第059話 『パワーレベリング』③
「あの……これはどういう状況なのかお聞きしてもよろしいですか?」
ルーナがソルの指示に従い、一瞬で8人の魔導部隊の精鋭たちとそれに追われていた2人のエルフの意識を奪って無力化した直後。
ソルたち一行に起こっている異変について、メンバーの中で一番『能力』を以て魔物と戦うことに対する実戦経験で劣るフレデリカが、慣れているであろう全員に問いかける。
口調こそなんとか平静を装えてはいるものの、その様子は明らかに動揺している。
だがそれは魔物との戦闘を日常としていたリィンやジュリア、二人の近衛騎士にしても同じことだ。
よろしいですか? と言われてもよろしいわけがない。
どうして先刻から自分たちの身体がずっと強烈な魔力光を噴き上げ続けているのか、その理由など誰にもわかるわけもないのだ。
だが苦しいとか痛いとかいったことは一切なく、それどころか体の奥底から無限の力が湧き上がってくるような感覚がずっと続いている。
「強化される時に似ているけど……違うよねーこれ?」
だがそう口にしたジュリアの言うとおり、これまで魔物と戦ってきた者であればこれに似た感覚を知ってはいる。
一定以上魔物との戦闘を重ねれば自身の身体に訪れ、それ以降自分でも見違えるように強くなる現象。
その周期はその経験を重ねるほど長くなり、ソルやリィン、ジュリアにはつい最近バジリスクを倒した時でさえ訪れなかった、いわゆるレベルアップというやつだ。
「私とルーナさんだけ頻度が高かったアレですね」
フレデリカが一応納得の様子を見せているのは、この『禁忌領域№09』に足を踏み入れて以降、ソルの指示に従ってまるで冗談のような戦闘もどきを続けている際に、自身がそれをすでに複数回経験しているからに他ならない。
その数は実に4回に上る。
普通ではあり得ない回数だ。
「強化の時はほんの数秒ですもんね……」
だが同じく困惑した表情を浮かべているリィンの言うとおり、その際の発光と感覚はほぼ一瞬、新たなスキルなどが生える際でも長くても数秒といったところなのだ。
その思いは近衛たちも同じらしく、未だ発光を続けているお互いの姿を不安そうに見つめ合っている。
「いや強化であっているよ。それがずっと続いている状況が今」
「……どういうことですか?」
だがソルはあっさりと、この現象はリィンたちが似ていると感じていたレベルアップのそれだと言い切ってみせた。
いや口調はあっさりとしているが、その瞳は熱に浮かされたような強い光を浮かべており、ソルにしか見えない、自身の周囲に複数展開されている表示枠の内容を素早く追っている。
相当な情報量がその視界を走っているのだろうが、表示枠を視覚で捉らえることができないフレデリカにしてみればその様子にはさすがにちょっと引く。
「どう言えばいいかな……数値で表現しても伝わりにくいとは思うんだけど、強化の段階? 僕の表示枠ではそれは「レベル」という数値で表現されるんだけど、『禁忌領域№09』へ突入する時点で僕とリィン、ジュリアが7でルーナが1、フレデリカも1で近衛の御二人は4だったんだよ」
「えーっと?」
視線は表示枠を追いながら、それでもソルは説明をしてくれるらしい。
だが付き合いの長いリィンやジュリアですら、「レベル」という文言をソルの口からきいたのは今回が初めてであり、当然すぐに理解できるはずもない。
わりと可愛らしくリィンが首を傾げ、なぜかそれをルーナが真似ている。
そういう仕草を素でできるあたりがリィンの強さだなあと、ジュリアとついでにフレデリカも感じている。
「それが九頭龍と接敵前には僕たちが9、ルーナとフレデリカが5、近衛の御二人は7になっていたと言ったらなんとなくわかる?」
「……なるほど」
ソルの説明に納得したという表情を浮かべたのは、意外なことに常に無言を保っていた近衛騎士の一方、『鋼糸遣い』の方だった。
理解できたことが嬉しいのか、僅かに浮かんでいるその表情は喜色だ。
ずっとそうしていれば可愛いのにとソルが思ったかどうかは不明だが、フレデリカと『遠剣遣い』が驚いた表情を浮かべているということは珍しい反応なのだろう。
1から始まり、4度の強化を経ているフレデリカとルーナが5。
4から始まり、3度の強化を経ている近衛騎士二人が7。
7から始まり、2度の強化を経ているソルとリィン、ジュリアが9。
つまりソルの言うレベルとは、人が魔物との戦闘を経て積み重ねた強化の回数――強さの数値化というわけだ。
そのレベルが上昇する――レベルアップする際に強化の光とあの感覚が訪れる。
それがずっと続いているということはつまり――
「まあその僕たちのレベルが、九頭龍をルーナがぶっ飛ばした瞬間からずっと上がり続けている」
「え?」
フレデリカはまだピンと来ていないだろう。
だがリィンやジュリアはもちろん、近衛騎士の二人もそのレベルとやらが1でも上がれば、その前とは別人の如く自分が強くなることを経験として知っている。
『禁忌領域』に入って以降、未だかつて経験したことなどないハイペースで片っ端から接敵した魔物をルーナが倒したことで、一日に複数回のレベルアップを経験したのも初めてのことだったのだ。
それが先刻からずっと続いているのだと言われても「え?」とか「は?」しか言えないのは当然だろう。
「ははは。ちょっと僕にもよくわからないんだけどね」
「えー」
乾いた笑いを発するソルにまでそう言われてしまえば、自分たちにわかるわけがないだろうとリィンがちょっと呆れた反応を示す。
「今レベルの数値が全員3桁を超えたところ。はは、まだ止まらないね。数百年を生きた多頭蛇――九頭龍の強さは伊達じゃなかったってことだよね」
3年間の王立学院における訓練と、2年の冒険者活動を経てなお一桁であったレベルが、すでに今3桁に乗っていると言われても、実感など湧かない。
文字通り桁違いの戦闘能力にこの場にいる全員が至っていることを、数値として把握できているのはソルだけだ。
だがそんな嘘を言う必要など、ソルにあるはずもない。
つまりそれは真実なのだ。
A級にまで至った自分たちや、戦闘能力におけるエリートである近衛ですら1桁にとどまっているこの世界で、3桁を超えるレベルに至ったリィンたちはもはや怪物と言ってもまるで過言ではない。
「でもルーナちゃんが他の魔物と同じように一発ですっ飛ばしましたよね?」
「そのルーナのレベルも一緒に上がってる」
だがリィンが問うたとおり、一気にそれだけのレベルアップを引き起こすだけの強敵――これまでにソルたちが斃してきた魔物すべてを遥かに凌駕する内在魔力を放出した九頭龍は、レベル一桁に過ぎないルーナの一撃で屠られたのだ。
ソルの役に立って、鼻高々でふんぞり返っているルーナは可愛らしい。
だが同時に、そのルーナもまた3桁の強化を重ねているというのが一番恐ろしい。
ソルの目に映っている表示枠には、一体どんな桁外れのステータス値が表示されているのか、想像もつかない。
「私たち全員が、ものすごく強くなっているって理解でいいの?」
「ああ。僕の『プレイヤー』ができることも色々増え続けているし、まず間違いなくみんなに付与できるスキルの数やステータス値の上限もとんでもないことになっていると思う」
ジュリアの確認を明確にソルが首肯する。
「具体的には?」
「さすがに九頭龍は無理でも、ルーナが気絶させたイステカリオ帝国の魔導部隊? くらいなら確実に一人で瞬殺できる。逆に彼らの魔法を一方的に喰らい続けてもH.Pの自然回復速度の方が上回るから、まあ勝負にならないね」
フレデリカや近衛たちが、その軍服からそうであろうと判断したイステカリオの精鋭部隊はすでに敵ではないという。
H.Pを付与された『プレイヤー』の仲間たちであれば、棒立ちで攻撃を喰らい続けてもなんの痛痒も受けないほどに隔絶してしまった彼我の戦力差。
「たぶん倒すだけなら僕にもできるんじゃないかな」
自身へはH.PやM.P、ステータスの増強はもとより、スキルの付与も不可能なソルでさえも、素体レベルでの隔絶が『能力者』をただ殴って倒すことを可能なさしめる。
まさに「レベルを上げて物理で殴れ」の体現と言えるだろう。
「……じゃあ私でも、ソル君とルーナちゃんについて行けるようになる?」
その事実を理解し、ソルたちについて行くことを諦めていたリィンが目に涙を浮かべて確認する。
「ああ。一緒に迷宮を攻略できるよリィン」
「はい!」
その問いかけに、ソルも心から嬉しそうに答える。
全員とはもう無理になってしまったが、せめて一人だけでも最初に見た夢を共に叶えられる幼馴染がいてくれることはソルにも嬉しいのだ。
ジュリアに言わせれば、もうちょっと色っぽい方面でそういうやり取りをすればいいのにと少々呆れ顔にならざるを得ないわけだが。
もちろんリィンとの攻略が続けられるようになったことが嬉しいのは嘘ではないソルだが、今自身の表示枠に次々と表示されている「新たにできるようになったこと」をはやく試してみたくてうずうずもしている。
この『禁忌領域』の領域主すら問題にしない力をぶん回して、自分たちは誰も見たことの無い四大迷宮の最深部へ、ルーナが過去に下層部を砕いたという大陸北部の天空から降りている『塔』の最上部へ、その攻略を進めるのだ。
そのために障害となる、世俗における問題をまずは一掃しておく必要がある。
エメリア王国の王族であるフレデリカが仲間になってくれたことを、心から喜んでいるソルである。
そのフレデリカは今、昨夜『邪竜ルーンヴェムト・ナクトフェリア』の戦闘力を目の当たりにし、今日この『禁忌領域』へ侵入してからも見せつけられた冗談のような戦闘力よりもなお強い戦慄を覚えている。
つい数刻前まで、戦闘力など皆無だったフレデリカは今、大げさではなく人という括りであれば世界最強の1人になっている。
自分が魔物と戦える存在になれるという経験は、生まれてからこれまで大国の王族として経験してきたすべての贅沢を簡単に色褪せさせるほどの快感だった。
それはソル・ロックという存在が気に入りさえすれば、誰にでも与えることができるのだ。
そして気に入らないのであれば、いつでも取り上げることも出来る。
そんな快感とそれを喪失する恐怖に抗える人間など、この世にいるはずもない。
そう思い至った瞬間、今もなお続いているレベルアップのもたらす感覚よりも、恐怖に限りなく近い戦慄よりもなお強い、疼くような感覚を腰奥から感じてフレデリカはへたり込みそうになる。
今フレデリカの目の前で嬉しそうに目を輝かせている青年は、大げさではなく人の世界に顕現した神と同じ力を有しているのだ。




