断章-月下血風小夜曲(前)
異世界フェイデアにあって、月は3つの色を有していた。
蒼月、赤月、碧月はそれぞれ一定期間、単独で夜空を淡く照らし、満ちて欠けるとその役目を他の色に明けわたす。蒼の次は赤、赤の次は碧、碧の次はふたたび蒼……という風に循環してうつり変わり、その周期と法則は短い生しか持たない地上の人間たちには、永劫のものであるかのように思われた。
これは、フェイデアの月を司る女神三姉妹が、それぞれ我がつよく譲ることを知らないため、交互に人間たちに姿を誇示することでたがいの美しさを競っている故である、とは民間伝承の伝えるところである。いずこを見ても、女神というのは難のある性格をしているものらしい。
その夜は、碧月が夜空に君臨していた。淡い緑光が降りそそぐ”聖山ハガル”の奥地は、本来であれば静謐につつまれていて良いはずの刻限であった。しかしこの時、常ならぬ轟音と金属音が大気をふるわせ、一帯は喧騒に蹂躙されていた。
騒擾の中心部に、サリスとカーシャがいた。森林が切りひらかれ、ぽっかりと空間がひらけた聖山の一角だった。三方からは樹木がせまっていたが、残る一方にはむき出しの岩棚が広がり、その中ほどに天井の高い洞窟が穿たれていた。
サリスたちは魔王討伐へ向かう旅の途上、故あってこの聖山をおとずれた。そこで敵の襲撃を受けたのである。勇者と魔導士は洞窟を背にしながら、わずか2人で突如湧いて出た30体以上もの異形を迎え討っていた。彼らが相手取っているのは、錆色の外皮に巨躯を覆われた亜人――オークの群れだった。いずれも鎧を身にまとい、ごつく醜い手には金属の武器をにぎっていた。
「どうやらあちらは、まだまだ戦意旺盛みたいよ。あんたはまさか、もう息があがったなんてことはないでしょうね」
「ほざけ」
数の上では圧倒的に不利な状況のはずだったが、軽口を叩き合うだけの余裕が2人にはあった。30体以上とは、オークたちが襲来した時点での数である。すでに戦闘勃発から多少の刻がながれ、オークの約半数は勇者と魔導士の手によって屍と化していた。
そして局面は、終焉へとなだれ込んでいく。
「”風弾”!」
カーシャが右手だけを使って印を結ぶと、彼女の周囲で大気が圧縮されていくつかの塊となり、密集したオークたち目がけて発射された。
亜人たちのほとんどは四散して風塊から逃れたが、うち2体ほどは間に合わず直撃を受けた。見えざる槌でなぐられたかのように錆色の肉が陥没し、紫の血をふき出しながら昏倒する。
だがその他のオークたちも、決して幸運とは言えなかった。風魔法の直撃を回避した彼らを、さらなる兇風と化した斬撃が見舞った。
まだ態勢もととのわないオークの1体に肉薄するや、サリスは間髪入れずに剣を薙いだ。峻烈な剣筋は鋭利な閃きと化し、錆色の肉体を割いて内部に充満した血を噴出させる。
致命傷を負わせた亜人がたおれる頃には、サリスは次の獲物に斬りかかっていた。斬撃と跳躍をくり返し、オークたちに混乱から立ち直る機会すらもあたえない。闇夜に剣閃が浮かびあがる度にオークの血が宙に咲き、さながら紫の濃霧が立ち込めるかのようだった。
この時、”聖剣”は一時的にサリスの手元をはなれている。彼がオークを相手に振るうのは、傭兵時代から用いている愛剣だった。聖剣にはおよばないとしても、魔銀を名のある匠が鍛えあげた業物である。通常普及している鉄製の剣よりも軽量でありながら、その強度・切れ味においてははるかに優れていた。
「ぐヴぁああああ」
亜人たちも、いつまでも無抵抗ではなかった。混乱から立ち直り、耳ざわりな咆哮をあげながらサリスに対して武器をかまえる者もいくばくかは出てくる。しかしその頃には、彼らの同朋は大半が、草に覆われた地面に伏していた。
抵抗をものともせず、なおも縦横に剣をはしらせるサリスに、一体のオークが脇から踊りかかり手ににぎる長大なこん棒を振りかざした。サリスに動揺はなかった。身体をひねって襲撃者の方を向くと、丸太のようなごつい腕を、振りおろされる前にこん棒ごと斬り落とす。そのまま余勢を駆り、巨体をつつむ鎧の隙間を縫うようにして、オークの脇腹に剣を突き入れた。
亜人は体内に”核”を有することからも魔族の一種と目されているが、純粋な魔人にくらべて血も薄く、魔力も決して高くない。魔の眷属中にあっては下級種族と見なされ、上位魔人たちに走狗として使われる立場であるようだった。ことにオークは知性も低く、魔法を使用できるものもほとんどいないと言われている。核を攻撃せずとも、人間と同じ急所に損傷をあたえれば、絶命させるに十分だった。
内臓まで達しただろう剣を引き抜くと、片腕のオークはうつ伏せにたおれ込み、もの言わぬ躯と化した。敵をあらかた片づけたと見たサリスは足を止めると、愛剣をひと振りし、付着したおぞましい紫の血を飛ばした。魔銀の剣身に月の碧光が降り、硬質なかがやきを放つ。
背後で物騒な気配が隆起したのは、その時だった。サリスに斬り伏せられたオークの内で、まだ生命活動を止めていないものがあったのだ。余力を振りしぼって立ち上がると、亜人は紫の血を滴らせたまま、死を間近にひかえているとも思えないすばやさで勇者の背中めがけて殺到してくる。
「”風刃”!!」
視界の隅でカーシャが人さし指と中指を立てて合わせ、空を切る動作をした。彼女の指先で真空の刃が生じ、甲高い音を響かせて瀕死のオークへと飛来する。オークは錆色の全身を不可視の剣に斬りきざまれると、紫の血に塗れながらふたたび崩れ落ち、二度と立ち上がることはなかった。
「危ないところだったわね、勇者サマ?」
カーシャは揶揄するように、サリスにあたえられた称号を強調してみせる。
「油断しすぎなんじゃない? 昔のあんただったら敵にトドメをさし損ねるなんて失態、間違ってもおかさなかったわよ。勇者だ何だとおだてられる内に、ずいぶんと腕が鈍ってしまったみたいねえ」
「奴が立ち上がる気配には気づいていたし、俺ひとりで十分対処できた。余計な手出しはやめてもらおうか」
「あら、かわいげのない処だけは昔どおりね。負け惜しみなんて見苦しいわよ。男ならいさぎよく」
彼女の言葉はそこで途切れた。一瞬で自分との距離を詰めた俺――サリスに、ふいをつかれた形だ。長いまつ毛に縁どられた眼を、わずかに見はった。
サリスは予備動作もなく、彼女のいる方向へ剣をくり出した。強烈な刺突はカーシャの頬の横をかすめ、背後の闇をつらぬいた。
カーシャが飛びすさりながら振り向く。彼女を襲おうとしていたオークが、喉を突き刺されていた。乱戦をしり目に夜の帳に身をかくし、獲物に隙が生じるのを待っていたのだろう。オークにも、姑息で狡猾な者はいる。人間ほど高い割合ではないが。
「お前こそ、戦闘中に気を抜きすぎた」
亜人の喉から剣を引き抜きながら、サリスはカーシャに言葉を投げる。
「……ほんとうに、可愛げのない男ね」
カーシャは頬をふくらませたが、それ以上魔女に構ってはいられなかった。喉を貫通されたオークがたおれるのを確認すると、サリスは目を閉じ、おのれの感覚を周囲一帯にひろげた。
どうやら今度こそ、あたりから魔の気配は消滅しただろうか。自分たちへの敵意も感じ取れない。ひと先ず戦闘は終結したと、判断してよいか?……いや。
微弱ながら、蠢く気配を感知する。眼をひらいてその方向を視ると、草地を腹這うオークの姿が確認できた。身体に斬撃を受け、立つこともままならないらしい。おびただしい血を流し、草の上に紫色の跡を残しながら、戦場から逃れようともがいている。
すでに戦闘能力は失せ、生命の灯が尽きるのもおそらく時間の問題だろう。それでも生を渇望し這いつづける姿は、視る者によっては哀れさえかき立てられたかもしれない。
そんな惨めともいえるオークにサリスはあるいて近づくと……ためらいもなく、その背中を踏みつけた。潰れたようなうめき声が、亜人の口から漏れる。
「目障りなんだよ! 生き汚い化け物めが」
酷薄な宣告を投げつけると、地をかすめるようにして剣をはらい、オークの首を切断する。頭部をうしなった巨躯は、微動だにしなくなった。
「えげつないわね。もう少し、憐憫の情とかあってもいいんじゃない?」
カーシャの声には、批難とまではいかないが、辟易の色がにじんでいた。
「まだそう遠くない場所に、こいつらの仲間がいるかもしれない。上位種の魔人が来ているということもあり得る。万が一にもそいつらの元へ逃げ帰られて、この場所のことを報告されたら厄介だ。瀕死とはいえ、トドメをさすのは当然だろう」
「正論ね。でも、本心を語っているとも思えない。あなたは魔族が憎いのよ、たとえ半魔の亜人と言えどもね。計算からではなく怨嗟故に、あのオークを殺さなければ気がすまなかった。そうではなくて?」
サリスは応えなかった。カーシャの指摘が、そう的はずれでもなかったからである。
サリスはたしかに、魔族を憎んでいた。それは並大抵の憎悪ではなかった。身を焼き尽くさんばかりの瞋恚が、彼を駆り立てるすべてであったと言ってもいい。傭兵として魔族との戦いに参加しつづけたのも、勇者への就任を受諾したのも、人間を守ろうという使命感からではなく、一体でも多くの魔物をこの手で屠りたいという狂気にも似た衝動ゆえだった。
何故そうまで、魔族に負の感情を向けていたのか? 例によって肝心な点になると前世の記憶はぼやけ、どうしても思い出せない。だが傭兵時代からの長い付き合いであるカーシャが、サリスのそういった一面を熟知していたのは、ある意味当然のことだろう。あらたまって告げたりしなくとも、相棒の戦いぶりを見ていれば察するものはあったはずだ。
「俺の動機がどうだろうと、行動の結果に変わりはない。魔物どもの数を減らせば、その分だけ人間は平穏と存続に近づくことになる。それこそ勇者にもとめられる役割だ、何も問題はないし、お前が不平を述べる筋合いもないだろうが」
カーシャの方を振り向きもせずやや頑なに言い張るサリスの耳に、わざとらしいため息が聞こえてきた。
「あんたのそういうとこ、ほんと変わらないわねえ。聖女サマと会ってから、すこしは丸くなったと思ってたのに」
「……なんでそこで、メルティアが出てくる」
今度はサリスは振り向いた。声を抑制すべく多少の努力をはらったが、無駄だったかもしれない。
「今更とぼけなくてもいいでしょ。あんたがあのお嬢ちゃんに特別な感情を向けていることくらい、皆わかってるわよ?」
ここでいう”皆”とは、旅を共にする同行者たちのことだろう。そしてカーシャはサリスより一歳年長で、この年21歳だった。16歳になったばかりのメルティアを、”お嬢ちゃん”と呼びたくなるのも無理はない。
「別にそんなんじゃない、俺はただ」
「気付いてる? お嬢ちゃんに着いてこの山に来るって啖呵をきった時だって、あんたすごい形相だったわよ。魔物退治以外であんな必死になるあんたの姿、はじめてみたな。先輩勇者の要請までことわって、また”機関”内での立場が悪くなるわね」
カーシャは声を立てて笑う。その笑いは、どこか作り物めいて聞こえた。
「……それだけ大切なんでしょ、あの聖女サマが」
笑いをおさめると、後方の岩棚に穿たれた洞窟へと眼を向けた。穴は深く夜の闇も降りていたが、それでも奥からぼうっと白い光が射すのがみえる。
聖山ハガルの中心部、”白き洞”。この中に今、光の聖女メルティアは聖剣と共にこもっている。聖剣を再錬成――”深化”させ、より強大な力をその剣身に宿すために。




