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ノーライフ・ライフ  作者: 黒留ハガネ
四章 コインの裏表
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一話 異世界に転生したんだけど何か質問ある?


 清場和仁は歴戦の戦士である。

 第三次世界大戦から凡そ四と半世紀が経過した地球の島国日本の特殊な警察部署に所属し、様々な危険な任務をこなしてきた。任務中に予想外の事態が発生する事も幾度となくあった。そのたびに咄嗟の機転を利かせ、冷静に分析し、仲間とカバーし合い、あるいは単なる幸運で生き残ってきた。


 和仁の最期の任務。それは札幌に訪日したアメリカ大統領の護衛だった。大統領を狙う銃の射線の前に飛び出した所で一度意識は途切れている。


 目を覚ました和仁は、青空を見た半秒後に状況を思い出し、跳ねるように飛び起き、ようとした。しかしバランスを崩し無様に転倒して地面に全身を打つ。

 息を詰まらせ咳き込みながら思考は目まぐるしく回転する。

 

 大統領を庇って射線に飛び込んだ所までは覚えている。気を失っていたらしい。失神中に死ななかったのは不幸中の幸い、すぐに戦線に復帰しなければ。


 地面に手をついて身を起こそうとするが、どうも距離感とバランス感覚がおかしい。強いて喩えるなら愛車から今までと車高が違う新車に乗り換えた初日のようだ。眼鏡の度を変えた直後でも良い。

 頭でも打ったのか、と後頭部に片手をやりながら、日本の命運を賭けた銃撃戦が行われている割には妙に静かな周囲を見回して様子を素早く確認をする。


「は?」


 和仁の動きが止まった。

 まるで身に覚えの無い場所にいた。ビルが無く、コンクリートで舗装された道路も無く、銃も無く車も無く大統領もいない。代わりにあるのは赤茶けた煉瓦を積み上げた古い洋風の家々と、剥き出しの土を踏み固めた道、家の前に置かれている大八車のようなものとその車体の下で寝ている猫。首を捻って肩越しに背後を見ると、道に沿って並んでいる家々とは違う、白い石を使ったどこかパルテノン神殿を彷彿とさせる荘厳かつ巨大な建築物が和仁を見下ろしている。


 札幌にこんな場所は無い。

 大統領を襲った者達に誘拐された、とは考え難い。テロリストと交渉しないのは社会常識である。人質としての価値はない。それに誘拐しておいて往来に放り出されているというのも妙な話だ。


 何かが起きた。しかし何が起きたのか分からない。

 空を見れば東の果てが白んできたところで、あたりはまだ薄暗く、肌寒い。記憶にある最後の時間帯は昼であったから、少なくとも日付は変わっている。

 和仁は状況を知るために仲間と連絡を取ろうと懐に手を入れ通信機のスイッチを入れようとして、感触の可笑しさにハッとして自分の服と手を見た。


 着慣れた警官の制服ではなく、穴を開けたズタ袋のようなもの被っていた。それを触る手も何十万回と刀を振ったタコや節くれや筋肉が消え、子供のような柔らかさと小ささになっている。


「おいおい幻覚か?」


 呟いた声すら声変わりをしていない幼児の声になっている。参ったなと髪をかき上げ、長さと髪質に違和感を抱いて数本引っこ抜く。黒髪のはずが、金髪だった。

 夜の冷気を吸った地面の冷たさも、土の匂いもさあっと吹き抜けた風の音も、全てがあまりにもリアルだった。夢でも幻覚でもない。

 一瞬の思考停止。それからバタバタと動かしにくい手足を動かし、神殿の正面階段下の陰に張り付くようにして身を隠す。


 気を失ったと思ったら子供になっていた。和仁は大昔の探偵漫画を思い出す。妙な薬を飲んだ覚えは無かったが、どう見ても子供に、それも人種が違う人間になっている。

 これほどの混乱と緊張は就職後の初任務以来である。その程度の混乱と緊張で済んでいるのは幸いだったとも言えるが。


 和仁は深呼吸をして心を落ち着けた。身の安全の確保。負傷確認。装備確認。位置確認。連絡。マニュアル化した行動規範に沿って確認を開始する。

 ひとまず身の安全の確保は済んでいる。体を触り、軽く動かした限りでは負傷は見当たらない。装備はボロ切れのような服のみ。位置不明。

 連絡は近くの民家、ないしは公的機関で電話を借りれば良いが、状況が不透明であり、迂闊に動かない方が良いと判断した。

 調べてどうにかなる状況を越えている予感がしたが、判断材料を集めるためにも情報収集をする事にする。


 階段の陰に身を潜めながら家々を観察していると、店らしき建物の看板に見慣れない文字が使われている事に気付いた。その店だけではなく、他の店や家の前の木箱に墨で書かれている文字も見慣れない。

 和仁は一時期世界各国の言語で書かれた本を読み漁っていた時期があり、大抵の言語は簡単な日常会話ができる程度には習得している。にもかかわらず使われている言語に見覚えが無い、というのは相当妙な事態だ。勿論世界のあらゆる言語を網羅したわけではないから、極一部の地域で使われているマイナーな言語、という可能性もあるのだが、既存の言語のどの文字とも似ていないというのはおかしい。一番おかしいのは体が変わっている事なのだが……


 考え込んでいると、頭の上の方で木が軋む音がした。神殿の正面出入り口の扉が開いたらしい。反射的に体を強張らせ、息を潜める。

 カツカツと数歩分の足音がして、それがぴたりと止まった。和仁がそっと顔を上げると、階段の中ほどで立ち止まった金髪の男と目が合った。


 ヨーロッパ系の顔立ちで、中々良い面構えをしている。年齢は三十前後。若いながらもどこか老人のような落ち着きを持った顔の中に和仁は戦闘者独特の雰囲気を見出した。それも単なる犯罪者ではなく、何か確固とした信念を持ち、それを貫くためには殺しも辞さない深く強い目だった。

 男は赤いローブを着て、掃除をするつもりだったのか箒を持ち、少し驚いた風に和仁を見ている。


 和仁は一瞬逃げるか迷い、対話を選んだ。何故かは分からないが体が幼児化し、バランス感覚も崩れている。逃げても追いかけられたら確実に捕まる。逃げて捕まり悪い印象を持たせるより、堂々としていた方が良い。


 和仁は腹をくくって立ち上がり、背筋を伸ばして男を見上げ、試しに日本語で尋ねた。 


「すみません、迷子に、なって、いるのですが、ここは、どこですか?」


 綿でぐるりと巻いたようにぼんやりとした違和感のある慣れない舌をできるだけ正確に動かし、ゆっくりはっきり喋る。

 男は眉を顰めた。


「××……××××? ××××××××××?」


 全く聞き覚えの無い言語で逆に何か尋ねてきた。何を言っているのかさっぱり分からない。

 和仁は男の視線が自分のボロボロの服に向いている事に気が付いた。恰好からして孤児と思われているかも知れない。実際の所、こんな姿で日本の警察だと思えというのが無理な話である。


 困ってどう答えるべきか悩んでいると、男は階段を下りて和仁の前にやってきた。しゃがみ込んで目の高さを和仁に合わせ、警戒を解かせるためかぎこちない笑顔を作りもう一度尋ねてくる。


「×、×××××××××?」


 やはり分からない。和仁からも尋ねてみた。


「あー、Where is here? Kie estas tiu loko? Dov'è questo posto? Wo ist dieser Ort? Πού είναι αυτό το μέρος; Где это место? Waar is deze plaats? Dimana tempat ini? ¿Dónde está este lugar? Où est cet endroit? 在哪里就在这里? أين هو هذا المكان؟ איפה המקום הזה? 여기는 어디입니까?」


 思いつく限りの言語を使ったが、どの言語でも反応はよくない。難しい顔をされるだけに終わる。


「駄目か……参ったな」


 お互いに言葉が分からない。文字も分からないので意志疎通のとり様が無い。あとはもう身振り手振りか。ボディランゲージは国によって違うが、同じ人間である以上、喜怒哀楽は万国共通である。

 表情だけでコミュニケーションを取るという難題に挑戦するか否か躊躇していると、考え込んでいた男が言った。


「×、××、×××××××××××××××」

「あー、と、すみません、分かりません。言葉が通じていないと思いますが、私は日本の……ああそうか」


 絵で説明しようとしゃがんで地面に世界地図を描こうとした途端、男に手を掴まれた。男の顔を見ると、手振りで着いてこい、と示している。

 全身の血の気がさあっと引いた。不審者として連行か不法滞在で強制送還か。どちらにせよ不名誉だが仕方ない、警察か役所なら多国語を操れる者もいるかも知れない、と前向きに考える。

 和仁は朝起きたら牛になっていたと思ったら即売りに出された狼の気分で男に引かれて神殿の中に入っていった。










 男に手を握られたまま、裸足でひんやりと冷たい石の床を歩く。和仁は好奇心を抑えきれず、観光客のようにきょろきょろと周囲を見回しながら男について神殿の中を進んだ。

 神殿は開放的な造りで、窓が大きく取られ、鉢植えが多く置かれている。壁と床の境に細い水路があり、水が緩やかに流れていた。出入り口のホールをまっすぐ突っ切って抜けるとすぐに中庭に面した廊下に出る。「回」の内側の四角の中が中庭で、内側の四角と外側の四角に囲まれた部分が部屋。内側の四角の線が廊下とイメージすれば大体合っているだろう。

 中庭は庭というよりも原生林で、木々が生い茂り鳥達が枝に留まって元気に鳴き交わしている。こんな形式の神殿を建てる宗教なんてあったか? と和仁は首を傾げるが、マイナーな宗教なのかも知れないと納得する。マイナーな宗教にしては規模が大きく立派な建物だが……


 違和感がじわじわ膨らんでいく。

 体がおかしい。言葉がおかしい。それ以外にも何かが決定的におかしい。しかしそれが何か分からない。


 例えば神殿の柱。そこには風の中に舞う少女、水底で眠る美女、岩の上に腰かけた小柄な老人、炎を纏った筋骨隆々とした男の誰かが彫られていた。神殿であるという事とモチーフから察するに四元素の精霊だと思われるが、これもおかしい。

 四元素の精霊は十六世紀の錬金術師パラケルススがアリストテレスの四元素説を下敷きにして、著書『ニンフ、シルフ、ピグミー、サラマンダー、ならびに霊的媾合についての書』(いわゆる『妖精の書』)の中で提唱したものだ。四元素の精霊は比較的歴史が浅く、神というよりも妖精に近い概念であり、神殿に祀られているという事には違和感がある。


 大きな違和感と小さな違和感が頭の中でぐるぐる渦巻き、一度落ち着いた脳がまた混乱してくる。

 混乱が酷くなる前に和仁の歩幅に合わせてゆっくり先導していた男が立ち止まった。廊下を歩いて中庭を半周し、反対側に着いていた。目の前には四精霊が彫られた木の扉がある。彫り物以外に取り立てて装飾は無く、扉の大きさも道中あった他の扉と変わりないが、一目見ただけでもよく磨かれ、丁寧に整備されているのが分かる。


 男が手の甲で扉を三度ノックした。


「×××××××××」

「×××××」


 男が何か言い、中からの落ち着きのある女性の声がそれに応えた。男は扉を開き、和仁の手を引いて中に入る。


 カーペットが敷かれた広い部屋には部屋の四隅に水槽、篝火、荒く削った岩、風見鶏が置かれていた。正面の窓際にどっしりとした木の机があり、そこに白いローブを着た老婆が座っている。

 和仁は驚いた。「老婆」に出会ったのは人生で初めてだったのだ。

 和仁が居た時代、地球は放射能に汚染され、人間の寿命が大幅に下がっていた。六十歳まで生きれば世界十指に入る長寿、という深刻なレベルだ。老婆というのはファンタジーかSFの中にしか登場しないというのが一般常識だった。


 驚きに固まる和仁から手を離し、男は老婆の横まで歩いていって何事か耳打ちする。しばらく相槌を打ちながら男の言葉を聞いていた老婆は、皺のよった顔を更にくしゃくしゃにして微笑み、和仁に手招きをした。

 美しくもなく可愛くもなく、頼れるわけでもない微笑だったが、そこには不思議な安心感があった。


 それでも最低限の警戒は残しながら招かれるままに歩み寄ると、老婆は和仁の頭を優しく撫でた。子供扱いに憮然とする。が、大人扱いされたらそれはそれで問題な気もしたので我慢した。


「××××××××××?」

「あ、すみません、わかりません」


 老婆も男と同じような言語で語りかけてきた。若干イントネーションが違うので、同系統の別言語だろうと予測する。

 この老婆はマルチリンガルか、と一縷の望みをかけて再度思いつく限りの言語で質問しようとすると、機先を制して老婆が言った。


「×××……吹キヌケヨ清純ナル風」


 それは『言った』というよりも『唱えた』だった。老婆が発音にクセのあるカタコト日本語を喋った途端、老婆から風が吹いた。


「ん? ……え?」


 和仁は突然の風に目を瞬かせ、窓を見て、老婆と男を見て、もう一度窓を見た。

 窓は閉じている。老婆と男の口も閉じている。誰も動いていないし何も動いていない。にもかかわらず老婆の指先から団扇を軽く煽ぐ程度の風が出て和仁の髪を揺らしている。

 風は十数秒で消えたが、老婆の指先から風が出たという信じがたい事実は消えはしなかった。


 突然日本語を喋った事がまず分からない。日本語と風の因果関係も分からない。確かに風よ吹け、というニュアンスの事を喋ったが、それだけで風が吹くなら日本人は全員魔法使いだ。

 混乱して頭を抱えた和仁は、ふと老婆が自分の喉を指して喋る仕草をしている事に気付いた。繰り返せ、という事だろう。


 和仁は宗教も魔法も信じない。あらゆる事は科学で説明できると信じている人間だ。

 先ほどの風もタネが見抜けないだけで高度に完成されたトリックか何かだと思っていたし、まさか同じ言葉を唱えれば風が吹くとは思っていなかった。


「吹き抜けよ清純なる風?」


 故に和仁は疑問形で呪文を唱えた瞬間自分の指先から噴き出した風に心臓が止まったかと思うほど驚いた。風は老婆のものより強く、机の上に積まれていた書類を巻き上げまき散らす。

 老婆と男は目を丸くして驚いていたが、和仁の方が三倍は驚いていた。


 魔法だった。

 詠唱して、魔法が出た。

 トリックでもなく。最先端技術の結晶でもなく。

 純然たる、魔法だった。


 脳にじわじわと事実が染み込み、違和感の正体を悟る。

 この日、和仁は自分が異世界に来てしまった事を知った。


【契約内容】


一、清場和仁(甲)はロバート(乙)との契約に関する記憶を全て失う



※契約内容は一話につき一つ公開していく予定


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