第041話 『怪物たちを統べるモノ』⑤
ハンスが、それ以外のメンバーが泣こうが喚こうが、謝罪しようが呪詛の言葉をまき散らそうが、淡々と墜落と治癒が繰り返され続けている。
あまりのことにいくらでもいる冒険者たちは誰一人として声も出せず、助けにも逃げ出そうにもその場から一歩も動けすらしない。
そんなことをしてソルの気に障り、自分もこの地獄の繰り返しに巻き込まれることだけは死んでも避けねばならないことだからだ。
死んだほうがマシだ。
それは誇り高い冒険者たちが、わりと気軽に口にする言葉である。
今喉を干上がらせながら惨劇を凝視することしかできない多くの冒険者たちも、だれもが一度くらいは口にした覚えがある。
だがその言葉の本当の意味を、今こそ思い知っている。
死んだほうがマシという言葉は、そんな惨めな思いをするくらいなら死を選ぶという誇り高い言葉などではなかったのだ。
すべての御終いである死ですら安らぎに思えるほど、この世にあってはならぬほどの暴虐に身を曝された者が、懇願の言葉としてひしり上げる絶望そのもの。
せめて殺してくれと、自ら懇願して縋りつく状況を指して「死んだほうがマシ」という。
見ているだけの冒険者たちですら心の底から死んだほうがマシだ、もしも自分があんな目に遭わされるなら、頼むから一度で殺してくれと思ってしまうほどの激痛と再生の無限ループ。
実際に我が身にそれを受け続けているハンスたちは、やがて意味のある言葉ではなくただの叫びしか口にできなくなり、いつしかそれは調子の外れた笑いにしか聞こえないものへと変化した。
墜落音と奇妙に調子がはずれた笑声が響いているのに、その場にいる者は誰一人例外なく世界が終わったかのような静寂を感じている。
鼓膜が捉える実際の音がうるさかろうがそうでなかろうが、逃れのようのない死に直面した者が感じるのは、等しく終わりの静寂だということなのだろう。
そう長い時間、この地獄が展開されていたわけではない。
やがてただ天井付近から墜落し続けるだけの5つの塊から調子の外れた笑声さえ漏れ出なくなった頃、唐突に落下音も停止するまでほんの10分ほども経過してはいない。
だがその場に居合わせたものはみな、永遠の地獄を疑似体験させられている。
「………ソル、お前…………」
本物の静寂に支配された冒険者ギルドの中で誰もが何も言えない中、最初にあえぐようにして口を開いたのはマークだった。
だがそれ以降、意味のある言葉をなにも紡ぐことができない。
「あ、貴方らしいですね。今度は『黒虎』たちよりもずっと寄生しがいがある強者を手に入れたことは認めましょう。ですが貴方が虎の威を借る狐であることに変わりはありません。精々他人の力をあてにして夢を叶えるといいですよ」
マークが再起動したことで、続けてアランが負け惜しみをソルへと叩き付ける。
これは剛毅というよりは半ば以上自棄になっている結果だ。
だがその言葉を耳にした他の冒険者たちは、あの惨劇を見てなおそんな言葉をソルへ叩き付けられるアランの正気を疑った。
それは自殺行為でしかないからだ。
「そうだね。肝に銘じておくよ」
だがソルは激高するでもなく、静かにアランの言葉を首肯する。
確かに今の惨劇を起こしたのはソルのプレイヤーの能力ではなく、ルーナの力によるものであることは事実だからだ。
それにこれからの迷宮攻略や魔物支配領域の開放についても、プレイヤーの力よりも全竜たるルーナの力に頼る部分が多いことも理解しているので腹も立たない。
それ以上に、もうすでにソルの中では「いなくなる」ことが確定している人間に何を言われようがまるで響かないということが大きい。
「一つよいか」
だがアランの暴言を、ルーナは捨て置くことができない。
ソルもルーナが自分の許可なく力を行使することはないとすでに確信できているので、特に止めたりもしない。
「貴様は、虎の威を借る狐だと我が主のことを喩えたな? では問うがその狐は弱者か? 力無き嗤われるべき存在か? 虎の威を自由に借りれる狐は、もはや虎をも凌駕する強者ではないのか?」
だがその場から一歩も動かない静かなルーナの声が、暴言を吐いたアランを圧倒する。
「貴様の言う力とは何だ? 膂力か? 魔力か? 神から与えられた能力のことを指すのか?」
先ほど暴虐の限りを尽くしていた時よりもなお一層恐ろしい威が、その華奢な小躰から立ち上がっている。
ルーナの正体が邪竜ルーンヴェムト・ナクトフェリアであることを知らぬ者たちであっても、その背後に巨大な竜が顕現しているかのような錯覚を覚えるほどのそれに、我知らずアランは腰を抜かしてへたり込んでしまっている。
隣に立つマークもまた硬直して、身動ぎひとつすることもできない。
「なるほど我は貴様が認めてくれたとおり、そういう意味では貴様たちにとって絶対の強者と言えるだろう。だが貴様たちはその我が傅く主をどう捉えておるのだ?」
へたり込んだせいで少女の躰でしかないルーナに見下される形にアランはなっている。
そしてルーナから投げかけられている問いに、なにひとつまともに答えることができない。
「力のカタチは一つではない。絶対の暴力を支配し得る力があるならば、それこそが最強だと知れ、弱き者よ」
震えて何も言えないアランの瞳を覗き込むほどに接近しながらルーナが告げる。
ルーナはアランに対して言っているのではない。
もういなくなることが確定した者に告げる態で、この場にいるすべてのものにソルの――己の主の強さと恐ろしさを高らかに宣言しているのだ。
その証拠にルーナは御機嫌らしく、隠しきれずに大きな尻尾が左右にひょこひょこ揺れている。
ルーナにとって己への畏怖はすなわち主への畏怖であり、それを引き起こし得た従僕としての仕事に鼻高々といったところなのだ。
言うべきことを言ってアランにまるで興味をなくしたルーナが、全竜ではなくいつもの美少女モードへと戻ってソルの長外套の裾を掴む。
一応はルーナの正体を聞かされていたリィンやジュリア、エリザたち3人であってもさすがに俄かには声も出ない。
邪竜ルーンヴェムト・ナクトフェリアの本気は、人に受け止めきれるものではないということらしい。
「――容赦ねえな、おい」
事の途中から己の執務室から出てきていたスティーヴが、本気の畏怖を浮かべた表情を隠さずにソルへと正直な感想を漏らす。
「まあ遅かれはやかれでしたし……」
「最初にガツンと喰らうのが俺じゃなくてよかったよ」
獣人系美少女の見た目に騙されて、やらかすのが自分じゃなくてよかったと心の底からスティーヴは思っている。
それはスティーヴのみならず、味方であるはずの『解放者』のメンバーたちもまるで同じ意見だった。
「冒険者ギルド的には問題ありませんか?」
「たとえあったとしても、どうしろってんだよ俺に。お前さんを除名にでもしろってのか?」
冗談だと通じているとはわかっていても、その言葉にルーナが反応して一瞥されることでさえ肝が冷える思いをするスティーヴである。
「ま、怪我一つしてねえんだから問題にしようもねえだろ。奴さんらが正気に戻れたら、一応意志の確認だけはしておくよ。戻れなかったら不幸な事故で終いだな」
そういって自らの執務室へとソルを誘い、これからの行動予定を詰めようとするスティーヴである。
それに従いながら、最初の場所からへたり込んで動けないアランのところへ駆け寄って助け起こしている担当受付嬢の様子を、無感情な瞳でソルとルーナが観察している。
「唆したのは、やっぱり彼女なのかな……」
そう一言呟いて視線を外し、ソルは仲間たちと一緒にスティーヴの執務室へと移動した。




