第057話 『パワーレベリング』①
人がこの大陸の大部分の支配権を失ってから、約千年もの時が経過している。
だが本物の歴史も『聖教会』が語り伝える『勇者救世譚』に記されている内容と大筋に違いがないとすると、考えてみればおかしな話でもある。
勇者が邪竜ルーンヴェムト・ナクトフェリアを討伐、封印した幸福な結末を迎えたにもかかわらず、人は邪竜によって崩壊させられた『大魔導時代』を復興することもなく、ただ衰退の一途をたどっているのだから。
人が未だ滅びずにいられるのはただ、迷宮や魔物支配領域の深部から強大な魔物たちが溢れ出して来ていないからに過ぎない。
万が一そうなった場合、今の人はそれに抗する手段を持ち合わせていない。
それは200年前に大厄災を引き起こした最初の『禁忌領域』の領域主、固有名『国喰らい』がいまだ健在なことからも明らかだ。
人は誰もが本能的に昨日と同じ今日が、今日と同じ明日が続くのだとなんの根拠もなく妄信することによって、どうにか精神の安定を得ているのだ。
世界を支配していると自認している者たちですら、自らを『旧支配者』と自虐的に名乗ることしかできないほどに、人類が衰退しているのは間違いない。
その人の衰退を証明するかのように、城塞都市ガルレージュ周辺に多数存在する魔物支配領域。
その中でもただ侵入したことが判明しただけで、死罪を科されるのが『禁忌領域』と呼ばれる禁足地である。
ガルレージュ周辺にはその『禁忌領域』が9つも集中していることから、『怪物たちの巣』と呼ばれている。
とはいえ『禁忌領域』を支配する領域主が人の世界を崩壊させかねないほどの脅威――災厄級と看做されているのは確かだが、その地に棲息する他の魔物すべてが桁外れに強いというわけではない。
通常の魔物支配領域に比べれば強力な魔物が多く生息してはいるものの、それはなにも人の手に負えない魔物しかいないというわけではないのだ。
つまりよほど運悪く周辺部分に領域主が移動しているとか、最初の接敵で中心部近くに生息する上位個体などに当たらなければ、現代の冒険者パーティーや軍であっても即壊滅するなどということはない。
だからこそ国家と聖教会に承認された調査隊が、時に全滅という不運に見舞われながらも、なんとか『禁忌領域』の情報を持ち帰ることができているのだ。
そんなことは実戦経験で2年、王立学院での3年間も含めれば実に5年の長きにわたって魔物と戦ってきたリィンやジュリアは当然知っている。
冒険者になることを選ばなかった二人の近衛騎士――『遠剣遣い』と『鋼糸遣い』という希少能力に恵まれたフレデリカを守護する女性たちもそれは同じだ。
つい先刻まで魔物と戦えるような『能力』を持っていなかったフレデリカでさえ、魔物と戦闘に関する常識的な知識については一通り頭に叩き込んでいる。
『禁忌領域』だからとて、接敵イコール死ではない。
だが今展開されている戦闘は、自分たちが知っているそれとはあまりにも違っていた。
近衛の二人だけではなく、ソルとの付き合いももうずいぶんと長く、『鉄壁』と『癒しの聖女』とまで呼ばれるようになっているリィンとジュリアであってもそれは変わらない。
こんな戦闘は知りません(リィン)
というか戦闘って言っていいのこれ?(ジュリア)
貴方たちいつもこんなことをやっていたの?(遠剣遣い)
……すごい(鋼糸遣い)
これが普通と思ったら早死にしそうですわね(フレデリカ)
誰もが声には出さないがソルの指示に従いつつ、内心では感嘆というか呆れというか、なにか質の悪い詐術に囚われているような気持ちに苛まれている。
「あの……ソル君?」
フレデリカたちはソルに意見することなどできない。
絶対者に対する忖度というよりも、魔物支配領域に赴くにあたって戦闘に関してソルの指示には絶対従うよう、依頼の契約に明記されているからだ。
ゆえに『禁忌領域』に侵入して以降、ずっと続いている一連の奇妙な戦闘もどきについて、ソルに確認する大役は無言のやり取りの末リィンに押し付けられた形だ。
「ん? あ、ちょっと待って。左前方に牛頭人魔確認。数は3。遠距離スキル当てる準備よろしく」
だがリィンの呼びかけに応えようとしたソルが表示枠で魔物の存在を捉え、嬉しそうにその殲滅を優先する。
熟練冒険者でも油断ひとつで命を落とすのが魔物支配領域、しかも『禁忌領域』ともなればソルの判断は順当なものだ。
「あ、はい」
ゆえにリィンは即応する。
リィンだけではなくジュリアも二人の近衛騎士も、魔物との戦闘など今回が初めての経験であるフレデリカも左前方に向かって即時戦闘体制へと移行する。
さもすぐそこにいるかの様なソルの言い方だったが、彼我の距離は300m程度は離れていた。
だがフレデリカを含む全員がその距離をものの数秒で詰め、牛頭人魔が敵の存在に反応を示す前にそれぞれの遠距離攻撃スキルを叩き込む。
リィンは剣撃を飛ばす『遠剣』
ジュリアは神聖系攻撃魔法『聖槌』
『遠剣遣い』はリィンと同じく『遠剣』
『鋼糸遣い』は不可視の『鋼斬糸』
フレデリカは空を撃った己の打撃を任意の敵に着弾させる『遠当て』
各々が使える攻撃スキルの中で遠距離系かつ最もM.P消費が少ない初期技である。
ちなみに希少能力使いとしてそれなりに誇りを持っていた『遠剣遣い』は、防御に特化しているリィンが己の能力の基本にして奥義である『遠剣』をさも当たり前のように使っていることに対して、地味にショックを受けている。
だがそんなことが些細なことになってしまうほど、今日の戦闘もどきはおかしい。
牛頭人魔と言えばけして雑魚魔物ではない。
それどころかすでに解放されている下位の魔物支配領域の領域主であった個体も確認されているし、迷宮の中階層――とはいえ現状では地下5階前後程度だが――の階層主としてもメジャーな存在だ。
その『禁忌領域』に生息している個体ともなれば、弱いはずもない。
それも3体が相手となれば、『黒虎』であっても死を覚悟するまではいかなくとも、力を使い切る覚悟で戦闘に臨まねば万が一もあり得るほどの相手だ。
つまり先ほど各々が3体の牛頭人魔に放った攻撃など、ほとんど痛痒を与えられてなどいない。
もちろん無傷というわけではないが開戦の狼煙程度に過ぎず、牛頭人魔は先手を取った小賢しい人間どもを叩き潰すために即時戦闘態勢に入っている。
例えば『黒虎』級のパーティーであれば、ここから数十分、展開次第では1時間を超える死闘が開始されるのが常識というものだ。
有力なパーティーが全滅する理由の一つとして、強力な魔物複数との戦闘中に別の魔物にも接敵されてしまういわゆる敵意共有があげられるほど、長時間戦闘は危険なものなのだ。
だが今日に限っては、皆が初撃を与えればそれで戦闘は終了する。
なぜならば――
「ルーナ」
「はい」
全員の攻撃が着弾したことを確認したソルがルーナに命じると同時、今まで接敵した魔物そのことごとくが木っ端微塵に粉砕されるからだ。
ルーナがどんな攻撃をしているのか、目で捉えられる者はこのパーティーには存在しない。
だが今回もそれで戦闘は終了した。
「ちょっと、ちょっと待ってくださいソル君。ストップ。一旦ストップしてください」
「あ、ごめん。楽しくなってしまってつい……」
「そんな顔でした」
そのまま先の会話を忘れて、広域表示に切り替えた表示枠で次の獲物へと移動しようとするソルを、リィンがあえて大声を上げて制止する。
テンションが上がって殲滅に夢中になってしまっていたソルが我に返り、恥ずかしそうな表情を浮かべる。
「ねえソル。ソルの本気ってこんなのだったの?」
「そんなわけないでしょ。ルーナがいてくれるからできることだよ」
「……ですよね」
やっと落ち着いてくれたことを確認したジュリアが信じられないという表情でソルに確認するが、返ってきた答えはまあみなが納得できるものではあった。
ソルの評価を受けてふんぞり返るルーナは可愛い。
昨日までは不気味さや怖さを感じていたことは否定できないが、ここまで規格外なところを見せつけられると、なんだかもうそういう存在として納得してしまう皆である。
ソルに忠実なことは間違いないので、それで納得しておいた方が精神衛生上もいいだろう。
「あの……魔物と戦える『能力』に恵まれた人は、こんな感じなのですか?」
この中で魔物との戦闘が初めての体験となるフレデリカが、おずおずとソルに質問を投げかける。
本気で嬉しそうな表情を浮かべてフレデリカの方を向くソルの後ろでは、リィンとジュリア、二人の近衛騎士たちがぶんぶんと首を横に振っている。
そんなわきゃない! という皆の心の声が、なぜかフレデリカにはきちんと聞こえた。
「概ねそうですね。正確には与えられた『能力』によって魔物を倒したことによる素体強化の恩恵です。だから僕も高速移動とか、その程度であれば同じことができるわけです」
「え、っと……はい」
だがソルの答えは、4人の無言での反応とは違うものだ。
我が意を得たりとばかりに早口で説明を始めたソルだが、フレデリカは困ったような笑顔を浮かべることしかできない。
ソルに与えられることによって、自分が『拳闘士』としてのスキルを行使できることにも当然まだ慣れてなどいないのだ。
迷宮攻略ヲタクともいうべきソルに、ウキウキで説明されてもついて行けるはずもない。
「ソル君、フレデリカ様わかんないって」
「えーっと……」
それを半目のリィンに指摘され、一から説明しようとソルは瞳を輝かせる。
この手会いに詳しい説明を求めるのは時に自殺行為に等しい。
しかも長年考えるだけにとどまっていた「実験」を次々と行い、それに己が想定していたとおりの答えが次々に返ってきているともなれば、おちついていられるはずもないのだ。
「あ」
だが『禁忌領域』のど真ん中で能力とスキル、成長とそれに伴う各種ステータス上昇の影響の講義をおっぱじめようとしていたソルは、己の表示枠が捉えた情報で一気に冷静になった。
『禁忌領域』に足を踏み入れるなど、自分たち以外にそうそう居るはずがない。
にもかかわらずソルの表示枠には、先行してこちらに向かってくる3つの光点と、それを半包囲して追っている8つの光点が映し出されている。
それはとんでもない偶然。
罠と知りつつ『妖精王アイナノア・ラ・アヴァリル』を救出して逃走していたエルフたちの決死の足掻きが、偶然この地の開放に訪れていたソルと出逢う奇跡を引き寄せたのだ。
それはとりもなおさず、覚悟を決めて『禁忌領域』に追手の手を伸ばしたイステカリオ帝国の精鋭魔導部隊にとっては最悪の悪夢を意味する。




