第080話 『エメリア王国』④
「ですが一度冷静にお考え願います。私がソル様から今回の交渉を任されていることに過度な期待をされては困ります。私はエメリアの国民を救うためであれば、エメリアの現王家を滅ぼすことも躊躇いませんよ? 私がいれば血は継げますし」
そしてにっこりと微笑んでそう告げる。
フレデリカはエメリア王国を愛している。
そこにはもちろん家族である王家や、歴代忠実に仕えてくれた貴族家たちも含まれている。
だが首脳部が機能不全を起こして国民に被害を及ぼすと判断すれば、その愛ゆえに頭を挿げ替えることも辞さないぞと言い放ったのだ。
フレデリカが愛しているのは国民であり国土であり、一応はそれに含まれているとはいえ大多数に害をなすと判断すれば既得権益者の立場など知ったことではないのだ。
「そりゃそうだ。有翼獅子を一撃で仕留められる相手に王城まで侵入されておいて、まだ駆け引きが成立すると思っている方がどうかしているね。でもどうだろう、聖教会やイステカリオ帝国がソル殿以上の力を隠し持っている可能性は無いのかな?」
そのフレデリカのとびきりの笑顔での恫喝に、はじめて第一王子が頭をかきながらあえてフランクな口調で反応を示す。
フランツ・テオ・ラ・エメリア。
エメリア王家の長子として生を受けながら、12歳になる1月1日に『絶対障壁』を授かることができなかったがため、第1位の王位継承権を弟に譲らねばならなかった苦労人。
だが商才に恵まれ、その穏やかな性格も相まって各国との貿易において目覚ましい活躍をしている。
王位継承はすっぱりと諦め、弟の治世を経済の側面で支える肚を決めてもいた。
軍部にカリスマ的な人気を誇るフレデリカ、圧倒的な実益を以て主に大商人たちからの人気を集めるフランツ。
その二人を両腕として、マクシミリアが『絶対障壁』という王家の力で有力貴族を制御する治世は、平時であればエゼルウェルド王の目論見通り理想的だったのかもしれない。
だがもはや今、この大陸は非常時となったのだ。
「フランツ兄さま。それは充分に考えられます。ですがたとえそうであったとして、それが今この状況になにか関係が?」
「ないね。今間に合わないのであれば、『聖教会』が黙っちゃいないぜなんていう脅し文句にはなんの意味も価値もない」
フレデリカはフランツが、この場にいる皆に状況をわからせるためにこの問答を仕掛けてくれていることを即座に理解した。
相手が紳士的だからと図に乗るのは愚か者でしかない。
自分たちの王がすでにそれを理解して動いているのに、臣下があまりにも阿呆では愛想をつかされかねないぞと、フレデリカとフランツの問答を以って示そうとしているのだ。
今この瞬間にソルが「もういいやフレデリカ。こいつら殺そう」と言ったとしても、自分たちにはそれに抗する力などない。
マクシミリアが畏れる聖教会がよしんばソル以上の力を隠し持っていたとしても、その力で護られるのはエメリア王国以外であって、自分たちにはもう間に合わないのだ。
「それにそんな力を持ちながら、民衆に魔物に怯えて暮らすことを強いていたというのであれば、敵とするには充分ではありませんか?」
「違いない。だったら先刻の条件は慈悲が過ぎないかい? 最初にソル殿につけるメリットを最大限に活かすのであれば、聖戦のどさくさで厄介な国を削るべきじゃないかな」
フレデリカの言葉は、あくまでも民衆視点でとはいえ間違ってはいない。
『禁忌領域』を苦もなく開放できるソルを排除できる力を隠し持ちながら、それを魔物に怯えて暮らす人々のために使わなかった従来の『聖教会』は悪だということは充分に可能だ。
じつはそこにもっともな理由が隠されていたとしても、目先の安全と利益を提供できるソルに対しての「敵」だと思わせることは不可能ではない。
少なくとも城塞都市ガルレージュの住民や、この後有翼獅子の遺骸を見せることが可能な王都の民衆たちであればその方向に誘導することはそう難しいことではないだろう。
その際にはイシュリー司教枢機卿の存在が大きく影響する。
自分たちは正しく新たな『新聖教会』を信じており、否定するのは力を持ちながら旧態依然とした『旧聖教会』であり、けして神様ではないと言えるようになるからだ。
「ソル様の力を目の当たりにすれば、従来の軍事力を維持できたところで意味などないと悟りますよ」
「だけど実際に殴りつけられなければ甘く見る連中は絶対に出るよ。それは我がエメリア内においても例外じゃない」
「それは――」
だったらこの際、厄介な勢力を削っておけというフランツの意見はもっともだ。
一見正しく聞こえるフレデリカの言葉は確かに甘い。
人は個人であればわりと優秀で冷静だが、集団となると途端に愚かになる側面を持ち合わせている。
そして都合のいい考えに沿って動いた結果、最終的な犠牲者が桁違いに増える可能性は十分にある。
フレデリカは自分の優秀さを前提として、誰もが自分と似た判断を下すはずだと他人を信頼しすぎているのだ。
商売という理性と欲望が渦巻く場所を主戦場としているフランツの方が、人の愚かさや狡さについては一枚上手なのは事実だろう。
だが――
「敵対する国が一つもなければ、敵対したことにしてエメリア王国にとって潜在的な敵国の軍をいくつか潰せばいいんじゃないかな? 今後の円滑な統治に必要な犠牲だというなら、それも仕方がない」
ソルにしてみれば珍しくフレデリカがたじろいでいるように見えたので、助け舟を出したに過ぎない。
「――なるほど」
だがその発言の苛烈さに、フランツは一瞬言葉を失った。
なにも馬鹿正直に敵として動くように仕向けなくとも、間引きたい相手がいるのであればじっとしているうちに叩き潰せばそれで済むとソルは言い放ったのだ。
死人に口なし、たとえなんの敵対行動をしていなかったとしても生きている側が「した」と言えば生き残りたちは「はい」と答えるしかない。
おそらくは戦場で薙ぎ払われる「間引かれる軍」を目の当たりすることになる生き残りたちは、今後二度とソルに敵対しようなどとは思わなくなるだろう。
気分で自分たちを殺せる相手を、甘く見ることも少なくとも世代が変わるまではあり得ない。
人にとってソルは、莫大な利益と絶対の死をいつでも与えられる、顕現した神に等しい存在となるのだ。
酷いが効果的ではあると認めざるを得ない。
そして時に強さとは、自分の都合のためであれば非道を押し通せることを指すのだ。
「承知致しました。リストアップはお任せください」
さすがに表情を硬くしながらもそう答えるフレデリカの言葉を聞きながら、やっとこの場にいるすべての者が王が即決した大前提を理解した。
エメリア王国正規軍全軍を以てしても、今自分たちの目の前に倒れ伏している有翼獅子を討伐することなどできはしないのだ。
つまり各国の正規軍など、ソルにとっては物の数ではない。
『聖教会』が切り札を隠し持ってでもいない限り、ソルの勝利は動かない。
そして自分たちエメリア王国は、万が一そんな切り札があったとしても間に合わない立ち位置にすでにおかれてしまっているのだ。
フレデリカがソルと出逢ったことが幸運なのか、避け得ぬ不幸だったのかはまだ誰にもわからない。
だが自分たちに選択する権利など初めから無かったことを、誰もが理解した。
「ではこの場に居られる皆様に、安心できる根拠を一つお見せいたしましょう。ソル様よろしいですか?」
ああ、というようにソルが頷くと同時、フレデリカは意識を戦闘態勢へと移行させる。
フレデリカが、王の判断が間違っていなかった証拠を示すのだ。
それはこの場にいる計算高い、日和見な大貴族たちですらソルにすり寄ろうとするに十分足りるもの。
「マクシミリア兄さま。確か兄様付きの近衛の装備には『絶対障壁』をおかけでしたわね?」
「あ、ああ」
後半蚊帳の外に置かれていたマクシミリアが、なぜ今そんなことを確認してくるのかを理解できないままにそう答える。
じつはマクシミリアが継承した『絶対障壁』はかなり弱体化しており、すでに城壁などという大規模建築物にかけることは不可能になっている。
それを知るのは王とマクシミリアだけであり、フレデリカやフランツに対してですら完全に秘匿されている情報だ。
それを悟られないようにするためにこそ、マクシミリアは自分の近衛となった騎士たちの装備に『絶対障壁』をかけることを王から許可されていた。
付与された鎧や兜、盾で受けさえすれば、剣や矢はもちろん魔法も、魔物が使用する特殊な攻撃さえも完全に弾くその装備は騎士たちの憧れであり、エメリア王家の力の象徴である『絶対障壁』が健在であることを内外にアピールする良い広告塔として機能している。
それがあっさり砕かれた。
すでにレベル3桁に至っているフレデリカが意識を戦闘態勢に切り替え、吹きあがる魔力光と共に手練れのはずの近衛二人にまったく反応させることなく、大盾のみを粉砕してのけたのだ。
フレデリカはルーナから『絶対障壁』がそこまで万能な魔法ではないことをすでに聞いている。
一定以下の威力の攻撃を物理、魔法を問わず無効化し、その限りにおいてはあたかも永続のように見えるだけで、それ以上の攻撃を喰らえば一度だけそれを無効化して消え去るものなのだと。
今のフレデリカの打撃は、すでにその域にある。
そして魔物と戦える能力を授かっているとはいえ、所詮一桁レベルでしかない近衛に今のフレデリカの動きを追えるわけもない。
フレデリカは一撃目で『絶対障壁』を消し飛ばし、加減した二撃目で大盾のみを砕いて見せたのだ。
「これが出逢って数日しかたっていない私が、ソル様から与えて頂いた力です」
あまりのことにマクシミリアはもちろん、エゼルウェルドもフランツも含めた全員が声もない。
「そして――」
意識を通常に戻し、吹きあがる魔導光を収めながらフレデリカが微笑む。
その微笑みは優しげで美しくはあるが、人に契約を迫る悪魔のそれのごとき甘い毒に満ちている。
「この力はソル様に選ばれさえすれば、誰にでも与えられます。ちなみに今私は30人分の枠をソル様から与えられております」
そのフレデリカの一言で、エゼルウェルドやフランツでさえも、己が瞳に欲望の色が浮かぶことを止めることはできなかった。
不壊のはずの『絶対障壁』をあっさりと砕き、『禁忌領域』の領域主とすら互角以上に戦える力。
神に選ばれてもなお不可能なその力が、ソルに気に入られるだけで手に入るとなればだれであってもそうなる。
ソルの気分次第でそれを取り上げられることを理解しつつも、人は己が身に神すら超える力を宿すことに憧れを持たざるを得ない。
その欲望に老若男女、貴賤貧富の分け隔てなどありはしないのだ。




