第58章:世の中忘れてはいけないこともたしかにあると思います、はい……(恐縮)
「……本当におぼえていないのか?」
あまりに要領を得ない俺の様子から、とぼけているわけではないと察したらしい。指抜きグローブ男は驚愕と憤怒が混じりあった表情で、こちらを睨んでくる。
「……すみません」
とっさに謝ってしまった。低姿勢で。
相手の言うことの真偽は不明だが、その形相があまりに真に迫っていることから、少なくとも意図的に嘘をついているようには見えなかった。それにサリスが戦いの中で人魔問わず数多の敵を斬り、俺がそのほとんどについて依然記憶を取り戻していないのもたしかである。たとえ前世の所業とはいえ、誰かを手にかけてそれを綺麗さっぱり忘れてしまっているというのは、なるほど薄情な話には違いない。
風評被害をばら撒かれた腹立ちが完全に消えたわけではなかったが、今の弾劾で大分気勢を削がれてしまったことは否めなかった。
「おびただしい殺戮に身をやつし、屍山血河を築いた勇者サリスだ。俺ごとき小物を殺めたことなど、いちいち覚えてられんというわけか。だが、殺された方は決して忘れんぞ! 生命を狩られる痛み、屈辱……たとえ生まれ変わろうとも、水に流せると思うなよ!!」
うーん、もっとも過ぎてぐうの音も出ねえな。殺めた当人にそれを指弾されるというのも、何だか妙な気がするが。
「いや、俺などのことはまだいい。だが貴様は我が姫を、俺の最も大切な方を裏切り、罠にかけたのだ。そしてその御命まで……!」
「姫?」
「……それすらも忘れたか。見下げ果てた奴め」
男の顔から表情が消えた。一瞬、静寂が辺りを包む。まさしく嵐の前の静けさだった。男の怒りは収まるどころか更に深く、激しく、狂おしくなったことは一目瞭然だった。
「もういい、俺も些かしゃべりすぎたようだ。貴様が覚えていようが忘れていようが同じこと、やることは変わらん。今この場で、貴様に二度目の死をくれてやる。前世では不覚をとったが、同じ轍を踏む俺と思うな!」
男が両の拳をかまえ、戦闘態勢に入った。いよいよくるか。こちらの戦意はやや消沈してしまっていたが、こうなっては抵抗しないわけにもいかない。俺も両の手で得物を持ち上げ、迎撃の準備にはいる。
「……おい、ところで」
今にも襲いかかってきそうな空気だったのに、またも男が行動の前に口を開いた。なんだ、まだ何かあるのか? 見た目に反して煮え切らない奴だな。
「貴様、さっきから手に持っているものは何だ」
「……モップだが?」
「そんなことはわかってる! なぜモップなどを、この戦いの場に持ってきたと聞いてるんだ!」
あー、やっぱそこ気になるかあ。
「もちろん、武器に使うためだ」
「モップが武器……ふ、ふざけているのか?」
「大真面目だ(キリッ)」
だがまあ、余所目には不真面目にしか見えないだろうことも理解できる。俺自身、ずいぶん間抜けな絵面だと思うもん。
「俺を舐めやがって、生まれ変わってまで不愉快な野郎だッ!!」
モップが火に注がれる油の役割を果たし(そんなつもりはなかったんだがなあ)、とうとう男が激発した。拳を振りあげながら、おもむろに突進してくる。昨日のスキンヘッド氏にも似たような反応をされたし、俺の戦闘スタイルはどうしても相手からの誤解を招いてしまうらしい。
襲いくる拳を紙一重でかわし反撃を試み……たかったが、それは叶わなかった。相手の速度を動体視力が把握しきれず、何とか直撃を免れるだけで精一杯だったのだ。大仰にバランスを崩してしまい、態勢をととのえた頃にはすでに敵のニ撃目が迫っている。
指抜きグローブ男が昨日の不良連中とは比較にならない手だれであるのも確かだが、それにも増して俺の感覚にモヤが垂れこめていることが大きい。やはりモップによる中途半端な覚醒では、このレベルの敵をむかえ撃つのは厳しいようだ。旗色は極めて悪い。
男が文字どおり息つく間もない連打をくり出し、俺がモップを駆使しつつ必死にそれらをいなしていく。いわゆる防戦一方の泥沼に、時間が経過するほどにはまっていく。
「これは無理ゲーだろ!」という悲鳴が、脳内で次第に大きくなっていった。縛りプレイにも程がある。やはり横着せず、もっと剣の形状に近い武器を探すべきだったか……
「どうした、貴様の実力がその程度のはずがあるまい。いい加減本気を出さんと、妹のスマホは取り戻せんぞ!」
そういや光琉のスマホはこいつの手の内にあるんだっけな。一応名目上はそれを取り戻すために戦っているハズたったが、指摘されるまですっかり忘れていた。
まあこいつは、他人のスマホを悪用したり中の情報を漏洩したりするタイプではないだろう。殺されかけている最中に奇妙なものだが、戦いを通してある種の信頼が男に対して芽生えていた。性格は直上的だし、何より拳筋に小賢しさが微塵もない。真正面から力でねじ伏せようという一本気な戦い方は、いっそ清々しいほどだ。
こういう奴は陰険な手段には走らない気がする。これも剣士の本能が告げる直感、だろうか。光琉のスマホをくすねたことは姑息といえば姑息だが、それも俺をおびき寄せたことですでに目的は終えているはずだ。
男の拳撃に気をとられている隙に、右足が高速で跳ねあがり蹴撃がおそってきた。とっさにモップを垂直に立て、腹部をガードする。木材の悲鳴が周囲にこだました。さしあたっての所有者である俺の身を守る大役を果たしたモップの柄は、代償として中央から真っ二つに折れ砕けてしまっていた。
「終わりだ!」
武器(?)を破壊し勝利を確信したか、男が咆哮とともに畳みかけてくる。俺はとっさに、2つに分かれたモップの房糸がついた方を投げ捨て、もう一方のやや短めの棒状と化した柄の残骸を右手でにぎりなおし……
その瞬間、モヤが晴れた。
五感が鮮明になる。目の前に迫る男から、まるで速さを感じない。くり出される男の一撃を最小の動作でかわし、すれ違うようにして男の後ろをとった。
「なにっ!?」
意外感におそわれたのだろう、男が驚がくの声を上げる。その余韻が消える前に、俺は右手に残ったモップの柄だったものを、振り向きざま男の後頭部に打ちつけた。
インパクトの直前、「これは折れたモップの分!」と叫ぼうか一瞬迷ったが、自重した。
後方から衝撃を受けた男は、前方へと頭から吹き飛んでいく。その方角には、花が植えられていない名ばかりの花壇があった。騒々しい着地と同時に柔らかい土が舞いあがり、煙のヴェールと化して視界を遮った。
どうやら房糸が取れてシンプルな木製の棒となったモップの柄なら、俺の本能は"剣"の同類と認識してくれるらしい。だからモップが折れた途端、前世の感覚が鮮明によみがえったのだろう。我が真相意識ながら相変わらずのチョロさで若干思うところがないでもないが……この際は最大限に利用させてもらうことにしよう。
「ちっ、突然動きが変わりやがった。やはり緩急をつけて俺を翻弄する腹だったか。警戒はしていたつもりだが不十分だったな、おかげでいいのをもらっちまった」
煙の向こうから男の声がひびいた。言葉の内容は過大評価以外の何物でもなかったが、今そこは重要なポイントではない。
むくりと人影が立ちあがる。木製の棒切れで後頭部を強打されたのだ、普通の人間なら昏倒していてもおかしくないところだが、やはり相手は「普通」ではないらしかった。
異変を感知したのは、またしても視覚より"魔覚"の方がはやかった。突然男の魔力が膨れあがった、いや、質そのものが変容したというべきか。うまく表現できないが先刻までよりも毒々しく、禍々しく、濃密で、凶暴な気配になった、そんな印象だ。この魔力の波動、これはどちらかといえば人間よりも、魔族のそれに近い……?
「いいだろう、こちらも遊びは終わりにしてやる」
当初から疑問ではあった。男の身体からは常人ではあり得ないほどの魔力が発せられていたというのに、これまで男の攻撃手段は徒手空拳に限られていた。それだけであるはずがない、何かまだ奥の手を隠しているのではないか、と思えてならなかったのだ。
土煙がおさまり、俺の疑問への解答が形となって提示された。だからといって、感謝する気にはなれなかったが。
男の容姿が見違えていた。瞳孔がほそ長く爬虫類を思わせる眼、うっすらと鱗が浮き出た皮膚。口の中では獰猛な肉食獣特有の鋭い牙がひかり、左右のこめかみからは一本ずつ、見た目からして頑強そうな角が上空へと突きだしている。
この姿は……
「竜人!?」
俺は反射的に、そう叫んでいた。




