第071話 『組織』①
基本的に冒険者の朝は遅いと認識されている。
命懸けの稼業がゆえに市井の者が真っ当に働いていてはとても追いつけないくらいの金を稼ぎ、それを己の装備と鍛錬につぎ込めるだけつぎ込んだ残りは派手に使う連中が多くを占めるからだ。
冒険者たちの中堅最多数層にそういう連中が多いため、冒険者のイメージと言えば派手に稼ぎ派手に使うというものになりがちなのである。
駆け出しは浪費どころでは無いし、高位となれば投資や起業に手を出す者も増え始めて、支配者階層に近づいてゆくのだが。
よって冒険者の街としても知られている城塞都市ガルレージュの夜街は不夜城とも称され、その規模たるやエメリア王国王都マグナメリアのそれに勝るとも劣らないほどのものとなっているのだ。
その証拠というわけでもないが、7つある大規模店舗のうちの二つの本店が城塞都市ガルレージュ店であり、支店が王都に開かれていたりもする。
まあそんなこととは関係なく、昨夜は遅くまで呑んだ上に、その後もいろいろあった。
そのため新規クラン『解放者』の面々は、未だに夢の中である。
ただしその首魁であるソルのみは、早朝から起き出してすでに外壁外へと出ている。
もちろん忠実な従僕たらんとするルーナもそれに付き従っている。
リィンやジュリアはともかく、ソルの出立を見送れなかったという失態は、目を覚ましたフレデリカを結構へこませることは疑いえない。
「うーん、まだけっこうしんどいなあ……」
レベルが3桁に至った恩恵である『戦闘モード』を発動して高速移動しているソルはしかめっ面である。
理由は本人が口にしたとおり、昨夜の酒がまだ残っていて曰く言い難い不快感に苛まれているためだ。
状態異常回復の魔法は泥酔による意識の混濁や嘔吐レベルの不快感は解消してくれるが、宿酔いの不快感を完全に消し去ることはできないのだ。
これは酔って寝る前に状態回復魔法をかけなかったソルが悪いのだが、そんな判断ができなくなるからこその酔っ払いだとも言えるだろう。
酔っている時のあのご機嫌さと万能感が、一瞬で消え去って素に戻る感覚を嫌う酒好きは多い。
そこまで酒が好きではないソルであってもあの感じはなんとなく苦手で、酔った頭で目が覚めたらまた後悔するんだろうなあと思いつつ、気持ちよく眠りに落ちていくことを選ぶ方が多い。
昨夜はそれどころではなかったわけだが。
もっとも高い値が付いている回復系の魔法をそんなことに使っているのは極少数しか存在しないので、広く知られている知識ではない。
「主殿でもやはり酒が過ぎると弱るのですね」
「ルーナは平然としてるよね。やっぱり竜はすごいな」
ソルから見た今のルーナは平然としているように見える。
昨夜はルーナも結構面白い挙動をしていた様な気もするのだが、あれも妙な勝負が行われた結果、正気を保っている者が誰もいなくなったソルたちに合わせてくれていただけなのかもしれない。
「……そうでもないです」
「そう?」
「はい……」
だがルーナは結構へこんでいる。
竜であった頃から酒は好きだったが、人ほどに我を忘れた経験などなく、あくまでも味と軽い酩酊感を楽しむというのが『全竜』にとっての飲酒だったのだ。
それが人の身となれば、あれほどの醜態を晒すハメになるとは予想外が過ぎた。
しかもその醜態を自覚しつつ、それが楽しくてソルにじゃれついて行っていたという事実が、夜が明けた今でもとても直視できない記憶となってルーナを責め苛んでいる。
人化した躰が幼い子供のモノであった影響も大きいのだろう。
だが竜の特性なのかルーナはどれだけ泥酔しても記憶が残るタイプらしく、ちょっと朧げになっているソルよりもそのダメージは深い。
ソルと変わらないはずの、いや子供の身体であればよりきついはずの宿酔いの不快感に平然としているように見えるのは、千年の封印を経て多少の不快感や苦痛など、ルーナにとっては取るに足らないものだからに過ぎない。
だが鮮明な記憶が絶え間なく与えてくる羞恥の感情を悟られぬようにするため、いつもよりそっけなく無表情になってしまいがちなルーナなのである。
ソルの方の体調が万全であったのなら、それに気付けたのかもしれない。
「あ、いた。囲まれてるね」
広域設定している表示枠の端に、目標を捕捉したとソルが告げる。
みな宿酔いでつぶれている仲間たちを部屋に置いたまま早朝からソルが壁外に出てきているのは、その目標――エリザたち3人パーティーに接触することが目的なのだ。
だが表示枠によればエリザたちは今、約30程の赤い光点――魔物たちの群れに包囲されている。
「いかがいたしましょう」
「影狼の群れ程度であれば問題ないとは思うけど……すぐに話したいからとりあえず始末してくれるかな」
とはいえ『プレイヤー』によって各役割に必要なスキルを一通り与えられ、可能な上限値までH.PやM.P、各種ステータスの増加を受けている今のエリザたちであれば雑魚と呼んでも間違いではない。
迷宮の適正階層の魔物であればともかく、地上の魔物支配領域ですらない地域をうろついているはぐれの低位魔物程度は、すでにエリザたちの脅威にはなり得ない。
スティーヴから聞かされた昨日エリザたちがこなした依頼から判断すればレベルも2には上がっているだろうし、影狼の30体程度であれば危なげなく処理してしまえるはずだ。
だがそれにはそれなりの時間を要するだろうし、エリザたちの経験値稼ぎのためにそれを待つ意味もあまりないのでソルはルーナに即処理するよう指示を出す。
「はーい」
可愛らしい声での返事と同時、ルーナは淫魔を捕食することで新たに得た結構便利な攻撃魔法『多重捕捉閃光』を発動。
ソルに合わせて自身も高速移動している――ただしルーナは浮いているが――から一度上空に向かって一斉に撃ち出された32本の閃光が、まだ数キロ先にいる影狼1体1体に対してほぼ瞬時に着弾する。
その一撃を以て確実にすべての影狼を絶命させた圧倒的な攻撃に、さすがにエリザたちは声もない。
だがすぐにこんなとんでもないことをできるのは一人しかいないことを思い出し、その表情に喜色を浮かべる。
「ソル様!」
エリザが予測し期待した通り、包囲されていたすべての影狼が倒れ伏すその上空にソルとルーナが転移によって顕われていた。
「おはようございます」
エリザだけではなく、ヨアンもルイズもソルの転移や浮遊のことをすでに知っている。
よって即座に跪き朝に相応しい挨拶をしたエリザに遅れることなく、ヨアンもルイズも同じように振舞うことができた。
とはいえ今のソルとルーナは初めて出逢った夜とはまるで違う。
ソルのおかげで市井に暮らす人々はもとより、中堅どころの冒険者たちよりもすでに強くなっているエリザたちである。
だがそんなある程度の強さを持っているからこそわかるような強さではなく、誰が見ても一目で「あ、これはあかん。勝てん」と確信できるほどの威を噴き上げている。
いや威というよりも、物理的な魔力光をとんでもない勢いで噴き上げているのだ。
「おはようございます。スティーヴさんからエリザたちが変わったことをしているって聞いて様子を見に来たんだけど、ほんとだね」
だが上空から緩やかに下降し、地上に降り立ちながらそういうソルの口調はいつも通り穏やかなものだ。
「申し訳ございません。ソル様の意に沿わないことなのでしたら、すぐにでも迷宮か魔物支配領域の攻略へと切り替えます」
だがそのソルの様子と言葉の内容から、昨日から自分たちがしている冒険者活動がソルの意に沿うものではなく、それゆえの叱責、最悪の場合は始末に来られた可能性まで考えたエリザの声は震えている。
――浅はかな考えだったのかも……ごめんなさいヨアン、ルイズ。
自分の発した言葉に対して、ソルが返事をくれるのにものの数秒も必要としない。
だがそれを待つエリザの心境は、死刑宣告を待つ囚人のような状態だった。




