第044話 『全なる竜』③
「ところで、フィオナ・バニスターという女性は実在しないんですよね?」
「どゆこと?」
以心伝心の如くアランを黙らせたルーナに感心しつつ、自分はなにも答えるつもりもないくせにフィオナに問いかけるソルである。
その質問の真意がつかみきれなくて、この状況下にもかかわらず素の表情でフィオナは問い返してしまった。
それを見てどこか安心したようにソルが笑う。
「貴女が偽りの名と身分を騙っているだけで、実際に存在していたフィオナ・バニスターさんを殺してなりかわっているわけではないですよね? という確認です」
「……もしもそうだったら、ソル君はどうするつもりなの?」
「いえこの2年間、最近になって急にマークとアランに二股をかけてはじめたことを除けば、担当受付嬢としてはとても優秀で僕もずいぶんお世話になったので……あのフィオナさんが本物で、今目の前にいる貴女が彼女を殺して入れ替わったニセモノだというなら……」
「……なら?」
「ちょっと酷く殺そうかなと」
ソルは笑顔だ。
だがその笑顔は笑顔のカタチをしているだけで、なんの感情も宿ってはいない。
あたかも「笑顔」という面を被っているかのようにも見える。
ソルは別にそこまでフィオナに思い入れがあるわけではない。
だが世話になった人が自分の知らないところで殺されてしまっていたのなら、それなりの報復をするのは当然だとも思う。
今目の前にいるフィオナの目的がソルを監視、あるいは排除することであるのは明確なので、もしもそうなのであれば本物のフィオナはソルのせいで殺されたのだとも言えるのだから。
「……安心して。ソル君が冒険者デビューした時から私は私よ。なんなら今から2年間の思い出話に花でも咲かせてみせましょうか?」
室温が下がったような空気の中で、肩を落としてフィオナが答える。
その様子はソルから見ても嘘をついているようには見えず、目的は変わらずとも最初からこのフィオナがソルたち『黒虎』の担当受付嬢だったのだと思わせる。
――よかった。
――騙された僕たちはいても、殺されたフィオナさんはいなかったんだ。
「いえ、それならよかった。お礼というわけではありませんが、出来るだけ楽に殺して差し上げます」
ソルの表情に感情が戻り、安心したように笑う。
さすがに本物のフィオナさんはすでに無残に殺されていましたというのでは、ソルであってさえ寝ざめが悪すぎる。
フィオナとのけっこういい思い出もすべて、ソルの監視と殺害という目的に基づいていたのだと思うとちょっと切ないが、人にはそれぞれやるべきことと責任がある。
それはもうしょうがないとあきらめるしかない。
「……言うじゃない。私をどこかの国の間諜程度だと侮っているのかな?」
もちろんソルはそんな甘いことを考えているわけではない。
ルーナの力を片鱗とはいえどもその目で見ていながら、この態度が取れる存在が普通の人間であるはずがない。
少なくともA級冒険者5人からなるパーティーよりも強いことは確実で、そんな存在が迷宮の深部をうろついているのではなく、普通に人のふりをして人の世界に溶け込んでいるなど、昨夜までのソルであれば信じることさえできなかっただろう。
だが『プレイヤー』の表示枠やスティーヴの能力でさえも欺き、転移で上空へ飛ばされることをまるで恐れない存在が今ソルの目の前にいるのだ。
勝てる保証などあるはずもない。
だが相手がソルを殺そうとしていることが明確である以上、ソルは現有戦力――ルーナの力を妄信することしかできることなどないのだ。
ソルはもう、ルーナの力に全てを掛ける覚悟を完了している。
勝てればよし、勝てないならなにをしたって結局は殺されるというだけだ。
すべての迷宮を攻略するなどという絵空事を本気で追いかけるのであれば、それくらいの覚悟は最低限必要だろう。
それぞれの立場での義務と目的がある以上、いざ尋常に勝負するしかない。
だが――
「……主殿、こやつは淫魔です。淫魔は喰らった相手の姿も記憶も奪います」
ルーナの固い声が、ソルの様子を一変させた。
「…………喰ったのか?」
再び感情を感じさせない声で問うソルの声に、フィオナの姿をした淫魔はすぐにはなにも答えられない。
「喰って奪った姿と記憶で、本来のフィオナさんならするはずのないことをやったのか。僕を監視し、隙あらば殺すという目的のためだけに」
「だったら……」
どうしたと言いかけて、淫魔は自分でも理解できない理由で言い澱んだ。
そして自覚なく、両の目から涙が流れる。
奪った姿と記憶が、ソルの言葉を聞いてフィオナとして泣くことを選択したのだ。
「ルーナ、殺せ」
それを見たソルが、静かな声でルーナに告げる。
鉄面皮のような今浮かべている表情に反して、自分の内心に生じている感情がどういうものなのかはソル自身にもわからない。
だが本物のフィオナの残滓が流した涙を目にした瞬間にソルが思い出したのは、駆け出しの頃自分だけH.Pを持てないため生傷が絶えずなかったソルを心配して、こっそり薬草とかを用意してくれて「内緒よ」といって笑う姿だった。
――こいつは必ずここで殺す。
「主殿、我に捕食の許可を」
「捕食?」
主の強い殺意を受けたルーナが、本来の全竜らしい重い声でソルの許可を求める。
ただ殺すだけでは飽き足らぬ主の意を酌んで、目の前の淫魔に最も相応しい最期を与えるための請願である。
つまり喰い殺す。
「はい。倒すのではなく生きたまま喰らえば我も対象の能力をほぼそのまま得ることが可能です。淫魔のように姿や記憶は無理ですが。弊害として倒すことによるその場にいる者たちの強化はできなくなるので、主様にもその害は及びます。ゆえに許可をお願いします」
淫魔とは似て異なる、竜の特性を解き放つことを求めている。
倒した敵が放出する内在魔力を吸収することでなされる人の強化――『プレイヤー』曰くレベルアップは不可能となるが、その代償としてルーナが淫魔の力を手に入れられるということらしい。
「舐めるなよ幼竜風情が」
「舐めるだけではなくきちんと喰らってやるとも。主殿の許可がおりればだがな」
だがフィオナのふりをやめた淫魔が、獰猛な本性を顕しながら嘯く。
その小躰からルーナを幼竜だと侮り、自分であれば負けるわけはないとの驕りからくる激発。
だがそれをルーナは鼻で笑い飛ばす。
「許可する」
「ありがとうございます」
ソルにしてみればここで許可を出さないという選択肢はない。
自身のレベルアップも重要だが、そんなことはこれからいくらでもできる。
今はフィオナを喰ったこの淫魔を、同じように喰らって殺すことが最優先となった。
「舐めるなと言っている!」
平然と主従の会話を続けるソルとルーナに激昂した淫魔が、表情だけではなくその真躰を晒して咆哮する。
ねじれた角、悪魔のような翼と尾、豊満な全身を覆う黒い魔力が物質化したかのような姿こそが本来の淫魔としての姿なのだろう。
だがその基礎となっているのが、よく見知っているフィオナの裸体である事がソルには少し切ない。
「だから喰らうと言うておろうが。何様のつもりか知らんがたかだか数百歳程度の淫魔風情が、ようも竜に対してそのような口を利く。幼竜だと? 我が存在している限り、そんなものは生まれてなど来るものか!」
だがフィオナとの思い出などまるでなく、主が敵と定めたものを屠ることに愉悦の表情を浮かべるルーナはお構いなしだ。
両手の指を鍵爪のような形に開き、その小さい躰から内包する膨大な魔力を噴き上げながら淫魔を煽る。
「我は『全竜』ルーンヴェムト・ナクトフェリア。すべての眷属を喰らったがゆえにこそ、我は『全竜』を名乗るのだ。人を喰らう程度の淫魔風情が、我に勝てるなどとようも思いあがったな!」




