第084話 『聖戦』①
城塞都市ガルレージュから見て北東方向に存在する大丘陵地帯。
万単位の軍勢が余裕で展開できるその肥沃な土地にいまだ名前が付けられていないのは、その場がつい最近まで人の支配下にはなかったからに他ならない。
ガルレージュ一帯を『怪物たちの巣』と言わしめた9つの『禁忌領域』
その中で最もイステカリオ帝国側に近く、その大部分がなだらかな丘陵で構成されていた『№02』がソルによって解放されたがゆえに、人は呑気に軍を展開できているのである。
そうでなければ兵の数の桁がいくつか上がったところで、今はソルたちの戦力の高速育成のために狩られた領域主である、『三位一体の獣』に喰い散らかされて終いだ。
約一月前、最初に解放された『禁忌領域№09』はもっと城塞都市ガルレージュ寄りであり、その大部分は深い森のため戦場とするにはまったく向いていない。
また広大なガルレージュ地帯ではあるが、『禁忌領域』を含んだ魔物支配領域以外で充分な兵力が展開できる、つまり戦場とするに向いている開けた場所などはない。
だからこそエメリア王国とイステカリオ帝国という強国同士が直接国境を接しているにもかかわらず、これまで小競り合い以上の戦闘が発生しえなかったとも言える。
よって約一月前に聖教会による神敵認定と『聖戦』発動を受けたソルが、その決戦にちょうどいい場所として『禁忌領域№02』を選択、即時解放してのけたのだ。
大規模な軍が展開できないガルレージュ地帯で分断され、誰にでもわかる圧倒的戦力を有するソルとルーナに各個撃破されることを恐れた聖教会と汎人類連盟国家群は、そこを決戦の場に選ばざるを得なかった。
とはいえ正直なところ、イステカリオ帝国軍と聖教会の教会騎士団を中核に編成された『神軍』――総勢7万を数える大軍を以てしても不可能な『禁忌領域№02』の解放をやってのけた相手と、正面から戦争をしようという時点で無理がある。
各個撃破される方が生き残れる可能性はまだしも高く、大丘陵地帯に展開して一撃で薙ぎ払われることを警戒する方がまともだと言えるだろう。
それでも各国がエメリア王国を迂回する手間をかけてまでこの地へと兵を出したのは、『聖戦』に協力的でないことによって自らも神敵とされることの恐怖と、当の神敵とされたエメリア王国のエゼルウェルド王直筆の親書によって、戦場で敵対行動をとらなければ攻撃しないと保証されているからというのが大きい。
一方、聖教会の方も『聖戦』の体裁を整えるために汎人類連盟所属の国家群からの出兵を強いただけであり、自ら神敵と認めたソルとルーナを相手にただの兵士が戦力として通用するなどとは初めから考えてなどいない。
もっともイステカリオ帝国だけは、自らが管理すべき『囚われの妖精王』を奪われたという恥を雪ぐため、本気で主力軍を展開している。
神敵の狙いが『囚われの妖精王』の解放だと明言されているため、帝室が保持するその封印を解く鍵を奪われるわけにはいかないということも大きい。
帝位を継いだ皇室の者が先代から受け継ぐ人造魔導器官が『妖精王』の意識を封じる鍵を兼ねており、それを破壊されれば現皇帝が死に至ると同時に、尚武を国是とするイステカリオの礎である『魔導皇帝』の力が失われるともなれば、本気になるのもやむを得まい。
だがそれ以外の国家群の多くは、本気で『禁忌領域』を解放するような怪物と事を構えるつもりなどない。
小国は百程度、それなりの大国でも千を最大とする『神軍』を構成する神兵たちの役目は、すべての国家の軍旗を聖教会の神旗と共に丘陵に立てた時点で終了しているとさえいえるのだ。
それに聖教会の教皇グレゴリオⅨ世が各国に期待しているのはこの決戦の地で戦力となることなどではなく、ソルとルーナを聖教会秘蔵の『逸失技術兵器』で仕留めている間に、エメリア王国をその周辺国家が蹂躙してくれることである。
すでにグレゴリオⅨ世は神の名の下に、この地での『聖戦』が開始されると同時にエメリア王国へとすべての国境を接する国がなだれ込み、好きに略奪することを赦している。
神権の地上代行者である聖教会に従わぬ存在がどれだけ無残な目にあわされるのか、エメリア王国という豊かな大国の国民すべてを虐殺することによって、次の千年の安定の礎とする心算なのだ。
世界規模の宗教屋を敵に回すということは、斯くも恐ろしく悍ましい。
商売道具に敵対する者は排除すべき塵でしかなく、赦すべき隣人などではない。
奪い殺し凌辱し、その奪った富を分配してこそ神の威は示されるというわけだ。
だが今、それらの目論見はすでにすべて破綻し、グレゴリオⅨ世が指揮座を置く本陣、イステカリオ帝国2万と教会騎士団5千による中央神軍は混乱の極みに叩き込まれている。
「ど、どういうことだ。神敵である岐神と邪竜はこの地にいるはずだろう。な、なにが、なにが各地で起こっているというのだ!?」
『旧支配者』から得た許可によって、今この地には聖教会が秘蔵していたすべての『逸失技術兵器』が展開している。
それはグレゴリオⅨ世ですらどうやって稼働しているか理解できていない、だが『旧支配者』の許可が下りれば時の教皇の意のままに敵を屠る、巨大な『天使』の姿をした自律兵器たち。
その数は13。
淫魔など比べ物にならず、その気になればたった一体でも『国喰い』をも消し飛ばせる『天使』の力をグレゴリオⅨ世はまるで疑っておらず、この地での決戦に自らが破れるなどとは毛先ほどすら考えていない。
この地に展開した各国の兵たちも、転移魔法を以てこの地に顕現し、そのまま空中に浮かんでいる13体の天使型決戦兵器を目にした瞬間から、聖教会に逆らわなかった自分たちの判断を正しいものだと確信している。
「わ、わかりません。ですが各地の神罰執行軍に派遣していたすべての教会騎士からの連絡途絶。一切応答しません!」
混乱するグレゴリオⅨ世の問いに、正しく答えられる者などいるはずもない。
聖教会の一定以上の位階にいる者であればもはや当然としている『逸失技術』のひとつ、通信機器を使っての遠隔陣地を連動させての侵略はすでに破綻している。
それだけならばまだしも、最後に入った各地からの通信がすべて恐怖に怯えた意味不明な断末魔ばかりであったことが今の混乱を招いているのだ。
天使ほどではないが、各地へ派遣した教会騎士たちにも相当強力な個人携帯可能な『逸失技術兵器』を与えている。
岐神や邪竜が相手なのであればともかく、エメリア王国の国境警備騎士団程度であれば苦も無く蹂躙できるだけの戦力のはずなのだ。
それが一方的に殲滅させられたとしか思えない状況に陥れば、さすがに混乱もする。
なんのことはない、『旧支配者』の指示通りに時間稼ぎをしているつもりのグレゴリオⅨ世の思惑など知ったことではなく、ソルはこの一月で『怪物たちの巣』における『禁忌領域』九つすべてを解放し、その際にエメリアの国境防衛に必要なだけの人数の兵士たちを、とんでもないレベルにまで引っ張り上げることに余念がなかったというだけの話だ。
『逸失技術兵器』に身を包んだ教会騎士たちに率いられ、豊かなエメリア王国の領土を蹂躙し尽くすつもりで舌なめずりしていた侵略軍たちは、自分たちをあたかも蟻を踏み潰すかのごとく蹂躙できる『プレイヤー』の恩恵を得た兵たちによって殲滅されたのだ。
エゼルウェルド王が親書によって約したのは決戦の場において敵対しない兵たちの安全と、その兵たちを派遣した国の存続であって、その隙をついてエメリア本国を蹂躙しようと聖教会側にすり寄った侵略国家共の安寧ではない。
よって派遣されてきた教会騎士には応じず、自軍の展開は決戦の場だけにしていた国家はいまだなおなんの被害も被ってはいない。
すべてが終わった後、聖都に報告して準神敵認定くらいはしてやると憤っていた、その国へ派遣された教会騎士たちがすべてこの世を去っただけだ。
だがそんな情報も通信機器ごと殲滅されている以上、グレゴリオⅨ世の本陣に届くはずもない。
「ま、まあいいでしょう。この地で勝利すれば問題ありません」
慌てはしても絶望にはまだほど遠いグレゴリオⅨ世は、力ずくでこの状況を打破するべきだと判断した。
13の巨大な天使たちを以てこの地に展開するエメリア王国軍ごと岐神と邪竜を倒してしまえば、後はどうとでもなる。
それにこの地に岐神と邪竜が居らず、エメリア国境の防衛に回っているというのであればこの地での勝利はより不動のものとなる。
まずはこの場で敵を蹂躙し、聖教会の力と権威をこの地に集う各国の軍へ示すべきなのは確かに間違いではない。
そう大したものでもない『逸失技術』である表示枠や拡声器を使って、芝居がかった『聖戦』の発動とその後の蹂躙を画策していたグレゴリオⅨ世は、それを惜しいとは思いつつも問答無用で押しつぶすことを正しく選択した。
そのグレゴリオⅨ世の意志に従って13体の巨大な天使すべての頭上に光輪、背に光翼が顕現し、莫大な魔導光を纏って浮かび上がった。
そのまま3万程度のエメリア軍を上空から半包囲し、それぞれが無数の閃光による攻撃を一方的に浴びせかける。
普通であればこの一撃だけで、エメリア軍は壊滅するしかなかっただろう。
だが当然、そうはならない。
そうはさせない。
だが淫魔の攻撃から城塞都市を護った時のように全竜が『竜砲』を以て薙ぎ払ったわけでも、リィンが『神の雷』を弾いた際のように巨大な光の壁で防いだわけでもない。
「はっはー! さすが神敵に認定されただけはあるね。僕たちエメリアは聖なる天使様の敵というわけだ!」
陽気な声と共に浮遊魔法を以て天使たちと同じ高度に至った美形王子。
「だが聖なる天使の一閃であれ、邪悪なる悪魔の一撃であれ、エメリア王家血継能力である『絶対障壁』はそのすべてを通しなどしない!」
その宣言と共にマクシミリアが大仰に両手を広げると同時、13の天使たちが放ったすべての閃光に相対する『絶対障壁』が半球状に無数に顕れ、そのすべてを完全に無効化する。
ソルとフレデリカはこの『聖戦』の緒戦において、『プレイヤー』と『全竜』の力ではなく、『禁忌領域』の魔物たちを倒して強化した人の力を以て、聖教会の『逸失技術兵器』による戦力を屠ると決めていたのだ。
あたかも『旧支配者』たちが嘯く、
『神と怪物を殺すものは常に人であらんことを』
の文言を実践するが如く。




