第089話 『神殻外装』①
「ソルぅう! 俺は! お前よりも強くなったぞ!」
「いや、それは初めからそうだったよね」
今さらマークに言われるまでもないと、ソルはため息をつく。
確かにルーナと共にすべての『仲間』たちの強化に付き合ったからには、ソルの素体レベルはとんでもない数値になってはいる。
戦闘態勢になった際には膨大な魔力光を噴き上げるし、未だソルと関わっていない冒険者や兵士といった『能力』に恵まれただけの者たちであれば瞬殺も可能だ。
こうなる前の、『黒虎』のリーダーだった頃のマークであれば鎧袖一触できる。
だがソル自身には武技も魔法もスキルも、もちろんH.PもM.Pも付与することができず、つまるところ「ものすごく強化されただけのただの人」の域を超えることは出来ていない。
相手に飛ばれれば見上げるしかないし、不意打ちで武技や魔法を当てられればいくら引き締まっていようがH.Pに護られていないただの人の身体は簡単に崩壊する。
さすがに戦闘態勢に入っていれば普通の人間が振るう武器での攻撃くらいは弾き返せはするのだが、それだって油断していれば致命傷を喰らってもおかしくはない。
つまり改めて宣言されるまでもなく、フレデリカですら勝てない今のマークにソルが勝てるはずもないのだ。
今この場所にソルがいるのもルーナの戦闘には絶対に参加すると決めているからであって、浮遊ひとつとってもルーナに頼っている状況である。
またルーナが片時たりともソルの側から離れようとしないのはそのためだ。
ルーナと離れている時にソルが単身で何者かと接敵することを考えれば、常に共にいて『全竜』でさえ勝てない相手の場合はともに敗れるだけである。
ここまでマークが自分を敵対視しているのは、おそらくアランを殺したことを聖教会から教えられたゆえだろうということくらいは想像がつく。
だがソルにしてみれば先に自分を殺そうとしたアランを排除しただけであって、それをマークに責められてもさほど心が痛むこともない。
アランが無関係を断言したことによってマークを疑うことはやめたソルではあるが、それはあくまでもあの時点でのことであって、今改めて殺しにかかってくるのであれば降りかかる火の粉として払うだけだ。
事がこうなった以上、マークの想いがどのようなものであれ、そんなものに付き合うつもりなどソルにはまったくない。
自分に悪いところなど皆無だったなどと嘯くつもりもないが、少なくともソルはマークとアランを自分から殺そうと思ったことなど一度もない。
先に殺そうとされたから排除する、ただそれだけだ。
もしもルーナと共に負けるのであれば、それは力を以て己の意志を通そうとした者が受け入れなければならない結末のひとつというだけの話に過ぎない。
「まずは絶望させてやる!」
だがそれをソルの諦観と取ったのか、歪んだ笑いを浮かべてマークが嘯く。
諦めて死なれるのではつまらない、ソルが死ぬ前にソルが大事にしているモノを全て踏みにじってやろうと思ったのだ。
それはあの日、冒険者ギルドで引き攣った笑いを浮かべていることしかできなかった、己の惨めな記憶に起因する悪意なのだろう。
そのマークが漆黒の魔力光を13本発生させ、今は地に伏している13の人造天使へと繋げる。
それと同時、もはや巨大なだけで無残に損壊した人の遺体と変わらなくなっている人造天使たちが折れた首や捻じ曲がった四肢のままに立ち上がり、再び黒い光の天輪と背翼を発生させて浮かび上がる。
大量の血を垂れ流し、一部の臓物や眼球、千切れた四肢の一部を地に落としながらでも浮かび上がるその様子は悪夢そのものだ。
人造天使たちの遺骸に再び込められた『勇者』の力も含め、今なお地表で茫然としているただの人間たちには、なすすべなどない相手。
それは自称『神軍』側も、150名の超越者を擁するエメリア王国側もなにも変わらない。
ソルの仲間もそうでない者も、本来ならば一様に鏖にされて終わるしかない。
そうしてやると確信して、狂気に支配されたマークの顔が愉悦に歪む。
だが――
「阿呆か貴様は。我を前にしてただ巨大化しただけの『勇者』の試作体などが役に立つわけがあるまいが」
呆れたようにそう全竜が口にすると同時、人造天使よりも巨大な槍が13本顕現し、なんの抵抗も許さずに脳天から13体すべてを貫いて地にその巨体を縫い付ける。
巨大な槍に串刺しにされた13の巨大な人造天使たちの奇妙な遺骸は、高熱に浮かされた際に見るとりとめのない悪夢のオブジェのようにしか見えない。
だがいかに醜悪すぎる光景とはいえ、それは地表の者たちにこれ以上ない安堵を与えた。
これから人類の守護者となるソルと全竜は、この悪意の塊のような力を払うことができると証明してくれたのだから。
「し、知っているぞ全竜! いや邪竜ルーンヴェムト・ナクトフェリア! 貴様の真躰はいまだ封じられたままで、今はただの分身体だということをなあ!」
絶望を振り撒かんと再起動させた手駒たちを苦もなく無力化されたマークが、引き攣った笑いを浮かべてルーナを指さす。
『旧支配者』に勇者化されただけあって、必要最低限な知識もまた脳に焼き付けられているらしい。
「だとしても『勇者』のまがいもの程度に後れを取る我ではないわ」
だがマークの強がりをルーナは一蹴する。
ルーナは初代を知っている。
それに負けたことによって千年の生き地獄を味わわされることになったのだ、「誰よりも」と言っても過言ではないかもしれない。
だからこそ本来の『勇者』の本当の強さも、その力のからくりも知っている。
カタチだけを、素体のスペックだけを再現した今の二代目など、分身体の身であってもまるで恐れるに足りないと強がりなどではなく確信している。
『勇者』はそれ単体では、竜種が畏れるような存在などではないのだ。
「違う! 俺は真の二代目『勇者』だ! 初代よりも千年分進化している!」
「時間の経過が必ず進歩をもたらすとは限らんのだ、まがいもの」
だが今の自分の自信の軸を否定されたマークは黙っていられない。
自身が二代目の『勇者』だと確信できているからこそ、ソルを殺そうとその前に姿を現すことも出来ているのだ。
そうでなければ恐ろしくて、とてもそんなことなどできはしない。
千年前に邪竜を封じ、世界を救った『勇者』の進化した姿。
それこそが己だと信じているからこそ、マークはまだなんとか持っているのだ。
だがそのマークに答えたルーナの言葉は自嘲を孕んでいる。
自身も同じ千年の時を閲しながら、強くなるどころか狂気に囚われて自分を見失うほどまでに駄竜と化していたのだ。
もしもソルに救われていなければと考えれば、マークのことを嗤うことも出来ない。
「うるさい! うるさい!」
「やかましいのは貴様だ」
だが駄々っ子のように否定を続けるマークの懐へ飛び込み、全力で蹴り上げる。
さすがにその一撃だけでまがいものとは言え『勇者』を始末することは出来ないが、冗談のような衝撃音と共に雲を割って遥か上空にまで吹き飛ばす。
それをソルと共に高速機動で追跡し、追撃を連続で叩き込む。
地表からはいきなりソルとルーナ、マークがいた位置から上空へ向けてまっすぐに飛行機雲と同時に衝撃波音響が幾重にも発生したようにしか見えまい。
「それ以上の芸がないのならもう殺すが、いいか?」
まともな反撃も出来ず、血と胃液を巻き散らかして吹き飛ぶマークを冷たく一瞥し、ルーナが挑発する。
事実ただマークを始末するだけならば、最初の接敵でそうしている。そうできる。
わざわざ待ってやっているのだから、出し惜しみせずにさっさと奥の手を出せと、ルーナはそう言っているのだ。
「こ、このおおおぉ! ではこれを! これを見てもまだそのすました顔でいられるのか邪竜! 千年前『全竜-1』の真躰を以てしても勝てなかった、こいつを!」
あっさりとその挑発に乗って、マークが巨大な球形魔法陣を幾重にも展開させる。
たとえ挑発がなかったとしても、今の一連の打撃を受けただけで『勇者』の素体だけでは全竜の分身体にも勝てないことを充分にマークは悟っている。
どちらにしても奥の手を出すしかもう、マークに残された手はないのだ。
「だからさっさとそれを呼び出せと言うておるのだ海老。我は主殿のために真の『全竜』とならねばならんのだ。さっさと鯛に喰われろ」
今この瞬間からでも、うおおおなどといいつつ魔法陣を展開しているマークを屠ることなどルーナには容易い。
だがルーナにしてみればさっさと今の全竜であれば倒せると確信している、『勇者』の真の力を呼び出してもらわねば困るのだ。
勇者としての知識を焼きつけられたマークが口にした『全竜-1』
ルーナ自身が口にした真の『全竜』
その言葉が意味するとおりの存在が、マークが顕れた時と同じ、ただその規模を数百倍してその背後に発生している黒洞と、それを中心に幾重にも重なった巨大な球形魔法陣を介して、城の如きその巨躯を亜空間からこの地へと顕現させる。
天空に浮かぶ城の如き巨躯。
天候さえ変えうる竜語魔法と、万の軍勢すら焼き払う息吹。
剣も矢も、魔法までをも通さぬ強固な鱗。
人も獣も魔物も一切合切の区別なく、等しくただの獲物として引き裂き喰らう爪と牙。
捻じれた巨大な竜角と、背後に大きく展開された両の竜翼。
強大な四肢と長大な尾を以て人の如く直立する、巨大な竜の真躰。
今この世界において、全竜以外に唯一現存する竜種の真躰をその基礎とし、ありとあらゆる逸失技術によってその全身を鎧った『勇者』が纏うべき絶対無敵の鎧。
それは『旧支配者』最大の切り札である『神殻外装』
千年前に全竜を倒して封印し、その後も人類に敵対したすべての存在を屠った人の持つ究極の力。
人が人であり続けるために、人を棄てた『勇者』が振るう真の力。
それが今、ソルとルーナの狙い通りに『召喚』されたのだ。




