第085話 『聖戦』②
勝利を確信していた人造天使たちによる飽和攻撃をたった一人の人間ごときに完封され、グレゴリオⅨ世の思考が完全に停止する。
それぞれが魔物支配領域の領域主級の巨躯を誇る人造天使たちはすべて、基本的にグレゴリオⅨ世の支配下に置かれているので、その動きもまたその思考に同期して停止している。
グレゴリオⅨ世にとって、今目の前で展開された光景はありえていいことではなかった。
世界の理、その真実の一端に触れ得る教皇の地位にまで聖教会内部で成り上がり、この世界をいまだ実効的には統べている『旧支配者』たちの意志代行者――まさに神権の地上代行者と嘯けるまでの立場を手に入れた自分は相手を茫然とさせる側であり、させられる側などであっていいはずがない。
逸失技術兵器である人造天使を目の当たりにした愚民共は茫然とし逃げまどい、神から与えられたと信じ込んでいるちっぽけな力など、真の支配者の力の前にはなんの役にも立たないことを知って絶望と共に死ぬべきだ。
その上で神ではなくグレゴリオⅨ世の慈悲によって生き存えた塵芥共は、信仰の化粧をした服従を以て、永遠に続く聖教会の歴史において『中興の祖』と後世から呼ばれることになる己を崇めていればそれでよい。
そのはずが岐神と全竜ですらない、つい一月前まで取るに足りぬ人でしかなかった者が、支配者側に名を連ねるグレゴリオⅨ世を茫然とさせるなど不敬が過ぎる。
「おや意外とぬるい攻撃なのだな。『絶対障壁』が残っている」
対していまだ自軍を半包囲したままの宙に浮く巨大人型兵器を前にして、王族とはいえただの人であるはずのマクシミリアは平然としている。
もはや浮遊を駆使して空中で機動することを当然としているマクシミリアが、自身が展開した無数の『絶対障壁』がすべて現存していることを確認して意外そうに独り言ちている。
その姿はもともと美形である事も手伝って、伝説の魔法使い然としている。
惜しみなく金を掛けられた外連味に溢れるその衣装は、マクシミリアが思い描いていた『稀代の魔法使い』というイメージを十全に表現できているのだ。
魔法陣をいくつも回転させている杖が槍っぽいシルエットなのが、密かにお気に入りである。
「ということは全員に多重展開をさせれば、こちらが一方的に殴れるというわけだ」
豪奢な長外套を芝居がかって翻し、にやりと不敵に笑って見せる。
今のマクシミリアを以てしても、さすがに3万いるエメリア軍全員に『絶対障壁』をかけることは不可能だ。
だがこの戦場で実際に戦闘行為を行うことを想定されている者たち――6人を一組とした1パーティーが25組、150人に対してであれば余裕で可能である。
最初こそ自分と自分の仲間たちで1から強くなっていくことを望んだマクシミリアだったが、『聖戦』におけるエメリア王国側のシナリオをソルとフレデリカから聞かされてすぐに前言を撤回し、必要なだけの高速強化を受け入れたのだ。
冒険者としての自分の理想よりも、王家の血を継いだこの時代における『絶対障壁』の継承者として、エメリア王家の責務を果たすことを最優先としたのだ。
その結果、血継の唯一魔法である『絶対障壁』にえらく興味を持ったソルに気に入られたマクシミリアは、実に3ヶ所もの『禁忌領域』の解放に同行し、現在『プレイヤー』の恩恵を受けている者たちの中でもトップクラスのレベルにまで至っている。
マクシミリアを凌駕しているのは大先輩であるリィンとジュリア、もはや王族や妹である事よりもソルの側付きであれる事が最大の力となっているフレデリカくらいのものである。
レベルが3桁に至った者が戦闘体制に移行すればその身体から吹きあげる魔力光は、人の身のままに強化された内在魔力生成器官が生み出す魔力が溢れ出すほど膨大な量に至ったがゆえだ。
このことからも『プレイヤー』が人に与える力とは、『旧支配者』たちが逸失技術を以て人の形を失わせてでも再現しようとしている原型なのかもしれない。
とにかく今のマクシミリアの生成内在魔力量を全て『絶対障壁』の展開へと回せば、相当な時間13体の人造天使の攻撃に対して、相対するエメリアの兵たちを「無敵」のままに維持することが可能だ。
「では僕の仕事は戦闘の決着がつくまで全員に『絶対障壁』を展開し続けることだね。さて僕のM.Pが尽きるのが先か、13体の天使様たちすべてを地に叩き墜とす方が先か。任せたよ、愛すべき我が妹姫――『拳撃王女フレデリカ』よ」
『そういうのは自称するものではありませんのよ、お兄さま!』
指揮官クラス――ソルの認識では6人単位でのパーティー・リーダーには与えられる通信専用表示枠を介して、今はもう人類最強の一角を担っているエメリア王家の兄弟が他愛ない会話を交わしている。
妹姫への呼びかけと共に、150人25パーティーの全員にマクシミリアが『絶対障壁』を展開すると同時、その150人はパーティー単位で13体の人造天使へ向かって空を駆けて突撃を開始している。
光り輝く魔力光に身を包んだ兵たちが人造天使の巨躯へと挑みかかるその様子を俯瞰すれば、神話で語られる『怪物』を倒さんと挑みかかる天使たちの構図と奇妙に一致する。
それはソルに選ばれ、『プレイヤー』の仲間となったこの場にいる150人はもとより、エメリア王国の国境各地で侵略軍を蹴散らしている者たちにも共通した認識だろう。
与えられた力を以て人をより安全で豊かな暮らしに導き得る自分たちこそが、正しく神の尖兵だと信じられるのだ。
だから巨大な人造天使と相対することになっても、怯んだりはしない。
実際はこの一ヶ月の間にレベルが遥か格上であるリィンやジュリア、フレデリカとの模擬戦闘だけに留まらず、各々の感覚が「絶対に勝てない」相手を察知できるよう、全竜ルーンヴェムト・ナクトフェリアに全員で挑むという荒行をさせられていたゆえなのだが。
決意や意識だけではとても挑めない相手もいる。
まあそのおかげもあって、今エメリアの大戦力たちは敵が自分たちではどうにもできない存在であるかどうかの判断だけではなく、危険な技を行使しようとする気配にすら敏感に反応できるようになっている。
その彼らの戦闘感覚が告げているのだ。
――このデカい天使様っぽいの、わりと見掛け倒しじゃね?
と。
ルーナの『竜砲』が何度か鼻先をかすめる経験をしていれば、誰もがそうなるものらしい。
その先頭を単騎駆け――ソルのパーティー・メンバーの一人と見なされているため、パーティーが振られていない――するフレデリカが、自身が1対1で仕留めんとしている人造天使との距離をあっという間に詰めてゆく。
その姿はマクシミリアに勝るとも劣らない、らしい姿である。
要所は希少な魔物素材から創り出された金色の特殊金属で鎧われてはいるものの、その大部分はまさに王女様といった純白のドレスにしか見えない。
なんとなればその頭には小さな半冠すら載せられており、ドレス・アーマーという本来は実用的ではない、御伽話に出てくるような見栄え重視のおしゃれ装備である。
だがそれをとんでもない『時代錯誤遺物級』の性能に引っ張り上げているのは、九つの禁忌領域を支配していた領域主たち、その魔物素材を惜しむことなく加工、使用したガウェインとアーニャの功績が大きい。
そのおかげでフレデリカは、自身が幼少時から憧れて止まなかった『拳撃皇女アンジェリカ』そのままの出で立ちで戦場に立つことができているのだ。
その拳を覆う、巨大な魔導ナックルも含めて。
わりとその辺は男女の区分なく憧れるものらしく、リィンも巨大な水晶宝剣と大盾、ジュリアも幾重にも魔法陣が展開される神木杖などを再現してもらって喜んでいる。
女性三人が基本的にドレス・アーマーに憧れるのもお約束のひとつなのだろう。
ちなみに男性の場合は、なぜか豪奢な長外套を好む傾向にあるようだ。
『はっは、無粋なことを言うな我が妹姫。どうせ今日から僕たちは『神殺し』の悪名を与えられるさ』
「そのあたりはイシュリー司教枢機卿がどうにかしてくださるハズです。忘れないでくださいお兄さま、今日からは私たちこそが正しい聖教会の信徒となるのです」
その間にも兄妹の他愛ない会話は続いている。
だがフレデリカの言うとおり、今日この場で勝てば聖教会ですらソルの膝下に組み伏せられ、その意志に従って都合のいい真実を謳うようになるのは疑いえない。
そうなれば『神殺し』どころか、今相対している人造天使は「天使に擬態した悪魔」と見なされ、現聖教会は悪魔に付け込まれた憐れむべき犠牲者に貶められるだろう。
神の声を聴いたイシュリー枢機卿が再構築する新聖教会こそが、正しい聖教会になると言うわけだ。
『承知した。ソル殿の不利益になるようなことを口走ったりしたら、お前に撲殺されかねんからな』
「もちろんそのつもりですけれど、それよりも先にルーナ様に喰らわれるか、ソル様に力を没収されますわね」
マクシミリアの冗談交じりの軽口に、シニカルな表情を浮かべたフレデリカが即答する。
『――今後は軽口も控えることにする』
「賢明ですわお兄さま」
神妙な表情で宣言するマクシミリアにフレデリカが獰猛な笑いを見せる。
あるいはフレデリカの方が、冒険者となれることを心から喜んでいるマクシミリアよりも、この稼業に向いた性格なのかもしれない。




