【Case:06 影法師】3
脩の杞憂だったのか、脩が念押ししたために何事もなかったのか、判断が難しいところだ。月曜日になり出勤し、鞆江が幸島に声をかけて事務所を出て行くのを眺めて、脩はつぶやいた。
「やっぱりストーカーのような気がするんですよね」
「何の話だ」
「婚活でやばめの女の人でもひっかけてきたのか?」
興味なさそうな来宮はともかく、神倉の言いようが結構ひどい気がする。
「いや、そういう女性に絡まれたことがないとは言いませんけど、俐玖……鞆江さんのことです」
来宮に睨まれて脩は慌てて言い直した。鞆江も来宮を宗志郎、と呼び捨てているが、仕事の時はちゃんと来宮さん、と呼んでいる。脩も呼び分けるように気を付けなければ。
「いやいや、そこじゃねーだろ。何、鞆江、ストーカーされてんの?」
椅子ごとこちらに移動してきて、幸島が突っ込みを入れた。脩は「俺の勘違いかもしれないですけど」と、昨日のことをかいつまんで説明した。
「イベントの後、俺と鞆江さんで居酒屋に寄って、そのあとアパートの前まで送っていったんですけど」
鞆江と同じアパートの住人だという彼は、思い返せば居酒屋に入るときにもいた気がする。そこらへんにもともといたのなら、帰る方向は同じだし、別に怪しくないのかもしれない。だが、脩がにらまれたことと言い、すれ違いざまの捨て台詞といい、気にかかる点が多いのだ。
「それ、俐玖には言ったか?」
「いいえ」
来宮に尋ねられて、脩は首を左右に振った。本人が気にしていないようだったし、変に指摘してそんなわけない、と笑い飛ばされても、逆に怖がられてもまずいと思ったのだ。
「……あいつは、ナンパされても気づかなかったことがある」
「明らかに俐玖さんのことが好きなんだなぁっていう職員の人がいるんですけど、俐玖さんはスルーしてますよね」
近寄ってきた日下部が言った。単純に無視しているのだと思っていたそうだが、どうも本気で気づいていないらしい。
「俺、今なら来宮さんが俐玖を心配する気持ちがよくわかります」
「そうか。ところでお前、いつから名前で呼ぶようになったんだよ」
「来宮、今そこじゃねぇぞ」
やっぱり来宮はそこが気になるようだ。幸島があきれて突っ込みを入れている。
「ドイツ育ちの鞆江は、名前で呼ばれることに抵抗がないんだろ。て言うか、名前って名の前だから、名字のことじゃねぇの?」
「……そうですね」
脩も日下部も首をかしげたが、来宮は知っていたらしく、うなずいた。そうなのか。一つ賢くなった。
「あのー、すみません。取り込み中ですかね?」
入口から声がかかった。脩や来宮の周辺にみんな集まっていたので、藤咲が立ち上がった。
「あら、花森君じゃない。鞆江さんならいないわよ」
「いや、別に俐玖を訪ねてきたわけじゃないっすよ」
強面に苦笑を浮かべて拓夢が言った。スーツ姿で、バディらしい同年代の男性を連れている。明らかに仕事中だ。
「相談に来たんですけど」
全員がなんとなく、周囲を見渡す。今いるメンバーを見て、幸島が来宮の背中を押した。
「ほら、お前聞いてこい」
「後で俐玖をよこしてください」
「はいよ」
幸島が軽く返事をした。来宮は拓夢たちを奥の個室になっている相談室へ連れて行ったのだが、脩も同席することになった。タブレットと筆記用具を持って、記録係だ。
「現在、捜査に当たっている件なのですが」
そう前置きして拓夢が話し始めたのは、本当に最近の事件の話だった。ここ一週間ほどで三人の若い女性が襲われる事件が発生している。連続傷害事件として報道されているが、犯人はまだ捕まっていない。
人通りが少ないのは、この事件があって市民が警戒しているためだ。昨日、夜に一人で帰ろうとした鞆江はやはり、警戒心がかけていると思う。
「報道はされていませんが、この事件、三件とも女性の首筋に歯形がついているんですよ」
切り傷や殴られた痕、あざができた、骨が折れた、などの情報はテレビでも流れているが、今拓夢が言った情報は初めて聞いた。
「それに、三人ともここしばらく、何かが後をつけてくる気配がした、と訴えています」
何かがつけてきて、まっすぐ家に帰って家の場所を知られるのが怖くて、遠回りをしているうちに遅くなり、被害にあったという本末転倒な話らしい。ちなみに、被害者は全員十代だ。
「周囲の防犯カメラや、目撃情報などをあたりましたがストーカーなどは確認できず、信じてもらえない、とパニックになった方もいまして」
「花森さん」
拓夢の後輩、沢木が咎めるように名を呼ぶが、拓夢は取り合わない。
「実際に見えない『何か』がつけていた可能性も否定できない、と思うのですが」
「……そうだな」
来宮が同意するようにうなずいた。事件の情報もうまく集まらないし、拓夢はここを頼ってきたようだ。ストーカーの有無も確認したため、生活安全課からの情報も入手してきているそうだ。
ノックがあって、「鞆江です」と声がかかった。来宮が顎をしゃくるので、脩は立ち上がってドアを開けた。
「あっ、ありがとう」
自分でドアを開けようとしていた鞆江が驚いたように瞬き、脩に礼を言った。脩はそのまま体をずらして中に彼女を入れた。
鞆江が合流したところで、先ほどの話をもう一度彼女に繰り返した。ふん、と鞆江がうなずく。
「お前、どう思う?」
「警察はこの三件を同一犯による犯行だと思ってるの?」
「上はそう考えてるみたいだな」
「人間であれば、同一犯とは考えにくいけど……」
鞆江が小首をかしげて言った。沢木が「どうしてそう言い切れるんです」と身を乗り出した。仕事中であるので、鞆江も泰然としたものだ。
「一人の人間が、この三人全員をストーカーできるとは思えないのだけど」
確かに。三人を襲うだけなら一人の人間でもできるだろうが、三人をストーカーするのは一人では難しい。グループでストーカーをしていたとか? そういう例が皆無ではないはずだが。
「首筋に歯形か……皮膚は貫いてなかったのか?」
「確認した限りでは、歯形だけですね」
来宮は吸血鬼を疑ったようだ。いや、脩はこの世界に吸血鬼がいるのか知らないが、とりあえずそうではないようだ。
「ヨーロッパの事例だったと思うけど、首筋じゃなく腕や足につけた切り傷から吸血されていたことがあったはずだよ」
「お前、相変わらず変なこと知ってるな」
「情報が入ってくるんだよ。一応、専門と言えなくはないし」
「俐玖って専門何だったか。超常現象?」
「文化史だよ」
ぽんぽんと鞆江と拓夢のやり取りが続いた。沢木が戸惑ったように自分の先輩と鞆江を見比べている。
「で、一応専門だという鞆江主事の意見は?」
「うーん……これだけじゃねぇ。統計もとれないし」
「統計とれるほど被害者が出たら困るっつーの」
脩は記録を取りつつ、隣の来宮にささやいた。
「来宮さんは人間の仕業だと思います?」
「……単独犯と考えると、不可能だとは俺も思う」
先ほど鞆江の言った通りだった。だが、と来宮は続ける。
「難しいことは分けて考えるもんだ。暴行を受けたことと、つけられていたという感覚が別物だった場合も考えないとな」
「なるほど……」
来宮は直感が鋭い、などという特殊能力はないらしい。やたらと引きが悪く、おみくじで凶を連続して引いて、それってどんな明智光秀、みたいなことにはなったことがあるらしいが、不運体質は今回の事件の解決になんら関与しない。
「拓夢の直感は?」
鞆江が脩の思っていたことを聞いてくれた。第六感がやたらと優れた脩の知り合い、それが拓夢なのである。神がかった彼の第六感によると。
「人ではない。だが、吸血鬼でもないと思う」
「了解。血液を好むものが吸血鬼とは限らない」
「俐玖、付き合うか?」
「調査の段階ではいいよ。報告と決裁の時にチェックをお願い」
わかった、と答える来宮のシャツを引っ張った。男同士で何をしているのか、という感じだが、今、鞆江の単独行動は避けたほうがいいと思う。
「……俐玖、向坂も連れて行け」
来宮が脩の肩をたたいて言った。鞆江はいぶかし気に瞬きをしたが、「わかった」とうなずいた。拓夢と軽く打ち合わせをして会議室を出る。来宮と鞆江は話をしながら先に出て行ったが、脩は拓夢に止められた。
「おい、俐玖、なんかあったのか?」
「えっ、相変わらずの直感ですね」
「ってことは、なんかあったんだな」
その場で今晩飲みに行く約束をする。鞆江が出かける気満々で脩と拓夢を呼ぶので、沢木も含めて四人で被害があった現場に出かける。
「被害者に会わなくていいのか?」
「私よりももっとお話が上手な人が会いに行った方がいいね、それは」
カウンセラーとか、と鞆江はにべもない。鞆江と拓夢は何か通じ合っているが、脩にはさっぱりわからない。沢木もそうだろう。
「鞆江さん、質問いいか?」
「どうぞ」
拓夢が運転する警察の公用車の後部座席で並んで座っている鞆江が許可をくれたので、脩は尋ねた。
「今からいったい何をしに行くんだ?」
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