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【Case:06 影法師】2











 職員たちが手を振るので軽く会釈をしてレストランを出た。出たところで、鞆江は脩を見上げて言う。


「送ってもらわなくても大丈夫だよ」


 家の方向、違うんじゃない、と言われる。まあ、確かに遠回りになるが、それよりも鞆江を一人で帰す方が怖い。


「ここで放り出したら長尾さんに怒られますよ。それに、今日の鞆江さんは可愛らしい格好してるじゃないですか。心配にもなります」


 可愛い恰好、と言うかお出かけだったのだな、というちょっとしゃれた外出着だ。小柳や脩に話しかけてきた女性たちのようなふんわりしたスカートなどではなく細身の七分丈のスキニーだが、それがスタイルの良い鞆江に似合っているのだ。カットソーもフェミニンな雰囲気で、髪もハーフアップで化粧もしている。姉と出かけていた時の格好に近い。

 これで独り歩きをされて心配するな、という方が無理だ。ということを、たぶん本人だけがわかっていない。


「日本は治安がいいんだよ」


 そりゃあ、鞆江が子供時代を過ごしたドイツに比べれば治安はいいだろうし、夜に女子供が出歩くこともできるが、そういう問題ではない。

 きゅう、と音が鳴った。鞆江の腹の虫だった。どうやら、緊張と話をするのに必死でイベントであまり食べられなかったようだ。


「だから一人で帰るって言ったのに」


 すねたように唇を尖らせる鞆江がかわいらしくて、脩は思わず噴き出した。声をあげて笑う彼を見て、鞆江が「ひどい!」とむくれる。


「何か食べて帰るか? 俺も食べ足りないし」


 話をする方に気を取られてあまり食べられなかったのは脩も一緒だ。半分仕事の意識があったのかもしれない。明日は仕事なので遅くまではいられないが、腹を満たすくらいの時間はある。


「……行く」


 二人で食事に行ける程度には仲良くなれたのだな、と思うと少しうれしい脩である。

 夜の九時なので、しゃれたレストランやカフェは閉店間際のところが多い。必然、居酒屋に入ることになる。


「鞆江さん、魚とか食べられる?」

「普通に食べるよ。日本の魚はおいしいよね」


 テーブル席についてメニューをのぞき込みながらそんな話をする。二人ともそんなに好き嫌いはないので、適当に料理と飲み物を頼んだ。二人ともカクテルだ。


「鞆江さん、いい人はいなかった?」

「そう言う向坂さんも。いろんな人に話しかけられたじゃない」


 食べながら今日の婚活イベントの振り返りになるのは仕方がない。多分、二人ともそれなりにもてたが、二人とも特定の人を選ばなかった。


「私は、なんていうか……ああいうぐいぐい来る人が苦手で。知らない人と話すのも得意じゃないし」

「押しが強い人が苦手と言うことか」

「うーん、そう言うわけでもないと思う。芹香や麻美も押しが強いけど、苦手ではないし」


 じゃあ、仲が良いかが焦点になってくるのだろうか。基本的に鞆江は、人見知りで内気なのだと思う。


「向坂さんはああいう場所でも大丈夫な人でしょ。あ、もしかして恋人いる?」

「彼女がいたら参加してないな」

「だよね」


 大学時代にいたが、自然消滅してそのままだ、という話をすると、鞆江は「へえ」とうなずいた。日下部も知らなかったから、どうやら鞆江や日下部に話したわけではないらしい。神倉などに話したのだろうか。自分の記憶があいまいである。

 だし巻き卵をほおばる。トロトロでおいしい。鞆江はから揚げにレモンを絞っていた。本当に空腹だったらしい。


「向坂さんは新しく恋人がほしいと思う?」

「いや、今はそうでもないな。そのうち思うかもしれないが。と言うことは、鞆江さんは恋人がほしい?」


 来宮が聞いたら憤死しそう、と思いながら尋ねる。鞆江は人の恋愛話や惚気話をにこにこ聞いているタイプの人間だ。そこにうらやましいとか、そう言う感情はなかった気がする。


「わからない。そのうち結婚はしてみたいと思うけど、そう言う漠然とした気持ちしか持っていない私が、ここにいていいのかしら、とは思ったね」


 どうやら先ほどの婚活イベントの話の続きだったらしい。女性の人数が少なかったためにサクラとして連れてこられたわけだが、そのことに罪悪感を覚えていたようだ。


「私と話していた人だって、私じゃない別の女性と話していたら、カップルが成立していたかもしれないじゃない」

「……俺も鞆江さんのことは言えないが、それは時の運と言うか、鞆江さんが気にすることではないと思う。ほっといても恋人ができるやつはできるし、できない奴はできない」

「……確かに」


 脩は前者で、鞆江は後者だ。鞆江はいわゆる、彼氏いない歴=年齢なのだそうだ。ただし、口説かれても気づいていなかった、と言う可能性は高い。脩もそんなに深い付き合い方ではなかったので、あまり言わないようにしている。


「いいもん。本当に結婚しようと思ったら、お見合いにするもん」

「鞆江さん、酔ってる?」


 酔っている、とまではいかないでも、思考はふわついている感じはした。これまでも何度か課の飲み会などは参加したが、多少言動が怪しくなっても意識ははっきりしているし、記憶がなくなるようなこともなかった。脩もかなり酒に強い方だが、鞆江も弱くはない。だが、一応ウーロン茶を渡しておくことにした。


「……向坂さん、だいぶ口調が崩れてきたよね」

「あ、嫌でした?」


 特に同年代と年下の鞆江と日下部に対しては口調が崩れている自覚がある。二人も気にしていないようなので、脩も気やすく話していたが、実は嫌だったのだろうか。


「ううん。私もその方が話しやすいし」


 フルフルと首を左右に振ってそう言うので、脩は遠慮なくため口で話すことにする。


「では遠慮なく。鞆江さん、デザート食べる?」

「食べる」


 二人でタブレットを眺めて注文を決める。脩はチーズケーキ、鞆江はバニラアイスの乗ったコーヒーゼリーを頼んだ。デザートを食べる鞆江を眺める。


「鞆江さん、その体のどこにそれだけの量が入るんだろうな」

「……よく言われるんだけど、そんなに多い?」


 多いというよりは、細身の体格に対してよく食べるので驚くのだ。


「俺は気持ちのいい食べっぷりだと思うが」


 鞆江はきょとんと首を傾げた。お酒が入っているからか、しぐさが幼げで可愛い。脩は軽く声をあげて笑った。からかわれたと思ったのか、鞆江がむっとした表情になる。

 支払は割り勘になった。年齢的にも職歴的にも鞆江の方が先輩だが、学年は違えどほぼ同い年であるし、最近はデートでも割り勘の時代だ。そもそも、大した金額ではない。その辺の居酒屋なので。

 店を出るころには夜の十時半を過ぎていたので、さすがの鞆江も送らなくてよい、とは言わなかった。やや足元が怪しい自覚があるのかもしれない。


「向坂さん、ありがとう」

「どういたしまして。というか、『向坂さん』って言えてないぞ」


 『向坂さん』が『しゃきしゃかしゃん』に聞こえる。


「申し訳ないけど、名前が言いにくい」

「よく言われる」


 苦笑して脩は同意した。『さ』が多すぎるのだ。言いにくいとはよく言われる。


「別に脩って呼んでくれてもいいぞ」


 鞆江は親しい相手は女性も男性も関係なく名で呼んでいるようだ。その中に入れるのならうれしい。


「そう? じゃあ、私も俐玖でいいよ」


 多分、名で呼び慣れているし、呼ばれ慣れているのだろう。あっさりとそんなことを言った。以前、山の中の川の境界の事件で、呼ぶなら俐玖と呼ぶだろう、という話をしたのを思い出した。


「鞆江さん……俐玖は名字も名も名みたいだよな。というか、来宮さんに殴られないか、俺」

「宗志郎か……大丈夫だと思うけど」


 鞆江の実の父よりも父親っぽいふるまいをするのが来宮なのだそうだ。仲の良い兄妹のような関係の二人であるが、従姉をはさんだだけの関係にしては仲が良すぎる気がする。


「実のところ、二人ってどういう付き合いなんだ?」

「うーん、宗志郎が父の教え子の一人、かな。まあ、宗志郎の在学中に父は日本に帰ってきちゃったんだけど」

「つまり、来宮さんって外国、というかドイツの大学の出身なのか」

「あ、そうだね」


 前提を話していなかったことに気づいた鞆江がうなずいた。

 鞆江によると、ドイツにいたころはよく大学に遊びに行っていて、その時に来宮によく面倒を見てもらったそうだ。本当に妹のような感じだった。

 来宮は市役所に入る前、大学の研究員だったそうだが、それも鞆江の父の口利きだったようだ。


「そのうえ、俐玖の従姉と結婚したのか……」


 来宮の妻の紅羽は鞆江の父方のいとこにあたるので、来宮はものすごく鞆江の父の世話になっている。


「むしろ、そこは俐玖と来宮さんの間で何かがあるパターンでは?」

「芹香にも言われたことがあるけど、そうはならなかったね」


 音無も脩と同じ感想を抱いたようだ。普通、そう思うよな、と脩はちょっと安心した。

 鞆江の住んでいるアパートは、本人の主張通り市役所から近かった。徒歩で十五分もかからない距離である。おそらく、家族がこの天然の入った娘の一人暮らしを心配したのだろう。ちょっと家賃は高めだがセキュリティーのしっかりしたアパートだった。


「ん?」


 鞆江と他愛ない会話をしていた脩は、ふと視線を感じた気がして後ろを振り返った。ちょうど街灯で若い男性が照らし出されていた。脩たちとそんなに年は変わらないだろう。


「脩?」


 立ち止まって振り返った脩につられて鞆江も振り返った。あ、と声を上げて「こんばんは」とあいさつをする。男性も会釈を返した。


「……知り合い?」

「同じアパートの人」


 端的な答えが返ってきた。なるほど。同じアパートの住人なら顔を合わせたことくらいあるだろう。……それにしてはじっとりとした目でこちらを見ている気がするが。


「よく会うのか?」

「あの人? いや、別に? 多分、住んでる階も違うしね」

「そうか……」


 脩の気にしすぎだろうか。少なくとも、鞆江は何も察していないようだし。ただし、鞆江は自分に向けられる好意に鈍いところがある。

 当たり前だが、男性は脩と鞆江についてきている。向かう先が同じだから当然だ。ここまで送ってきた脩だが、さすがに彼女を部屋の前まで送るつもりはなかった。一応、未婚の付き合っていない男女であるので、そのあたりの線引きはしておく。

 ただ、そうなると鞆江は後ろの男性と二人でアパートへ入ることになる。鞆江の住んでいるアパートの前に着いた脩は、鞆江の肩に手を置いた。


「俐玖。部屋に入って玄関の鍵を閉めたら、連絡をくれ。絶対だ」

「ええ……」


 めちゃくちゃいやそうな顔をされたが、引くつもりはない。


「俐玖」

「わかったよ……なんか宗志郎みたいだよ」

「今なら来宮さんが俐玖を心配する気持ちがすごくわかる」

「どういうこと?」


 首をかしげながらも、俐玖はまた明日、と手を振ってオートロックのアパートに入っていった。そのあとを追うように男性がついていく。その際、じろっとにらまれて小さく「なんだよ」と吐き捨てられるのが聞こえた。それに動じる脩ではないが、脩には入れないアパートの中に彼が入っていくのを見て、柄にもなく緊張した。ゆっくりと帰路につきながら連絡を待つ。

 スマホがマナーモードで震えた。見ると、メッセージアプリに鞆江から「帰宅」という簡素なメッセージが入っていた。どうやらちゃんと部屋にたどり着けたらしい。脩も安心して家に帰れる。










ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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