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【Case:06 影法師】6










「私、ストーカー被害にあった覚えはないんだけど」


 職員出入り口から役所の中に入りながら、鞆江が不機嫌そうに言った。書類の入った手提げを持った脩もわずかに眉を顰める。


「俐玖が気づいてないだけってこともあるだろ。少なくとも俺は怪しいと思ったし、気を付けるに越したことはないと思うんだが」


 気を付けて悪いことはないはずだ。鞆江は若い女性であるので。鞆江もその辺は理解できるようで、「それはそうだけど」と声のトーンが下がる。


「でも、今までそう言うのに会ったことないよ。もてたこともないし」

「今までなかったからってこれからもないとは限らない。わかってるだろ」

「うん……まあ、そうだけど」


 まだ納得できなさそうな鞆江の手首を脩がつかんだ。突然だったので、鞆江がびくっとする。


「何?」

「振り払えないだろ」

「からかってるの?」

「現実を教えてるだけだ」


 鞆江はライフルを扱うのでそれなりの筋力はあるが、男にはかなわない。比較的非力である来宮の手も振り払えないだろう。今も定期的に剣道道場に通っている脩を振り払えるはずがない。

 怒ったように手を振り払おうとするが、脩は放さない。


「脩!」

「俐玖は自分が思っているよりも非力なことを理解して、もっと身の安全に気を払うべきだと思う」


 少し強く彼女を押すと、彼女は一歩下がった。彼女の眼が驚きに見開かれる。ここまでしても怯えもしない。


「俐玖」

「……わかった。気を付ける」


 解せぬ、とばかりに唇を尖らせたまま、鞆江が了承したので、脩は彼女の手を離した。一応手首を確認すると、少し痕になっていた。


「すまん。強く握りすぎたな」

「びっくりしたでしょ。というか、普通、ただの同僚をそこまで気にする? お人好し過ぎるよ」

「そう言われると困るんだが、俺にも妹がいるし、なんか見てると危なっかしいんだよ。俐玖は」

「……まあ、自分がしっかりしているとは思えないけど」

「仕事の面では頼りにしてるが」

「専門と職歴の長さの違いだね」


 すっと鞆江の目が細められる。美人と言うより端正な顔立ちの彼女がそんな表情になるとすごみがある。とはいえ、それくらいで引く脩ではないので微笑んでおいた。


「何、お前ら、喧嘩したの」


 その勢いのまま地域情報課の事務所に戻ったため、幸島にちょっと引かれた。脩も鞆江も基本的に温厚なので、険悪な雰囲気なのが珍しいのだろう。


「なんでもありません」

「仕事はちゃんとします」


 脩はいつも通りに答えたが、鞆江がむくれているので斜め後ろに座る幸島から「お前、何言ったんだよ」と尋ねられた。


「いえ、鞆江さんの警戒心の有無について少々」

「ああ、ストーカーのやつね」


 幸島が納得してうなずいた。鞆江が「幸島さんにも話したの?」と脩をにらむ。


「俺が聞いてただけだよ。てかお前、手首どうした?」


 幸島に言われて鞆江は自分の手首を見た。脩がつかんだ方だ。そう言えば痕になっているのだった。


「すまん、そうだったな。湿布貼ろう」


 湿布を貼るほどではないが、手の痕が見えているよりはましだろう。千草に救急箱を出してもらい、脩が鞆江の手首に湿布を貼った。


「どうしたの? 変質者にでもつかまれた?」

「いや、俺です」

「お前かよ」


 上司たちに口々につっこまれる。ひとまず、来宮には聞かれない限りは黙っておけ、と言うことになった。


「下手したら殴られるぜ」

「宗志郎じゃ返り討ちにあうよ」


 鞆江が冷静に言うが、彼女は来宮がどれだけ弱いと思っているのだろうか。ひとまず脩は苦笑して

「返り討ちにはしませんよ」と言った。

 その来宮は、脩と鞆江が一息ついたころに戻ってきた。彼は彼で、情報収集にいってきたそうだ。教育委員会事務局や市民課などに不審者情報の確認にいってきたらしい。


「戻ってきてたのか。どうだった?」

「犯人は人じゃないね。でも、範囲が広すぎて絞り切れない」

「さもありなん、だな」


 この手の怪異は来宮の専門ではないため、彼も対応が思いつかないようだ。みんなにも意見を募ったところ、いくつか範囲を設定して、それを狭めていく、という方法を取ろうということになった。


「おとりを立てて出待ちした方が早そうだな」

「そのおとりにうまく食いつてくれればいいけどね」


 そのおとりを立てるほどの情報も集まっていないのだ。


「ひとまずそれで対策して……ところで俐玖、手首どうした?」

「腱鞘炎」

「お前、右利きだろ」


 鞆江が湿布をしているのは左手だ。右利きの脩が向かい合って利き手でつかんだため、鞆江の左手首をつかんだのである。


「すみません、俺です」


 自己申告した脩に、周囲が「あーあ、なんで言っちゃうの」という雰囲気になった。鞆江も「何故言うの」という表情で脩を見ていた。

 周囲の予想に反して、来宮は脩ではなく鞆江につっこみを入れた。


「俐玖、お前、あんまり向坂に迷惑かけるなよ」

「ごめんなさい」


 来宮はただの過保護ではなかった。ちゃんと鞆江のことを見ていた。


 翌日、昨日のうちに立てた計画に基づいて範囲を指定していく。設置していくのは鞆江と来宮で、脩は記録を取っていく。設置しているのは二人だが、用意したのは佐伯である。この日はこれで終了した。ちなみに、鞆江のストーカー疑惑問題は片付いていないため、二日連続で彼女は音無と一緒に帰って行った。


「あの二人で帰っても危ない気がするんですけど」


 系統の違う美人が二人歩いているだけのような気がする。とはいえ、どちらかに何かあってももう一人が何とかするだろう、と言う意味では二人で行動する意味はある。

 事態は四日目、木曜日に動いた。といっても、日中は何もなかった。範囲を指定した結界に気づいて警戒していたのだろうか、とも思ったのだが、夜になって拓夢から電話がかかってきた。名乗りもせず、ただ用件だけ告げられた。


『今、四人目の被害者が出た!』


 現場に来い、とのことだった。拓夢も向かっている途中らしく、車で移動中のような音が聞こえた。脩も慌てて飛び出す。家で夕食の途中だったが、家族に断って飛び出してきた。

 位置情報を確認する限り、脩が一番近くにいると思われる。少なくとも、鞆江は反対の位置にいるはずだ。彼女の住むアパートは、市役所をはさんで脩の家の反対側なのだ。

 近づいてくると、わかった。黒っぽい靄のようなものが見える。鞆江が異空間を展開するような相手だと面倒だ、と心配していたが、ちゃんと現実世界にいるようだ。


「おい、何をしている!」


 脩が怒鳴ると気づかれたことに気づいたのだろう。黒っぽい人の形をした影のようなものが道路に倒れこんだ少年から離れた。近くの工業系の高校の制服を着た少年だ。

 脩が近づくと、その影も離れる。だが、こちらを伺うようで逃げない。もしかしたら、鞆江が結界に何かしたのかもしれない。まずは被害者優先、と脩はしゃがんで少年の肩をたたいた。


「大丈夫か?」


 反応はなかったが、息はしている。殴られたのか倒れたときに打ったのか、頬が腫れている。スマホは地面に落ちていて、画面が緊急通報になっている。自力で警察に電話したようだ。すごい根性である。

 少年の側にしゃがみこんだ脩とその影がにらみ合いを初めてしばらく。拓夢が沢木とともに到着した。


「うわ、いるな」

「何がですか?」


 沢木は見えない人のようで、拓夢が見ている方を見てきょとんとしている。


「殴って消えるタイプのやつか?」

「殴って消えるやつ、いるんですか」


 なんだその力技、と思って思わずツッコんでしまう。実態があるものは物理攻撃でも可なのだそうだ。脩も次からは物理攻撃だな。

 ちなみに、拓夢が殴りに行ったが殴れなかった。物理ではだめな奴だった。







ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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