第047話 『全なる竜』⑥
「さてアラン」
「ひ、ひぃ」
絶対に振り返らないと決めたソルの目に今映っているのは、全裸で怯え切ったアランの姿だ。
ソルでさえまだ慣れないのだ、こんな高度に文字通り身一つで浮かんでいるだけで恐怖の叫びのひとつも出ようというのは理解できる。
だがアランが今情けない悲鳴を上げているのは、絶対に振り返らないとソルが決めた背後で繰り広げられている、美しい少女による淫魔の捕食を目の当たりにしているがためだ。
「拷問するつもりはないから安心してください」
「た、助けてくれ、頼む。ソル、ソル頼む……」
アランをここまで取り乱させるとは、背後で展開されている惨劇は相当なものなのだろう。
ちょっと振り返りたいという内なる誘惑に耐えながら、ソルは話を続ける。
「それは無理ですよ。アランは僕を殺そうとしたでしょう? 今生かしておいてアランがルーナを超える力を手に入れたら、僕は殺されてしまうということです。そんな可能性を残しておく馬鹿がいますか?」
「わ、私はそんなことしていない。本当だ」
涙ながらに誓うアランだが、さすがに無理がある。
今日の夕刻に冒険者ギルドで会った時、あの中でアランだけがエリザたちを完全に見下していた。
つまりエリザたちをスラムの組織の下っ端だと知っていたということであり、それはアランがガフス組とつながりがあったということを示している。
スラムなどになんの興味も持っていなかったアランが、たまたまソルの命を狙ったガフスたちだけを、しかも末端構成員であるエリザたちのことまで知っていたなどという偶然はありえない。
たとえあったとしても、疑わしきを罰する理由としては充分だ。
そして一度でも殺意を持った者は、力を得れば同じことをするだろう。
昨夜までと今のソルがまるで違ってしまっているようなことが、アランに起こらないとは誰も保証などできはしない。
それこそ淫魔の背後にいる『聖教会』の力によって、とんでもない力を与えられる可能性もゼロではない。
そんなことができる器であれば、今頃とっくに淫魔を介してそうしているだろうというのはおくにしてもだ。
「そうですか。だったら僕がアランを気にくわないから殺すということでもいいです」
だから殺すことは絶対だ。
こうなってはもはやその理由など、なんでもいい。
べつにアランに納得して死んでもらう必要など、ソルにはどこにもないのだから。
もしもアランが助かる可能性があったのだとしたら、記憶喪失のふりでもして淫魔に操られていた態にすることくらいだっただろう。
フィオナ(偽)の正体がバケモノであったことはほかならぬソル自身が実証したのだから、それならいくらかの目はあった。
だがアランにはそれを思いつくことはできなかったのだ。
「いやだ、いやだあ」
「誰だって死ぬのは嫌ですよ」
みっともなくいやいやをするアランを、それほど惨めだとは思わない。
自分だって不可避の死を前にすれば、こんな風に泣く気がするからだ。
力を持ち行使する者には覚悟が必要だが、その覚悟のままに最後まで気高くいられる者など実際はほとんどいないだろうとソルは思う。
自分にできそうもないと思うことを、他人には期待して失望するのは傲慢だろう。
「最後に聞きますが、マークも共犯ですか?」
「違う。あいつは関係ない。ソルを殺そうとしたのは私の独断ですよ」
だがソルの最後の質問を耳にしたアランは、即座に明確に断固として否定した。
自分の末路を憐れんで現実から目を逸らして泣き喚くことはできても、関係のない幼馴染を巻き込むことだけはできないとでも言うように。
だからソルはそのアランの言葉を信じることに決めた。
改めて明確な敵対行動をマークが取らない限り、ソルの方からマークには干渉しないと決めた。
正直少しマークが羨ましい。
不可避の死を前にしても取り乱さずに無関係を断言してもらえるにせよ、あるいはマークも実は噛んでいて庇われているのだとしても。
同じだけの時間を過ごしても、ソルはアランとそういう関係を確立することができなかったのだ。
それはアランだけのせいだというわけではないだろう。
「わかった。さよなら」
「なあ、どこで私たちは――」
たぶん最後の瞬間、ソルとアランは同じことを考えていた。
だがそれを確認することは二度とできなくなった。
いやソルがそうした。
アランを一撃のもとにこの世から欠片も残さずに消滅させたのは淫魔を喰い終えたルーナだが、それをさせたのはソルの意志だ。
ルーナを使役する主として、そこだけは心得違いをしないとソルは改めて誓った。
「……なるほど。スキルなりステータスなりを付与している『仲間』が死ぬと、その通知が来ると同時にスキルもステータス値も返還されるのか。これなら上限値まで『仲間』を増やしても実害はないな」
あっさりと気持ちを切り替えたソルは、アランで行った実験結果には満足している。
もしも殺された仲間ごと与えたスキルやステータス値も消失するのであれば慎重を期す必要があるが、これなら雑に『プレイヤー』の仲間を増やすことができる。
ソルのレベルが上がるに合わせて『仲間』にできる人数の上限も、付与可能なスキルやステータスも増える以上、今後はソル自身の育成が喫緊の課題となるだろう。
今日の夕方にスティーヴに語った各種実験も並行して行うべきだろうし、明日以降いろいろと忙しくなることが確定した。
「主殿。淫魔の背後については如何されますか?」
「脅威度はどんなもの?」
「先ほどの攻撃衛星が最大の攻撃手段ですね。少なくとも千年前はそうでした。我にとって脅威ではありませんし、人的戦力としても先の淫魔程度であれば取るに足りません」
「じゃあ当面は泳がせておこうか」
「承知致しました」
ルーナが与えてくれた情報から、淫魔の背後についても今は言葉通り泳がせる方がいいだろうとソルは判断した。
とんでもない攻撃手段を持っていたようだが、それすらルーナは一撃で無力化していた。
淫魔が始末されたことも含めてそれで『聖教会』が慎重な動きを取ってくれるのであれば、ソルにとっても願ったりだ。
今も多くの人間に信仰されている世界宗教と事を構えるには、今少し準備が整ってからにしたい。
魔族ですら使役している中枢部は排除することになる可能性も高いが、辺境の寒村で実際に村人たちを救っている、教義を信じ滅私で尽くしている教会やそこに属する信徒たちまで敵に回そうなどとソルは思っていないのだ。
それに『聖教会』ほどの巨大組織を叩き潰すのであれば、自分たちにとって最大限の利益を引き出せるように有効活用したい。
取るに足らぬ敵であれば蚊の如く叩いて潰せばそれで済むが、それなりの規模を持った敵というのは見方によっては貴重でもある。
最大限に利用するのであれば丁寧に扱う必要もあるのだ。
まずはスティーヴから今日の夕方に聞かされた情報に合わせて動くことが最優先となるだろう。
そのために必要な「デモンストレーション」としては文句のないものだったはずだ。
今頃、はるか眼下の城塞都市ガルレージュで起こっているであろう騒ぎを想像して、ソルは苦笑いするしかない。
――急展開が過ぎるけど、まあ概ねいい流れだよな……
「ところでルーナは淫魔を食べてどう? お腹壊したりしない?」
うわあ口元に血が残ってる! などとどん引いていることをおくびにも出さず、ソルが心配している態でルーナに確認する。
捕食対象の力を得られるなど規格外の力で羨ましいなと一度は思ったソルではあるが、先のルーナのように喰わねばならないとしたら結構な「縛り」だと思いなおしている。
正体が竜であるルーナにしてみたら当然のことなのかもしれないが、人として生まれ人として育ってきたソルには少々どころではなく敷居が高い。
――さすがに完食しないとだめだろうし……
ちょっとソルには無理そうである。
「大丈夫です。戦闘系は取るに足りぬモノばかりですが、回復系? なにやら戦闘時以外で他者にかける類のものが多くあります。感度倍率制御?」
だがルーナはけろりとしたものだ。
今朝焦げたパンを美味しい、美味しいと騒いでいたルーナと同じ存在だとは思えない。
――なんかとんでもないスキルが聞こえた気がする。
「ある意味、戦闘用魔法と言えるかもね……」
「?」
安易に食べさせたのは失敗だったかもしれないと、ソルは内心で頭を抱えた。
近い将来ルーナが全竜ではなく淫竜にでもなられたら、ソルが腎虚になりかねない。
いやそれすらどうにかできるスキルや魔法が、淫魔には完備されているのかもしれないが。
正直に言えば、昨夜一瞬だけ見せられたオトナモードのルーナの破壊力はソルの好みのど真ん中を撃ちぬいて余りあるものだったのだ。




