第056話 『妖精王アイナノア・ラ・アヴァリル』
妖精王。
それは魔法に長け、森に暮らす妖精族であるエルフたちを統べる女王に冠される称号。
エルフとは人型でありながら魔導生物であることを示す魔導器官――特徴的な長い耳と鮮やかな金の髪、髪と同色の妖精眼を持つ美しい森林の支配者だ。
エルフと同じ魔導生物でありながら人とそう変わらない寿命である魔族や獣人族たちとは違い、竜種に匹敵するほどの長い寿命を持つことこそがその最大の特徴だろう。
種族特性としての華奢で細身の躰と、透き通るような肌、人から見ればとんでもないレベルで整った容姿の美男美女しかいないことでも知られていた。
若く美しい姿のまま長い時を経た個体は人の賢者を遥かに凌駕する知恵と知識を有し、戦闘力においても人の域を遥かに超えた規模の大魔法をも苦も無く使いこなす。
素体レベルで見れば苦手とするはずの体を駆使した作業や戦闘においても、魔力を体内に循環させることによって強化し、普通の人などであれば歯牙にもかけない。
神から与えられる『能力』などなくとも種族として持つ力のみで魔物を倒し、城壁に囲まれた街ではなく森で暮らすことを可能とする優位種。
つまりエルフとは、完全に人の上位互換種と言える存在だったのだ。
それがなぜ現代では衰退し、聖教会が『亜人種』と定めるまで、土地によっては魔物と変わらぬ扱いを受けていたゴブリンやオークたちと同じ括りにされてしまっているのか。
それはエルフの女王であるアイナノア・ラ・アヴァリルが人を――『勇者』を裏切ったからだとされている。
少なくとも『勇者救世譚』のエピローグにはそう記されている。
それまでエルフは人の友、いや弱き人を守り導いてくれる先導者とすら看做されていたのだ。
アイナノア・ラ・アヴァリル。
千年前の妖精王。
勇者にとっての最初の仲間。
通常のエルフとは異なる、その強大過ぎる魔力ゆえにターコイズブルーに輝く髪と瞳。
エルフにとって魔導器官でもあるその髪を自身の身長よりも長く伸ばし、ツインテールにして魔力で浮かせているその姿は、まさに妖精たちの王と呼ぶにふさわしい清廉な美しさだったと伝えられている。
その幼ささえ残した容姿に反して歳経た賢者をも超える知恵と機転は、当初不可能ごとだと思われた勇者の偉業――『邪竜討伐』を支える大きな力となった。
だが勇者パーティーの一員として共に『邪竜ルーンヴェムト・ナクトフェリア』を討伐、封印したことによって英雄の一人と称えられた後、アイナノアは裏切った。
エルフだけではなく今では亜人種とされているオークやゴブリン、その他多くの人ならざる種族を率いて人に反旗を翻したのだ。
その理由は今もって不明。
だが穏やかなエルフらしからぬその苛烈な反乱は多くの街や村を焼き、莫大な数に上る人の命を奪ったとされている。
最後まで信じていた勇者と戦場で対峙し、その説得にも応じることなく戦闘。
血涙を流した勇者の手によって倒され、それでもなぜか殺されることなく『邪竜』と同じく『妖精王』としてのあらゆる力を封印された。
ソルが行ったプレイヤーによる『召喚』の際、5枚の手札に含まれていた1枚――『囚われの妖精王』となったのだ。
魔導器官である妖精眼は禍々しい咒具で封じられ、ターコイズブルーに輝いていた髪は呪いで乾いた血のようにどす黒く染まっている。
長い耳にはいくつもの穴が穿たれ、杭のようなピアスがいくつも嵌め込まれている。
両手と全身を濁った血の朱の糸で幾重にも括られ、すべての自由を奪われている。
その状態で勇者の出身の地であるイステカリオ帝国の帝都にその身柄を拘束され、その長い寿命が尽きるまで皇城の一角にある「嘆きの塔」に今もなお囚われ続けているとされている。
だが今そのアイナノアは古びた馬車にその身を載せられ、エルフたちの集落に向かって全力で移動している。
「くそ……やはりそう簡単には逃がしてはくれないか」
その馬車の御者台に座るエルフの男性が苦々し気に吐き捨てる。
「このままでは確実に追いつかれます。追手は間違いなくイステカリオ帝国の魔導部隊。今の私たちでは勝てる相手ではありません」
隣に座る同じく男性のエルフがその言葉に答える。
二人とも美しく年若い青年にしか見えないが、共にその齢はとうに千を超えている古兵だ。
だが二人とも伝承に謳われるエルフの容姿とは程遠く、その瞳も肌も髪も黒く染まっている。
その中で耳だけが伝承に残されているとおりに長い。
『妖精王』が囚われ、その力を封じられた呪いの余波を受けて一族すべてが黒に堕ちた――黒妖精化したが故の今の姿なのである。
エルフをエルフたらしめていた魔導器官の大部分――瞳と髪、肌を封じられ、辛うじて外在魔力を吸収できるのはその長い耳だけになったため、弱体化は著しい。
森の中であればなんとか低位魔法程度であれば使えはするが、ただの人間相手ならともかく、神から魔物と戦える『能力』を授けられた兵や冒険者が相手となると分が悪い。
ましてや軍事力で突出しているイステカリオ帝国が誇る精鋭魔導部隊が相手となれば、万に一つも勝利する可能性はないだろう。
「わかっている。クソ、やはり罠だったか」
「だとしても私たちにはこうする以外……」
だがそんなことは初めからわかりきっている。
エルフたちがこうなってからすでに千年もの時が流れているのだ、今更なにをどうしたところで勝てないものは勝てない。
ではなぜ厳重な警備を張り巡らされている帝都から、まがりなりにもアイナノアの身柄を奪ってガルレージュ周辺の国境混在地帯まで逃げることなどができたのか。
つまりこうなるように仕向けられていた――罠だったからに他ならない。
イステカリオ帝国は千年前から管理させられ続けている「お荷物」を廃棄することに決めたのだ。
人に対する裏切り者を帝都に置き続けているがゆえに、他国から『穢れた帝都』だの、『潜在的な裏切り者』だの言われることに、当代の皇帝が耐え切れなくなったがゆえに。
突如『妖精王』の処刑を『聖教会』の許しも得ずに発表し、エルフたちの暴発を誘った。
処刑そのものも『聖教会』の許可を得ていないからには中止させられる可能性は高い。
だがそこへ辺境特区集落で生きることを許されているエルフたちが押し入り、『妖精王』を奪って逃げたとなればどうなるか。
現場の判断で『妖精王』ともどもエルフどもを根絶やしにしたところで、少々のペナルティを課せられるだけで済ませられると判断したということだ。
「どうせ里に辿り着けたとしても鏖、か。罠にはまった時点でこうなることは決まっていたというわけだ」
「ですが囚えているだけでは飽き足らず、妖精王を辱められるくらいであれば我々は……」
そんなことくらいわかってはいたのだ。
でなければこうもうまく、アイナノアの身柄を奪って逃げることなどできはしない。
それでもより若く見えるエルフが苦渋の表情で言うとおり、彼らにはこうするしか他の道は残されていなかったのだ。
人前でアイナノアが火刑に処されると聞いて、『聖教会』がそれを止めてくれることを祈るだけでなにもしないなどということはできなかった。
結果、予想できていたとおりの罠にはまり、アイナノアのみならず現存するエルフことごとくが根絶やしにされることになるとしてもだ。
「私もそう思う。だがこの子には怒られるだろうな……」
救出はエルフたちの総意だった。
だが救われる当の本人であるアイナノアがもしも口を聞けたら、自分だけの犠牲で済むところをなにを馬鹿なことをと叱られるだろう。
だが後悔はない。
生きるとは、ただ息をして日々を繰り返すことにあらず。
いつか自分たちが『妖精王』を助け出すことを誓っていたからこそ、屈辱的なこの千年を自分たちは生き続けることができたのだ。
力及ばず滅ぶことになったとしても、ここでなにも出来ずにその誓いを果たせずに存えることよりはずっとましだと胸を張って言える。
「よし。最後は殺されるしかないとしても、その瞬間まで可能な限り足掻いてやるとしようか。どうせ里も焼かれるのであれば禁忌もへったくれもありはしない。幸い『禁忌領域№09』はすぐそこだ。運試しといこうじゃないか」
「それこそ怒られませんか」
肚を括ったその物言いに、少し若く見える方のエルフが苦笑いを浮かべる。
アイナノアをよく知るこの二人にしてみれば、「死なばもろとも」などという考え方は最も嫌われるということくらいはわかる。
だが――
「まあ九頭龍が我らに釣られてうまくイステカリオ帝国に向かってくれる可能性など無に等しかろうよ。運悪くエメリア王国に向かったらさすがに申し訳ないが……いや、この期に及んで人の国がどうなろうと知ったことではないか」
それでもやるのだ。
逃れられない死が目の前に横たわっているのであれば、せめて前のめりに死んでやる。
たとえ九頭龍どころか、禁忌領域の強大な魔物に喰い殺されるだけに終わるとしてもだ。
それに幸いにして『禁忌領域№09』は深い森だ。
だてにエルフがかつて「森林の支配者」と呼ばれていたわけではない証を見せてくれる。
願わくば森林を司る『聖教会』の唯一神ならざるまつろわぬ神の一柱が、自分たちがエルフの意地の一欠けらでも見せられることを叶えて下さるよう2人のエルフは祈る。
その祈りは叶えられる。
森林を司る神ならぬ、『全竜』を使役する岐神の意志によって。
千年前に『邪竜ルーンヴェムト・ナクトフェリア』を斃し封じた一人である、『妖精王アイナノア・ラ・アヴァリル』は救われることになるのだ。
そしてこの偶然が重なった邂逅が、フレデリカの思惑も、『聖教会』や『旧支配者』の思惑も超えて、大きなうねりを一気にこの大陸に起こすことになる。
次章『囚われの妖精王編』へ続く




