく天上の歌声。天の神々に捧げられる至高の讃美歌。
彼もしくは彼女達が自然と放つ後光と、歌声がこの場を一斉に清浄な物へと変えていく。
瞬間召喚とは、召喚法の一種だ。
ゼル達のような仲間として常設するように呼び出す通常の召喚ではなく、戦闘中一時的に対象を呼び出しスキルや魔法を使ってもらう方式。
一瞬だけの召喚である為にコストや消費MPは軽く、まさしく一種のスキルや魔法の感覚で扱えるのが特徴だ。
そして今呼び出しているのは、下級天使による聖歌隊。
彼らもしくは彼女らが歌い上げる神々へ捧げる讃美歌は、闇属性や霊体に強力な浄化効果をもたらす。
更には、耳にした者の状態異常を解除する効果まである。
それがどんな結果をもたらすかは一目瞭然だった。
「「「アァァァァァァァァァァ……」」」
放たれる光と歌声を受けて、苦悶の文様を霊体毎薄れさせ、消えていく化石邪霊達。
そして、石化されていたこの区画の人々も、元通りに戻っていく。
もっとも、その人たちも石化の恐怖で気絶するなどして、今の所意識は失っているようだけど。
実際、その方が僕達にとっては都合がいい。
「で、残るのはアレ、だね。本当にゼルグスの顔をしてるんだ」
何しろ、まだ厄介な人物が残ってる。
化石邪霊を呼び出した存在。
この場の元凶、全身が黒石化したゼルグスの顔を持つそいつが、天使の浄化を受けてなお健在だったのだ。
今年最後の更新となります。
書籍化の経過ですが、刊行日が決まりました。
アース・スターノベル様の予定にも挙がっていますが、2月15日になります。
かなりの加筆と巻末SS&店舗特典SSも用意しましたので、Web版とは別物に感じる部分も多いかと。
書影はもう少しお待ちください。
では、来年もよろしくお願いします。




