第078話 『エメリア王国』②
「できれば『浮遊』を解いていただくわけにはいかぬかな? 見上げる姿勢での会談は、この老体にはちと堪えるのでな」
エゼルウェルド・カイン・ラ・エメリア。
エメリア王国の今上王。
自身がそう口にしたとおりすでにかなりの高齢であり、髪も髭もすでに白い。
フレデリカのみならず二人の兄である第一王子フランツ、第二王子マクシミリアから見ても、祖父でも不思議はないくらいである。
先代の治世が長かったこともあり、いい歳になって自身が王を継いでから世継ぎを儲けたために、フレデリカたちはやたらと若いのだ。
ちなみに王妃や側室たちも、エゼルウェルドよりもみなずいぶん若い。
とはいえその躰はいまだ引き締まっており、元より端正な顔立ちに責任ある立場で過ごす時間で刻まれた皴が、いかにも大国の王という風格を滲ませている。
王家継承の唯一能力である『絶対障壁』を継いだだけではなく魔法使いとしての能力にも恵まれていたため、若い頃は迷宮や魔物支配領域の攻略に全精力を傾けていたといっても過言ではない、戦闘派の王。
当時『爆炎の狂王子』などと呼ばれていたという黒歴史を知っている者は、未だ存命の元冒険者たちの中にはまだまだ多い。
だからこそ、今目の前に倒れ伏している有翼獅子を倒し得る力がどれほどのものなのか、あるいはこの場にいる者たちすべての中で一番理解しているのだとも言える。
許可も得ずこの場に現れた無礼者に対して、謁見とすらせず会談と口にしているあたり、彼我の圧倒的な差をすでに一人の能力者としては把握できているのだ。
「失礼しました。ルーナ」
「はい」
エゼルウェルドは、このソルの対応に内心でほっとしている。
それはフレデリカが最初にソルと会話した時に感じたものと同じ、この圧倒的な強者が「王族」という存在に対して最低限の敬意を持ってくれている事を悟れたからだ。
有翼獅子を苦も無く倒せるほどの力を有している者が、そうだというのは幸運としか言えない。
となればエゼルウェルドとしては、ソルが期待しているであろう大国の王らしさを裏切らぬようにすることこそが最優先となる。
それが臣下たちの望むらしさとはかけ離れていたところでなんの問題もない。
「……御身がソル・ロック殿。脇に控えておられるのが『全竜』ルーンヴェムト・ナクトフェリア殿ですな」
とはいうものの、浮遊の高度を下げて着地するものかと思っていたら、突然目の前に転移してこられては一瞬言葉に詰まりはする。
すでにそれを当然のこととして平然とソルの隣に立っている、己の娘が頼もしい限りである。
ちなみに王の元へはフレデリカからの書状が早継馬ですでに届いており、ガルレージュでの一連の出来事はほぼ正確に把握できている。
普通であればまだフレデリカが王都へ帰還するまで数日の猶予があるはずなので、事の真偽の判断も含めて多くの臣下、官僚を集め、一番広い謁見の間で会議をしていたら突然本人たちが顕れたという状況だ。
もちろんこれは、フレデリカが仕組んだ演出の一環ということくらいはすでに理解できている。
普通に考えれば、『禁忌領域』を解放してしまえるような存在が、ガルレージュから王都までの移動程度に普通の日数を要するはずもない。
自身も含めてエメリア王国の中枢部が、思っていたよりも冷静さを欠いていたことを改めて思い知らされたエゼルウェルドなのである。
「そのとおりです。僕がソル・ロックで、この娘がルーナです」
「全竜殿をその名でお呼びしても?」
「主殿がそう紹介した相手からであれば、我は気にせぬ」
「承知致しました」
ソルは跪きこそしないまでも、対等の立場を取ってくれるらしい。
だがその従僕である全竜は、あくまでもソルの意志に従って自分は大人しくしているということを端的に表明している。
ここを取り違えると大事になりかねないことを、エゼルウェルドは肝に銘じた。
自分がソルに身内だと思ってもらえるまでは、間違っても「ルーナ殿」とは呼ぶまいと。
「陛下――」
「黙れ第二王子。余がいつ貴様の発言を許可した?」
だがここまでの現実を突きつけられても、まだ自身が大国の王子、しかも第一王位継承権者であるという増長から抜けられない己が次男をエゼルウェルドは強い口調で叱責する。
王が同等以上と認めた相手と会話している最中に、臣下が口を差しはさむなど論外だ。
絶対的強者を前にしてそんなことすら判断できないほど、自分が甘く後継者を扱っていたことを思い知らされたエゼルウェルドは、密かに落ち込まざるを得ない。
平時ではわからぬ解れは非常時にこそ顕わになり、それは往々にして事態を致命的な状況へと陥れる要因となる。
格上との対峙というものは政治の場でも戦場でも、経験を積まなければ決して身には付かないものなのだ。
その意味で『絶対障壁』を継いだマクシミリアにそれを教えることができたのはエゼルウェルドだけなので、誰にその責任を問うことも出来ない。
今のやり取りだけでソルに「がっかり」される可能性を想像して、エゼルウェルドは肝を冷やさざるを得ない。
一方のマクシミリアは、初めて見ると言っても過言ではない父親の厳しい態度とその必死さに、顔色を失っている。
『絶対障壁』という確固たる価値を有した自分を諫める者などこれまで存在せず、否定される時ですら「一理はある」と言われてきたマクシミリアにしてみれば、落ち込む以前に驚愕している。
「ああ構いません、エゼルウェルド王陛下。ここで話し合う内容については、僕はすべてをフレデリカに任せています。フレデリカ」
だがエゼルウェルドとマクシミリアの内心などまるで関知せず、ソルはこの場における主導権をフレデリカに丸投げする。
「ありがとうございます、ソル様」
もっともこれは打ち合わせ通りであり、とびきりの笑顔でそれを受けるフレデリカの想定通りの展開でしかない。
その完全にソルの下に立つことを当然としているフレデリカの様子に、二人の兄王子は驚愕を隠せない。
美しく嫋やかなその顔に反して、自分の妹姫がいかに有能で気が強いかを知っているからには当然の反応ではある。
「ではフレデリカ。エメリア王として、そなたが書状にて提示してきた条件はすべて承認する。公的な処理はソル殿の解放区総督府が立ち上がってからになるが……それでよいのかね?」
だがエゼルウェルドだけは安心していた。
まだその関係が強固なものとは言えぬとはいえ、フレデリカは絶対者の懐に入ることには完全に成功している。
自身がエメリア王家の一員でありながら、対エメリア王国の交渉をフレデリカに一任するということは、ソルにエメリア王国を蹂躙する意思は少なくとも今のところないということだ。
であればその気が変わる前に、フレデリカが提示した条件を呑むことを明言する。
「ソル様が解放した魔物支配領域の自治権を認めて下されば、まずはそれで問題ありません。国際的にエメリア王国の領土と認められている範囲は特区自治領として、納税等は規定どおりに行います。また『禁忌領域№09』の中心に城塞都市を建造する予定です。これらはソル様からエメリア王国が受注する形をとる予定です」
エゼルウェルドの即断を当然のこととして、フレデリカは話を進める。
聖教会やイステカリオ帝国を相手とした事態はすでに推移しており、エメリア王国を味方として固め、出来るだけ早く動き出す必要があるのは間違いないのだ。
『禁忌領域』に侵入、解放し、手元にイステカリオ帝国から奪った『囚われの妖精王』を置き、妖精族の里へ護衛としてフレデリカの近衛二人を派遣している。
今更ソル一派が、聖教会及びイステカリオ帝国と事を構えずに済む展開はあり得ない。
そしてフレデリカはすでにソル一派から離れるつもりなどありはしない。
ここで万が一、運よく自分がソルと縁を持てたことを活かすことさえも出来ずにエメリア王国が敵対するというのであれば、それもやむなしとフレデリカは判断していた。
だが幸いにして父王は正しい判断を下してくれている。
となれば今のフレデリカの立場で可能なだけエメリア王国に恩恵があるように立ち回るのは、第一王女として生を受けた己の義務だとも思っている。
「そなたはどうするつもりだ?」
「ソル様にお仕えします。エメリアの第一王女としても、一人の女としても」
「その許可は得ておるのだな?」
「はい」
エゼルウェルドの確認に対して、フレデリカが明確に答える。
その際きちんと一度ソルの方へ視線を送り、羞恥の表情を浮かべるあたりがそつなさすぎて我が娘ながら女はやはり怖いと思うエゼルウェルドである。
そんなあざとい仕草にも思わず赤面してしまっているソルを見て、同じ男としてなら仲良くなれるかもしれんなあとエゼルウェルドは内心で少し笑った。
だがここで、大国の王であるエゼルウェルドは自分を切り替える。
今目の前にいるのはすでに己の娘でもなく、エメリア王国の第3位王位継承権者でもない。
これからの世界をどうとでも左右できる存在に対して、一定の意志を反映させることが可能な格上の交渉相手なのだ。
「ならばよい。我が臣下たちからの質問の許可をいただけるか?」
「許可します」
そのことをこの場で正しく理解できているのは、まだ父と娘の二人だけ。
だからこそ質問の形を取って、ここにいるすべての者に理解させる必要があるのだ。




