第075話 『組織』⑤
深夜。
不夜城と呼ばれるガルレージュの夜街の燈はまだまだ落ちてはいないが、巨大な城塞都市の大部分は夜の帳に覆われ、静かに眠りについている時間帯。
スラムもまたその例外ではないのだが、壁内水路沿いにある朽ち果てた倉庫内には灯が燈され、人の気配が僅かながら漏れ出ている。
一見しただけではわかりにくい場所に地下への入り口がある。
そこに設えられた隠し階段を降りて扉をくぐれば、城塞都市ガルレージュの裏を牛耳る組織の頭目たちが集まるのに相応しい、豪奢でありながらもどこか下卑た空気を漂わせる談話室へと通じているのだ。
状況次第では殺し合いも辞さない組織同士の定例会のために、わざわざつくられた中立地帯というわけだ。
もっとも非武装の鉄則などあるわけもなく、ただ一応は「中立地帯」というお題目があるだけなのだが。
「――私が最後ですか?」
今、たった一人でこの場所を訪れたエリザが、すでに広い室内に何人もの頭目たちとその護衛が揃っているのを見回しながら確認する。
伝えられた時間には充分余裕をもって来たつもりだったが、自身が口にした通りどうやらエリザが最後であるらしい。
「ああそうだ。今日の定例会の主役はお嬢ちゃんだからな。一同みなかぶりつきで主演女優の登場をお待ち申し上げておりましたよ」
中央のひときわ豪奢なソファに足を組んで座っている大男がにやにや笑いながら口にした言葉に、約半数ほどの頭目や護衛たちが同調して笑いを漏らす。
この大男は城塞都市ガルレージュにおける裏組織の中で最大の勢力を誇る、構成員のすべてが冒険者崩れである武闘派組織の頭目である。
だがその発言と同調は、自分たちの驚きを隠すという意味も多分に含まれている。
エリザが護衛もつけずにたった一人で現れたことにももちろんだが、エリザが今その身を包んでいる真紅のドレスと、それに合わせた化粧と髪、装飾品のセットに目を奪われてしまったという方が大きいだろう。
それもそのはずエリザは今、つい最近まで酷い火傷に顔の半分を覆われた痩せぎすの小娘であったとは思えない、妖艶とすら言える空気をその身に纏っているのだ。
実際に小娘なのにもかかわらず、女慣れしているやくざ者でありながら「いい女」とみてしまったからこそ、ことさらに「お嬢ちゃん」呼ばわりをしてみせているのだ。
ちなみにエリザの今の姿は、ソルとの食事の場になぜかついてきたフレデリカ王女殿下の見立てによるものである。
正直なところ邪魔だという感情よりも、一国の王女様が自分なんかと本気で仲良くしようとしていることがわかって混乱したという方がエリザには大きかった。
ソルのための表の代表となるであろうフレデリカが、自分をソルにとっての裏の代表と看做してくれていることを嬉しいと思ってしまったのも本音のところだ。
付け焼刃とはいえ、こういう場で舐められない所作を一通り教えてもらえたのも助かった。
いや王族の立ち居振る舞いを、やくざ者たちの定例会に使うというのはどうかとも思ったが、つまるところ王侯貴族であろうがやくざ者であろうが、「相手になめられないための所作」というものは共通してしまうのかもしれない。
「で? ガフスの間抜けが死んで、お嬢ちゃんがガフス組を継ぐってな本気で言ってんのか?」
笑いを収めた大男が、エリザに今夜の定例会における最大の議題について問いかける。
そうでなければわざわざこんなところへ来るはずもないことなど誰でもわかっているので、これは安い挑発の部類だ。
「私のことを聞いておられませんか?」
ここにいるのは城塞都市ガルレージュのならず者たちを束ねている連中だ。
そんな立場にいる者が、先日の冒険者ギルドでの一件、その情報を掴んでいないはずもないのでエリザはそう聞き返す。
「いいかお嬢ちゃん、一度しか言わねえ。この俺が聞いてんだ、まずはその質問に答えろやクソガキ」
だがそれに対して大男はドスの利いた声で凄み、ここでのルールは自分なのだということを最初にエリザに叩き込もうとしてくる。
安い恫喝だ。
今のエリザであれば、一発殴れば即死する程度の相手でしかない。
それは大男だけに限らずその護衛でも変わらないし、なんとなればこの空間にいるすべての人間を殺し尽くすことすらも児戯と言っても差し支えないだろう。
プレイヤーの力を与えられ、レベルが3桁に至るというのはそういう隔絶なのだ。
魔物とでも戦えると嘯いている冒険者崩れの3や4程度のレベルなど、市井で暮らす民衆ともはやなんら変わりない。
だがエリザは怖かった。
ソルからもよく聞かされているし、実際にA級冒険者でも手に負えないような魔物を単独でも瞬殺可能な戦闘力を、すでに自分が有していることを自覚してもいる。
だがそれでも怖いものは怖いのだ。
悪意を以て人を嬲り、弱い者からすべてを奪うだけではなく、殺しておいてなお嗤える生き物には嫌悪感とともに、心の底から怯えという恐怖がせりあがってくることを抑えられない。
魔物ではなく、抵抗できない弱者――人を殺した数の差が、今のエリザですら竦ませる根源的な威圧を成立させるのだ。
「――私のことを聞いておられませんか?」
だがその怯えを間違っても表情に出さないよう、内心で噛み殺してエリザは同じ言葉を繰り返す。
クソ裏組織のクソルールなど知ったことか、自分はお前程度に従う気などまるでないということを、これ以上なく明確に宣言するために。
正直ソルが一緒について来てくれていなければ、自分がここまで強気に出れたのかどうかに自信を持てないエリザである。
「てめぇ――!」
「――頭目!」
やり返された安い挑発にあっさり乗りそうになった大男を、その背後に控える護衛が切羽詰まった声でなんとか止める。
もしもその声にほんの僅かにでも窘めるような色がついていれば、より一層大男は激昂していたはずだ。
だが立ち上がりかけた自らの身体を今一度豪奢なソファへと大げさに沈め、自らの言葉をなんとか止めたのは、その護衛の言葉に明確な怯えを感じ取ったからに他ならない。
その護衛は大男が支配する組織の中では最強の冒険者崩れだ。
頭も要領も悪いため大男に仕えることで自分の力を有効に――弱者から奪い取るために上手に使ってもらい、互いが互いの恩恵にあずかっているという関係にある。
だからこそ、その護衛が怯えるということはただ殴り合えば負けるということは間違いない。
「……お嬢ちゃんが高位の冒険者だってのはハッタリじゃねえってわけか。そのわりにゃ丸腰じゃねえか」
舌打ちして大男が仕切りなおす。
だがそのつまらない矜持が許さないのか、横柄な態度をすぐに改めることはできないらしい。
「壁内では必要ありませんから」
「は、なるほど本当にお強くていらっしゃると。てこた、あとの二人も本物かよ」
魔物相手であればともかく、冒険者崩れ程度に武器も防具も必要ない。
エリザのその言葉が虚勢ではないことは大男にも伝わった。
実際にこの場に護衛も連れず武装もせずに単身で乗り込み、何人もいる冒険者崩れの護衛たちを目の前にして今の台詞を口にできるのは、真の強者か狂者だけだ。
だが直接の暴力で勝てない相手でも、しょせん群れて暮らす人である以上、付け入る隙などいくらでもある。
そのためのやり口など無数にあるし、そのエキスパートであるがゆえにこそ、この城塞都市ガルレージュで大男の組織は最大の勢力を保っていられるのだ。
だがそれはソルに列なる相手に対して、最大の悪手でもある。
冒険者ギルドでの一件をより正確に把握しなかったがために、大手冒険者クラン『百手巨神』のA級冒険者と同じ過ちをこの大男は繰り返すことになる。
「私がガフス組を継承することを、この定例会で認めていただけるのですか?」
「あのなお嬢ちゃん。自分が強いことに自信があるのは良いことだ。うちの護衛がビビりやがるくらいだから、さぞやお嬢ちゃんはお強いんだろうよ。だがお嬢ちゃんの仲間たちは――」
エリザの言葉を素直に認めていれば、まだ生き残れたのかもしれない。
ひどい火傷まで自分で治してしまえる、この場にいる強面の冒険者崩れを歯牙にもかけない天才様が、数日前までガフス組で燻っている理由などどこにもない。
であればこの目の前の美少女は、人外の存在に逢って一気に今の状況までひっぱりあげられたという可能性を考慮するべきだったのだ。
だがひとたびその恫喝の言葉を口にしてしまえば、それは自身の死刑執行書に自らサインをしたことと変わらない。
エリザの仲間である以上、それらはソルの庇護下にある。
それに対する害意を仄めかした以上、それをソルが捨ておくはずもない。
「エリザ。ダメだこれは。始末して一から再構築した方がはやい」
忽然と談話室の天井付近にルーナとともに顕れたソルが、大男を睥睨しながらそう告げる。
ソルはこう、もうちょっとなんというか無法者ゆえの矜持というか、極道だとか任侠だとかいわれるなにかが組織にはあると僅かに期待していたのだ。
それが無いというのであれば、相手が得意とする暴力を以て一掃した方がよほど手っ取りばやい。




