第10話 ~皇城 皇王第一執務室~
そこは何の変哲も無い部屋であった。
簡素な板張りの壁と天井、床。
灯りは装飾が施されたランプであり、デスクや椅子などと言った家具も一目で高級品であることが、部屋自体の簡素さに反して何ともアンバランスだ。
もっとも、部屋の簡素さにもっとも反しているのは、積み上げられた書類にサインを続けるこの部屋の主であろう。
内から輝くような威光、一目したら決して忘れられぬ美貌、そして溢れんばかりの武威。
生命力に満ちた若獅子かそれとも成竜か。
ブラウンに近い金髪に、眉目秀麗。しかし鍛え上げられた肉体は鋭い刃の様。
彼を形容する言葉は多く、そのどれも表現し切るに至らない。
ただ、たった一つの言葉を除いては。
皇王。
広大にして今も拡張を続けるガイゼルリッツ皇国の、頂点に立つ者。
ヒュペリオン・デセザル・ノル・クラヴォト・カルディス・ガイゼリオン。
公的には皇王ヒュペリオン1世と呼ばれる者の、第一執務室が此処であった。
皇王家に仕える使用人は多いが、この執務室に立ち入りを許可された者は極僅かだ。
それも皇王自ら呼ばない限りは、この部屋への入ることを許されない。
その為この部屋の主に見合わぬ簡素さは、ほとんど知られていなかった。
同時に、何故皇王がこの部屋を第一執務室を定め、余人を立ち入らせないのかも。
執務室の中は、サラサラとペンを躍らせる音だけが響く。
そのスピードは特筆すべきものがあるのだが、豪奢な執務机に積みあがった書類は消える様子もない。
無理もないだろう。
彼は皇王であり国の中心。行うべき書類も多岐にわたる。
様々な認可や許可、予算などの承認、今後の国家運営の計画書。
どれも皇王である彼をもってしても軽んじる事の出来ない重要な物であり、だからこそこうして日中の御前会議の疲れを無理やり横に置きペンを走らせているのだ。
「……余の選んだ道とは言え、何とかならぬものか」
「出来るわけが無いでしょう。それらにしても、文官からこれだけはと頼まれた厳選済みのものですよ」
ついとばかりに皇王の口から零れた愚痴に、応えるものがあった。
家具の影に控えていたその者は、皇王に傍侍るにはふさわしく、同時に執務室そのものの簡素さには不釣り合いな侍従の装いである。
銀髪に黒縁の眼鏡をかけたその侍従は、どこか異国を感じさせる顔立ちであった。
「そもそも陛下は気軽に親征しすぎです。一度戦地に向かえば前線に重要書類を送るわけにもいかないのですから、その間書類が溜まり続けるに決まっているではありませんか」
「余は皇王であるぞ。代筆に任せる訳にはゆかぬか?」
「偽造防止に、当人のサインでないと発行できない魔法の羊皮紙を、公文書に使用すると決めたのも陛下ですよ」
皇王の美貌が苦い薬を飲んだかのようにしかめられる。
この侍従は皇王自ら取り立て、傍に置くことを選んだ者であるが、同時に全く皇王に対して遠慮と言うモノがない。
公務の場では口を出せる者は無く、また戦場においては比類なき存在である皇王であっても、この侍従にだけはただの青年の姿を見せる。
「しかし余が出ねば兵にあたら被害が出よう。東方諸国でも門の中のモノを利用しておったのだ」
「確かに陛下が戦地に出れば士気高揚になりますけど、純粋な戦力だけで言うなら異邦人隊をもっと活用するだけで事足りるでしょう?」
「あれらに頼りきりになるのはならん。明日には居なくなっても不思議では無い者達であるからな……お前も含めて」
「……私はどうでしょうね。もう戻れるとは思えませんけど」
突如として現れた『プレイヤー』達。
皇国はその中で帰順の意志を示した者たちを引き入れ、異邦人隊として保護と活用を推し進めているが、皇王本人の本音としては頼り切るのを良しとはしていなかった。
急激に現れた者は同様に消え兼ねない。
意味ありげに投げられた皇王の視線に、侍従は曖昧な微笑を返すのみ。
「同時に指揮系統の問題もある。異邦人隊の者は戦闘能力は高かろうが、兵への指揮が未熟に過ぎる。あれでは到底余の代わりにはならぬわ」
「……フェルン候なら能力的に見合うのでは?」
「奴はしばらく身動きは取れまいよ。全く、スウェルも余計な事をする」
能力的にも、国内での権勢でも現在皇王に次ぐと言われるフェルン候は、昼間の御前会議にて想定外の糾弾をされ、対応に苦慮していた。
ナスルロン諸侯が主張するゴゴメラ子爵家の謀反人をフェルンが匿っていると言う疑惑は、皇国南方諸侯だけではなく、皇国北方の有力家スウェル伯を中心としたアセンデル地方の諸侯も同調しだしたのだ。
「スウェル伯は、フェルン地方ガーゼルの交易商が北方群島諸国にまで足を延ばし始めたことに危機感を抱いていましたからね。ここで動きを鈍らせ、自身たちが次なる親征にて手柄を狙う目算なのでしょう」
「そんなことは判っている。しかし次の相手は厄介な者達。スウェルには荷が勝ち過ぎるであろうな」
「そう思うなら、昼間の御前会議でフェルン候を擁護なされば良かったでしょうに」
「あの新将軍とやらの素性前歴が全くの不明ではな。余とて怪しいと言う事実を否定は出来ぬ」
結局の所、御前会議は皇王の前にて行われる貴族議会の意味合いが強く、皇王の鶴の一声で全てが決まる様な様式にはなって居なかった。
それはこの侍従のアドバイスの元、皇王自身が定めたルールでもあった。
「なに、シュラートなら上手くやるだろう。新将軍がどうなろうともな」
「では、このまま静観と?」
「うむ。もとより、余にとって此度の御前会議は、次の親征の発令の場にすぎぬ。ナスルロン侵攻の沙汰が決まり次第、全諸侯に号令をかける故そのように」
「畏まりました」
侍従が一礼し、手には皇王が済ませた書類の束を持ってその場を辞する。
恐らくは、戻ってくる際に持ち去った量よりもさらに多く未決済の書類を持ってくるのだろう。
皇王は疲れたように肩を動かす。
様々な方法により伝説級に至っている皇王だが、書類処理の疲労を軽減する特技は持ち合わせていないようである。
その後しばらく、皇王はひたすらに書類仕事をこなし続ける。
位階の修正による身体能力は純粋な筆記速度のアップ等の恩恵をもたらし、時折起きる書類追加というイベントを経ても順調に推移していく。
どれくらい時が流れただろうか。
ふと皇王は書類に向けていた視線を上げた。
簡素な部屋の片隅に、いつしか小柄な人影が佇んでいた。
「戻ったか。して首尾は?」
「これを」
知った相手なのか、皇王は慌てることなく小柄な影に尋ねる。
端的な言葉と同時に差し出されたのは、一見何の変哲も無い袋だ。
だが見る者が見ればわかるだろう。
それは拡張バッグ。
皇国の秘宝であり、本来皇国の政商、グラメシェル商会に貸し出されているはずのモノであった。
「……運搬には失敗したか。やはりグラメシェルには荷が勝ち過ぎたようだな。ならば泥をかぶってもらうしかあるまい」
「そうでもない。護衛は聖地の工作員を抑えきっていた。商会が雇っていた護衛は優秀だった。コレが此処にあるのは自分が介入したから」
「ほう? そなたが動く必要があったか」
皇王は独り言ちるが、目の前の小柄な存在の言葉に目を瞬かせる。
目の前の存在、皇国異邦人部隊の中でも密偵専門のプレイヤーにより、皇国は教会や聖地の工作員の動きを既に察知していた。
この補給の要であるバッグを、工作員を以てして奪うと言う強引な計画。
それを逆手に取り泳がせバッグを奪わせることで、国内外に聖地と教会の非を糾弾し、聖地への侵攻の大義名分を得る一手。
もちろん聖地の工作員に奪われたバッグは、目の前のプレイヤーが即奪還する予定であった。
それが、この小柄なプレイヤーの介入さえなければ防衛し切っていたとは。
「朗報、なのかはわからないけど、商会の雇った傭兵には伝説級が何人かいた。多分、プレイヤー絡み。こっちも本気で不意を突いてようやく奪えた」
「朗報であろうな。政商のグラメシェル商会にはバッグを奪われた責任を問わねばならないが、同時に裏を明かす価値が出た。存外にやるではないか」
皇王は有能なものを好む。グラメシェルはやり手ではあり、その手腕を買ってはいたが今は動乱の時代である。
皇国の政商を務めるには、相応の力を持つ必要がある。
今回の他国の襲撃を利用した一手は、実力の見極めも兼ねていた。
「……実際、かなり強かった。不意を突いて意識を奪ったと思ったのに、顔を見られた」
「ほう? 『顔無し』のそなたの顔を、か?」
「いつも通りにコレを被っていたから、素顔は見られてない」
端的に語る小柄な影。その顔はやや垂れ目な程々に整った少年のもの。
しかしあごや耳元をよく見れば、その顔は精緻な仮面であるとわかる。
「<友誼の仮面>。相手が最も好意を寄せる相手の顔を映し出す。この顔はその護衛の恋してる相手の顔」
「ほほう。少年愛玩の嗜好でもあるようだな、その護衛は」
<友誼の仮面>は、その仮面を見た者の好意の対象を写し取り、結果相手に混乱や魅了、対象への敵対行動にマイナス補正を駆ける強力な装備だ。
しかし再使用時間が長く、それが経過するまで、仮面は変化したままの形に維持される。
つまり、皇王らが知る由も無いが、その顔は今万魔の主のもへと変化しているのだった。
「同時に厄介。俺を追って変に嗅ぎ回られても困るから、陛下は早めに商会に事情話しておいて」
「あいわかった。任せるがいい」
この仮面は強力だが、同時に使用された相手の敵愾心を煽りやすい。
皇王には詳しく伝えていないが、その護衛の正体は魔獣の類であると『顔無し』のプレイヤーは見抜いていた。
つまり、匂いなどで追跡される恐れがあった。
密偵系ビルドの『顔無し』にとって、あの護衛をしていたモンスター達と直接やり合うのはごめん被ると言った心境なのである。
理由はどうあれ、護衛任務を失敗させた商会の責任は不可避でもある為、グラメシェルを使えると判断したのならば、速めに動くべきなのも事実なのであった。
皇王の了承に、安堵の息を漏らす『顔無し』。
その一部始終を、見つめるものがあったと誰が信じられるだろう。
ましてや、『顔無し』の背後の影に、ずっと潜んでいたなどと。
(……そういう事ね)
影の名はスナーク。姿なき密偵にして暗殺者。
隠形においては並ぶもの無きアナザーアース全ての密偵や暗殺者称号持ちの師は、結局誰にも気取られる事無く姿を消した。




