第097話 『世界再構築』①
世界の情勢は一夜にして劇的に変化した。
いや変化というよりは一度完全に瓦解し、一から再構築しなければならないほどの更地になったといった方がより正しいだろう。
表裏共に最も力を持っていた聖教会は、最もわかりやすい敗者としてそのすべての権益を喪失し、組織としてもそこに所属していた個々人としても、勝者であるエメリア王国――いやソル率いる『解放者』からの沙汰を待つだけの立場に堕している。
『聖戦』の戦場でイシュリー・デュレス司教枢機卿が宣言した真だの新だのというおためごかしなど、その後の『偽勇者』と『神殻外装』の出現、それに続いた世界の終焉によってもはやほとんどの人間がまともに考えてなどいない。
狂信者の類は内々に粛清され、聖教会と人の歴史の真実を探求したい敬虔な信者たち程、真であろうが新であろうが絶対的な力を背景に制限なき研究の場を与えられることを渇望している。
失った権益を再び求める宗教屋の連中は、各々が持つ最大限の力を挙げてイシュリー司教枢機卿とのつながりを持とうとしており、フレデリカたちによって順調に取捨選択、再編が進んでいる状況だ。
今まで聖教会が隠し持っていた世界を滅ぼし得るほどの逸失技術兵器と、それどころではない自然環境の崩壊。
それらを逸失技術兵器をも凌駕する破壊の力――『全竜』と、滅びを否定する再生の力――『妖精王』を以て、大げさではなく世界を救った存在は誰なのか。
ソル・ロック。
もはや世界はその個を一強として、国家を含む組織も個人も皆弱とすることを現実として受け入れざるを得ない状況に至っているのだ。
そんな存在を『神敵』呼ばわりして『聖戦』を引き起こし張り倒された聖教会と、かなり譲歩した交渉を持ち掛けられていながらも聖教会と歩調を合わせて挑んだイステカリオ帝国が最大の敗者、つまり再構築される世界において冷遇されることになるのは避け得ない。
双方とも絶対的な権力を握っていた教皇と皇帝を『聖戦』――戦後には『エメリア王国侵略戦争』とその名を変えられた戦いの中で失っており、トップ不在というのもかなり厳しい。
次に不味いのは、唯一ソルの側に付いたエメリア王国と国境を接していた、イステカリオ帝国以外の諸国である。
『聖戦』を『エメリア王国侵略戦争』と勝者によって置き換えられても誰も文句が言えないのは、イステカリオ帝国を除いてエメリア王国と国境を接する6つの国家、そのうちの実に5つもの国が開戦と同時にエメリア王国内へ攻め入ったという事実があるからだ。
いや実際には攻め入れてなどいない。
開戦前に『プレイヤー』の加護を得たエメリア王国の兵士たちに一方的に蹂躙され、聖教会から派遣された教会騎士諸共に鏖にされたに過ぎない。
だが死人に口なし。
完全武装した各国の兵士と教会騎士の死体の山と、聖教会秘蔵の逸失技術兵器を証拠として提示されれば反論の余地もない。
もはや攻め入ろうとしていただけか実際に攻め入ったかなど、当事者の5つの国家も含めた汎人類連盟の国家群にとってはどちらでも変わらないのだ。
イステカリオ帝国と同じく聖教会の吹く笛に乗って踊った結果、その気になれば一夜で己の国を物理的に焦土にできる相手に喧嘩を売ってしまったという事実は変わらない。
程度の差こそあれ『エメリア王国侵略戦争』において敵として軍旗を立てたすべての国は、自国の兵士たちが現場で目の当たりにした力を本国に向けられても文句など言えはしないのだ。
そこまで積極的に滅ぼそうとされなくとも、次にあの天変地異が起こった際に『妖精王』の加護を得ることが出来なければそれで終わりだ。
それにそもそもがマイナス方面だけの話では済まない。
たとえエメリア王国とソルから一切のお咎めを受けなかったとしても、今後始まる大陸中の魔物支配領域の解放と迷宮の深部攻略への協力を取り付けることが出来なければ、国力の差がどうなるかなど語るまでもないからだ。
ソル・ロックは現人神で、その両腕として『全竜』と『妖精王』が在る。
それはいい。
それが揺るぎ無い一強で、自分たち人類が皆弱である事を受け入れるのは当然のことだ。
だが聖教会が勝利を確信していた根拠であったであろう、13の人造天使たちを張り倒したのは、ソルの加護を受けるまでは同じか弱い人間であったはずのエメリア王国の兵士たちなのだ。
13もの人造天使たちの攻撃をすべて無効化して見せたのがエメリア王国第二王子であるマクシミリアで、たった一人で1体の人造天使を殴り殺したのが第一王女であるフレデリカであったことも、宣伝効果としては抜群だった。
マクシミリアは世に名高い唯一魔法『絶対障壁』の継承者と知られていたので、まだ「別格」だと見ることも出来よう。
だがフレデリカは軍部に人気があり多少頭が切れるとはいえ、やはり美しさこそが最大の価値と見なされていた普通のお姫様だったことを、各国の上層部はよく知っている。
それがたった一月の間に空を駆け、領域主さえ凌ぐであろう人造天使を殴り殺せるまでに強くなれるという事実。
それはつまり、誰でもがそうなれるということを雄弁に物語っているのだ。
――ソルという絶対者に、気に入られさえすれば。
よって阿呆な駆け引きをしている余裕など各国にはない。
とくにやらかしてしまっている5つの国家はなおのことだ。
「確かに攻め入る準備はしていたが、実際には国境を超えてはいない。逆に国境を越えて一方的にわが軍を殲滅したのはエメリア王国の方で、うちは悪くない」などというクソの役にも立たない言い訳を今さら囀る暇があるのであれば、王族自らが地面に頭を擦り付けてでも助命嘆願するほうがいくらかマシなのだ。
というかそれすらできない支配者など、支配者であり続けられるわけもない。
軍部からも財界からも市井の民からも見捨てられ、ソルに従属することを錦の御旗にしたそれらの集合体に吊るされることになるのは火を見るよりも明らかだ。
であればまだソルが――エメリア王国が自分たちをそれぞれの国の代表として扱ってくれているうちに、なんとしてでも友好的な関係を築く必要があるのだ。
実際に王家や貴族に対するある程度の身分の保証を引き換えに、属国となることを申し出ている国もすでにある。
四大強国と呼ばれた国家群もそれは同様だ。
イステカリオ帝国については語るまでもないが、自国領内に聖教会の聖地である聖都アドラティオを抱えるアムネスフィア皇国の立場はかなり苦しい。
『エメリア王国侵略戦争』に参加した兵力はイステカリオ帝国に続いて多く、今まで領内に聖地を抱えるがゆえに「神の御威光」を利用してきたことは間違いない。
ソルに「聖教会」と同じだ、と断じられても正論として異を唱えることも出来ない。
だからといってポセイニア東沿岸都市連盟が優位かというとそれもない。
四大国家の一角としてイステカリオ帝国、アムネスフィア皇国に次ぐ兵力を供出していたという事実はあるし、聖教会による神敵認定と聖戦宣言以降、エメリア王国との国際貿易においてわりと露骨な圧力をかけていたことも今となっては頭が痛い。
海千山千のエメリア王国第一王子フランツが、今思えば対抗策らしい対抗策を講じずにその横暴を受け入れていたのはこの結果が見えていたからだと思うと、交易国家としては完敗という言葉が頭に浮かばざるを得ない。
敗者としてではなく圧倒的な勝者の立場から、「困っている時に約束を反故にする相手とはまともな商売などできない」と言われても、返せる言葉などないのだ。
エメリア王国が――ソルがこれを機にポセイニア東沿岸都市連盟の瓦解を狙っているのであれば、あっという間に干上がらされるだろう。
これまで四大強国の一角という、強者の立場で交易を行って来ていたことが、弱小国家群がソルの意向に従ういい大義名分となってしまうのだ。
よって今、元四大国家も含めたすべての国は、勝者であるエメリア王国に考え得る限りの利益を差し出し、その歓心を得ることに全力を挙げている。
ポセイニア東沿岸都市連盟を中心とした財界筋は、第一王子であるフランツに。
歴史あるアムネスフィア皇国や絶対的敗者であるイステカリオ帝国の帝室や大貴族たちは、交渉の窓口を持っていた第二王子であるマクシミリアに。
各国の軍部や国付きの傭兵団は、今ではエメリア王立軍の代表者と目されている第一王女であるフレデリカに。
もはやそれは交渉などではなく、ソルという絶対者に対してなにを差し出せば自分たちの身分をある程度は保証してくれるのかという嘆願申請といった方がいい状況である。
なんとなれば戦争の最中にその相手国の皇帝の首を好きなタイミングで落とせるのが、ソル一党という怪物たちなのだ。
いつなんどき自分の首も落とされるかわかったものではない権力者たち程、真顔になって交渉を重ねるしかない。
他にも聖教会関係者であればイシュリー司教枢機卿に、各国の裏社会を牛耳っていた大手組織たちはソル直下であると言われている新興組織『エリザ組』に渡りをつけるのに血道をあげている。
ゆえにエメリア王国中枢部は多忙を極めており、謁見の間を対応本部として構え、昼も夜もなく、王族も貴族も官僚もなく必死で働いている。
クソ忙しくぶっ倒れそうな激務のわりには誰もが明るい文句程度しか口にしないのは、今この瞬間こそが、人が再発展する分岐点だと理解できているからだろう。
「フレデリカ、お待たせ」
だからこそどれだけ忙しくしていても、ソルが顕れた瞬間には誰もが手を止め自然と平伏する。
ソルが「気にしないで仕事を進めてくださいね」などといっても誰も聞き入れてくれはしない。
仕事以上に優先するべきものが厳然と存在することを、勝者であるエメリア王国こそが一番理解できているのかもしれない。
ちなみに世界が滅ぶのを止めて見せた日以来、なぜかソルは憑りつかれたようにエメリア王国内の魔物支配領域を片っ端から解放して回っている。
あれからそう日数が経過していないにも関わらず、おかげでエメリア王国内の魔物支配領域はすでにそのほとんどが解放されている状況となっている。
そのメンバーは全竜と妖精王、リィンとジュリアという最側近たちである。
フレデリカとしては自分も参加したくてたまらないのだが、自分にしかできない仕事を優先させて歯をくいしばって耐えているといったところだ。
そのソルがこの場に転移を持って顕れるとなれば、フレデリカがそうしてくれることを要請したからに他ならない。
今ソルに直接、己の意志を伝えることができる存在はそれだけで重要人物と目される。
そこには王族も村人も、鍛冶屋もスラム民も、亜人も獣人も関係などないのだ。
「お待ちしておりました、ソル様」
地上へと降りてくるソルに対して、フレデリカは疲れを感じさせない王族らしい優雅な挨拶をして見せる。
この数日で取りまとめた内容をソルに確認してもらい、その承認を得る段階に至ったのだ。
そこには当然ソルの国を興すことと、それに伴う後宮関連も含めたあらゆる内容が含まれる。
冒険だけではなく、最低限の政務もやってもらわねばならないのはもう仕方がない。
そこは『聖戦』前に言質を取っているので、フレデリカとしても要らん遠慮をするつもりもないのだが。
相変わらずソルは首根っこにアイナノアをぶら下げ、左手を全竜に摑まれている。
リィンはもうその辺は諦めたようだが、横に並ぶジュリアも併せて充分に美しい二人である。
御伽草子で語られる勇者様のハーレム・パーティーも斯くやという状況だが、そこに自身が今現在は入れていないことを、もっと焦るべきかもしれないとフレデリカは苦笑いするしかない。
フレデリカとしても、さっさと今やっているこの上なく大事で重要だけれどある意味雑事でしかない仕事を片付けて、ソルを挟んでリィンやルーナと恋の鞘当のひとつでもしなければならない立場なのだ。
それを義務だと思うどころか、はやくそうしたいと思っている自分が我ながら意外なフレデリカなのである。




