【Case:16 遺跡】1
アメリカから帰国して二日ほどは時差ボケに悩まされたが、無事に復活して出勤した。先に帰国していた宗志郎がお土産を配っていたので、それとかぶらないように俐玖は某テーマパークのお土産を買ってきて来た。ちなみに、宗志郎のお土産は空港で買ったものらしい。まあ、空港や駅で大体のものはそろうので、気持ちはわかる。
「やっぱり俐玖さん、すらっとしてるからドレス似合いますよねぇ!」
一緒に廊下を歩きながら興奮したように言うのは麻美だ。ちなみに、彼女に姉の結婚式の時の写真を見せたのは、俐玖ではなく宗志郎である。
「そう言う意味では麻美の方が似合うと思うけどね」
そう言って苦笑する。麻美の方が俐玖より背が高く、細身でモデル体型なのだ。だが、麻美は「そうですかぁ?」と首をかしげる。
「でも、俐玖さんの方が出るとこ出てるじゃないですか」
「そう言う問題?」
「そう言う問題です」
真顔で言われた。この論争は平行線をたどりそうなので、ここで終えておくことにする。そう思ったのだが、そうしなくても無理やりこの会話は打ち切られた。階段に差し掛かったところで、階下から怒鳴り声が聞こえてきたからだ。俐玖と麻美は顔を見合わせ、慌てて階段を降りてロビーの方をのぞき込んだ。
エントランスから奥に入ってきて、左右に窓口のある課が展開しているあたり、ここで中年の男性に蔵前が怒鳴られていた。
「お前、この前から俺のこと馬鹿にしてるだろう!」
「そんなことは……」
「嘘を言うな!」
びくっと蔵前の体が跳ねる。麻美は顔をしかめながら、「蔵前さん、失礼なことでも言ったんですかね」と蔵前の言動を疑っている。まあ、春からこっち、彼女の様子見ていればそう思ってしまうのもわかる。
ともあれ、放っておくこともできない。ほかの来客者は迷惑そうにしているし、窓口の担当課の職員がこちらを伺っている。そうしてみているくらいなら、助けに入ればいいのに、と思わなくはない。
「麻美、総務の人に伝えてきて」
もう話が言っているかもしれないが、念のためだ。麻美が「わかりました」とうなずいて離れていく。俐玖は間に入ろうとそちらに向かったが、その前に別の人間が間に入った。
「申し訳ございません。この者が何かご迷惑をおかけしましたか?」
夏木だった。確かに、彼女の所属する観光推進課は近くにあるが、男性職員ではなく女性の夏木が先に出てくるのはどうかと思う。いや、男女差別的な話ではなく、蔵前に怒鳴っている男は、明らかに女性を下に見た発言を繰り返しているからだ。
「うるさい! 今はこいつと話してるんだ!」
男が蔵前を指さす。指を指された蔵前がびくりと怯えた表情をする。こういう反応をするから余計に男が付けあがるのだろうが、怒鳴られれば怖いに決まっている。
「うちの子がうまく話をできていないようなので、よければ代わりに私が承りますが」
淡々と夏木がいう後ろで、俐玖は蔵前を引っ張って少し後ろに下がらせた。蔵前は泣きそうな顔で俐玖を見上げた。俐玖は軽くうなずくと、男の方を見るように促す。視線を逸らすのはよくない。
「おい! お前に話してるって言ってるだろ!」
だが、少し遅かった。男が手を伸ばしてきた。夏木は男が手を出してくるのを待っていた感じがしたが、男は殴ったりするのではなく、蔵前の腕をつかもうとした。俐玖はとっさに蔵前をかばい、夏木は二人をかばおうと腕を伸ばす。蔵前ではなく、夏木の腕を男はつかんだ。
「かばわれて恥ずかしくないのか!」
「いや、全くだ」
突然、男に同意するような別の男性の声が聞こえて、みんなの視線がそちらに向いた。五十代後半ほどに見える男性と二十歳前後の学生風の青年が並んで立っていた。
「公共の場で、いい大人が若い女性に大声で詰め寄って、恥ずかしくはないのかね?」
おおっと、同意するのではなく、怒鳴っている男の方を真正面から非難してきた。まあ、役所内で大声を出されていい迷惑ではある。ほかの来庁者も迷惑そうに遠巻きにしていた。
「な、なんなんだよ、おっさん」
お前もおっさんなのでは、とおそらく五十前後と思われる男を半眼で見てしまった。対して男性は落ち着き払って言った。
「通りすがりの大学教授だ」
まあ、間違ってはいない。
「すみません、失礼」
そこに、警察が入ってきた。総務課の課長が通報したらしい。がっつり夏木の腕をつかんでいるところを見られたので、傷害罪の疑いで連行されて行った。
「覚えとけよ!」
という、悪役にありがちなセリフを吐いて、男は警察に連れられて行く。夏木と蔵前も明日にでも話をしに来てくれ、と言っていた。
「言わせてもらうと、役所の男性職員たちもちょっと情けないかなぁ」
学生を連れた男性がのんびりと言うと、一応集まってきていた男性職員たちが視線をそらした。結局、間に入ったのは夏木と俐玖の二人だけだった故に。
「返す言葉もございません。ありがとうございました」
「いえいえ」
総務課長が礼を述べると、男性は朗らかに笑った。
「娘もいましたし」
と、五十代後半ほどに見える男性、もとい、俐玖の父・晴樹は俐玖を見てにこりと笑う。対して俐玖は顔をしかめた。
「というか、お父さん、何しに来たの?」
「ほんとにお父さんなのね」
夏木が感心したように俐玖と晴樹を見比べた。
「言われてみれば、ちょっと似てる……?」
俐玖はどちらかと言えば父親似だろうと思う。ただ、俐玖はやはり、父より目鼻立ちがはっきりしている。
「うーん、僕はアニーに似てると思うんだけどなぁ」
「それはいつも聞いてる」
晴樹はずっと、娘二人は妻に似ているのだと言い張っている。いや、まあ、どちらでもよいのだが。
「そうだね。ところで、お前の部署に用があってきたんだよ」
にこにこしながら父に言われて、俐玖は首を傾げた。
とはいえ、俐玖はまず、総務課に話を聞かれることになった。男に蔵前が怒鳴られているところに巻き込まれた、もとい、巻き込まれに行ったからだ。
俐玖も夏木も、蔵前が怒鳴られているのを見て助けに入ったため状況を聞かれ、そういう時は男性職員を待て、という注意を受けるだけにとどまった。周囲でもたもたしていた男性職員たちは、怒られはしなかったものの、肩身の狭い思いをしたらしい。特に、近くにあった窓口の部署の女性職員から冷たい視線を受けたそうだ。
完全とばっちりなのは芹香で、蔵前の教育係だと言うことで話を聞かれたそうだ。当時、芹香は芹香で来客対応中だったので彼女自身にはどうしようもなかったのにもかかわらず、である。
一応型通りの面談を受けた後、俐玖は事務室に戻った。地域生活課にはすでに父が訪れていて、話をしているようだ。
「俐玖さん! いろいろ言いたいですけど、とりあえず、大丈夫でした?」
麻美が俐玖に駆け寄ってきて尋ねた。俐玖は「うん」とうなずく。
「まあ、夏木さんが対応したようなものだけどね」
「夏木さん、度胸ありすぎじゃないですか」
それは否定できない気がする。
「それで、父が来てると思うんだけど」
「いらっしゃってます」
話を変えて俐玖が尋ねると、麻美がこくりとうなずいた。今は課長と宗志郎が話を聞いているらしい。
「俐玖さんのお父様、初めて見ました。あんまり似てないんですね」
お母様似ですか、と麻美は何げなく尋ねてくる。俐玖はどちらかと言うと自分は父親に似ていると思っているので、あいまいに唸る。
「鞆江さんって、お母さんはハーフなんじゃありませんでした?」
そう言ったのは下野だ。俐玖は母や姉に比べるとかなり日本人的な顔立ちだが、人によっては外国人的な顔立ちにも見えるらしい。下野はそのタイプで、尋ねられたことがある。
「そうだよ」
「じゃあ、鞆江さんはお母さん似ですね」
下野は単純にそう言った。もう面倒くさいので、そう言うことにしておこう。
「大学の先生なんですよね。さすが俐玖さんのお父様……」
「つーか、来宮さんもヘル・なんとかって言ってませんでした?」
おそらく、ヘル・鞆江と呼んだのだろうと思う。ドイツ語で先生と呼びかけるときに、ヘルをつけることがある。教授と言うとプロフェッサーだが、宗志郎は実際に晴樹の教え子であるので、先生、と呼んでいたはずだ。
年少組と話しているうちに、小会議室から父と課長、宗志郎が出てきた。汐見課長が俐玖が戻ってきているのを見てにっこりする。
「鞆江さん、聞いたよ。大丈夫だった?」
「はい。総務課長が通報したみたいで、警察が来たので」
俐玖は俐玖で役所内の事情聴取を受けたが、それは仕方のないことだ。
「物騒だねぇ。まあ、無事ならよかったよ」
「お騒がせしました。……お父さんも、ありがとう」
「いやいや」
宗志郎の隣にいる晴樹はにこっと笑って娘を見て言った。実の娘である俐玖よりも、教え子の宗志郎の方がなんとなく居心地が悪そうだ。
「まあ、そう言うわけで、行こうか、鞆江さん」
「はい。……はい?」
勢いでうなずいてしまって、何かおかしいことに気づいた。汐見課長はにこにこしたまま「僕も行くからね」と言っている。つまり、晴樹の依頼の場所に行くのだろう。よくわからないまま、俐玖は宗志郎の運転する公用車に乗っていた。
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