第058話 『パワーレベリング』②
「クソが」
『禁忌領域№09』への境界線付近で馬を止め、自分を含めて8人のイステカリオ帝国軍所属の精鋭魔導部隊を率いる隊長が苦々し気に吐き捨てる。
奇しくも追われる側のエルフと同じ悪態の言葉はしかし、自分たちが捕捉し殺すべきエルフたちに向けられたものではない。
それは自分たちが所属するイステカリオ帝国軍部、その作戦司令部で机上の空論をしたり顔で並べ立てている貴族出身の参謀様たちに対するものだ。
若き皇帝陛下の意を酌んで、呪われた『妖精王』を始末する算段を立てるのはいい。
それは彼らの職権職責であって、自分たち実働部隊がその作戦を遂行することは兵たる者の義務だ。
だがもう少しマシな手段を考えつかないものかと、そう思ってしまうことまでは止められない。
なるほど聖教会から勝手な処刑を止められる前にエルフどもを暴発させ、『妖精王』を奪わせた上で始末してしまえば、確かに聖教会も汎人類連盟に所属する国家群も、そう強気にイステカリオを糾弾することはないのかもしれない。
エルフなどどうなってもかまわないと思っている連中ばかりだろうし、悪態をついた隊長本人とてそれは同じである。
だがいかに忌むべきエルフどもであっても、意志を持って生きている存在なのだ。
意地も矜持も持ち合わせており、避け得ぬ死を目の前にしてすらへらへらと命乞いをしながら滅んでくれるはずもない。
窮鼠が猫を噛む如く、追い詰められたエルフはイステカリオ帝国に牙を剥くだろう。
国家として動く作戦を立案する参謀たる者、敵を阿呆だと侮るのではなく自分以上の賢者だと看做し、それでも最小限の犠牲で最大限の効果を得られるようにしてもらいたいものだと隊長は思うのだ。
帝国全体からみれば取るに足らない反撃なのかも知れないが、それを受けるのは任務を遂行する実働部隊だとなれば悪態のひとつも出ようというものである。
――案の定、こちらの思惑を悟られたうえで最悪の手段に出られたな。
帝都の参謀どもは、エルフが逃げるのであれば深い森林地帯であるガルレージュ周辺、それでも逃げ切れぬとなれば『禁忌領域』に踏み込む可能性を考慮しなかったのか。
まさか種族としての死までを覚悟していながら、お行儀よく自分たちを蔑む聖教会や汎人類連盟が定めた禁忌を順守すると思ってでもいたのか。
十分に予想できたこの最悪の展開に、絶望的な気分にならざるを得ない隊長なのである。
エルフの始末などよりも、今後大陸中の国家を相手にしてイステカリオ帝国がどう動くべきなのかを、この作戦を立案した阿呆どもが定めると思うと頭痛がする。
エルフの始末などで、イステカリオを軍事大国たらしめている魔導部隊を一人でも失うことなど愚の骨頂とさえ言えない。
しかしその可能性は決して低くないどころか、撤退を視野に入れるべき域まで高まっているのだ。
エルフ程度に負ける心配などしてはいないが、『禁忌領域』に踏み込むとなれば自分たちであってさえ全滅も充分にあり得る。
「下品ですよ隊長」
「クソはクソだよ副長。御クソですわ、とでも言いなおしたら満足かね」
「子供じゃないんですから……」
随分と付き合いの長い副長のみならず、この魔導部隊に属する者たちはみな、隊長と同じ思いを得てはいる。
「とはいえ逃がすわけにもいかん。最終的にエルフどもの里も焼くとはいえ、『妖精王』を奪還されたばかりか里まで逃げられたとあっては、我がイステカリオが侮られかねん」
だがそれでも命令には従わねばならないのが軍人というものなのだ。
「あえて『妖精王』を奪わせたんですよ、と口ではなく結果で語るのも苦しくなりますからね」
副長の言うとおり、あえてそうしたのだと強弁するには失態を重ねるわけにはいかない。
一度目はわざとだと通せても、二度も重ねれば無能の誹りは免れ得ない。
しかもその失敗は参謀本部の作戦が稚拙だったがゆえではなく、現場の遂行能力の低さが原因だと言われることも目に見えている。
「というわけで状況はこの上なくクソだが『禁忌領域№09』へ侵入せねばならん。各自魔力開放及び全能力の使用を許可する。散開してエルフどもを探せ。魔物と接敵した場合は可能な限り逃げろ。エルフどもは見つけ次第始末してかまわん。『妖精王』ともどもだ。『禁忌領域』への侵入については気にするな、『聖教会』にバレなければいいだけだ。運悪く九頭龍と接敵した場合、帝城のクソ参謀どもを罵りながら死ぬことを許可する」
「了解!」
クソがクソがと言っていれば問題が解決するのであればいくらでもそうするが、現実とはそう都合の良いものではない。
憤懣のやるかたなさを汚い言葉にして吐き出したのであれば、後は行動するのが仕事というものだ。
帝国軍人として少々品位に欠けたのは副長の指摘通りだが、まあ気心の知れた部下たち以外が聞いていたわけでもない。
どれだけ阿呆な作戦でも、それを見事遂行してみせてこその精鋭部隊だという矜持もある。
信頼する隊長の判断と命令に一切の遅滞を見せずに、各々の魔力を解放した兵たちが散開して『禁忌領域№09』への突入を開始する。
死と隣り合わせの場へ命令ひとつで躊躇なく飛び込めるのは、さすが精鋭部隊というべきなのだろう。
「さてと……万が一にでも本当に九頭龍なんぞに接敵したら、バレなければ良いのだとも言っておれんな。さっさと済ませるとしよう」
命令を下した隊長自身も魔力を解放して己の身体を強化し、人間離れした速度で『禁忌領域』への突入を開始する。
いかな森林の中とはいえ、黒化による弱体化が著しいエルフに後れを取ることは万に一つもない。
さっさと始末するべく、隊長以下全員が本気でエルフ狩りを開始した。
◇◆◇◆◇
「投降したまえ。そうすれば誇りある死を約束しよう」
思ったよりも時間はかかったが、機動力で圧倒する魔導部隊が、馬車を棄てざるを得なかった上、身動きもできない『妖精王』を抱えて移動するエルフたちを逃がすはずもない。
運よく魔物との接敵も避けられ、運悪くエルフたちが九頭龍に接敵する前に捕捉できたのは上出来だと言っていいだろう。
隊長が捕捉して即招集をかけたため、すでにこの場には魔導部隊の8人すべてが集結を済ましてもいる。
エルフたちの賭けは失敗し、すでに詰んだ状況だ。
だがほとんど時間を掛けずに処理できる自信はあるが、『禁忌領域』内で魔法戦闘を行って魔物たちを、最悪領域主である九頭龍を引き寄せる愚は絶対に避けたい。
よってまず受け入れられることなどないとわかってはいても、隊長が一応この状況下で投降を勧めたのは定石だと言える。
「世迷言を。種族ごと鏖にされることに誇りもへったくれもあるものか。みっともなかろうがせめて貴様らくらいは道連れにしてくれる。たとえ黒に堕とされようとも、我らエルフはかつての森林の支配者。侮ったことを悔いて死ぬがいい」
「――殺せっ!」
だが半ば以上狂気に支配された様子のエルフたちが返してきた言葉は、隊長の想定外のものだった。
その言葉が強がりの類ではないことを即座に見抜いた隊長が、部下たちに即時殺害の命令を反射的に下した。
個人単位の戦力差に加えて、8対3、実質は8対2という数的有利もある。
エルフたちにどんな奥の手があるにせよ、ものの数分で始末してしまえることは疑いえない。
だが遅かった。
「ははは、今の我らならば苦も無く縊れるのだろうよ貴様らは。だが『禁忌領域№09』の領域主、九頭龍が相手ではそうもいくまい」
大地に手をつき、巨大な魔法陣を瞬時に発生させたエルフが勝ち誇る。
エルフが行使したのは攻撃魔法ではなく、防御魔法でもない。
もちろんここから逃げおおせられる起死回生の一手というはずもなく、やったことはかつての森林の支配者として、この森――『禁忌領域№09』全域に木々や草花を通して自身の敵意を振り撒いただけに過ぎない。
かつてエルフたちが本当に森林の支配者だった頃、自分たちが暮らす神聖な森へ邪悪な魔物どもを近寄らせないために行使していた、古代森林結界術の一種。
当然、術の行使者に比して弱者は逃げ出すが、強者はそれもまた当然襲い掛かってくるという諸刃の剣。
黒化によりかつての力を失ったエルフには、基本的に意味がなくなってしまっていた術と言える。
だが死なばもろともの手段としては、これ以上のものはそうそうあるまい。
ましてやここはガルレージュ近郊で、もっとも強大だと看做されている九頭龍が領域主である『禁忌領域№09』なのだ。
術が発動されたと同時、生茂る木々の高さを楽に上回る九つの首がもたげられ、3人のエルフと8人の人間をその九つの頭部、27の瞳で捉えた。
そのまま木々を薙ぎ倒しながら、己の支配する地へ無作法に侵入し、弱き者が尊大にも振り撒いた殺意の元を叩き潰すべく突進を開始する。
こうなっては隊長たちも、エルフの始末などに貴重な魔力を消費している場合ではない。
いくら魔力で強化していても人の速度では逃げ切れぬ以上、無駄とは知りつつ戦って勝つしか生き残る道はなくなった。
だが――
「は?」
「え?」
仕掛けたエルフも、罠にはまってしまった人間たちも、今自分たちの視界が捉えた映像がすぐには理解できない。
九頭龍の巨躯を遥かに超える巨大な竜のカタチをした魔力の塊が突然空中に現出し、その巨大な前足の一振りで九頭龍を吹っ飛ばしたのだ。
冗談のような勢いで森を削りつつ、偶然自分たちの目の前まで七転八倒しながらすっころんできた九頭龍はすでにピクリとも動かない。
軍事大国であるイステカリオ帝国が誇る人的戦力の粋である自分たちが死を覚悟するしかなかった強大な怪物が、冗談のように一撃で屠られたのだ。
すべての思考が停止してしまったエルフと人間たちの上空に、6人のパーティーが転移してきてそのまま空中に浮かんでいる。
エルフたちも、隊長以下8人の魔導部隊たちもみな、口を開けて声もなくそれを茫然と見つめることしかできない。
「エルフが3人、人が8人か。状況がわからないな、ルーナとりあえず無力化を頼む」
その中心に浮かぶ黒髪黒目、いかにも高価そうな長外套に身を包んだ唯一の男がこともなげにそう告げる。
「はーい」
その男の前に浮かんでいる、獣人系の美少女が可愛らしい声で返事をすると同時。
軍事大国の精鋭魔導部隊も、元森の支配者も関係なく、その場にいた10人は自分が誰になにをされたのかすら認識できないまま、一瞬ですべての意識を刈り取られた。




