断章-そして叛逆の鐘が鳴る(六)
「……メルティア!」
見まごうはずもない。中央の台に立っているのは、サリスの最愛の女だった。薄暗い部屋の中にあって、その豪奢な黄金色の髪はなお輝きを失っていない。
だがその姿は、ひと目見て痛ましいものだった。聖女の正装たる法衣ではなく薄汚れた囚人服を着せられ、両手には枷を嵌められ、靴もはくことは許されておらず裸足である。
更にその細首につけられた、純白の表面に複雑な図形が彫られた首輪をみとめて、サリスは愕然とした。あれは装着者の魔力を封じこめる"戒魔の首輪"だ。主に魔導を心得た凶悪な罪人・囚人の力を押さえるために用いられる魔具ではないか!
先刻のバルディエルの言葉を思い出す。今映し出されているのは聖庁・大神殿の一角に設置されている”審判の間”と呼ばれる異端審問のための法廷、そこでメルティアがまさに裁かれようとしている光景なのだ。
エウレネ教団は、よりによって女神の代理人たる"光の聖女"を異端審問にかけるという暴挙を、本気でしでかしたのだ……。
「聖女メルティア!」
居丈高な声が室内に響いた。メルティアの向かい側、一段高くなった壇の上に設えられた卓についた男が、発したものだった。
その初老の男は肥満した身体を黒い法衣に包み、上から金箔を散りばめた奢侈な外衣を羽織っていた。おそらく枢機卿の1人が、判事役を務めているのだろう。
「汝は女神の御心に背いた。人類に仇なした魔の者たち、その残党を匿う仕儀に加担したかどは、すでに露見している。これエウレネ教団に留まらず、全人類に対する裏切りである!」
判事が断定的な口調で告げると、周囲から「そうだそうだ!」と同調の叫び声があがる。ここに集っているのは教団の人間、それも身なりからして司祭等の高位に属する者たちばかりだ。
身内だけの秘密裁判で、早急に結審してしまおうという算段なのだろう。メルティアは依然、フェイデアの民衆から絶大な支持を寄せられている。公の場で審理を行えば教団側の強引な言い分に非難が集まり、どんな不測の事態を招くか知れたものではない。
周囲がすべて敵と化した聖庁内の一角において、メルティアは身を固くしてじっとうつむいていた。秀麗な顔は蒼ざめ肩はわずかに震えていたが、翡翠色の瞳からは意思の光は失われていない。
唇を固く結びおのれに寄せられる罵声に耐えている様は、いっそ荘厳でさえあった。
「魔王軍の残党を匿うのは、いずれ奴らと結託して現在の人類秩序に叛逆する意図と思われる。思えば聖剣を所持したまま我が聖庁をはなれた時から、その魂胆だったのであろう。女神に授かった至宝をおのが野心のために濫用しようなどと、言語道断である」
それこそ言いがかり以外の何物でもない。メルティアが聖剣を手放さなかったのは、聖剣がそれを生み出した聖女に従属しているからだ。
例え聖剣がどこにあろうと聖女及び聖女に認められた使役者は、その意思ひとつで瞬時に自分の手元に呼び寄せることができる。建前上聖剣は教団の占有下にあることとなっているが、返却は実質無意味なのである。
「これ全て、勇者サリスを名乗るならず者に使嗾されての所業であろう。そもそも光の聖女を拝命した者が、男にうつつを抜かし聖庁をはなれること自体異例中の異例、不覚悟の極みである。この一事のみをもっても万死に値する。あまつさえ魔王を倒した功におごり、やれ勇者よ聖女よと持てはやされたあげく、思い上がって人類に叛旗を翻し地上の支配者になろうと野望をたくましくするなど……」
「サリス様はならず者などではありません!」
突然、メルティアが顔を上げて鋭い声を発した。おのれへの誹謗にはじっと耐えていた聖女が、サリスの名誉を守るために怒りをあらわにしたのだ。
その語気の鋭さに、それまで一方的にまくし立てていた判事役の枢機卿がたじろいだ。
「地上の支配者? あの方はそんなものになることを望んでなどいません。私たちはただ2人で、静かな暮らしを営みたいだけです。そんなささやかな望みすら、叶わないというのですか? あの方が人類のためにどれだけ身をけずり、命がけの戦いを繰り返してきたとお思いですか。英雄の献身へ報いるに冤罪と中傷をもってあたるとは、あまりに無道。そのような真似をして女神さまの御心にかなうと、本気でお考えですか! あなた方が今こうして生きていられるのも、サリス様がいたればこそ……」
「だ、黙れだまれい!」
メルティアの声を、判事が血相を変えてさえぎった。
「この場で汝の発言は一切認められておらぬ! それにサリス様だと、あの方だと!? 法廷規則を遵守せぬ上いまだに叛逆者と化した男に情を示すとは、反省の色も一切持たぬと見える。もはや酌量の余地はない、我、枢機卿レピドゥスの名において汝メルティアより聖女の名を剥奪し、背教者と認定する!」
判事――レピドゥスが宣言すると同時に、潮のような歓声が場内に轟いた。
だがこの記憶の所有者、女神官セリカはそれに同調した様子はなかった。心なしか術者の悲しげな心情が、魔力の波となって映像から伝わってくるようだった。
「背信の罪許しがたく、明後日にも汝を火刑に処する。炎で焼き清め、その身に沁みついた咎を浄化してくれよう。これは法皇様の御意でもある」
「法皇様が……!?」
その名を聞き、メルティアは愕然とした表情を浮かべた。それまで彼女を支えていた気丈さが、一気に瓦解したかのようだった。ひざが途端にふるえだし、柵に寄りかからなければ立っていられないほどだった。
かつてメルティアは、教団の長たる法皇に絶対の信頼を寄せていた。大神殿の回廊でサリスがはじめて彼女とあった時など、その身を危険にさらしてなお、魔人を生かして捕えよという法皇の命をかたくなに遂行しようとしたほどだった。
法皇はメルティアにとって、育ての親のようなものだった。まだ幼いメルティアが聖女を拝命した後、実の両親に恵まれなかった彼女を教団で引き取り、親身に彼女を支えてくれた、とはメルティア自身から聞いた話である。
その法皇が、自分の火刑を了承しているという。メルティアが受けた衝撃は、いかばかりであったろう。
「その前にまず、汝が背教者へと堕ちた証、咎の烙印をその身に刻むこととしよう。これにより汝は女神の庇護を失い、その魂は永遠に冥獄の闇をさまようこととなるのだ。執行人、前へ!」
レピドゥスが合図すると、壇の傍らから2人の屈強な男が進み出た。どちらも頭の上から覆面を被って顔を完全にかくしており、うち1人の手には先端が赤く熱した焼きごてが握られている。その先端には生理的なおぞましさを呼び起こす紋様、"咎の烙印"がかたどられているはずだった。
男たちはメルティアが立つ台へと、左右から近づいていく……
「い、嫌、こないで……」
焼きごてを持った男が台に足をかけたところで、メルティアは怯えたように後ずさった。教団に手酷く裏切られても彼女の女神への信仰心は依然失われていない、背教者としての烙印を押されるなど耐えがたい屈辱だろう。
だがすぐ背中が柵に当たり、それ以上は下がれなくなる。
「無駄なあがきはよせ。戒魔の首輪で魔法を封じられた今、汝に抗う術はない。そして咎の烙印は一度押されれば、例えいかなる回復魔法を用いようと決して消え去ることはないのだ。炎に焼かれ旅立つまでのわずかな間、恥ずべき背教者の証と共に生きるがよい」
嗜虐心に満ちたレピドゥスの声が響くと、周囲の神官たちもそれに追随する。「そうだ、大人しく罰を受けろ」「人類への大逆を企んでおきながら、なお己の生命を惜しむか」「なんと生き汚い、卑しい小娘ではないか」「光の聖女の名に泥を塗りおって、売女め!」……聞くに耐えない悪口雑言が、無力な聖女に集中した。
両手が空いた覆面の男がメルティアの小さな身体を引き寄せ、その動きを封じるように押さえつけた。その正面からは、焼きごてを掲げた男がにじり寄る。
「やめろ……!」
無駄だとわかっていても、サリスはうめかずにはいられない。
メルティアは男の腕から逃れようと、必死にもがいた。だがどれだけ身をよじろうと素のままの足を振り上げようと、元より屈強な男に膂力でかなうはずもない。
「おい、その美しい顔には押すなよ。処刑は明後日だ、まだおたのしみの時間はある」
判事席から肥満した枢機卿が、好色そうな笑みを浮かべて執行人たちに注意をうながす。
サリスは今見ている光景が過去のものであることが、心の底から恨めしかった。自分があの場に居合わせていれば、あの華美な外衣を羽織った豚の首を、すぐにでも胴体から斬りはなしてやるものを!
メルティアを押さえつけていた覆面の男が、判事の支持に応えるようにメルティアの囚人服の左腕の袖をまくりあげた。うす暗い室内にはまぶしいほどの白い皮膚につつまれた肩から二の腕にかけてが、あらわになる。
「……例え咎の烙印を押されようと私の、私たちの真実は女神さまがご承知くださっています。私もサリス様も、人類への叛意など微塵もない……!」
「罪人は皆おのれの無実を主張するものよ。だが無意味だ、有罪か無罪かは女神の僕たる我ら聖庁が決める!」
正面に立った男の焼きごてが、メルティアの左肩にゆっくり迫っていく。「サリスさま……!」というメルティアのかすれた小さなつぶやきが、サリスの耳に届いた。
やがて肉の焼ける音と共に、白絹のような肩から煙があがり。
「あああああああああああああああああああああああ……!!!!!」
サリスの愛しい女の絶叫が、堂内に響いた。




