第091話 『神殻外装』③
「あれ? 魔創義躰でも捕食できるんだ?」
10体からの『竜砲』全てをその身に受け、もはや原形をとどめていない『神殻外装』を1体だけ残しているルーナの『魔創義躰』が喰らっている。
分身体は腕を組んで宙に浮いているだけだが、『神殻外装』に施された逸失技術による艤装を器用に除外して頭から喰らってゆく『魔創義躰』は完全にその制御下にある。
魔力で形成されているとはいえ、その姿は全竜の真躰となにも変わらない。
それがほぼ同じ巨躯を誇る竜の真躰を喰らっている様子は、それだけで相当な迫力があるものだ。
時折ぺっ、とばかりに吐き出される逸失技術の塊が地上へ突き刺さる際に発する轟音を聞いているだけでも、その巨大さは窺い知れるだろう。
まるでその真価を発揮することなく終わったそれらも冒険者ギルドが回収し、これからの人の世界の発展のために役立てるであろうことは疑いえない。
「そもそもこの我も分身体ですから」
「――そういえばそうだったね」
ソルの素朴な疑問に、少し首を傾げるようにして分身体のルーナが答えている。
完全に分離制御することにまだ慣れていないためか、その問いに答えた際に『魔創義躰』も分身体と同じような仕草になるのが、可愛いというべきかちょっと悩んでしまうソルである。
ソルにとっては分身体のルーナこそが本物で、『召喚』の際に目にした片眼片角、背の両翼を失って鎖に吊るされている巨大な真躰の方が本物の「ルーナ」なのだという認識が薄いのだ。
「あの時は淫魔により絶望を与えるためにああしました」
「……なるほど」
ソルの疑問が前回の自身の「捕食」から来ているものだと察したルーナが説明するが、それを受けてソルはちょっと引いている。
竜種の敵に対する容赦のなさを改めて確認できたからだ。
まあ確かに『神殻外装』ほどの大きさを分身体で喰らい尽くすのは無理がある。
事実、同じくらいの大きさである『魔創義躰』で喰らっているからこそ、残すところあと三分の一程度になっているのだから。
「……なあ、ソル」
感心しつつ捕食の様子を見上げているソルに、瀕死のマークが話しかけてきた。
繰る者のいなくなった操り人形のように血まみれで吊るされているマークはもう絶命しているものだと思っていたが、どうやらまだ息があるらしい。
『勇者』化に伴う狂気も死に瀕し、『神殻外装』が喰らった竜砲の感覚還元で、植え付けられた人造魔導器官の大部分が破壊されたことにより解かれている。
常人であれば致命傷でしかない傷をいくつも受けながらもマークがまだ話せるのは、喰われつつあるとはいえ『神殻外装』の加護がまだ活きているがゆえか。
「なんでしょう?」
であれば特に会話を拒否するつもりもないソルである。
一度見逃したにもかかわらずこうして挑んできたからにはここで殺すことを今さら変えるつもりはないが、長い付き合いの元幼馴染が聞きたいことがあるというのであれば、それに答えることは吝かではない。
「どうして……アランを殺したりしたんだ?」
「アランが僕を殺そうとしたからです」
「ああ……」
一番聞きたかった質問に対して、一番聞きたくなかった答えが即答で返ってきた。
なんだってアランがあの時点でソルを殺そうとまでしたのか、今のマークでもわからない。
アランが聖教会――フィオナに成り代わった淫魔に唆されていたことなど、マークは知らないので無理もない。
だがマークはソルの性格をよく知っている。
自ら敵となった相手がたとえ幼馴染であれ、容赦することはないだろう。
そしてそれが嘘ではないことも理解できてしまう。
追放したことを恨んでのことや、元よりアランを殺してやろうと思っていたというのであれば、翌日冒険者ギルドで会うまでに十分そうするだけの猶予はあった。
全竜という絶対の力を手に入れた以上、ソルの側にそういう意思があったのであればあの時点まで生かされている理由はないし、なんらかの理由があったのだとしてもあの時に『百手巨神』たちと一緒くたに始末してしまえば事は済んでいたのだから。
つまりアランも、自分も。
殺すつもりなどなかったソルが、そう判断するように自ら動いてしまったということに他ならないのだ。
「どうして、初めから……教えておいてくれなかったんだ。そうすれば俺たちだって……」
追放を宣言した夜、同じ幼馴染であるリィンとジュリアがなぜ即座に『黒虎』を見限ったのか、今のマークは理解できている。
自ら気付けなかった不明を恥じるべきでもあるのだろうが、初めからそうだと教えてくれていたらこんなことにはならなかったという恨み言はどうしても出てしまう。
「危険度が高いと判断していたんです。ですが確かに僕もやり方を間違っていました」
「はは、は」
だがそういわれてしまえば確かにそうかもしれない、と思ってしまうマークである。
別にマーク率いる『黒虎』は無敵のパーティーだったわけではない。
ソルの本当の力が自分たちから漏れた場合、全竜を手に入れる前のソルにどんな脅威が迫っても不思議はないというのは理解できる。
それにソルは別に、リィンとジュリアにだけこっそり事実を教えていたというわけではない。
女性陣二人が言われずとも気付けたことを、力に溺れたアランとマークは気付けなかったというだけのことだ。
「……お前の夢、叶うと良いな」
自分たちこそが足手纏いだったのだと、今なら嫌でも理解できる。
あの子供の頃にみんなで誓った夢を叶えることにソルが拘っていたがゆえの、2年もの停滞だったのだ。
だが自分とアランが追放などと言い出したことがきっかけであれ、ソルにとっては要らん足枷がなくなったのだ。
であればせめて、ソルとリィン、ジュリアの三人だけでもあの日5人で夢見た迷宮の最奥、魔物支配領域の最果て、『塔』の彼方を目にして欲しいと素直に思う。
「俺の夢は……はは、初めから叶うはずのないもんだったなあ……なあソル、もしも、もしももう1度初めからやり直せたら、俺たちは――」
自分はもう助からない。
だったらせめて偽りとはいえ元『黒虎』のリーダーらしく格好をつけて死にたい。
そう思っていたのに、心はままならない。
死にたくない、ソルの今の力なら助けてくれることも出来るだろう、土下座してでも泣き喚いてでも命乞いをせよと魂がひしり上げる。
だがだんだん早口になっていったマークの言葉は、不意に途切れた。
マークの魂がなにをどう思っていようが、そんなことはまるで関係なく今の時点で命の灯が消え果てたのだ。
マークの瞳に宿っていた光が消えて失せ、ただの死体になり果てる。
ルーナの『魔創義躰』が『神殻外装』を喰い尽くし、素体だけではとっくに活動停止していたマークを存えさせていた根源が失われたのだ。
最後の言葉も言い切れずに死んだことは、さぞや無念だろう。
だが死とはそういうもの。
例え他者にそれを強いようとしてなどいなくとも、それは誰にでも訪れ得る絶対の終焉。
「さよなら、マーク」
だからソルはもう、なにも語らなくなったマークに別れを告げる。
一度でも他者にそれを強いようとした者が、その理不尽から救われることなどないのだと覚悟を決めているのだ。
アランとマーク。
どんな理由があれど、二人にそれを強いた自分もまたそれは同じなのだと理解している。
だがそんなソルの心の在り様とはまるで関係なく、事態は推移する。
マークが死に、そのマークに与えていた能力が『プレイヤー』に戻ってくると同時、真紅に染まった表示枠がいくつもソルの周囲に浮かび上がったのだ。
「なんだ!?」
驚愕の声を上げるソルにかぶせるように、巨大なルーナの『魔創義躰』も苦悶の咆哮をあげ、その漆黒の魔力に真紅の閃光が幾重にも走り抜けている。
ソルの表示枠では徐々に緑の領域が真紅に染められていく様子が映し出され、明らかに『プレイヤー』が外部からの干渉を受けていることを示している。
ソルにだけ聞こえているであろう警報音がけたたましい。
『旧支配者』が仕掛けた最大の攻撃が今発動しているのだ。
『勇者』と『神殻外装』で岐神と全竜を排除できればそれでよし。
それが叶わず破れた場合でも、『勇者』に付与された各種能力は岐神――『プレイヤー』へと還り、全竜は完全体となるべく間違いなく『神殻外装』の核を成す竜種の真躰を捕食する。
であればそこへ毒を仕込むのは当然のことだ。
なにも力で勝てずとも、やりようなどいくらでもある。
その力そのものを自在に使役可能なように取り込んでしまえばいいだけの話なのだ。
逸失技術に詳しいはずもない現代に生まれて間もない岐神と、千年もの間封印されていた全竜ではそれに抗する手段などない。
――はずだった。
「やっぱり『神殻外装』そのものが毒餌だったね」
だが表示枠をじっと見つめているソルに、焦りの色はない。
『旧支配者』たちがこの必勝の手段を仕込むために要した時間は、ソルとルーナにも平等に与えられていたのだ。
優れた知能を持つフレデリカや王族たち、魔道具に関しては図抜けた知識と発想を持つガウェインたちであれば、ソルの『プレイヤー』や全竜に対して、逸失技術に長けた敵が仕掛けてくるであろう手段にある程度あたりをつけることは出来るのだ。
その後全竜が持つ呪術系の能力を総動員して各種実験を繰り返した結果、『プレイヤー』にはその手の攻撃に対する対抗手段がある事は確認できているし、ルーナも『捕食』対象に毒を仕込まれる可能性をきちんと認識できるようになっているのだ。
結果は賭けだが、これがあることを覚悟できているソルとルーナは必要以上に慌てもしない。
そしてフレデリカたちの予想通り、一時半分を超えて赤く染まった表示枠はゆっくりとではあるが徐々に緑に戻りつつある。
外部からの侵入に対する防壁が機能し、相手を駆逐し始めたのだ。
そうなれば逆に、侵入者の尻尾をつかまえることも出来る。
危うい賭けではあったのは確かだが、どうやらそれにソルとルーナは勝ったらしい。




