第56章:人間キレる時はキレる(激怒)
「この放送が終わったら、すぐにお前ひとりで俺のところへ来い。場所は伝えるまでもないはずだ、お前なら感じ取れるだろう」
スピーカー越しの声が何を言っているのか一瞬計りかねたが、すぐに飲みこめた。校舎上階の方から、極めて刺々しい魔力の波動が伝わってきたのだ。その発生源は間違いなく放送室、俺に感知させるために、指抜きグローブ男が意図的に力を解放したのだろう。
わざわざ場所について言及したことからも、「放送が終わったら」とタイミングを指定してきたことからも、あの男がこのまま放送室に止まり続けるとも思えない。自分は移動するから魔力を辿ってついて来い、という意図に違いない。
まあ遠からず仕掛けてくるとは思っていたが……呼び出すにしても、もう少し耳目を集めない方法はなかったものかなあ。
「おい、これって呼び出しだぜ呼び出し」
「天代が何者かに喧嘩を売られたってわけか」
「昨日不良グループを壊滅させたばかりだっていうのに、なんて忙しないのかしら」
「魔王さまは俺ら庶民とは違うんだよ、寧日なんてありゃしねえんだ!」
うう、クラスの雀どもがまたしても好き勝手ほざいてくれおる……もうこれだけでも大分行く気が削がれている。というか今授業中だし、そもそも進んで関わりたい相手でもないんだよな。
いっそ無視しようか、などと考えたところで。
「言っておくが、お前に拒否権はないからな」
まるでこちらの内心を見透かしたかのように、スピーカーから注意が飛んできた。
「断ったら一体どういうことになるか。お前だって、妹が大事だろう?」
ガタッ。
俺は反射的に立ち上がり、椅子を倒していた。
今の言葉は聞き捨てならない。あの男は光琉まで巻き込むつもりなのか? いや、話ぶりからすると、すでに……
「今、俺の手元には、お前の妹――」
やはり。すでに光琉を拉致して手元に連れてきてるってのか!? 野郎、許さんぞ、生まれてきたことを後悔させてやるッ!!
「――のスマホがある」
「……は?」
「逆らわずこちらの要求通りに動くことだ。さもないとスマホは帰らず、妹が随分困ったことになるぞ」
途端に力が抜けた。いや、たしかにスマホが無くなること自体は現代の一大事だろうが……どうにも緊張感が羽を生やして去っていった感は否めない。
さっき、光琉の肩を掠めるようにして傍らを通り過ぎた時。あの時に、制服のポケットから抜き取ったのだろう。随分手癖が悪い、やはり油断のできない相手であることは間違いないようだが。
「急にこんなことを言われても信じないかもしれんからな、今から俺が手にしているのが本当に妹のスマホだということを証明してやる」
なんだと、何をするつもりだ?
「安心しろ、この放送でいきなりスマホ内の個人情報を暴露したりはしない。代わりに、メモ帳に保存されている日記を読み上げる」
「おい、やめろ」
思わず声を出してしまった、聞こえるはずもないのに。何だその羞恥プレイ、個人情報暴露以上にプライバシーの侵害じゃねえか!
……そもそも、光琉がスマホに日記をつけているのが意外だった。昨日の朝、俺が粘り強い=しつこい交渉に折れて放課後デート(仮称)の諾を与えた時、狂喜にかられた光琉が「日記につけとこっと!」などと口走ったものだが、てっきりその場の勢いで出た放言だと思っていた。まさか本当に日々の出来事を記録する習慣が、あのズボラな妹にあったのか?
「家族のお前なら、この日記が本物かどうかわかるはずだ。まずは……ん、まだ朝なのに、何故もう今日の日付があるんだ?」
今日の日付の日記だと? 俺は嫌な予感にとらわれた。その日記が実は未来の光琉から送られてきたメッセージでありタイムパラドックスが発生するという可能性を危惧した、わけではもちろんない。
今朝俺がキッチンで洗い物をしていた時、リビングのソファにもたれながら夢中でスマホをタップしていた妹の姿が脳裏によみがえった。まさかあの時、ヤツが打っていたのは……
「まあいい、読み上げるぞ。"5月×日、けさ目を覚ますと、布団の上からあたしの身体にまたがったにいちゃんがあたしを見おろしていた。驚いて声をあげようとしたあたしの口をふさいで、にいちゃんが一言、『おいおい、大きな声を出すなよ、オヤジが起きたらどうするんだい、子猫ちゃん』……」
「嘘つけええええええええええ!!!!!」
俺はたまらず絶叫していた。何だその、事実改ざんも甚だしい怪文書は!? それは日記とは言わねえ、妄想と呼ぶ!!
あ、あのクソアマ、何を熱心に書いているのかと思えば、こんな悪質な夢小説だったんかい。俺がいつお前の身体にまたがった、寝ているうちに俺にまたがってきたのはお前の方だろうが。そもそも「子猫ちゃん」なんて誰がいうか!
当然俺の抗議が放送室まで届くはずもなく、「日記の読み上げ」という名の拷問は続いていく。
「"「に、にいちゃん、そんなダメだよ、まだ朝なんだよ?」「わかってる、でも我慢できないんだ。こんな熱った身体のままじゃ、とても学校にいけないよ」"」
……アホ妹の中で俺のイメージは果たしてどうなっているのか。どこぞの新條◯ゆ作品の主人公にでも見えてんのか? あと日記(妄想)の中で自分を慎み深い性格に書くのやめろ、図々しすぎて腹が立つ!
「"にいちゃんはオモムロにあたしの布団を剥がすと、そのままパジャマのボタンを外し始め"……ええい、やってられるか!」
なおも俺の名誉をズタズタに引き裂く文章が続いているのだろうが、スピーカー向こうの男は唐突に読み上げるのを中断した。さすがに馬鹿馬鹿しくなってきたのだろう、できればもっとはやくその境地に達して欲しかったが。
「と、とにかく今のでこのスマホが、お前の妹のものだとわかっただろう。お前の行状が事細かに記されているんだからな、心当たりがないとは言わせんぞ!」
「微塵もねえよ」
だが同時に、アホ妹のスマホが奴の手元にあることも間違いなさそうだ。あんなふざけた日記(妄想)を書く人間が他にいるとも思えん。
「う、嘘だろ、妹相手に朝からそんな破廉恥なことを……」
「さすが魔王さまだぜ、俺たちにできないことを平然とやってのける!」
「そこにしびれ……もしないし憧れないなあ、いくら何でも」
ほら見ろ、扇動されやすい群衆どもの中で俺のイメージがますます奇形化されていく。どいつもこいつも素直すぎだろ、国営放送の報道をそのまま鵜呑みにするタイプだなお前ら。
奥杜の席からは怒りの波動を含んだ魔力が伝わってきて、肌がヒリヒリする。とてもそちらを見て表情を確認する気にはなれなかった(怖いもん!)。200%濡れ衣なわけだが、後でまた言い訳に四苦八苦せねばならないのだろう。クソ!
「妹のスマホを取り戻したければ、俺を倒して奪い返すしかない。覚悟を決めるんだな」
スピーカー越しの声は最後通牒のように宣告し、それからぼそりとこう呟いた。
「それにしても、いくら昔恋仲だったとはいえ血の繋がった妹とここまでふしだらな真似をするとは。堕ちたな、かつての英雄……いや、ねーわあ」
直後、「ボフッ」というノイズと共にマイクが切れた。スピーカーは沈黙する。
俺は独り言をたまたまマイクが拾ったかのような指抜きグローブ野郎の最後の呟きに、もっと注意を向けるべきだったのだろう。俺を「かつての英雄」と呼び、俺と光琉が昔恋仲だったと言った。これは間違いなく前世でのことを指しているに違いない。であるからには、やはり奴もフェイデアの関係者、サリスやメルティアと何かしらの因縁を持つ者だろうか云々。
しかしこの時、俺はそのような思考には至らなかった。奴の正体への関心も、俺の中から綺麗さっぱり吹き飛んでいた。理由は簡単、激怒していたからである。
あ、あの野郎、唐突な校内放送で人の名誉を回復不能にしてくれた挙句、勝手な感想までほざきやがって! 「ねーわあ」じゃねえんだよ、実際何もやってねえんだよこっちは。情報垂れ流すならせめて裏くらい取りやがれ、迂闊な中傷は人の一生を左右しかねんぞ!!
俺の中で唐突に戦意が高まっていた。いささか逆恨みのきらいがなくもないが……いや、そもそも光琉のスマホを掠め取った時点で、先方の敵意は明らかなのだ。こちらが闘志を湧き上がらせても何も問題はないな、うん。
結果的に指抜きグローブの校内放送は、俺を誘き出すことに見事成功したわけだった。「妹のスマホを取り戻さねば」という使命感は、イマイチ希薄だったが。
「先生! 気分が悪くなったので授業を抜け……いや、保健室に行ってきます」
俺は必要以上の大声で英語教師に告げた。我ながら白々しすぎる嘘だと思ったが、すっかり蒼ざめた英語教師は「あ、ああ、そうか……うん、気をつけてな。グッドラック!」などと震え声で言って気前よく送り出してくれた。悪名も時に使いようらしい。
「天代さん、やっちゃってくださいよ。俺もここであなたの勝利を全力で祈って……いや、勝利を讃える詩を作って待ってますぜ、へっへっへ」
石田がろくでもない追従をほざきやがったが、一々反応するのも馬鹿馬鹿しいので無視した(いちの下僕、戦いについてくる気はまるでねえのな)。
「天代くん、待ちなさい!」
奥杜の静止が飛んだきたが、構わず席を離れる。クラスメイトたちに注視されながら乱暴に引き戸を開き、教室を出るとすぐさま廊下を駆け出した。その間も俺の"魔覚"は、放送室を出て移動を開始した相手の魔力を捉え続けている。
……なお、石田はこの後本当に俺を賛美する詩を書きやがり(「血塗れの腕で栄光を掴み〜」とか何とか、ひと昔前のビジュアル系が好みそうな物騒な語句がふんだんに出てくるやつだった)、それをクラス中に披露したことで俺の悪名は更に高まることになるのだが……それはまた別の話である。




