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ノーライフ・ライフ  作者: 黒留ハガネ
四章 コインの裏表
116/125

十八話 A LOVEる-荒ぶる-

 今までで一番短いプロットから一番長い話ができた。わけがわからない。内容も割とわけがわからない。

 途中でちょっとグロ描写があります

 噂をすれば影がさすという言葉があるが、エルフがこのタイミングでここに来たのは果たして偶然か必然か。

 魔王と精霊の戦いに中立であるはずのエルフが、魔王に対する切り札に成り得るエクスカリバーを届けに来た。これは中立を崩し精霊側に味方をするという姿勢の変化なのだろうか。そもそも、未だアンデッドがうろついているであろう、崩落した魔王城からどうやって持ち出したのか? 姫と名乗っているが、それは本当か? レインの失踪に何か関係しているのか?

 無駄に考えを巡らせて混乱するゼルクラッドや思考停止しているアリアーニャと比べ、サフカナの行動は単純だった。

 つまり、本人に聞くのが一番早い。


「ふむ。何やら引っかかる言葉が多いが、エクスカリバーを渡してくれた事には感謝しよう。助かった。だがそれはそれとして貴様には問う事が山ほどある」

「だよね! 知ってた」

「貴様は敵か? 味方か?」

「え、別にどっちでもないけど」


 なに言ってるのこの人、とでも言いたげなきょとんとしたアンゼロッタの顔を見て、サフカナは少し考え、構えを解いた。ゼルクラッドも武器をしまう。冷静になって思い返せば、彼女が敵なら見つかる前にいくらでも不意打ちをする機会はあっただろう。もっと言えば味方だと答えたところで額面通りに信用できるわけでもないし、エクスカリバーを持ってきた時点で少なくとも魔王側の悪党という事はあり得ない。サフカナは渋い顔で質問を続けた。


「……まあいい。その腰の――――」

《エイワスです》

「エイワスは……なんだ? 『杖』と言っていたが、精霊の一種か?」

「あなたのセキュリティクリアランスにはその情報は開示されていません」

「セキュ……?」


 困惑したサフカナの目線を受けて、ゼルクラッドは頭の中から知識を引き出す。


「セキュリティクリアランスとは安全保障許可の事であり、一定の国家的機密情報に接触する個人について、国家安全保証上問題がないかどうかをチェックするものだ。これを個人として取得した者だけが国家的機密情報に係る業務に携わることができる。このシステムは運営者によって差異はあるが、大体においてセキュリティクリアランスには下から取扱注意、機密、最高機密、更に諜報関係について特別隔離情報があり、それぞれの機関特有のものとして特別アクセス管理手続情報という情報の性質に対応した手続がある。また、機密情報への接触が求められる業務に携わっていない者であっても、機密情報に接触する必要が発生した場合、接触のためにセキュリティクリアランスが求められる。該当のセキュリティクリアランスは通常その機密を有する国家の国籍を有していないと取得できない他、広範にわたる審査項目がある。具体的には国家への忠誠度合、外国からの影響、外国への傾斜、性的行動、財政的考慮、酒類消費、麻薬関与、感情的、精神的、人格的不具合、犯罪的行動、治安面での違背行為、情報技術システムの不適正利用などだ。具体的なセキュリティクリアランス取得手続きだが、一般的に、取得申請者はまず個人セキュリティ質問票に記入する。この質問票は二つの部分から成る。一つは職歴、学歴、かつて住んだ事のある場所を含む住所地、訪問国、両親及び親族の名前を記載する部分。もう一つは、精神的健全性に関する履歴、所属する組織、財政状況、負債、アルコール及び薬物使用状況、逮捕及び犯歴といった、より個人的な事柄を記載する部分だ。この質問票は、調査担当部局に送られ、これを元に申請者本人やその他関係者へのインタビューを含む様々な調査が行われる。この調査には、国家や申請者に関係する企業などが管理する情報との照会が含まれる。更に申請者が最高機密等に接触する事となる場合には、現在及びかつての隣人・かつての配偶者・学校教師等への面接も行う。一度セキュリティクリアランスを得ても、定期的なチェックが行われる。重要な点は、こうした調査において、虚偽の回答をすること自体が極めて問題とされることである。以前の麻薬関与についての経験について明らかにすることも求められ、また、性的行動についても、例えば同性愛についてだが、その事自体が問題とされる事は稀であり、むしろそれを周囲の重要な人、例えば妻及び職場の上司などに隠していることが問題とされる。これはこうした秘密があることによって脅迫等を受け、機密を漏洩するおそれが高いとされるからだ。以上のような事柄から、セキュリティクリアランス保有者はほとんど常に厳しい個人生活上のチェックも受けているといえる。もちろんエルフ社会に属していない俺やサフカナ、アリアーニャがエルフ社会のセキュリティクリアランスを持っているはずがない。今回彼女が、アンゼロッタ嬢が発言した内容と彼女の推測される立場を鑑み言い換えれば、『その質問に答えると私の国に危険が及ぶかもしれない』といったところだろうと考えるが、どうだろうか」


「解説ドーモ、清場=サン」

「セイバではなくゼルクラッ……ん、セイバ? せ…………!? どこでその名前を?」

「あなたのセキュリティクリアランスにはその情報は開示されていません」

「またそれか」

「セイバ?」

「俺の前世の名前だ。この世界では一度も口にした事はないはずなんだが」

「む……話がややこしくなってきたな。ゼルクラッドの前世はエルフだったのか? エルフは別世界に住んでいる、とか」


 首を傾げるサフカナの言葉を聞いて、それまで朗らかな笑顔を見せていたアンゼロッタがふき出した。


「ふはっ」

《ちょっ、マスター押さえて! 気持ちは分かりますけど!》

「ごめっ、ひひっ、ツボったっ、にゅははっ」


 突然笑い出したアンゼロッタを見て、サフカナの顔が険悪になっていく。


「何がおかしい? ゼルクラッドとエルフには何か関係があるのか?」

「あっ、あなたのセキュリティクリアランスにはっ、ふひっ、その情報は開示されていません!」

「……舐めるのも大概にしろよ、小娘」


 サフカナは額に青筋を浮かべ、エクスカリバーの切っ先をアンゼロッタに向けて犬歯をむき出した。部屋の温度が一気に下がったように寒気を覚え、ゼルクラッドの全身の毛が逆立った。話についていけていないアリアーニャはわけもわからず顔を青ざめさせている。


「私は今ここで貴様の四肢を切り落とし拷問にかけて情報を搾り取っても良いんだ。帝国がエルフと事を構えるのを恐れ貴様を丁重に扱うとでも思っているのか? 帝国はかつて古代魔法を操るビルテファ王国を攻め滅ぼした事がある。エルフもそうしてやろうか」

「……ごめん、もうだめ、これ以上聞いてたらお腹ねじきれちゃうよ。エイワスあとよろしく」

《いや、まあいいですけどね……》


 サフカナの威嚇を気にも留めず、アンゼロッタは手近な椅子に座り口を押さえてぷるぷるし始めた。

 あ、これはキレるな、と直観したゼルクラッドは、慌ててサフカナとアンゼロッタの間に割り込んだ。


「どけ、ゼルクラッド。殺しはしない。教育してやるだけだ。まずはその胸の贅沢な脂肪をえぐり取ってやる」

「サフカナ落ち着け。俺に任せてくれ」

「なんだと?」


 サフカナは臆病者なら見ただけで心臓発作を起こしそうな凶悪な顔でしばらくゼルクラッドを睨んだが、やがてふいっと顔をそむけた。「前々からエルフは気に入らなかったんだ」とか「日和見主義の魔法頼みの軟弱者め」とかぶつぶつ言いながら後ろに下がる。

 ゼルクラッドはまだ引きつけを起こしたように笑いの発作に襲われているアンゼロッタに向き直り、少し躊躇って目線を下げ、腰の銃に向けて丁寧に話しかけた。


「彼女が申し訳ない。エルフと事を構える気は無いのです。ただそちらにも礼を失する部分が多かった事は事実。彼女の態度も無理なからぬ事と理解して頂けると思いますが」

《そうですね。それについては私から謝罪しましょう。マスターは、その、比較的奔放な方で。私も常々言っているのですが》


 エイワスの声は独特の反響したような声質だったが、理知的で、温和な雰囲気が感じられた。アンゼロッタよりも精神的に成熟しているかも知れない。銃が喋っているという事に関しては特に違和感はなかった。前世の経験で無線機や音声案内を知っているゼルクラッドにとっては衝撃を受けるほどの事でもない。


「では双方に非があったという事で手打ちにしましょうか」

《そうですね。それが良いでしょう》

「ありがとうございます。ところで今日はエクスカリバーをお届けに来られたという事ですが、それはアンゼロッタさん個人の善意によるものなのでしょうか? それともエルフ全体の使者として来られたのでしょうか? エクスカリバーは帝国に、ひいては人類にとって非常に大切なもの。それを届けて下さったからには礼をしなければ名折れとなります。後日改めて――――」

「ん? ……ああ、まあ、そうだな。礼の品を見繕おう」

「と、皇帝も仰っておられます。礼の品はどちらに贈れば?」

《あなたのセキュリティクリアランスにはその情報は開示されていません》

「…………」


 後ろでまた殺気が膨れ上がり、ゼルクラッドは冷や汗が出た。喋れないものは仕方ないと割り切るゼルクラッドとは違い、サフカナの心証は悪い。サフカナはナルガザン人としては寛容な性格をしているが、やはり筋肉主義で、精霊魔法や古代魔法、ひいてはエルフに最初から良い印象を持っていない。ゼルクラッドはちらりと小銭入れに混ぜて持ってきたシアン硬貨(エルフの貨幣)で買収して聞き出せないか、と思ったが、いくらなんでもそこまで俗物でもないだろう、とやめておいた。聞き出すメリットよりも逆効果になるリスクの方が重い。

 エイワスは張りつめた空気を読んだようで、言葉を捕捉した。


《何を尋ねられても有益な答えは返せませんよ。私もマスターもからかうつもりでこういう答えを返しているわけでは無いんです。おっと、取り押さえて吐かせるなどという無謀な望みは持たないように。マスターは理論上あなた方の攻撃は全て無効化できるので。それに私もマスターも冥途の土産に教えてやろうなんて言って余裕ぶってネタばらしした挙句トドメを刺し損ねたり、ペラペラ自慢げに自分の情報を虚偽すら混ぜずに喋ってアドバンテージ減らしたりするほど馬鹿ではないですからね。とにかく戦闘に持ち込むのはオススメしません。マスター、そろそろ大丈夫ですか?》

「うん、波は去ったかな」


 アンゼロッタはそう言って目元の涙を拭った。文字通り話にならない状況に一周回ってウンザリしたサフカナが投げやりに言う。


「もういい、この状況について言える事だけ言え」

「それならいいよー。あっ、スリーサイズは言えないよ!」

「殺されたいのか貴様は」

「おお怖い怖い。えーと、さっきも言ったけど私の名前はアンゼロッタ、エルフの姫。こっちは『杖』のエイワス。まー私のパートナー? みたいなものかな。強いて言えばだけど。春に大学卒業して卒業旅行してるんだけど、私がナルガザン帝国に行くって言ったらお使い頼まれちゃって、面白そうだったしいいかなってオッケーしたのね。あなた達はエクスカリバーが戻って来てラッキーぐらいに思っとけばいいんじゃないかな、たぶん。しばらく帝都をぷらぷらする予定だったけど、さっきの話聞いてたら興味湧いて来たからストーキングしようかなーなんて思ってたり。そんなトコ」


 アンゼロッタは一気に言って口をつぐみ、また思い出し笑いの発作が出たのか口を手で押さえてニマニマしはじめた。

 エルフの説明は穴抜けだらけで突っ込みどころが多すぎた。どこから切りこめばいいのか分からない。しばらくあー、えー、と言葉を探していたサフカナは閃いた! という顔をして手を叩いた。


「なるほど、分かってきたぞ。エルフはマトモに相手にしない方が良い。肉体がある精霊だと思って相手にしないのが一番だろう。私達の邪魔をする気は無いのだろ?」

「うん、無いね」

「よし。貴様は放置だ、放置。ゼルクラッド、さっさと行こう。私は先に正門で待っている、準備をしたら来い。時間を無駄にした」


 すっぱり切り替え、サフカナは部屋の戸を蹴り開けて荒々しく出て行った。

 残されたゼルクラッドとアリアーニャは顔を見合わせ、アンゼロッタを見る。アンゼロッタは革張りの椅子の肘掛を弄りながら、


「時間を無駄にした、だって。酷い事言うよね。エクスカリバー持ってきてあげたのにさ」

《でもマスターが配達の仕事についたら即日解雇ですよ。不法侵入、お互いの立場を弁えない言動、その他諸々。大問題です》

「分かってるよ。私だってちゃんとした仕事とか使節で来たならこんなお茶目な事しないって」

《なら良いんですけど……いえ良くないです。信用や信頼というモノは常日頃の態度の積み重ねがですね、》

「アーアー聞こえなーい」


 などとマイペースにエイワスと話していた。見方によっては確かにどことなく精霊のものと似た超然とした態度に思える。

 話を聞いている限り、アンゼロッタは公的ではなくほとんど私的な立場でここにいるようだった。ゼルクラッドは敬語を使う必要はないと判断した。敬語を使うほど敬意が持てなかったというのもあるが、とにかく砕けた口調で最後の確認をした。


「最後に一つだけ聞かせてくれ。レインを誘拐したのはエルフか?」

「レイン? さあ……分からないけど、たぶん違う、と思う」

「え、分からないの? アンゼロッタさんはエルフのお姫様なんでしょ?」

「そうだけど、私は別にみんなのやる事全部チェックしてる訳じゃないし。そういうのは母様とか大御爺様の管轄かな」

「へえ。じゃあその母様がエルフの女王様なの? あ、それとも大御爺様の方?」

「あなたのセキュリ」

「それはもういいよ。ごめん無駄な事聞いた。ゼル、行こ。アンゼロッタさんも来るでしょ?」

「もちろん。来るなって言われても行くよ」

「それはどうなの……」


 軽口を叩きながらアンゼロッタは部屋を出る二人についていった。














 準備を整えて城の正門で落ち合った四人は、すぐに城下町へ入って行った。イレギュラーはあったものの、エクスカリバーの帰還と不確定要素アンゼロッタの参加という要素を秤にかければ計画を練り直すほどでもない。時間が無く、勝算はあるのだ。

 サフカナによれば、死霊教徒の残党がまた現れて人がそちらに行っているらしく、思ったよりも兵が集まらなかったらしい。兵の質と数を考慮した結果、少数による隠密作戦を実行する事になった。兵がかく乱要員として拠点に先行し、その隙にゼルクラッド達が密かに潜入してレインを探し、奪還する。レインが見つからなければ敵戦力に応じて脱出あるいはそのまま殲滅。

 敵拠点の見取り図は無く、作戦は良く言えば臨機応変、悪く言えば行き当たりばったりになる。潜入の途中で見つかり、戦闘に入る事も予想される、というよりもむしろメンバーからして隠れて進む事ができれば儲けもので、戦闘前提ともいえる。


 ゼルクラッドはこれが細部の煮詰まっていない粗の目立つ計画だという事は百も承知だったし、事前に二人にそう言ってあった。それでもついてきてくれるサフカナとアリアーニャに感謝と申し訳なさを感じる。アンゼロッタには……邪魔だけはしないで欲しかった。悪い人間(?)ではないようだったが、得体が知れない。かといって排除するのは言葉でも力づくでも難しそうに感じられたし、そんなやり取りをする時間も惜しい。今この瞬間にもレインは拷問にかけられているかも知れないし、ほんの少しの遅れがレインの命を奪うかも知れないのだ。


 時刻は昼過ぎで、道端に並ぶ露店の店主達は昼時の客をさばき終えて小休止に入っている。道行く人々はじろじろと四人に視線を送って来た。

 客観的に見れば、逞しい金髪碧眼の青年が気品のあるエルフの美少女と儚げな美少女、そして凛々しい美人である皇帝を引き連れているのだから何事かと思うのは当然だろう。嫉妬の視線も多かったが絡んでくるものはいなかった。この国に皇帝に喧嘩を売るものは早々いない。


「なんか私達目立ってない? あっ、私耳隠してないから? あっちゃー忘れてたぁ」

「アンゼロッタさん綺麗だから。きっとそれで見られてるんだと思う」

「あ、そっちか。まあね、私背はちっちゃいけどおっぱいはいっぱいだしね」

《マスター、はしたないです》


 アンゼロッタが胸を腕で寄せて強調し、口をぽかんと開けて自分を見ている男にばちこんとウインクすると、男は持っていた荷物を取り落した。それを見てアンゼロッタはけらけら笑っている。

 ゼルクラッドは頭の中で計画を反芻し、サフカナは無視を決め込んでいるので、自然に会話をするのはアリアーニャとアンゼロッタ(とエイワス)になる。


「アンゼロッタさんは旅行? って言ってたけど、帝国には何を観に? あ、答えられないなら無視してね」

「んー、エマッ……御先祖様の像があるって聞いたからそれとか、帝国城とか、あと武術大会も見てたよ。母様が最近よくあちこち旅行行ってるから、良かった場所聞いてそこに行ってる感じかな」

「え? エルフの像が帝国にあるの? 聞いたことない」

「『御先祖様の像』があるのは間違いないよ。昨日みてきたばっかりだしね」

「うーん……?」

《マスター、さっきからギリギリな台詞が多くてハラハラするのですが》

「そのギリギリ感がいいんじゃない」

《……後で怒られても知りませんから》

「ダイジョブダイジョブ。そだ、アーニャだっけ?」

「アリアーニャ。アーニャでもいいけど」

「じゃ、アーニャさ、帝国回った後教国行くから案内してよ。ジモティーでしょ?」

《ジモティーというのは地元民の事ですね。案内して頂けるなら謝礼の手配はしますよ》

「えっと、ごめんね、私精霊殿の外出た事なくて、あんまり知らないの。だから案内はちょっと」

「あー、箱入り娘ってやつ? 確かにアーニャって深窓の令嬢っぽいトコあるよね」


 アリアーニャの初めての実戦は、引率者の惨死だった。戦う事を決意したとはいえこれから待ち受けるものの恐ろしさはわかっている。トラウマからか顔色は悪い。アンゼロッタと話しているのは恐怖を紛らわせるためだった。

 一方アンゼロッタは一貫して散歩でもしているようなリラックスした様子だった。気負いも、危機感もまるでない。これから「何」を相手にするのか分かっているのか。もし分かっていてこの態度なら、相当の大物か愚か者だ。もっとも、小言が多いらしいエイワスがそんなアンゼロッタの無警戒さを諌めていないのだから、エルフにとってこの程度の危険は危険の内に入らないという事なのだろう。


 小一時間入り組んだ小道を進むと、狭い寂れた通りに出た。人気の無い廃屋の壁際に壊れて腐った木箱が転がり、中から枯れかけの雑草が物悲しげに覗いている。人影はおろか人の生活が出す音や臭いというものがなく、数本離れた通りから微かに聞こえる雑踏の音で辛うじてここが人の住む領域だという事を思い出せる。穴の空いた屋根の向こうに見える威風堂堂たるカストル城がいやに遠く感じられ、かえってこの場所の惨めで沈んだ空気をますます重くしていた。活気に満ちた帝都の中にあって、孤独と荒廃に蝕まれた温度の無い通りだった。


 先導するサフカナは前を向いたまま辛うじて全員に届くぐらいのひっそりとした声量で呟くように言った。


「さっき軒先に植木鉢が置いてある店を通り過ぎただろう? あの店の地下に本拠地がある。もうすぐ店の表で兵が騒ぎを起こすはずだ。その隙に裏口から入る。回り込むぞ」

「了解した。しかしこれなら兵と合わせて正面突破の方が良かったかも知れないな」

「え? どうして?」

「アーニャは鈍ちん可愛いなー。見てこの人っ子一人いない静か~な通り。どこ歩いてどうやって店に入ってもものっ凄い目立つよ。攪乱マジ無意味」

「……報告書で人気の無い通りだとは知っていたが。これほどとは思っていなかった」


 気まずげな雰囲気で大回りに迂回して店の裏口に回り込むと、ちょうど表の方から何かが派手に壊れる音と複数の悲鳴、怒号が上がった。


「足だけは引っ張るなよ」

「あ、じゃあ私透明になってるね。それなら見つからないでしょ」

「!?」


 サフカナの敵意が篭った言葉をさらりと受け流し、アンゼロッタは腰の銃を弄ったかと思うと一瞬で消え去った。透明になったらしい。目を丸くしたアリアーニャが恐る恐る虚空に手を伸ばし、もにょんと柔らかいものに触れてさっと引っ込めた。


「凄い、ほんとに透明になってる。アンゼロッタさんってなんでもありだね」

「ほら、私魔法少女だから。これぐらい普通なのよ」

「アリア、行くぞ。俺の背中から離れるな」

「あ、うん」


 四人が警戒しながら傾いたドアを開けて店の中に入ると、そこは酒場のカウンターの裏だった。埃の積もった棚に酒瓶が並べられている。カウンター越しに数体のスケルトンと兵士が乱闘を起こしているのが見えた。

 一見して、他の部屋に続く扉は無さそうだった。サフカナとゼルクラッドは目配せをして、床を軽く叩いたり隅の木箱を動かしたりし始める。アリアーニャもすぐに察し、秘密の入口を探した。

 一分後、案の定床に巧妙に隠された隠し扉を見つけた。普通に開けるとトラップが発動するかも知れないので、ゼルクラッドが古代魔法で扉とその周りを抉り取るように転移させて開けた。すると地下へ続く薄暗い階段があった。


 アリアーニャが荷物からランタンを出して用意している間に、ゼルクラッドは表の様子を伺った。どうやら周囲の店に潜んでいたアンデッド達が増援に来たらしく、兵はまだ店の入口に釘付けにされている。衰えたとはいえ死霊教の本拠地。流石に一筋縄ではいかない。


 サフカナは見張りのために地下への入口に残った。ランタンを持ったアリアーニャを後ろにして、一番対応力が高いゼルクラッドが先頭に立って階段を下りていく。アンゼロッタはアリアーニャの背後から足音だけが聞こえていた。

 ひんやりと湿った地下の空気が肌を粟立たせる。吐き気がこみ上げる血と腐った肉の臭いが体にねっとりとまとわりつくようだった。まるで空間そのものが精神を犯す毒を含んでいるかのように、言い知れない拒否感がこみ上げる。木でできた階段はどれだけ慎重に踏んでもギシ、ギシと重く軋んだ。


 階段は短く、すぐに一番下についた。そこには鉄製の重厚な扉があった。閂がしてあり、錠が降りている。カンテラの淡い灯りで扉を調べたゼルクラッドは、扉に古代語(日本語)で何か文句が刻んである事に気付いた。




『ふんぐるい むぐるうなふ ろばぁと えるふぃりあ うがふなぐる ふたぐん(※)』




「っ!」


 すぐ近くで笑いをかみ殺したような音がして、ゼルクラッドはいつの間にかアンゼロッタが隣に来ていた事に気づいた。この不可思議な文句について何か知っているらしい。駄目元で聞いてみる。


「この意味は?」

「あなたのセキュリティクリアランスにはその情報は開示されていません」

「だろうな。恐らくもう気付かれている。強行突破する。アリア、壁際に。カンテラを落とさないように」

「わ、分かった」


 妙に音が響く階段の一段目を降りた時点で気付かれていないかも知れないという淡い期待は捨てていた。ゼルクラッドは奇襲を警戒して古代魔法で自分にバリアを張った。同じく古代魔法で錠を切断して壊し、閂を外す。手で軽く押して内側から閉じられていない事を確認した後、全力で扉を蹴り破り、中に飛び込んだ。


 その部屋はこの世の狂気と悪意が物質として顕れたようなおぞましさに満ち満ちていた。

 一辺が十歩ほどの正方形の一室の壁には、びっしりと一目でそれと分かる邪悪な生贄の儀式を描いた絵が見るものの精神の根幹を腐らせる筆致でもって重々しく埋め尽くされ、鼻から侵入し喉に滑り込み肺を犯す耐え難い腐臭は、四方の隅の燭台に突き刺された微かに生前を伺わせるほどに原型を保ってしまっている肉塊から漂うものだというのは自明であった。床は元の材質が分からないほど深く染み込み沈着した幾人のものとも分からない哀れな犠牲者達の血で地獄の大地の様相を呈する。中央の祭壇に神聖なものであるかのように掲げ置かれた器具は正常な思考を持つものでは用途すら想像に堪えない奇妙で邪悪な造形をしており、べっとりと赤黒い血の跡が付着し、またその下で滴る血を受けた人間の頭部は激しい苦痛に悶える人間のものとは思えない表情をしたまま首から下を粗い断面によって切り離されていた。


「いやぁぁああああああああっ!」


 その狂気的に歪んだ顔に幼馴染の面影を見出してしまい、探し人を襲ったであろう筆舌に尽くしがたい唾棄すべき悪魔の宴とその結末を想像したアリアーニャは、あまりの事に喉を潰さんばかりに長々とした甲高い悲鳴に恐怖と絶望を乗せ、しめやかに失禁して膝から崩れ落ちた。放心して焦点の合わない視線を虚空に彷徨わせるアリアーニャの口からはぶつぶつと支離滅裂な言葉が漏れる。手から滑り落ちたカンテラは下に転がったが、灯りを絶やす事はなかった。


 一瞬にして心優しい少女を発狂に追い込んだ惨状にさしものゼルクラッドも吐き気を抑えられなかった。口元まで吐瀉物がこみ上げ、無理やり飲み下し、喉に焼け付くような痛みが走る。

 それでも心に鞭打って警戒を崩さなかったのは前世の経験と知識からだった。古来より、敵の死体を吊るし上げたり、凄惨な拷問を見せつける事で士気の低下・挑発を行う手管は数知れない。不幸にも前世の職業柄そんな悪虐に遭遇した経験があった事が今ここで幸いした。

 身構えたまま部屋に目を走らせ敵を探すゼルクラッドは、祭壇の裏から自分に向かって素早く伸びる魔力に気づいた。

 魔力を扱えるアンデッドは今動けない。つまり、祭壇の裏に人類を裏切った忌まわしい人間、死霊教の司祭がいる。


 ゼルクラッドは咄嗟に古代魔法で瞬間的な突風を発生させた。魔法で造られた風は魔力に干渉し、伸びてきた司祭の魔力をかき乱し霧散させる。コンマ数秒遅れて魔力が変じて具現化した赤い熱線は散り散りにあらぬ方向に飛び、四方八方に小さな焦げ目を作った。

 ゼルクラッドはバリアを張っているとはいえ、絶対的なものではない。持続時間を伸ばす代わりに強度を落としたバリアはせいぜいハンマーの強打程度までしか耐えられない。熱線の直撃を貰ったらどうなった事か。


 一瞬の死線を超えると、一拍置いて祭壇の裏から血まみれの黒いローブを着た男が姿を現した。紫髪黒目の人の良さそうな顔をした四十がらみの中年で、中肉中背。右手に銀色の大盾を持ち、狂気や邪気の欠片もない自然な苦笑を浮かべながら頭を掻いている。一瞬あまりの場違いさに敵である事を認識できなかった。

 しかし暗澹たる狂宴の部屋にあって心地の良い客間で友人と談笑するようなその自然さがかえって司祭の異常さを際立たせていた。


「ううむ、困ったな。あれで焼き殺せると思ったんだがなあ」

「…………」


 ゼルクラッドの頭脳が目まぐるしく回転する。死んでいるレイン。敵の厄介さ。自分の手札。銀の盾への疑問。この場で司祭を倒すメリットとリスク。

 警戒して構えたままじりじりと後ずさり距離をとるゼルクラッドを見て、司祭は首を傾げた。


「逃げるかい? 今ちょうどここの入口で皇帝がもう一人の司祭と戦ってるはずだから、そこに加勢して突破するのもまあ一つの手じゃないかな。逃げるなら追わないよ。おじさんも命のやりとりは怖いからね。後ろで気分を悪くしてるアリアーニャちゃんも早くこんな所から離してあげた方がいいよ」


 心配そうに気遣う素振りを見せる司祭だったが、まるで信用できなかった。背を見せた途端に笑いながら後ろから殺しにかかる姿がありありと思い浮かぶ。アリアーニャの名前を知っている事からも、事前に侵入を知って待ち構えていた事が分かる。

 耳を澄ませれば確かに地上から激しい戦闘音が聞こえてくる。階段から酒瓶や木箱も転がり落ちてきていた。正直に言っているとは思えなかったが、全て嘘でもないのだろうと推測する。

 魔法戦において、魔力が見えないという事は凄まじく不利である。いくらエクスカリバーを持ったサフカナでも、障害物の多い室内で死霊魔法を操る司祭と一対一、あるいはそれ以上では殺される可能性が高い。

 逃げられない、待つのも愚策、となれば戦うしかない。どこにいるかも何を考えているかも分からないアンゼロッタの加勢は期待できない。一対一だ。


 死霊魔法が何をどこまでできるのかゼルクラッドは把握していない。武器は持っていないが盾を持っているし、近接戦に自信があるのかも知れない、と踏んだ。まずは古代魔法を使い、魔王城を崩した時に使った不可視の衝撃波を威力を弱めて撃つ。弱体化したとはいえ、直撃すれば壁に叩きつけられる程度の強さはあった。

 が、司祭は微動だにしなかった。祭壇に掲げられていた器具と足元に転がっていたレインの頭は吹き飛んだが、司祭はローブをはためかせる事すらしない。


「いやあ、魔法戦は怖いね。今のが直撃したらおっさん危なかったよ」


 軽口を叩きながら司祭は魔力を背中に生える翼のように伸ばし、その先端から赤い熱線を乱射してきた。ゼルクラッドは避けようとして、背後にアンゼロッタがいる事を思い出して踏みとどまった。避ければ彼女に当たってしまう。

 今度の熱線は手数が多い代わりに威力が低かった。一発一発はバリアで防げる。が、何十発も耐えられるほど甘い攻撃でもない。ゼルクラッドはバリアをかけ直した。反撃に熱線の隙間を縫って鋼鉄の槍を創造して撃ちだしたが、それも銀の盾に当たったと思った瞬間に溶けるように消え去った。

 それを見て確信する。銀の盾には魔法を無効化する効果があるのだ。物質を透過する性質を持つ魔力を、盾を貫いて前に伸ばすのではなく、盾を迂回するように大きく広げて伸ばしている事からもその効果は推測できた。恐らく、魔力も消してしまうのだ。


 ゼルクラッドは自分の圧倒的不利を悟った。

 盾に守られていない背後から攻撃できれば良いのだが、そこまで近づいたり迂回したりするために動くと、確実に孤立したアリアーニャを狙われる。まさか抱えて戦うわけにもいかない。司祭を倒せてもアリアーニャは殺されるだろう。敵を倒すためにアリアーニャは犠牲にできなかった。本人が覚悟してついてきたとはいえ、見捨てるには情が移りすぎていた。アリアーニャのそばは離れられない――――つまり接近戦には持ち込めない。

 遠距離攻撃もダメだ。魔法を無効化され、大盾に体を隠している以上投げナイフ程度では効果がない。上手く隠れていない部分に当たっても、恐らくゼルクラッドと同じような防御に弾かれるだろう。

 考えている内にもどんどんバリアは削られていく。もう魔力は残り少ない。一か八か残りの魔力をバリアに注ぎ込んで脱出を図るか?

 ちらりと背後を確認したゼルクラッドは、階段から転がり落ちてきていた酒瓶を見て閃いた。


 魔法が効かず、近づいて物理戦にも持ち込めないなら――――


 ゼルクラッドは後ろに飛び下がり、酒瓶を掴んで栓を開けた。そして開きっぱなしの扉を閉じながら魔法をかけた酒瓶を投げ込んだ。


「ん!?」


 投げ込まれた酒瓶を咄嗟に熱線で撃ち落とそうとした司祭だが、すんでのところで思いとどまった。

 床に落ちて割れた酒瓶は、液体を撒き散らす事もなく、ただ硬質な音を響かせるだけだった。反射的に撃ち抜いていたら一発分の魔力を無駄にしただろうが、撃たなかったのだからそれも無い。司祭は拍子抜けして肩を竦めた。


 司祭は少し考えた。

 階段を駆け上がる音はしない。逃げたわけではないらしい。

 一度引いて扉の向こうで待ち構えているのか、と結論を出した司祭は、わざわざ扉に近づいて開けるような事はせず、扉ごと扉の奥の二人を蒸発させるために強力な熱線を――――

 ――――撃ったと同時に、古代魔法によって酒瓶の中の水分が分解されて発生し室内に広がっていた水素と酸素が熱線で着火され、閉ざされた密室で凄まじい爆音と共に大爆発が荒れ狂った。













「……死んだか」


 ゼルクラッドは爆発が収まってから放心状態のアリアーニャの手を引いて中に戻った。銀の盾でも物理的な爆発は無効化できなかったらしく、司祭の体は黒焦げになって四散していた。

 ゼルクラッドは最後の魔力を使ってアリアーニャといっしょに地中に浅く埋まるように転移していたため、扉を突き破った熱線のダメージは受けていない。

 完全勝利と言えるが、レインを救えなかったと思えば完全敗北だった。


 隅の方に転がっていた煤けた銀の盾を回収したゼルクラッドは、そのすぐそばに焼け焦げたレインの頭部を見つけた。

 息を呑み、歯を食いしばる。レインは死に、アリアーニャはまともな精神状態に戻れるかも分からない。前世で娘を亡くして以来の虚ろな喪失感だった。

 しばらく虚脱状態だったゼルクラッドは階段からの足音ではっと我に返る。まだサフカナが戦っている。加勢しなければならない。


 聞こえるのは階段を軋ませて降りてくる一人分の足音だけで、戦闘音は聞こえなくなっていた。階上の戦いには決着がついたらしい。サフカナが勝ったなら良いが、そうでなければ……

 相手が司祭だった場合に備えて、ゼルクラッドはアリアーニャを背中に隠し、銀の盾を構える。もう魔力は尽きた。もう一度司祭を相手にするなら銀の盾だけが頼りだ。


 緊迫の数秒の後、焼け焦げた扉をくぐって現れたのはサフカナだった。脇腹からだくだく血が流れているが、それも含めていつも通りの様子だった。負けるかも知れない、という心配は杞憂だったらしい。サフカナは盾から顔を出したゼルクラッドを見つけて微笑んだ。


「上のアンデッド共は始末した。ここの入口は兵に任せてきた。しかし酷い惨状だな。丸焼けで何が何やらわからんぞ」

「いや、分からない方が良かったかも知れない」

「そうか? レインは……いや、言わなくても良い。顔を見れば分かる。それがそうなのか」


 サフカナはいたましげにレインの残骸の前に立ち、帝国の祖霊信仰に則った祝詞を呟いた。

 それから鎮痛な沈黙が降りる。無理を押して作戦を決行し、成功を掴んだ結果がこれではあまりにも救われない。世の中を探せばこんな結末は往々にしてあるものだが、だからといって許容できるものでもなかった。


 立ち尽くす二人のそばに、ふっと虚空からアンゼロッタが現れた。難しい顔をして、焼けただれて半損したレインの頭部と思しきものを見ている。ずっと姿を消して近くにいたらしい。しかしアリアーニャは忘我に立ち尽くし、ゼルクラッドとサフカナは変人エルフに構う気力が無い。

 アンゼロッタは何か考えながら頭部を見て、ゼルクラッドが持つ銀の盾を見て何か言いかけたが、悲愴な表情を見て思いとどまった。


「エイワス、アムリタ出して」

《はい? ……ああ、そういう事ですか。了解》


 やがて、エルフと銃の会話が重い沈黙を破った。

 要領を得ない会話はいつも通りだったが、今回は銃に嵌った宝石が一本の試験管を吐き出した。アンゼロッタは試験管の栓を開け、中の水のような液体を焦げた頭部に振りかける。すると液体にかき消されるようにして頭部が消失した。


「は?」

「なに……?」

「あー、やっぱりね。こんな事だろうと思った」


 呆気にとられる二人の横で、アンゼロッタは何度も頷いていた。


《マスター、よく分かりましたね。しかしあの盾で確かめた方が早かったのでは?》

「いや、貸してもらって確かめといて勘違いでしたーなんて言ったら殴られそうだったから」

「待て、貴様ら一体なんの話をしている? 何をした?」

「あなたのセキュ」

「黙れ。死体をどこへやった? 死者の冒涜は許さんぞ。答えろ、さもなければ今度こそ殺す」

「あ~……えー、どう答えればいいのかな……とりあえずその脇腹止血したら?」

「話をそらすなッ!」

「ですよねー」


 怒り心頭でアンゼロッタに詰め寄るサフカナと反対に、ゼルクラッドは冷静だった。

 この現象に覚えがあったのだ。魔法で創った物質の消失である。


 古代魔法や精霊魔法で創造した氷や鉄などの物質は、一定の時間が経過すると消失する。古代魔法に近しい死霊魔法なら、同じように創造した物質が時間経過で消えるのではないだろうか? そしてアンゼロッタが振りかけた液体が魔法で創造した物質を消滅させるものだったとしたら……死体は魔法で創った偽物で、レインはまだどこかで生きているかも知れない。


 床に残った液体を指ですくい取る。触った感触に妙なところは何もなく。一見して水にしか見えない。しかし銀の大盾にも銀とは思えないような効果があったのだから、水に見えても性質は全く違うのだろう。

 指についた液体をまじまじと見ていると、のらりくらりと詰問をかわしていたアンゼロッタがそれに気付いた。


「あ、それ回収するから返してね。皇帝さん待って、これ終わったら話すから。いやほんとほんと……何を話すかは私次第だけど」


 最後を小声で付け加え、また試験管を出した。液体は再利用するつもりらしい。あるいはこの液体も機密なのか。

 レインの手がかりになるかも知れないこの液体を回収されるわけにはいかない。ゼルクラッドは少し迷って言った。


「これは買い取れないのか?」

「だめだめ、そもそも私達のお金持ってないでしょ? 帝国のギルじゃ売らないよ」

「エルフの通貨はこれだろう? これで足りるかは分からないが」


 ゼルクラッドは小銭入れから金貨を取り出した。エルフのシアン硬貨だ。アンゼロッタは興味なさそうにそれを見て、ゼルクラッドを見て、はっとして金貨を二度見した。


「えっ、ちょっ、これ炎貨じゃん。なんで持ってるの? なんで持ってるの? そりゃエルフィリアの外にも出回ってるのは知ってるけどさ、なんでよりによって今清場さんが持ってるの?」

「偶然手に入れる機会があったんだ。嵩張るものでもないから持ち歩いていた。それで、買えるのか?」

「……確かこの場合、取引受けなきゃダメなんだよね?」

《ですね。適正価格で取引しなければなりません。アムリタの相場は1g290シアンです》

「くぅ……! いや、まあいっか。まだ足りないはずだし、どうせ断れないし」

《…………》


 アンゼロッタは不承不承といった様子で地面とゼルクラッドの指の液体を試験管に吸い込ませ、栓をして金貨と交換した。銃の宝石が吐き出した財布を広げ、中から銀貨を四枚出して返す。


「はい、アムリタ20gと試験管入れて六千シアン。お釣り四千ね。大切にするといいよ」

《その必要は無いかも知れませんよ。現時点をもって契約条件が達成されました》


 また妙な事を言い出したエイワスを人間二人は胡乱な目で見たが、アンゼロッタは口をぽかんと開けて釣り銭を渡したポーズで固まった。


「はあ? え? うそでしょ? まだ一つ足りなくない?」

《先程の水素を精製した際に微量のチオチモリンができたでしょう。それだけなら問題ないのですが、爆発の際に空気中に飛散し、彼に付着したはずです。契約にはこのような無自覚的微量所持でもカウントするという文言があります》

「ええ? それちょっと無理やりじゃない?」

《契約の履行は誠実にとロバートのお達しがありましたからね。むしろこんな文言まで盛り込んだ清場和仁の周到さを賞賛するべきでしょう》

「うっわぁ……なんというかもう……うわぁ……」


 アンゼロッタは頭を抱えて呻いた。ゼルクラッドはもう今日何度目になるのか、話についていけずに困惑する。どうせ聞いてもまともな答えは返ってこないのだから、サフカナの言う通り無視してしまった方が良い気もしたが、それにしては気になる言葉が多すぎた。もしかして思わせぶりな事を言ってからかっているだけなのでは、と訝るゼルクラッドに、エイワスが言った。


《えー、では、ロバートが不在なので私から伝えますね。条件の達成を確認しましたので、契約に基づき、あなたをエルフィリアへ招待させていただきます。招待を受けますか?》

「契約?」

《はい。清場和仁が結んだ契約です。ああ、思い出そうとしても無駄です。そもそもあなたは知りませんから》

「はあ……?」

《エルフィリアへの招待を受けますか?》

「エルフィリアというと、ビルテファ王国の言葉でエルフの里を意味するはずですが」

《はい、それで合っています。東の森にある、私達の首都です》

「人違い、ではないですよね」

《間違いなくあなたが対象です》

「すみません、訳が分かりません。もう少し詳しい説明はできませんか?」

《できませんね。『この契約は清場和仁が結んだもの』で、その契約に『特定の条件を達成した際にエルフィリアへ招待する』事が含まれています。私達は契約を履行しなければなりません。これが今私から答えられる最大限の回答です》

「…………」


 散々国家機密だといって情報を隠してきたにも関わらず、今度は国の中枢へ招待するという。エルフと契約をした記憶は無いし、条件とやらにも覚えがなかった。しかし人違いではないと言い、清場和仁が結んだ契約だと言い、「そもそもあなたは知らない」と言う。わけがわからない。

 ただ、幾つか分かる事もあった。

 明らかに言えない事が多いのに、「あなたのセキュリティクリアランスにはその情報は開示されていません」という言葉を使わなくなっている。得体の知れない条件の達成前後で、何かが確実に変化している。

 人違いではない清場和仁が結んだ契約だというのなら、同姓同名ではない、自分が結んだ契約に間違いない。記憶喪失かも知れないし、エイワスの口ぶりからすると記憶消去かも知れない。


 ゼルクラッドは「自分の結んだ契約」を信じる事にした。自分が結んだ契約であるなら、それはきっと事態を正しい方向へ導くものだという自信があった。異世界に生まれ変わっても変わらなかったのだから、何があっても、いつの自分でも、自分の本質は変わらない。だから自分の契約だというなら、それは無条件で信頼に値する。

 エイワスが再度問いかけた。


《招待を受けますか? 受けませんか?》

「受けましょう」

《……そうですか。では、歓迎しましょう。これから忙しくなりますね。マスター、そろそろ正気に戻りました?》


 厳かに言ったエイワスが一転して気楽な調子で言うと、アンゼロッタがようやくショック状態から復帰した。飛び跳ねた髪を神経質に撫で付けながらため息を吐く。


「うう、とんでもない事になっちゃったねこれ」

《最後の引き金を引いたのはマスターですけどね》

「こ、これは流石に怒られるかなぁ」

《わざとじゃないですから言いつけを破ったわけではないですし、大丈夫だと思いますけど。最悪激怒したシルフィアが監督不行届きで私を叩き割るぐらいじゃないですか?》

「それ全然大丈夫じゃないよね! 割らせないから。絶対割らせないから」

「……で? レインの死体をどこへやった? 待ったやったんだ、答えろ」

「あっそれ続いてるんだ。えーと、あなたのセキュリティクリアランスにはその情報は開示されていません」

「きっさまぁあああああ!」


 ゼルクラッドは激昂してアンゼロッタを斬り捨てようとするサフカナを後ろから羽交い締めにして引きずられながら、何はともあれまずはまだ放心しているアリアーニャに死体が偽物だった事を伝えて正気を取り戻さないと、と思った。


 道は続いている。その先に待つものが何であれ、希望と正義は必ずあるとゼルクラッドは信じて疑わなかった。


 今回の話は間章までを読み込んでいる方でも意味が分からない部分が多いと思いますが、次の次の話で詳しい解説入るのでわからなかったらスルーでOKです。いくつか考えれば分かりそうなものもあるので、考えてみるのもアリです。感想欄に推理内容を書いてもらえれば、内容によってはcpクロルポイントを進呈します。


 ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるう るるいえ うがふなぐる ふたぐん(死せるクトゥルー、ルルイエの館にて、夢見るままに待ちいたり)の一部改変。クトゥルーがロバートに、ルルイエがエルフィリアに置き換わっている。一部界隈で有名な文句。ロバートは前世でこれを知っていた。ゼルクラッド(清場和仁)が知らない事は確認済み。要するに悪ふざけ100%。

 ホラー描写と併せてクロルが執筆の片手間に何を読んでいたのかが伺い知れる。まったく、すぐ影響されるんだから(自戒)。

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