第066話 『宴』②
「挨拶などどうでもよい。まずは我が問いに答えていただこうフレデリカ王女殿下」
イシュリー・デュレス司教枢機卿。
冷徹な表情が似合う、高位の聖職者らしい肥え太った中年男性。
『聖教会』は清貧を謳うが、それを実践しているのは貧しい町や村の教会を運営する信仰の最前線に身を置く者たちばかりで、聖都や大教区の中枢都市に身を置く高位聖職者たちのほとんどは奢侈をもはや常としてしまっている。
いまさらそれをけしからんとする者も絶えて久しい。
イシュリーもまたその例に漏れず、大国の王族として見事な所作で膝を折り頭を下げるフレデリカを満足げに見下ろしながら、「さてエメリア王国の言い訳を聞いてやろうか」とでもいわんばかりの態度である。
この世界において神に仕える高位の聖職者は、権威として王に等しい。
ゆえにフレデリカはいかに自身が大国エメリアの第一王女であれど、枢機卿以上の地位にある聖職者に対して礼を失するわけにはいかないのだ。
イシュリーは出世欲の強い、組織の上層部にはよくいる秀才タイプである。
欲だけで実際に出世できるはずもなく、『聖教会』において教区を管理する司教枢機卿に任命されるだけの能力はきちんと持ちあわせてもいる。
だが最終的には聖都アドラティオにおいて教皇になることを望んでいるからには、ガルレージュなどという辺境教区の責任者の立場に満足しているはずもない。
そして教皇という最高位に辿り着くためには、誰よりも敬虔な信徒であればそれでよいというはずもなく、世俗に塗れた努力が必要なことは言うまでもない。
表裏共に力をつけそれをいや増しつつ、イシュリーが教皇になることで得をするように、力を持った権力者たちと利で繋がらなければならないのだ。
つまり金が要る。
イシュリーは今回の件を、自身がそれを得る好機と捉えたのだ。
『禁忌領域』の開放が莫大な利益を生み出すことはイシュリーにもわかっている。
人が支配する肥沃な土地が増えれば、それだけ養える人口は増加する。
人が増えれば信者も寄進も増えるのはもちろん、伝説に語られる『大魔導期』の規模にまで人の社会が再拡大するのであれば、その過程で生み出される利益がどれほどのものになるのか、「莫大だ」ということくらいしかわからないほどだろう。
可能なのであれば、それを止めるいかなる理由も存在しない。
最終的には『聖教会』もそれにうまく乗り、権威を維持しながら可能な限りの利益を吸い上げることこそがこれからの命題になるだろう。
つまり最初が肝心だ。
どうあれエメリア王国とその冒険者たちが、現時点での「禁忌」を冒したことは間違いない。
その行為が最終的にどれだけの利益を生むとしても、宗教的観点からすれば背教者の誹りは免れ得ない。
エメリア王国とて、この時点で聖教会と正面から敵対することなど望んでいるはずもない。
となればイシュリーの働きかけで今回の背教行為を不問とし、聖都アドラティオに渡りをつけるポジションに収まることができさえすれば、エメリア王国から金を引っ張ることなどいくらでもできるようになるはずだ。
正しい宗教的権威の使い方というやつである。
なあに破格の力を持った冒険者共など、『英雄』だの『神の使徒』だのと最終的におだてあげてやればよい。
なんなら聖都に掛け合って、『勇者』の称号を与えるとでも言えば無い尻尾を振ってでもイシュリーに従うに違いない。
そのためにも最初は、聖教会によって神敵認定をされるかもしれないという強烈な脅しをかましておいた方が今後なにかとやりやすくなるだろう。
躾は最初こそが肝心なのだ。
異端審問という手段は、その手段として最上のものと言っていいだろう。
最終的に神敵と看做すか、赦すかをイシュリーが定められるというのがなによりも大きい。
エメリア王家がそれを可能とする破格の冒険者に最初に唾をつけたのは流石だと言わざるを得ないが、このタイミングで自分がガルレージュ教区の責任者であったことは、生涯最大の幸運だったとイシュリーは信じてもいない神に感謝を捧げている。
今のところはまだ。
つまり辺境区を任される司教枢機卿の地位にあるイシュリーですら『旧支配者』との接触は許されてはおらず、すでに聖都アドラティオでは教皇が動き出していることを知らされてすらいないのだ。
「はい。その通りでございます」
だがそれ以前の段階で、イシュリーは事態を完全に読み間違えている。
輝くような笑顔でフレデリカが、今回の『禁忌領域』への侵入と解放を主導したのがエメリア王国であることを肯定する。
「――は?」
言葉は耳に入っていても、すぐにはその意味を咀嚼しきれないイシュリーは間抜けな声を出すことしかできない。
だがフレデリカはすでに、聖教会に忖度する必要をまるで感じていない。
相手が聖都アドラティオに御坐す教皇猊下であったとしても、慇懃無礼に禁忌など知るか、背教者と呼べるものなら呼んでみろという態度を取るだろう。
今のフレデリカにとってソルが見ている前でエメリア王国の、というよりも自分の弱気や揺れを見せることこそが最大の禁忌であり、それに比べれば神敵認定などまるで恐れるに足りない。
だいたい今ここでイシュリーが怒り狂ったところで、一司教枢機卿がこの事態の趨勢を定められるわけなどない。
であれば今フレデリカがやるべきは、自身を含めたエメリア王国とソルたち冒険者クラン『解放者』が神の意志に反する者ではないことを民衆たちにアピールすることであって、イシュリーの御機嫌を取ることなどではないのだ。
「此度の『禁忌領域№09』の解放とそれに必要な領域主『九頭龍』の討伐は、私エメリア王国第一王女フレデリカ・トゥル・ラ・エメリアからの正式な要請により、冒険者ソル・ロック様に起こしていただきました『奇跡』です」
二の句が継げなくなっているイシュリーに対して、夜会や舞踏会でもめったに見せないとびきりの笑顔を浮かべてフレデリカが言葉を重ねる。
わざとらしく指を絡めて両掌を合わせ、神の奇跡に感謝する乙女の如く瞳を輝かせている。
そしてその言葉はこの祝祭行列でもフレデリカが先頭に立っていないことも併せて、ソルという一冒険者が自分――エメリア王国の第一王女よりも上の存在だと認めていることが誰にでもわかるものだ。
『奇跡』という言葉をあえて使ったことも上手い。
固唾をのんでこのやり取りを聞いている民衆たちは、今のフレデリカの様子を見て「背教者」だとはとても思えないだろう。
「軽々しく奇跡などと口にするとは……」
それを理解しつつも、イシュリーは苦々し気にそう指摘するしかない。
とはいえイシュリーが別に間違ったことを言っているわけではない。
本来『奇跡』という言葉は軽々しく使っていい言葉などではなく、聖都の『奇跡認定局』に認められた事象以外を迂闊にそう呼ぼうものなら、それだけで背教者扱いされかねないほどに重いものなのだ。
もちろんそんなことなど百も承知の上で、フレデリカはあえて『奇跡』を口にしている。
「神様が人には絶対に倒せないがゆえに絶対に手を出さぬこと、すなわち禁忌とした存在を討伐し、その領域を解放したことを『奇跡』とせずになんと呼べばよろしいのでしょうか? この偉業が奇跡ではないのであれば、禁忌こそが偽りなのでしょうか?」
無垢な乙女が、わけのわからないことを言われたというような表情を浮かべて、あざとく首を傾げるフレデリカである。
『奇跡認定局』が認めようが認めまいが、万民だれもが奇跡だとしか思えない偉業が実際に成されているのだ。
それはまだ膝を折ったままのフレデリカの背後、知っていなければ魔物の死骸だとは思えぬほどの巨躯を誇る九頭龍を見れば誰でもそう理解する。
フレデリカの言うとおり、これを奇跡と呼ばずしてなんと呼ぶのかと言われれば、イシュリーには返す言葉などない。
迂闊に「こんなものは奇跡とは認めん!」などと口にして、後日『奇跡認定局』に認定などされてはたまったものではない。
下手に出ているとはいえ大国エメリアの第一王女との会話を無かったことにできるはずもない上、最終的に奇跡認定される可能性はこの上なく高い。
つまりイシュリーは初手を間違ったのだ。
一発かまして優位に立とうとなどせず、最初から今回の一連の出来事を円滑に『奇跡認定』できるように取り計らい、協力者の立場で歩み寄るのが最善手だった。
だがもう遅い。
「く、口の減らぬ……」
フレデリカが美しければ美しいほど、あざとい態度であしらわれていると感じた男の感情は逆立たされるものだ。
相手の立場も己の立場も、ここが公衆の面前である事も、そもそも最初から断罪口調で対話を仕掛けたのが自分だということすらも忘れて怒りに我を忘れかけるイシュリー。
だが――
「は。口先で不在の神を信じさせるのが仕事の宗教屋が、口で負けてどうする」
『聖教会』の司教枢機卿が一国の王女に暴言を叩きつけ、世界宗教と大国の矜持がゆえに取り返しのつかない決裂を迎える寸前。
ソルにポンと背中を押されたルーナが自分の役どころを瞬時に把握し、嘲笑が過ぎる言葉を激発寸前のイシュリーに叩きつけた。
「無礼であろうぞ獣人の娘。誰が貴様に発言することを許可した」
どれだけ挑発的な言葉であろうが、それを発したのが年端もゆかぬ美少女であれば毒気も抜かれる。
言葉こそとげとげしいが、態度としては生意気な子供を窘める大人の口調にイシュリーはなっている。
いい女に馬鹿にされたと感じれば馬鹿な男は怒り狂うが、可愛らしい子供に生意気を言われたと感じれば、怒りよりも微笑ましさを感じるのが大人というものなのだ。
その反応はイシュリーの公的な立場を守るとともに、ソルがわざわざルーナに介入させた甲斐があったと思わせるには充分だった。
イシュリーという男は少々計算高いつもりで迂闊だが、獣人族に対する必要以上の差別意識も持っておらず、大人が子供に対して取るべき態度というものを自分に架している。
しかも見たところ昨夜の騒ぎの真相を聖教会から聞かされているようには思えないし、のこのことこんな場に出てきたところからしても適度に欲深く、司教枢機卿になれる程度には優秀。
敬虔とも狂信とも程遠く、神を商品として商いを行っている商人――いわゆる宗教屋の類だ。
――つまり取り込める。
「無礼? 許可?」
だが自身が可愛らしい幼女にしか見えていないことを失念しがちなルーナは、たかが百年も生きていない人間風情に舐めた対応をされたことに、数千年を生きた竜の威を発しようとしている。
「ああ、それは僕になりますね。僕が許可しました。思ったことは言っていいよって」
「貴様は……」
「僕がソル・ロックです。まあ実際に九頭龍を倒したのはこのルーナですけど、僕がこのルーナの主ですので」
一番他種族を馬鹿にしているのは実は竜なのではと訝りながら、ソルが口をはさみつつ頭をなでるとぶんぶん尻尾を振ってすぐに大人しくなった。
ソルが自ら主と宣言したことに対して、なにが嬉しいのかこれ以上ないくらいふんぞり返りながら腕を組んでいる。
ソルが死んでも、その後もずっと長生きするのは間違いないルーナである。
今のうちから自分がいなくなった後、どうルーナを制御するかを考えておいた方がいいのかもしれないと思い、ソルはちょっと笑ってしまった。
ここからはソルがイシュリーとの駆け引きを引き継ぐ。
フレデリカの立ち位置と考え方は今までの会話でソルにはよく理解できた。
要は民衆は神の敵は嫌っても、聖教会の敵は特に嫌うわけではないということだ。
彼らが素直に信仰する神とは、絶対的な人の味方であって既得権益者の守護者ではない。
つまりソルたちは敬虔な信徒のままでありながら、聖教会と対立することは不可能ではないのだ。
上手くすれば『聖教会』すべてを叩き潰すのではなく、真っ二つに割って自分たちに都合のいい『聖教会』を創りだす事さえ不可能ではないのかもしれない。
いわゆる『新聖教会』とでもいうべきものを。
その後要らない方は潰せばいい。
それなら困るのは神を商売道具にしている宗教屋たちだけで、信仰として神を信じる民衆はなにも困らないのだから。




