【Case:18 雨女】2
避難所が開設されているので、幸島と藤咲がそちらに向かい、六時までに交代して戻ってくるそうだ。汐見課長と瀬川はそれを見届けてから帰るそうだが、それ以外の人は帰れとせっつかれた。
「歩いて帰れないわけじゃないですけどぉ」
麻美は家が徒歩圏内ではあるが、俐玖ほど近くはない。バスに乗るほどではないが、と言う微妙な距離なのだ。下野も「俺今日、バスで来たんですよね」と滝のように降る雨を見て遠い目をしている。彼は普段は自転車通勤である。
「二人とも、超ゆっくりでよければ車で送っていくぞ」
俐玖と同じように通訳に駆り出されていた宗志郎がうんざりしている年少組二人に言った。
「お願いします!」
麻美と下野は即答した。二人の少し上の年齢になる脩が手を挙げた。
「来宮さん、俺もいいですか」
「お前は俐玖にでも泊めてもらえ」
すっぱり断られ、脩は俐玖の方を見た。俐玖も、自分の名が出たことで顔を上げた。俐玖が脩と恋人関係になってから、どうやら宗志郎は、俐玖の情緒面のことは脩に丸投げしたらしい。俐玖にあまり口うるさく言わなくなったし、こうして丸っと丸投げするような発言も見られる。どうやら、恋人でもない異性には気をつけろ、と言うことでいろいろと言ってきていたようだと気づいた。
「ええっと、泊っていく?」
たまに芹香が突撃訪問してくるが、事前に連絡を入れておけばいい。というより、俐玖と脩が付き合うようになったこの二か月、さすがの芹香も遠慮しているらしく、急に俐玖の部屋に泊まりに来ることはなかった。
「そうさせてもらえると助かる」
あまり迷いを見せずに脩は俐玖にそう答えた。自分で言った手前撤回することはないが、俐玖の方が動じていた。
役所の近く、と言っても、歩いて十分くらいだ。傘をさしても風が強いので足元はぐっしょりである。部屋に入ると、とりあえず寄ったコンビニで買ったものが入った袋を床に置いた。
「ちょっと待って。タオル持ってくる」
「すまん。ありがとう」
玄関に脩を置いて、俐玖は部屋の中にタオルを取りに行った。何枚かつかんで脩に渡す。俐玖も自分をざっくりと拭いてから、鞄などの水気をぬぐった。
「……俐玖、靴乾かせるものってあるか?」
「乾燥剤とかってこと? 新聞ならあるけど」
二人ともスニーカーだったが、靴も濡れている。服は洗濯して乾かせばいいが、靴はそうはいかない。特に脩は替えの靴などない。
「一人暮らしで新聞を取ってるのか?」
「ううん。実家の古新聞だよ」
驚いたように尋ねた脩に、俐玖はそう答えた。さすがの俐玖も、一人暮らしで新聞はとっていない。このご時世、ネットでも新聞は読めるのだ。ただ、新聞紙と言うのは何かと有用なので、たまに実家からもらってくるのだ。新聞紙を丸めて、二人のスニーカーの中につっこんだ。
「……なんか、急に押し掛けてごめん」
「いいよ、別に」
芹香もよく押しかけてきたので、対応には慣れている。それを口にしたら女友達と同じ扱いをするな、と言われるだろうが。
「先にシャワー浴びる?」
夏とはいえ、濡れたままでいるのはまずい。エアコンも温度を高めに設定しておく。俐玖の問いかけに、脩は首を左右に振った。
「いや、俐玖の後に貸してくれ。買ってきたものを開けたい」
と、脩は肩をすくめた。それもそうだ。当然だが、成人男性の着替えなど存在しないので、コンビニで入手してきたのだ。役所から俐玖のアパートまでの間にはコンビニしか存在しない。だが、コンビニで下着や靴下は買える。シャツやスエットが売っていることもある。
「わかった。じゃあ、お先。あ、テレビつけていいよ」
衣装ケースから着替えを取り出し、風呂場に向かう。洗濯機に脱いだものを入れるが、回すのは脩のものも一緒の方がいいだろう。たぶん。ええっと、一緒にされるのは嫌だろうか。
聞いてみようかと思ったが、すでに服を脱いでしまったし、乾燥までできる洗濯機なので、最悪二回回すことにする。そのまま俐玖はシャワーを浴びることにした。
さっくりシャワーを浴びた俐玖であるが、女性は風呂上がりの方が長い。それほど美容に力を入れていない俐玖でも、それなりのスキンケアはするのでやっぱり長い。いつもならスキンケアもドライヤーも脱衣所でしてしまうのだが、絶対に時間のかかるドライヤーはリビングですることにした。
「お待たせ。次どうぞ」
「ありがとう」
タオルを敷いた床に直接座っていた脩は礼を言いながら振り返り、部屋着に着替えた俐玖をまじまじと見つめた。
「な、なに?」
夏なので半袖にハーフパンツ姿だ。一人ならキャミソールとショートパンツでうろついているので、これでも自重したのだ。
「いや……去年、俐玖がショートパンツ姿で飛び出してきたのを思い出した」
何のことだろうかと思ったが、吸血鬼事件の時だ。俐玖にとっては自分のストーカーのことのほうが印象深いが。思い出して俐玖が身震いしたのに気が付いた脩は「すまない。思い出させたな」と謝り、立ち上がって手を伸ばそうとしたが、自分がまだ濡れていることに気づいた。
「……抱きしめたいからシャワー、借りる」
「ど、どうぞ」
脩は床のタオルも回収して脱衣所に入っていった。そのあとに俐玖ははっとする。
「あ、脩! 私のと一緒に洗濯してよければ、服は洗濯機の中に入れておいて」
「むしろ、俐玖はいいのか?」
「えっ。何か駄目?」
きょとんとした俐玖に、脩は「そう言うところだぞ」と脱衣所のドアを開けてちょっとあきれた顔をした。
「まあ、お言葉に甘える」
「うん」
俐玖がうなずくと脩は引っ込んでいった。俐玖は髪を乾かし始める。まあまあのロングヘアなので乾かすのが大変だ。今は夏だからいいが、冬は本当に時間がかかる。
髪を乾かしてヘアクリップでまとめ上げるころには、脩が上がってきた。
「俐玖、ドライヤー借りてもいいか」
「どうぞ。洗濯機回すけど、乾燥機にかけられないものは抜いてね」
「あれ、乾燥までできるやつなのか。俺はないから大丈夫だ」
乾燥機にかけられない洗濯ものは、圧倒的に女物が多いので想定内だ。俐玖は脩にドライヤーを渡して洗濯機を回しに行く。
カーテンの隙間から外を覗くと、まだ雨が強い。むしろ暴風雨だ。この辺りは大丈夫だが、停電した地域があるとニュースで流れている。
「夕食作るけど、ハンバーグでいい?」
「ありがとう。かまわないが、今から作るのか?」
「まさか。作り置きだよ」
まとめて作ったハンバーグの種が冷凍されているのだ。普段は俐玖か、せいぜい芹香が食べるくらいなので、脩が食べるには小さいかもしれないけど。
「手伝うことがあったら言ってくれ」
「じゃあ、適当にサラダ作って」
と言うわけで二人でキッチンに入ったのだが、単身者用のアパートのキッチンである。当然、狭い。
「脩、狭い」
「そう言われても」
コンロが奥側にあるので、どうしてもハンバーグを煮込む俐玖が奥に押しやられる。脩も脩でカウンターキッチンの形をとっているとはいえ、作業台が小さいため窮屈そうだ。
「脩、ちょっと体が大きすぎるよ」
「それはもはやどうしようもないことだな」
成長しきっているのでこれ以上大きくなることはないが、小さくなることもないのだ。俐玖も小柄とは言えないため、どうしても狭い。俐玖はハンバーグの様子を見てから、隣の脩を見上げた。大きな手がレタスをちぎっている。なんだかシュールだ。
俐玖より顔一つ分近く背が高いだろうか。見上げなければ顔が見えない。肩幅があるので並ぶと若干圧迫感がある。半袖のTシャツを着ているので、はっきりとわかるのどぼとけとか、血管の浮いた腕なんかが見える。筋肉質な腕は俐玖より一回りは太いだろう。男の腕だ。俐玖も最低五キロはあるライフルを持つのでそれなりに腕力がある方だが、それでも脩に比べると華奢に見えた。
「なんだ?」
まだ文句を言い足りないのか、と言うような口調で脩が尋ねた。ちょっと見つめすぎたようだ。
「……夏木さんが、脩がいい体してるって言ってたなって思って」
ついでに「抱きしめられるんだなって思わない?」と言われたことまで思い出した。仕事中ではなくプライベートの時間で、二人でいるとちょっと思ってしまった。
「夏木さんが? 言うことがちょっとセクハラっぽいよな、あの人」
それは否定できない。美人だし仕事もできる面倒見のいい女性なのだが、発言に男女かまわずセクハラっぽさがある。コンプライアンスに引っかからなければいいけど。
「俐玖は?」
脩はたまに、こういう意地悪なところがある。
「……体格がいいと思う」
「そうか。俺も俐玖はスタイルがいいなと思ってる。抱きしめたい」
そう言う脩の手がミニトマトのへたを取っている。
「わ、私も、抱き着きたいと言うか……」
語尾がかなり小さくなったが、隣にいたので脩には聞こえたようだ。嬉しそうに「抱きしめるか?」と言ったが、同時にハンバーグがすごい勢いで煮立ってきた。
「あ、後にする」
それに、おなかもすいている。とりあえず、夕食を食べてからだ。俐玖は問題を先送りにした。
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