第076話 『組織』⑥
「ソル・ロック!」
表であろうが裏であろうが、城塞都市ガルレージュで顔役を気取っている者で今、ソルの顔と名が頭に入っていない者など存在しない。
この場に忽然と顕れたことも、そのまま平然と空中に浮遊していることも、冒険者ギルドでの一連の出来事を経てソルには可能なのだという情報は当然把握できている。
だが実際に神話レベルの魔法を目の当たりにした衝撃は強く、大男がその名を呼んで以降は誰もが声を失ってしまっている。
「エリザが僕の身内だと知っていて、今の言葉を吐いたんでしょう? なんだったかな? そうだ、確か貴方たちの稼業では一度吐いた唾はのめないって言うのでしたね」
まるで感情の感じられない――敵を見る目で、その硬直してしまっているならず者たちを睥睨するソルが淡々と死刑執行を告げる。
ソルのいっそ平坦な宣言を聞いたこの場にいるエリザ以外の者たちの脳裏に浮かんだのは、情報としてだけで聞いても怖気が走った、声すら出せなくなるまで何回も墜とされ続けるという恐怖と狼狽。
冒険者として自分たちが望んでも至れなかったA級という高みにあった大手クラン『百手巨神』の犠牲者たち。
彼らは今もなお、身体にはなんの異変も認められないのに誰一人として目を覚ましていない。
幾度も壊された身体はその数だけ完璧に治されたが、その過程で心も魂も耐え切れずに磨り潰されて消し去られた――つまり殺されたのだ。
「ちょ、話を――」
冗談ではない。
それこそ死んでもそんな目になど遭いたくはない。
まさか『禁忌領域』を解放せしめ、大国の王女に媚びられるほどの存在が、自分たち程度との交渉に直接現れるなど想定外が過ぎる。
ガフス組がソルを殺しに行ったという情報まで把握できている各組織の頭目たちにしてみれば、まだエリザなど出逢ってから数日しかたっていない、自分たちスラムの組織に干渉するためのとりあえずの道具程度としか思っていまいと判断していた。
ソルが敵には容赦のない人間だと看做せばこそ、そのソルを殺しに向かったメンバーの一人であったエリザ、ヨアン、ルイズを許すわけもなく、ただ使い捨てにするつもりだろうと踏んでいたのだ。
だがソルは、自分が選んだ道具は大事にする派なのだ。
エリザを軽く見た頭目たちは、その自業を自得することになる。
進んで大男の嘲笑には加わらず沈黙を保っていた他の頭目や護衛たちは、一人のバカが状況を甘く見た惨事に巻き込まれる形だ。
だがソルにしてみれば沈黙は静かな同意に過ぎず、「俺は言ってない」は通用しないらしい。
「ルーナ」
「うあぁああぁ、あ!? おい、やめろ、やめて、話くらい――ぎゃあああああああぁぁ!」
ソルが指示を出すと同時、立ち上がって狼狽していた大男の巨躯、その全身がうぞうそと蠢く、鈍い艶を伴った黒いナニカの群れに集られた。
ぷちゅぷちと聞こえる音は、それらが大男の身体を喰らい、咀嚼し消化する音か。
あっという間に人のカタチを失って地に崩れ落ちるが、倒れた状態のままルーナの治癒魔法によって身体は復元され、もう一度最初から貪られ続けている。
ただ地に伏せ、黒いナニカに集られたまま痙攣を繰り返す肉袋になり果てた元頭目の一人とその護衛は、ルーナが多重にかけた治癒魔法の効果が切れない限り、死ぬことすらも許されない。
毎回転移で墜とし続けるという馬鹿の一つ覚えでは主に愛想をつかされると判断したものか、今回ルーナは違う手段でソルの指示を実行したのだ。
すべての竜を喰らいその権能を奪った『全竜』たるルーナは、聖術から呪術、地水火風の各属性に至るまで、あらゆる攻撃手段を有している。
今使ったのはそのうちで己が通り名である『邪竜』に相応しい、行使対象が冒した罪、業に応じて不可避のダメージを与える「呪霊咒法」のひとつ。
「そうだな。今までその人が殺した人たちが「やめて」「赦して」といったであろう数だけ治癒魔法を使ったら止めてもいいよ、ルーナ」
「はーい」
大男がこれまで殺した相手が遺した呪怨が満足するまで、黒いナニカは対象を喰らうことをやめはしない。
それでも普通であればじわじわと喰い尽くされて自身も呪いの一部になって終いだが、それが高性能の治癒術と組合されれば、ただ高所から落とされ続けるものとは比べ物にならない拷問と化す。
もしも今声を出すことができれば、泣き喚きながら「殺してくれ」と懇願していただろう。
だがそれをルーナは許さない。
ソルの指示通り、この術に使役される呪怨が消え去るまで、己が尽きぬ魔力を以て強大な治癒魔法を無数に累掛けする。
「……で、本当にそれで許してくれるのかね?」
いまはまだ、大男とその護衛の二人がのたうち回っているだけだ。
だがソルとルーナが今噴き上げている魔力量からすれば、この場にいる全員を同じ目に遭わせ続けて夜が明けてもなお余裕である事は、なまじ自分たちが冒険者崩れであるために想像がついてしまう。
逃げることも倒すことも出来ない俎板の上の鯉。
であれば万が一自分がこれまで冒してきた、一度や二度死ぬくらいでは贖いきれない罪を償いきってまだ意識を保っていられれば助けてくれるのかと、沈黙を守っていた頭目の一人がソルに問いかける。
「いえ、苦しませるのをやめて死なせてもいいよという意味です」
だがソルの返事はにべもない。
最終的に殺すことは変わらないが、出来るだけ惨たらしく殺そうとしているだけだと断言してみせた。
「お若いの。アンタが気分で我々を鏖にできるってこたよくわかった。で、そんなアンタがなんだって問答無用でここにいる全員をそうせず、わざわざ出向いてきたのかを聞いてもいいかな?」
ため息を一つついて、ソルに問いかけた初老の頭目の一人――銀色の髪と髭が特徴的な、この場にいてもなお、とてもならず者とは見えない老紳士が確認する。
「……エリザに頼まれたからですよ」
覚悟を決めたようなその初老の頭目に対して、一拍おいてソルが答える。
「……なるほど。その上で我々は、アンタがこれから創る時代にはそぐわないと判断されたってことかい」
「貴方は違うと?」
問いに問いで返すソルの目にはいまだ感情は浮かんでいない。
べつに初老の頭目が言うような大層なことを考えているわけではない。
だが今はまだびくんびくん蠢いているような男が数ある組織の中で最大限の発言力を持っており、それを止めることも出来ない連中なのであれば、今まで自分がやってきたことに相応しい最期を迎えればいいと思っているだけだ。
組織を一から構築するのは手間ではあるが、己の問いに対する答えによってはそれを厭うつもりもない。
「いいや。俺も今アンタに始末されているアレと同じ屑だよ、なにも変わらねえ。狡知と暴力で人様の弱みに付け込んで稼いだ金でこんな上等な服を着ているんだ、言い訳の余地もねぇやな」
「なら――」
せめて冷静を保っていられる間くらいは格好をつけようとでもいうような、肩をすくめてのその自嘲的な返答に僅かとはいえソルの目に興味深げな光が戻った。
「――ソル様」
だがソルの発しかけた台詞に続くのが「そのまま死ね」だとでも思ったらしいエリザが、真剣な口調でソルの名を呼ぶ。
「なに?」
ソルはあえてそっけなくエリザに答える。
「――それでも、こんなのでも組織と連絡会がなければ、私は……」
エリザにしてみればソルの意に逆らっているかのような今の状況は、口から心臓が飛び出しそうである。
ソルよりも無表情に自分を見つめるルーナが、エリザは本気で恐ろしい。
可愛さ余って憎さ百倍という言葉もあるように、可愛がられていることに増長して絶対者の意に逆らうなど、どのような目に遭わされても仕方がないとエリザ本人ですらもそう思う。
それでも、こんなスラムの組織でも、救われた存在は確かにいるのだ。
それはエリザ自身であり、ヨアンであり、ルイズであり、今ガフス組で笑えるようになった子供たちだ。
数日前までエリザも、そんな組織の構成員だったのだ。
それで自分たちは食べていた。
だから――
「だからなに?」
「度が過ぎている者はきちんと始末することをお約束します。その選別と運用を、私に任せてはもらえません、か……」
だからもしもソルの怒りに触れることになっても、ここで十把一絡げに同じように殺されるのを座視するわけにはいかなかった。
義侠だ、任侠だ、極道だなどとはおためごかしだということは嫌というほどわかっている。
自分たちは人様から奪って生きてきた、唾棄されるべきならず者である事になにも間違いなどない。
それでもこれからソルが創る時代にかつて憧れた綺麗ごとを実践できる、脛に傷を持つ者としての贖罪を以て存えることを赦して欲しい者たちもいるのだ。
その市井で真っ当に生きている人々にはなにも変わらない、それでも確かに存在するほんの僅かな違いを、その中に身を置いていたからこそエリザは知っている。
それを馬鹿な男の自業自得に巻き込まれて、一緒くたに殺されてしまうのだけはなんとしても避けたいと思ってしまったのだ。
「いいよ」
「――え?」
ソルが優しいのをいいことに調子に乗った自分も処分対象に含まれることすら覚悟して発したエリザのその言葉を、ソルはあっさりと承認してみせた。
「というわけで君たちの処遇はエリザに任せる――御老人」
あまりのあっさりさにきょとんとしてしまったエリザを置き去りに、ソルは先刻言葉を交わしていた初老の頭目を呼ぶ。
「私の名はヴァルター・ベルンハイトと申します、ソル様」
自分たちがエリザに――ただソルの意志に従っていれば、なんの問題もなかった少女の勇敢さに救われたのだと理解している初老の頭目――ヴァルターの態度は先刻とはまるで違っている。
自分たちを救った少女が傅く相手には、それに相応しい態度があると弁えているのだ。
「ではヴァルター翁、翁にはエリザの相談役をやってもらってもいいですか?」
「ヨアン殿とルイズ様を差し置いて、よろしいのですか?」
「その二人はエリザの両腕ですね。ヴァルター翁はこの稼業の先達として、いろいろ相談に乗ってあげて欲しいのです」
「畏まりました」
ヴァルターはソルのことも、エリザたちのことも十全に調べ上げていた。
その上でエリザを介してソルの加護を得、遥か数十年前に己の胸を焼いた理想――表では守れない人々を裏に身を墜としてでも守るという、終ぞそんなことなどできなかった夢を追うことができるかもしれないと期待していた。
己の小賢しい沈黙によってそのすべてが失われて当然だったところをエリザに救われたからには、ヴァルターは老い先短いこの先の人生をエリザと、ソルの下で可能となるかもしれない理想に捧げると肚を決めている。
「というわけで、後はよろしくエリザ」
「あ、え……は、はい!」
ソルにしてみればそんな複雑な駆け引きをしたというつもりなどない。
ここに同行するに際してエリザが言っていた「自分をソルの女ということにして欲しい」という意味が、エリザの言うことであればソルは聞き入れてくれるということを今のように示すことだと理解して、内心で感心している程度である。
確かにこれで、エリザに選別された組織の者たちはエリザに絶対の忠誠を誓うだろう。
エリザの言葉はソルの意志であると、これ以上なくわかりやすく示せたと言えるからだ。
絶対者に己の意志を通せる者は強者なのだ。
「虎の威を借る狐」の故事通り、虎を連れて歩けば百獣は道を開けざるを得ないのだから。
ソルはエリザが「私はソル様の女の一人です」などとこの場で発表するのかな? などと思っていた自分を恥じてもいる。
ルーナだけはソルとエリザの認識の乖離に気付いているようだが、無粋な真似はしないつもりのようである。
面白そうにエルザを一瞥した後、ソルと共に転移でこの場から消え去った。
なんにせよ、数日前にソルからくだされた最初の命令はすでに果たされた。
今この瞬間、城塞都市ガルレージュのスラムに存在するすべての組織は、エリザに傅く裏社会における実働部隊になったのだ。
ここにいる幾人かとその組織に属する者たちは未だ蠢いている大男と同じ末路を辿らねばならないが、それでもただ殺されるだけで済むのだから僥倖だというべきだろう。
二度とつかわれることの無くなったこの談話室では、今後数年間にわたって人に似たなにかが蠢き続けるという、後世にまで伝わることになる怪談の元ネタが生まれたのだから。




