第065話 『宴』①
城塞都市ガルレージュは今、その築城以来最大の熱狂に沸いている。
過去一度も開門されたことがなかった正面大門が初めて完全開放され、そこからそれでもぎりぎり通れるほどの巨躯である『九頭龍』の遺骸が運び込まれている真っ最中だからだ。
現在ガルレージュに暮らしているすべての者が生まれる遥か以前より、広大な『禁忌領域№09』に君臨していた最凶の領域主。
討伐することなど完全に諦め、200年前の惨劇を引き起こし、今なお健在である固有認識名称『国喰い』の二の舞とならぬよう祈ることしかできなかった人類の敵。
それが今、二度とその脅威を人に向けることができなくなり、貴重な魔物素材の塊として城塞都市ガルレージュへ運び込まれているのだから無理もない。
スティーヴが仕込んだ宣伝によってそれを知った民衆たちが、一目その倒された『怪物』を目にしようと開かれた大門周辺に集まっている。
スティーヴが広めたその情報を眉唾だと馬鹿にする者がほとんどいなかったのはもちろん、昨夜ソルとルーナがやらかした城塞都市ガルレージュ上空における、『怪獣大決戦』を目にした者が多かったからに他ならない。
無数の光線とそれを薙ぎ払う極大ビームが夜闇を切り裂き、天空から曇天の雲を消し飛ばして降り下った神罰の光がなにかに着弾して消えゆく様子を、多くの者が口を開けて空を凝視していたのだ。
それは百万の言葉で語られるよりもなお雄弁に、昨夜自分たちの頭上で神話に語られているが如き超常存在同士の戦闘があったことを誰しもに理解させる。
それがスティーヴによって城塞都市ガルレージュを俄かに急襲した強大な魔物を、冒険者ギルドの緊急任務としてとある新規冒険者クランが撃退したことに仕立て上げられ、その連中が今日『禁忌領域№09』の開放へ向かったのだと聞けば誰もが色めき立つ。
しかもそれは自国の第一王女が密かにこの地を訪れ、王家の依頼を受けてその冒険者クランが解放に向かったのだと聞かされれば、民衆はそれが無謀な賭けなどではなく、充分勝算のあるものだと期待する。
楽観的にそう信じるしかなかったというのも多分にあるのではあろうが。
そして民衆たちの期待に応えて、その冒険者クランは今凱旋を果たしているのだ。
よって城塞都市の防御力を著しく低下させる開門に対する、民衆たちの警戒などないに等しい。
それも当然、九頭龍を――怪物を討伐できる存在は英雄と看做され、その英雄によって守護されているガルレージュは城壁などなくとも、今現在この世で一番安全な場所に間違いないからだ。
他国の侵略軍であれ魔物の群れであれ、今のガルレージュはなにも畏れる必要がない。
唯一畏れるべきは、その英雄本人がガルレージュに牙を剥くことくらいだが、人はなぜかそこは盲目的に信用することができてしまうらしい。
戦争という救いようのない、人と人との殺し合いをよく知っているにもかかわらず。
だが今はそんなことよりも、誰もがみな熱に浮かされたように騒いでいる。
もっとも脅威度が高いとされていた九頭龍すら倒せるということは、このガルレージュ周辺の『禁忌領域』を含むすべての魔物支配領域が解放されることはすでに既定路線だ。
それがどれだけ膨大な利益を生み出すかなど、子供にでも理解できる。
エメリア王国において国境辺境地域であり、ある意味そうであるからこそ一定の繁栄を誇っていたガルレージュは、その未曾有の大開発の前線基地となるのだ。
それだけでもとんでもない金が動くのは間違いないが、将来的にこの広大で肥沃なガルレージュ地方全域が人の支配下になるのであれば、ガルレージュこそがこの大陸の経済の中心になってもなにも不思議ではない。
やがてすべての魔物支配領域の解放が大陸中へ広がっていくにせよ、この地が当面の中心となるのはもはや揺るぎようもない事実なのだ。
それが夢想などではなく現実なのだと、運び込まれる九頭龍を見れば誰もが確信する。
それで騒ぐなという方が無理というものだろう。
スティーヴの手配により冒険者ギルドから、フレデリカの手配により総督府から無料で酒が振舞われ、祭りの気配を察した抜け目のない商人たちがあっという間に出店も用意して、すでに現存するすべての祝祭日よりも派手な様相を呈している。
高い城壁からは無数の花弁が撒き降らされ、城塞都市中の鐘が最も穏やかな響きで重ね鳴らされている。
そんな喧騒の中、我が目で見ていなければ信じられないくらいの巨躯を誇る九頭龍は、いくつもの巨大な荷車を合わせたものに積まれて中央広場までゆっくりと運ばれてゆく。
そこが九頭龍の解体場に定められたからだ。
だがこれほどの巨躯を誇る九頭龍を討伐したことにもちろん驚いているのだが、どうやってこの場まであっという間には運べたのかを知れば、民衆の驚愕はより大きなものになることは間違いないだろう。
開門前に壁外に集められた、今一生懸命荷を引いている魔物運搬業者たちはすでにその驚愕を強制的に味わわされている。
初めは九頭龍の討伐完了を確認した後、『禁忌領域№09』まで赴くことが冒険者ギルドからの依頼だったのだ。
正直倒せるかどうかも半信半疑だったが、たとえ斃せたとしてもその場で分解してガルレージュまで持ち帰ることができるようになるまでに、さて何日かかるものかと途方に暮れてもいた。
それが突然、正門前から運ぶだけでいいと言われた時にはスティーヴの頭がおかしくなったのかと疑いもした。
だが目の前に九頭竜の遺骸、その巨躯が忽然と顕れた際には腰を抜かすしかなかった。
それがソルが3桁までレベルアップしたことによって得た新たな能力、『異空間収納』によるものだと知る者は仲間たち以外まだ誰もいない。
だがソルの仲間たちも、伝説の九頭龍が激戦の痕すらなく綺麗に死んでいるのを目の当たりにした魔物運搬業者たちも、そんなことができる奴にはもはやなんでもありなのだろうと、無理やり納得させたといったところだ。
その「なんでもあり」と誰もに呆れられたソルは、九頭龍行列の先頭を、何頭もの白馬たちに牽かれた豪奢な移動する舞台とでもいうべき装置の上で落ち着かなさそうにしている。
その左にはフレデリカが立ち、右にはリィンとジュリアが立っている。
ソルの長外套の中に隠れるようになってしまっているルーナは、「誰かちっちゃい子もいるな」程度であまり注目を集めていない。
ソルの顔を知る者は多く、『禁忌領域』解放の英雄が『黒虎のお荷物』であることに驚いている顔も多いが、それ以上にソルに従っているようにしか見えない美女の方がより驚愕を呼んでいるのは間違いない。
リィンとジュリアは有名人だが、ソルと共にいることを今さら疑問視されたりはしない。
なんとなれば一部ではソルは女を夢中にさせるそっち方面の能力によって、『黒虎』のお荷物でありながらも除名されないのだと、まことしやかに語られたりもしているのだ。
本当にそうならどれだけいいか、とリィンが思っていることはジュリアしか知らないのだが。
だがソルの左側で嫋やかに微笑んでいる美女がとんでもない。
その美しさだけであればリィンやジュリアも後れを取っておらず、よく見えさえすれば獣人族系ではあれど褐色の少女の方が上回っているかもしれない。
だが王女の姿を直接見たことがないガルレージュの民衆たちであれど、わざわざ着替えた今のフレデリカの姿を見れば一目であれが第一王女なのだと理解できる。
今フレデリカの頭部を飾っている黄金蔦の意匠をした半冠を身に付けることが許されるのは、エメリア王国においては王族の女性のみなのだからそれも当然だ。
王女様を直接見れたというだけでも、騒ぐには充分な理由になる。
だがその王女が先頭に立っているのではなく、まさかソルの脇に控えるようにして立っているとなれば騒ぎはより大きなものにならざるを得ない。
古来民衆はとんでもない偉業を成し遂げた平民と、尊き血を継いだお姫様との恋艶噺をこよなく愛するものなのだ。
それが九頭龍をぶち転がし『禁忌領域』を解放するほどの英雄が相手ともなれば、安い嫉妬も、王族が平民を相手するなど、とお怒りになる自称見識者、自称愛国者の連中も出る幕などない。
とんでもない能力を持った存在が万が一にも自分たちの敵に回らぬように繋ぎ止めてくれるのであれば、それこそが自分たちの支配者たる王族の務めだと誰もが本能で納得するからだ。
だからこそ、誰もが心の底から祝福する。
いくらでも提供される花弁を皆がこぞって受け取り、これでもかとばかりにソルとフレデリカに向かって競うように浴びせるのは、この光景が連想させる関係が現実となってくれることを心から願っているからに他ならない。
とびきりの笑顔でその期待を受け止めるフレデリカとは違い、なにがなにやら理解できないソルと、なんとなくそういう空気を把握してこめかみに血管が浮きそうなリィンを面白そうに眺めているジュリアである。
ルーナはあまりの人の多さにびびりつつ、降り注ぐ無数の美しい花弁の雨にちょっとテンションが上がっている。
だがその御伽噺の最終頁のような祝祭行進の前に、無粋な一団が立ちはだかった。
「フレデリカ王女殿下。これはけして赦されることではありませんぞ。この神を冒涜する騒ぎに御身が加わっておられるということは、今回の背教行為はエメリア王国が主導していると看做しますがよろしいか!」
豪奢な緋色の聖職衣に身を包み、左手に権杖を携えた『聖教会』エメリア王国ガルレージュ大教区を任されている司教枢機卿。
「これはイシュリー枢機卿」
王族であるフレデリカが膝を折り、頭を下げる必要がある相手。
それが『聖教会』の許可なく行われた『禁忌領域』への侵入とその解放という偉業を咎めるべく、民衆の眼前で権威をひけらかしに来たのだ。




