第095話 『妖精王解放』④
A――AH――♪
とてつもなく美しい、だが感情の感じられない無表情のまま、覚醒した『妖精王』アイナノア・ラ・アヴァリルが声を発する。
世界樹が星の中核から汲み上げた膨大な魔力が注がれる波、あたかも星そのものが発しているかのようなゆっくり目の鼓動リズムに合わせてその声――人のものとは思えないほどに澄んだそれが、言葉ではなく旋律を紡ぐ。
振付があるはずもなく、星の鼓動リズムと自らの発する旋律に合わせて華奢な躰をゆったりと律動させ、時に無邪気にくるくると回転する。
それに合わせて『妖精王』の指先や、回転によって広がったツインテールの先端から無数の魔法光が迸り、世界中へと広がってゆく。
それは大陸――星中に散在している龍穴へと繋がり、そこまで広がった世界樹の根と呼応して巨大な魔力の循環路を成立させる。
たかが地表付近の龍穴を暴走させただけに過ぎない『旧支配者』たちの世界の終焉はそれであっさりと停止され、赤く染まった海も、枯れ果てた草木も、ひび割れた大地も、鳴動を始めた山々も、その悉くが元の姿を取り戻してゆく。
いやそれだけではない。
『妖精王』を中核として星中に広がってゆく魔力のネットワークが星を覆い、互いが呼応し、この千年の間に荒れ果てていた荒野や、砂漠化していた地域にすら緑を再生させてゆく。
200年前に『国喰らい』によって不毛の地と化した広大な領域も例外ではなく、滅んだ七つの国の廃都をすべて木々に覆われ苔生した古代からの遺跡のように変えてゆく。
枯渇していた外在魔力が再び世界に満ち、星が元より持っていた再生機能を増幅されて、あっという間に在るべき姿へと復元されて行っているのだ。
『妖精王』――自然を統べる王の名に恥じない奇跡の顕現。
今この星は見惚れずにはいられない『妖精王』の単純な舞踏と、意味なさずとも美しく響くその声によって膨大な魔力に覆われ、すべての綻びを癒されている。
この大陸以外の今は人の住まないあらゆる地にも、舞い散る花弁のように、あるいは空から降り落ちる光の雨のようにして魔力が満ち、そこに生きるすべての生命体が空を見上げて奇跡をその目で捉えている。
「――これは?」
その奇跡の中心点にいるソルは、さすがに想定をはるかに超えるこの現象に声を失っている。
自分たちの狙い通り『旧支配者』たちによるこの世の終焉を止めてくれたことは理解できるが、あまりの美しさ、まさに神々しいという表現こそが相応しい光の乱舞と世界の再生に心を奪われるのは仕方のないことだろう。
先刻まで自分たちが繰り広げていた神話の如き戦闘すら遥かに凌駕するこの現象は、さすがにソルを以てしても想定外が過ぎたのだ。
「妖精王アイナノア・ラ・アヴァリルの『歌』です。世界のすべてを調律し調和させるまさに奇跡の力。こうなっては道化どものしかけた「終焉」などないも同じです」
意味のある歌詞などがあるわけではない。
だがその文言によらぬ『妖精王』の声そのものが世界の歪を調律するかのように、世界は在るべき姿へと回帰するのだ。
だがすでに千年前からこれを知っている全竜は落ち着いたものだ。
今は世界を癒すために行使されているこの力が、世界に仇なすものとして自身に向けられたからこそ、『全竜-1』にまで至っていたにもかかわらず敗北を喫し、『邪竜』として封印されることになったのだ。
比喩ではなく「世界が敵になる」という現象を我が身をもって経験しているルーナにしてみれば、今のこの光景は穏やかなものに過ぎないのだろう。
「……これを、自在に操れるの?」
世界規模の環境改変を意のままに操るとなれば、『プレイヤー』をすら凌駕していると思わざるを得ないソルである。
素直に味方になってくれればそれでいいが、万が一にでも敵対することになれば全竜という最強の戦力を有していても互角、あるいは後れを取る可能性も充分にある。
「アイナノア・ラ・アヴァリルは稀代の器ですが、さすがに『妖精王』を自在に駆使することは不可能ですね。彼女は全自動なのです」
「どういうこと?」
ソルの警戒を理解したルーナが端的に説明してくれる。
つまり『妖精王』とは力の名なのだ。
今ソルの――世界中の生物の眼前で行使されている奇跡を司る力そのものが『妖精王』と呼ばれ、それを収める器が妖精族の中から生まれいずる。
それが今ソルの目を奪っている華奢な美女、アイナノア・ラ・アヴァリル。
『妖精王アイナノア・ラ・アヴァリル』はそうやって成立しているのだ。
ゆえにこそ千年前に『旧支配者』はアイナノアを「囚えた」のだろう。
器を壊せば次の器が生まれ、次も『妖精王』を封じられるという保証がないのであれば、間違い無くそうするであろうことは理解できる。
それは倒したルーナを殺さずに封印した事と相似している。
ほぼ全竜に至ったルーナを殺せば再び竜種が地に満ちるのであれば、全竜-1と『神殻外装』を封印しておく方が簡単だ。
事実、ソルによってルーナが解放されるまで、この世界から竜種は失われていたのだから。
つまりアイナノア・ラ・アヴァリルには確立された人格がないということらしい。
生まれおちた瞬間から『妖精王』の器として機能するため、人としての人格が形成される余裕もなければ環境もない。
妖精族たちの女王として君臨し、世界を調律する装置として妖精族としての長い生を過ごすのだ。
だからこそルーナと同じ千年という時を囚われの身であっても狂わず、解放された直後であっても世界の状況に応じて己がなすべきことをなせたのだ。
――なるほど。あの妖精族の二人が『妖精王』を「この子」と呼んでいたのも、自らを封じた相手にもかかわらずルーナが敵対心を持っていなかったのもそのせいか……
『妖精王』が世界を調律する自動装置であり、アイナノア・ラ・アヴァリルが意志なきその器だというのであれば、それらのことにも納得がいくソルである。
「なるほど……でもそれって、器であるアイナノア・ラ・アヴァリルが普通ならありえない強化を経たらどうなるんだろう?」
「――あ」
そしてソルは思いつく。
世界の在るべき姿を全自動で護らんとするからこそ、千年前のルーナとも敵対したのだろうし、その後護ったはずの人類にも牙を剥いたのだ。
亜人種を率いてという部分については、『勇者救世譚』における創作の可能性が高いだろう。
となればソルがこれから行うすべての迷宮の攻略と魔物支配領域の開放、『塔』の最上を目指す過程において、そのトリガーを引かないという保証はどこにもない。
であれば、『妖精王』を支配、制御できるようにアイナノア・ラ・アヴァリルという器を強化し、意志疎通を可能にして味方につけようとする方がいくらか現実的だろう。
本来ならそんなことは不可能だがソルの『プレイヤー』、それも4桁を超えてとんでもなく強化された今の状況であればそんなことすらも可能なのだ。
「その身に『妖精王』を宿らせ、自在に使いこなせる『プレイヤー』の仲間。ルーナと組めば破壊と再生を司ることも可能、か」
思わずそう口にして笑うソルの顔は、あまり善人には見えない。
破壊だけではなく再生も司れるとなれば、少なくとも地上――人の世界を統べることなど容易いだろう。
時に人は信じられないほどの矜持を以て理不尽な破壊には抵抗する。
どうせ世界が終わるのであれば、己が在り方を貫かんとするのかもしれない。
だがその後の再生が絵空事ではなく立証されているとなれば、その覚悟は揺らがざるを得ない。
邪魔者だけを排除して、都合のいい選ばれた者たちだけによる世界が再生されて継続すると知っていれば、そこに選ばれたいと願ってしまうのは生物の性なのだから。
「問題なくプレイヤーの『仲間』にはできるね。とりあえず3桁までレベルを上げてみるから、ルーナは一応戦闘態勢の維持をお願い」
「畏まりました」
そして今、ソルは任意の仲間に対してプールした経験値を付与することすら可能になっている。
各種実験によって、ソルも所属すると判定される第1パーティー以外が得た経験値の一部は、『プレイヤー』に蓄積されることが確認されている。
そしてこの一ヶ月で、その量は対象人数が一人であればソルと同レベルまで一気に引き上げることが可能なほどのものになっている。
それを今、世界の再生を終えようとしている『妖精王』の器、アイナノア・ラ・アヴァリルに行使しようとしているのだ。




