第064話 『臣従と隷属』⑤
「できる限りのことはすると約束しよう。だが我らは所詮単なる兵士に過ぎん」
ソルとの交渉を一通り終えた隊長が苦渋の表情を浮かべている。
話を聞いてくれるようにした隊長に、ソルが求めたことは極シンプルである。
だがシンプルであることが、それを実現するのが簡単なこととは当然イコールではない。
『妖精王』の身柄と妖精族はソル・ロックが預かった。
そのソル・ロックとは何者かと言えば、エメリア王国の承認を受けてその領内、『禁忌領域』を解放して領土とすることで国を興す予定の王である。
イステカリオ帝国が管理することを聖教会から任されている『妖精王』を一方的に奪うことは本意ではなく、その代償としてイステカリオ帝国領内に存在するいずれかの魔物支配領域を無償で解放する。その対象は『禁忌領域』でもかまわない。
『妖精王』にかけられた呪いを解除する手段を提供して欲しい。
提供してもらえれば、それと引き換えにイステカリオ帝国領内に存在する、『禁忌領域』を含むすべての魔物支配領域の開放を約束する。それは一年以内に実行される。
それが可能な証拠は、ガルレージュに存在する『禁忌領域№09』の領域主である九頭龍の討伐と解放とする。またこれらの約定はエメリア王国第一王女フレデリカ・トゥル・ラ・エメリアの名の元において保証される。
そして最後。
『妖精王』を解放する手段を提供してもらえないのであれば、実力行使で奪うことも辞さないがそれは最終手段である。
以上の内容をソルと接敵し、『妖精王』を奪われた当事者として帝国の中枢へ届けて欲しいというものだ。
もちろん追って、エメリア王国からも正式な通達を届けるということも含めて。
「イステカリオ帝国が貴方たちの言葉のみで動く可能性は低いと?」
「情けないがそのとおりだ」
「なんのための最前線からの情報なんだかな」
「それについては我が国もえらそうなことは言えませんね……」
だが同じ王族であるフレデリカも、これを素直にイステカリオ帝国が受ける可能性は低いと判断している。
ソルとルーナの力を目の当たりにしている自分がいてもなお、エメリア王国を今切った空手形通りに行動させることは簡単ではないだろう。
簡単ではないだけで、出来ないとは露ほども思っていないのがフレデリカと隊長の大きな違いと言える。
だが一国の王女でも難しいそれを、国境地帯で下手を打った――『妖精王』を取り逃がした前線指揮官とその部下たちだけやってみせろというのは少々現実的ではない。
特に最後の項目は、時に大国を自認する者たちが実利よりも矜持を優先するのには十分な恫喝だ。
ソルにしてみればややこしいことを言うなら殴って奪うぞという意思表明に過ぎないのだろうが、ソルがもし同格の相手であればフレデリカはまず間違いなく止めていただろう。
国というのは思われているほど実際主義ではないのだ。
己が剛力を信奉している冒険者たちの方が、よほどそれには近い。
「貴方は僕の言うことに従うべきだと思っているんですよね」
「私は私なりにイステカリオ帝国を愛している。確実にその帝国が滅ぶとわかっている愚行を、できるだけ止めたいと思うのはそんなに変かね」
「いえ」
だがその瞳から狂信と偏執が抜け落ち、純粋に国の為を思っている隊長の決意は本物だ。
それはいまだ驚愕から抜けきらない副官や部下たちにもはっきりと伝わっている。
言われて見れば、隊長の取っている態度はもっともなものなのだ。
話し合いを求めている相手に一方的に攻撃を仕掛けて返り討ちに会い、その状況を覆す手段も持たずに「裏切り者」よと喚き続ける敗者など、自分たちであっても冷笑する。
だが隊長を除いた自分たちは今、頭ではそれをわかっていながらにして感情では間違いなくそうなのだ。
自分たちを無力化する程度であればともかく、今も目の前に倒れ伏している九頭龍を一撃で屠れる相手を敵に回せば国が亡ぶ。
そんなことは少し考えれば誰でもわかる事なのに、「そんなことよりも」人類の裏切り者を勝てぬと知りつつ断罪することを優先しようとする自分たちはどこかおかしい。
隊長の態度でそれを自覚しつつ、それでもなお隊長を「裏切り者」だと思ってしまうことを止められない自分たちの意志がもうよくわからない。怖くすらある。
もしも上官でなければ、理も論もなく本能で裏切り者よと断罪していただろうことは疑いえないのだ。
「では我々は御身との約定を果たしに帝国へと帰還する。いずれまた御会いできることを期待する」
そう言って颯爽と馬へ向かう自分たちの隊長へ、いろいろと解せない感情を持った部下たちが付き従った。
まずは生き残れたことが僥倖なのだということにすら、気付くことも出来ないままに。
「――説明して、いただけるのでしょうか?」
イステカリオの精鋭部隊の姿が見えなくなるまで沈黙を保っていたソルたちの中で、最初に口を開いたのはやはりフレデリカだった。
今の一連の出来事はどう考えてもあり得ない。
隣国であり、共に大国であり、長きにわたって相容れない潜在的な敵国同士であったからこそ、イステカリオの思想については王族であるフレデリカがこの中では一番理解している。
どちらが正しいという話ではない。
互いに自分たちこそが正しいとしていることが、決定的に違っているというだけだ。
ゆえにこそ互いの「正義」に対する頑なさは狂気にすら近い。
負けたから、殺されるからとあっさりと放棄できるほど、彼らの亜人種や獣人種に対する差別意識は温い思想汚染ではないはずなのだ。
「僕の能力『プレイヤー』の、新たなスキルを使った結果ですね。『隷属』という」
魔物と戦える力を与えるだけではなく、人の意志すらも塗り替えるだけの力。
それをレベルが3桁に達したソル――『プレイヤー』は行使可能なのだという。
ソルはレベルが3桁に至った今ですら、その対象可能指定人数がまだ10人に満たないということはあえて隠した。
どう説明してもドン引きされることが避けられない能力である以上、そのあたりの情報はまだ秘すべきだと判断したのだ。
「僕と明確に敵対した上で倒された者がその対象となるのかな? ルーナとフレデリカ、近衛のお二人には使えないね」
対象人数が今はまだごく少数に制限されている上、一度は敵対しなければ一方的に行使できないという縛りは一応あるらしい。
「なんで私たちには使えるんですか!?」
「え、うそでしょ?」
「たぶんこれ、子供の頃の喧嘩とかも対象に含められているんじゃないかな?」
「えー」
だがどうやらその縛りは相当に緩い。
子供の頃の喧嘩までその範疇に含められているとすれば、ソルから難癖をつけるだけでもそれはあっさり「敵対」と看做されるだろう。
「ソル様に隷属化されたら、ああなるのですね」
もうこれ以上驚くことなどないと思っていたフレデリカは、今日何度目かも知れない恐怖を伴う驚愕に戦慄している。
あの隊長は意志を失っていたようには見えなかった。
傀儡の如く操られるようになるのではなく、あくまでも自分の意志として正しいことをしているというあの様子は、けして演技などではない。
つまりソルに隷属化された相手は、自分の意志でソルにとって都合のいい、いわれたことを神の宣託の如く妄信して実行しようとする「ソルにとっての」いい人にされてしまうのだ。
その行動を自分の記憶や考え方から、正しいことだと整合させる。
だから『服従』ではなく『隷属』なのだ。
隷属化された本人は自分の意志だと確信していても、本来の自分の意志からは乖離して従っている。
ソルは慎重に提案やお願いのカタチを装って隊長に命令していた。
結果だけを見れば、あの隊長はソルの言うとおりに全身全霊を込めて行動を起こそうとしているのだ。
それは簡単に犯罪者やテロリストを生み出すことすらも可能な力。
神のお告げを絶対の正義として実行する、狂信者のように。
「一方的にソルから喧嘩を売って叩きのめしても適用できるんだったら怖いよね」
「その辺は実証実験する必要があるね。僕が独力で倒す必要があるのか、それとも僕の意志で倒せばそれで条件を満たせるのか」
「……後者だったら究極の力ですね」
つまりルーナに勝てない存在はすべて、ソルに隷属化されてしまうということになる。
それはソルがその気になれば、誰でも隷属化できるということに等しい。
「便利だよね」
さらりと言ってのけるソルは本当に恐ろしい。
フレデリカはいつもの気のいい青年の見た目に騙されて、うっかりソルを侮ってしまうことの無いように今一度自分の精神を強固に固定した。
今フレデリカの目の前にいるのは、その気分でこの世界を楽園にも、地獄にも変えうる力を持った現人神なのだ。
それが善神なのか悪神なのかは、フレデリカにはわからない。
であれば少なくともフレデリカ自身にとって、出来ればエメリア王国にとって、贅沢を望むのであれば人の世界にとって、ソルが善神となってくれるべく立ち回るべきだろう。
それこそ、どんな手段を使ってでもだ。




