第048話 『王位継承権者』①
「初めましてソル様。私はフレデリカ・トゥル・ラ・エメリアと申します。本日は私どもの無理なお願いを聞いていただき誠にありがとうございます」
城塞都市ガルレージュ始まって以来、最大の変事があった夜が明けた早朝。
あらゆる立場の人間があらゆる理由ではやくからごった返す中、スティーヴと決めていたとおりの時間に冒険者ギルドを訪れたソルはその声を失っている。
まあ相手が約束の時間よりもずっとはやくに到着しており、珍しく慌てふためいているスティーヴに連れられて貴賓室に入った瞬間、こんな挨拶をかまされたらそうもなる。
『王国の白百合』――フレデリカ・トゥル・ラ・エメリア。
エメリア王国第一王女にして、第三位の王位継承権者。
歳は今年で19であり、ソルよりも二つ年上ということになる。
白に限りなく近い輝くような長い金髪を、癖ひとつないストレートにのばしている。
エメリア王家特有の金と碧が混ざり合った瞳は優し気で、驚くほど整ったその美貌をきついものには見せず、宗教画に描かれる聖母の如き雰囲気を醸し出している。
それでいて女性として魅力的な曲線を描く肢体に、高級ではあれどフレデリカを王族と知っていれば少々魅惑的に過ぎる――あけすけに言えば少々はしたないとさえいえる衣装を纏っている。
つまりは対ソル用に、王族としてだけではなく女としての戦闘力も上げてきているということだ。
対して、どれだけ規格外の力を持っている冒険者とはいえソルは平民。
3年間通っていた、間違いなくエリートと看做される王立学院ですら、王族はもとより高位貴族の子弟など1人も在籍していなかったのだ。
王族などまさに雲上人。
国家や宗教組織ですら自分の目的のために排除することを厭わなくても、本物の王族に名を名乗られたうえで完璧な、しかも格上に対する挨拶をされて虚心でいられるはずもない。
王族らしい気品溢れる会釈をしているフレデリカの左右に、豪奢な近衛の正装に身を包んだ騎士が二人、膝をついて平伏しているとなればなおのことだ。
相手が相手なのでルーナ以外を連れて来なくてよかったと、ソルは今心の底から思っている。
「……スティーヴさん」
「……なんでございましょうかソル様」
「……やめてくださいよ気持ち悪い」
「王族が様付けで呼ぶ御方を呼び捨てなんてできるかよ。俺の立場を考えてくれ立場を」
あまりにも打ち合わせとは違う展開に小声でスティーヴに確認しようとしたソルだが、そのスティーヴも常の冷静さを完全に欠いている。
二人にとってはフレデリカの行動が想定外すぎるのだ。
「私の身分などお気になさらないでください。昨夜のあれを見せていただいた上で、その力をお持ちの方に王族然と振舞えるほどの胆力は持ち合わせておりません。ソル様には気軽にフレデリカと呼んでいただけたら嬉しいです」
――無茶言うな(ソル)
――無茶言うなあ(スティーヴ)
だが冷静さを欠いているためだろう、内緒の会話というには二人の声は大きすぎたらしい。まぬけな漫才未満を目の当たりにしたフレデリカが、邪気のない笑顔でころころと笑う。
昨夜のあれ。
つまりソルが言っていた『デモンストレーション』、すなわちルーナによる淫魔の討滅のことである。
「えーっと……フレデリカ、様……さん?」
「フレデリカと呼んでいただけたら嬉しいです」
本人に言われたからと言って即座に呼び捨てなどできないソルが言い淀んでいると、まったく変わらない美しい笑顔で同じ言葉を繰り返された。
――これって命令ですよね。
スティーヴに助けを求めても、一切視線をこっちに向けようともしない。
あとで覚えてろよと思いつつも、ソルには王女の笑顔による圧に逆らうことは出来なかった。
「あ、はい。じゃあフ、フレデリカ?……確か設定ではとある貴族令嬢が魔族支配領域に興味を持っていて、視察をするために王立近衛軍の方々と『黒虎』が護衛につくことになっていませんでしたか?」
「はい。ですがソル様を偽る不利益を鑑みてその設定は即破棄致しました。改めてソル様のお言葉として聞くと、思っていたよりもかなりひどい設定ですね。侮るような真似をしてしまい誠に申し訳ありませんでした。御許しいただけるのなら私にできることであればなんでも致します。御許しいただけますでしょうか?」
「えーっと、あ、はい」
「ありがとうございます!」
いろいろと諦めたソルは、そもそもどうしてスティーヴから聞いていた大前提が崩れたのかを本人に確認してみたわけだが、その理由は自分たちのデモンストレーションがやりすぎであったためらしい。
つまり自業自得である。
まあ確かにアレを見た以上、敵に回したら国が亡ぶという判断をするのは妥当なところか。
フレデリカが「ひどい設定」と口にした際に二人の近衛騎士が僅かに震えたのは、おそらくその設定を考案した本人だからだろう。
有力パーティーのメンバーとはいえたかが冒険者、それもお荷物扱いされているとの情報も知っていれば、侮られたとしてもまあ仕方がない。
今日ソルに会うことも、昨夜深夜まで起きて一応は空を眺めていたことも、冒険者ギルドという世界組織において重要なポジションにいるスティーヴを立てたに過ぎなかったのだろう。
その判断をフレデリカはもとより、二人の騎士も己が人生最大のファインプレイだったと今では心の底から思っている。
ソルの赦しに対して輝くような笑顔を見せ、自らソルの手を取ってはしゃいで見せているフレデリカが正直怖いソルである。
王族の女性の肌に許可なく触れたらお手討ちもあり得る。
向こうから触れてくる分にはお咎めなしではあろうが、フレデリカが王族の女性でありながらはしたなく自ら男性に触れるという意味を理解できていないわけもない。
恐ろしいくらいに綺麗で可愛らしいのではあるが、それらすべてが実際的な計算と打算によって導き出されているのだろうことが気持ち悪いまである。
相手が王族であり、冒険者だとは言え平民を相手にしての態度だという前提を知らねば、ただただソルに好意を持った魅力的な女の子にしか見えないのがもう、凄いを超えて怖い。
「えらいことになったなソル様」
「他人事ですかスティーヴさん」
まぬけな男どもが顔を見合わせて嘆息しているが、フレデリカはこの短時間で得た僅かな情報からソルのひととなりを分析している。
基本的に真面目。
自覚なき朴念仁。
とはいえそういう方面に興味がないわけではないが、女性からのそういうアプローチには喜びよりも嫌悪が強い。
なによりも自身をきちんと強者だと認識しており、もはやとるに足りない王族に対して礼儀を守ろうとするだけの余裕がある。
つまりソルの持つ力は本物なうえ、付け入る隙はある。
それはソルを騙して自分の都合のいいように動かせるという意味ではない。
そんなことをすれば下手を打てば初手で詰む。
王族としての自分も、女としての自分もすべて差し出し、その上でソルの望みと大きく乖離することがなければ、フレデリカの王族という立場を利用してもらえる可能性が高いということだ。
そうでありながらあざとい態度には嫌悪感を示すというのは、強者故の傲慢だろう。
だがそれは力持つ者の権利でもある。
王族であるフレデリカであれば、それをごく当たり前だと受け入れることはそう難しいことではない。
「あの……少々素で申させていただきますけれど、昨夜のアレはこうなることを見込んで見せていただけたのではないのですか? この国の王族の女であれば、あれを見せられてソル様に媚びないわけがないとは思われません?」
「至極真っ当な判断と思われます」
だからこそ、アプローチの方向を媚びや誘惑から、ソルにだけ王族としての素を見せている方向へと即座に変更したのだ。
すでに昨夜から徹夜で情報を集め、ソルの力の象徴であることが判明している美少女が、フレデリカの言葉に神妙な顔で同意してくれているのがありがたい。
「……王族の考え方ってすごいですね」
「一応は私も国を統べる一族の一員ですから」
ソルがフレデリカのそういう思考をある程度見抜くところまでも計算に入っているのが、ソルをしてすごいと言わしめた理由だ。
にっこり微笑むフレデリカは、無垢で穢れなき美少女にしか見えない。
王族が無能なはずがない。
無能が大国を代々に渡って支配し続けられるはずなどないのだから。
王族である事の「尊さ」さえも治世のために使い潰せてこその王族なのだ。
ソルほどの力を持った男が存在しているのに、自身が美しい女であることを使わない理由などフレデリカにはどこにもない。
王族の美しさとは、武器として使えて初めて意味があるのだから。
自分とはまた違った「覚悟」の在り方を目の当たりにすれば、やはりどこか気圧されてしまうのだ。
ソルが偶然与えられた力に対する覚悟をある程度持っているのは確かだが、王族とは自らの力で勝ち取り、それを継続してきた国を次代へと繋ぐための覚悟なのだ。
どちらが重いとは軽々に言えないが、積み上げられた歴史の重みは軽いものではない。
積み上げられた分厚い歴史の最先端にいるのが、当代の王族たちなのだから。
「まあ、大筋狙い通りじゃねえか?」
「……そうですね」
どうあれソルにしてみればそう思うしかない。
確かにフレデリカとのラインが繋がった時点で、ソルが今想定しているすべては格段にやりやすくなることは間違いない。
であればリィンへどう説明したものかを悩むくらいで、へこたれている場合ではないのだ。




