断章-そして叛逆の鐘が鳴る(三)
現代の地球で例えればビル5階分の高さはあるだろう崖の上から、バルディエルは無造作に跳躍した。
巨大な斧を抱えたまま、サリスの目の前に降り立つ。激しい音をたてることもない、宙から羽が舞い落ちてきたかのような、軽やかな着地だった。
魔法で重力を操ったわけではなかった。超人的な身体能力と完璧な動作制御の融合によってなし得た、絶技である。
「さて……こいつは一体どういうことだ?」
ねばりつくような口調で、問いかけてくる。
「ここは魔王軍の残党である竜人どもの潜伏先、のはずだぜ? そう聞いたから、わざわざ俺がこんな僻地まで出向いてやったんだ。ま、その竜人どももついさっき、粗方始末しちまったとこだけどな。ギャハハ!」
何がおかしいのか、バルディエルは哄笑を爆発させた。サリスにとっては、耳ざわりな間奏でしかなかったが。
「んでもってひと仕事終えたことだしとちょいと休息していたら、何と魔王を倒した人類の英雄、勇者サリスさまがご登場したもんじゃねえか。しかもあろうことか、虫の息だった竜人の首領と思しき女と、親しげに話しているとこまで目撃しちまった。由々しき事態だよなあ、こいつは」
頭上で戦斧を2度、3度と旋回させる。まるでおもちゃを振りまわす幼児のような仕草だ。言葉とは裏腹にいかにも愉快でたまらない、といった様子を隠そうともしない。
「内通の嫌疑をかけられても仕方ねえ振る舞いだ。もしそれが事実なら、全人類への背信行為ってやつだ。何か言い訳があるなら聞いてやるぞ? せいぜい白々しくさえずってみろ、救世主さまよお」
「白々しいのは貴様だ」
俺――サリスは吐き捨てるように応じた。目の前でヴィンゼガルドを殺されたのだ、到底おだやかでいられるはずもない。
それにその星竜姫も、今際の際に忠告してくれていた。休息していた、などとよくも言えたものだ。
バルディエルはサリスがここに来るのを承知で、待ち構えていたにちがいない。サリスが近づくまでヴィンゼガルドをあえて生かしていたのも、えさとして利用するためだろう。サリスが竜人たちを匿うためにひと役買ったことに関しては、すでに十分な確証を掴んでいたとみるべきだった。
「第一、貴様が尋問なんて迂遠なことができるタチか。狂犬が、いつからそんなにお行儀よくなった?」
「枢機卿どもがうるせえんでな。義理で手順ってやつを踏んでやったまでさ」
そう言うや、”狂戦士”は戦斧を正面に構え直し、臨戦態勢へと移行した。
「だがもう十分のようだな。その生意気な態度、居直り罪を認めたものとみなす。これでてめえは罪人だ、遠慮なく処刑することが……いや、狩ることができる!」
言い終えると同時に巨大な戦斧を振りかざし、地を蹴って突進してくる。
速い。が、見切れないほどではない。
サリスは自らの頭部めがけて振り下ろされる斧の刃を紙一重でかわし、バルディエルの右にでた。巨大な得物を繰り出した後だ、次の動作へ移るまではどうしたって一拍の刻を要する。
態勢を立てなおす暇をあたえず、魔銀の剣を素早く鞘から抜き渾身の突きを放った。が。
剣の先端がとどく前に、バルディエルの右肩が急激に盛り上がった。一瞬後、皮膚と肉を突き破って紅い血が吹き出し、サリス目がけて襲ってくる。
「ちぃっ……」
おのれへ伸びる血の槍を、サリスは魔銀の剣で払いのけた。だがそのわずかな間に、バルディエルは再び斧を構えてこちらへ向き直っていた。
「甘えよ。その程度で俺が殺れるとでも思ったか?」
「……貴様の手口はある程度聞き知っている。別におどろかんさ」
「はっ、負け惜しみを!」
バルディエルは血の魔法を使う。それは他者の血のみならず、自らの体内に流れる血をも自在に操れることを意味する。
いつ、どの部位から血が噴き出し、凶器と化しておそってこないとも限らない。たとえ背中をとっても、背中を食い破った血液によって迎撃されてしまうだろう。厄介この上ない。
「サリス様、私も加勢します!」
サリスの背中でカノンが声をあげた。
「不要だ。下がっていろ」
「しかし……」
「てめえごときじゃかえって足手まといだ、っつってんだよおこいつは!」
そうカノンに吠えかけたのは、サリスと対峙するバルディエルだった。暴言ではあるが、趣旨としては正しい。
カノンはすぐれた精霊魔法の使い手ではあるが、それでも狂戦士に通用するほどとは思えない。今は眼中にないようだが、半端に攻撃すればこの闇エルフの少年もバルディエルから標的と見なされることだろう。
そうなればサリスは、おのれの身のみならずカノン(と、ついでにその肩に乗っているリーリエ)をも庇わねばならなくなる。そんな戦い方で勝てるほど、狂戦士は易い相手ではないはずだった。
「そこで指をくわえて眺めてな。これは勇者同士の殺し合いだ、てめえみてえな小僧が踏みこめる領域じゃねえんだよ」
誇り高い闇エルフとして、ここまで言われては矜持が傷ついただろう。後ろからカノンの歯ぎしりが聞こえてくるようだった。
「一度てめえとは、とことん殺り合ってみたかったんだよ。俺を失望させんじゃねえぞ、"魔剣士"」
サリスに向けて言い放つや、バルディエルは再び戦斧を片手で頭上高くかかげ、猛然と駆けてきた。
が、今度は戦斧は囮だった。突進してくる狂戦士の左右の脇から血が噴き出し、孤を描きながらサリスを両側から攻撃してくる。
右から襲ってくる血を魔銀の剣で打ち落とし、左からのものは妖精のマントを翻し盾代わりにしてふせいだ。しかしその頃には、すでにバルディエル自身が肉迫してきていた。
今度はかわす余裕がなかった。片手で振りおろされる巨斧を、剣を斜めに構えることでいなす。剣の腹をすべらせ勢いは殺したはずなのに、それでも激しい衝撃で両手がしびれた。
この痩身に似合わぬ馬鹿げた膂力も、体内の血液循環を活性化させることで生み出している、と聞く。
「おらあ、まだまだいくぜ!」
手のしびれが収まる暇もなく、狂戦士の身体中から血が噴出しサリスに凶器と化して向かってきた。あるものは槍のように細長く伸びてくる一方で、あるものは身体から分離して矢となって飛来する。
かと思えば空中に止まっていた血液が突如回転を始め、まるで投擲された鎌のごとく風を切りながら迫ってきた。まさに変幻自在だ。
相手は1人だけのはずなのに、まるで集団から攻撃を受けているような錯覚におそわれる。
乱戦の中、詰め寄ってきたバルディエルの掌から、何度目になるかわからない血の槍が伸びてきた。サリスは今度も剣を払ってしりぞける。
が、槍は直後に鞭のようにしなり、魔銀の剣身に巻きついてきた! そして凄まじい力で、バルディエルの元まで引き寄せようとする。
剣をうばわれまいと抗いながら、サリスは小さく舌打ちした。敵を間近にして、得物のうごきを封じられてしまったのだ。
「くたばれ!」
宣言すると同時に、バルディエルの腹部に複数の小さな隆起が生まれた。この至近距離から、血の矢を浴びせかけるつもりらしい。
剣身に絡みついた血の鞭は、簡単に振りほどけそうにない。剣での迎撃は間に合わない。
サリスはとっさに左腕を――"天陽の腕輪"をはめた左腕を振りあげ、手の甲をバルディエルに向けてかざした。
「"聖盾"!」
声を発したのは、おのれの意思に明確な方向性を与えるためだ。
その意思に反応し、腕輪が白く発光する。一瞬後、光は手の甲の前で輝く壁と化し、狂戦士の腹から放たれた何本もの血液の矢をことごとく防ぎきっていた。
「ちっ! それが噂に聞く"光の盾"ってやつか?」
そう、かつてメルティアがサリスのために光魔法による加工を施して完成させた、サリス専用の盾。サリスの意思ひとつで、展開も収束も自由自在だ。
これなら戦闘中の敏捷さや小回りを損なうことなく、なおかつ危急の際にはおのれの身を守ることもできる。まさにサリスの戦い方におあつらえ向きの防具と言えた。
が、それをわざわざ狂戦士に説明してやる義理もない。
矢を防ぎきり聖盾を収束させると、サリスは右腕に渾身の力をこめ魔銀の剣をおのれへと引き寄せた。血の鞭を引きちぎることに成功し、剣が自由を取りもどす。
虚をつかれた故か、それとも大がかりな攻撃の直後でさすがに消耗したのか、瞬時バルディエルの反応が鈍った。この機を逃す手はない、サリスは縛めを解かれた剣を振るい、狂戦士の右腕へと斬撃をはなった。
「お?」
細い腕が肘のあたりから寸断され、戦斧をにぎったまま地面に落下した。攻撃の流れを絶やさず、返す刀でバルディエルの胸部目がけて突きをくり出す。
確かな手応え。まちがいなく心臓を貫いた!
バルディエルの口から、血があふれた。今度は魔力を帯びていない、純粋な吐血だ。
いかな狂戦士といえど、これではひとたまりもないはず――
「……とでも思ったか?」
バルディエルはサリスを見下ろしながら、血に濡れた口を三日月状に大きく広げた。
さすがにサリスは目を見張らざるをえない。心の臓に剣を突き刺されながら、この男は満面に笑みをたたえているのだ!




