第040話 『怪物たちを統べるモノ』④
「いえ僕は遠慮しておきます。そういうことであればリィンとジュリアに直接交渉してください。僕はお勧めしませんけど、本人の意思であれば邪魔をしたりしませんよ」
まあなんにせよ今のソルにとっては論外の提案なので、断る以外の選択肢はない。
いや昨夜の時点のソルであっても、受けようとは思わなかっただろう。
「いい提案だと思うんだけど、どうしてもダメかい」
「お断りします」
本気で意外そうな表情を浮かべてハンスが食い下がるが、無駄な交渉を引き延ばすつもりなどもとよりソルにありはしない。
リィンとジュリアにとって、ソル家の住み込みお手伝いさんと貴族の正室になるよりも魅力的な提案だというのであれば本気で止めるつもりはないが、二人の性格からしてそれはないだろう。
というかこんな誘いに乗るくらいであれば、昨夜自ら『黒虎』を抜けると言い出したりはしない。
おそらくマークもアランも、昨夜の自分たちにとって都合の悪い部分は都合よく言い換えているか省略しているだろうから、この判断をしたハンスだけが悪いとは言えまい。
「うーん、そっか残念だ。提案を断られたとなるともう個別に説得するしかなくなるわけだけれど、そんな手間をかけるのならソル君は要らないかな」
だがソルの明確な回答を受けて今迄浮かべていた穏やかな表情を取り払ったハンスの貌には、A級になり損ねた冒険者たちなど、力尽くでいかようにも捻じ伏せられるという傲慢さが浮かんでいる。
今更自分を戦力外と扱われることに、いちいちソルは腹を立てたりしない。
そんなくだらない感情とは無関係に、先刻アランの嫌味を耳にした時と同じ能面のような表情になったソルが固い声で確認する。
「貴方の言う説得というのは、脅迫と同義ですか?」
「まさか」
そのソルの確認を受けて、ハンスは浮かべていた獰猛な貌を一瞬で消し去ってみせた。
元のにこやかな笑顔に戻って、そんなことはしないよと明言する。
それはそう答えるしかないからだ。
いくらハンスがA級の冒険者でも、『百手巨神』がどれだけ大きなクランであっても、あからさまな脅迫や恫喝でメンバーを集めているとなったらただでは済まない。
冒険者ギルドとは巨大な世界組織であり、その規律を表立って蔑にするような輩には一切の躊躇なく制裁を加えるからだ。
冒険者ギルドは組織の利益を損なう存在に対する慈悲など持ち合わせてはいない。
まずクラン登録とそこに所属するすべての冒険者の登録を抹消し、冒険者ではなくする。
その上で『百手巨神』と同等、もしくはそれ以上のあらゆるクランに正式任務を発令し、魔物を処理するがごとく完全に殲滅するだろう。
それが無理なら、国の正規軍に金を積んででも絶対に生かしてはおかない。
極秘にでもできない限り、舐められたら終わり、例外を許したら終わりというのは巨大な組織であればあるほどそうなのだ。
だからこそ明確な形ではなくとも自分たちとは仲よくした方が得だよと、それ以上にそうしないととても損だよと、いくらでも言い逃れができる言い方で結局は恫喝するのが常道となる。
それを今までの経験でよく知っているソルは正直めんどうくさい。
ある程度の利益を与えてでも取り込んだ方がマシかなとまで考えたところで、ソルを侮っているハンスが自ら破滅を選択した。
「ただ『百手巨神』級のクランを正面から敵に回すと、いろいろと不便だとは思うよ。冒険者を続けるにせよ、引退するにせよね。知っているかい? 冒険者は迷宮や領域で襲い掛かってくる魔物にはめっぽう強いんだけど、街では意外とそこまで強くはないんだよ。とくにリィン君とジュリア君は女の子だしね」
ハンスにしてみれば挨拶程度の脅しだ。
いやすでにいろいろと麻痺してしまっていて、脅しという自覚などなく親切な警告のつもりだったのかもしれない。
人にとって一番怖いのは人であり、冒険者としての戦闘力という優位点も活かせない相手となると女子供は大変ですよ、と。
だがこの一言でソルは速やかにハンスを、またそんな人間を交渉役に平気で据える『百手巨神』を敵だと認定した。
ソルには冒険者ギルドのように、莫大な利益を生み出す大手クランに対する忖度などありはしない。
疑わしきは罰せずなどと温いことを言ってごまかす必要もなく、リィンとジュリアに対して危害を加えることを仄めかした時点で、明確に排除すべき敵だと確定した。
「ルーナ」
「はい」
ソルが静かにルーナの名を呼び、それにルーナが答える。
それと同時、ソルの目の前にいたハンスとその背後にいたパーティーメンバー全員が掻き消えた。
その直後、ギルド一階酒場スペースの中央部分、夜ともなれば楽隊や吟遊詩人が奏で謳う舞台の上空、吹き抜けになっていてかなり高い天井近くに現れる。
重装の鎧や武器類が高所から落下して発する鈍い金属音に混ざって、ぽきゃ、とかぷち、といった生き物が潰れて爆ぜる音が妙に鮮明に聞こえる。
すべてが綯交ぜになった音を総括すれば、どこか間抜けに「どすん」と響いた。
馬鹿の一つ覚えの如くルーナが行使した、他者に対する強制転移の結果である。
ただ昨夜と違うのは魔法でなければ回復不能な致命の重傷は負うものの、即死だけは避ける高さと位置関係に絶妙に調整されていたことだ。
それなりの喧騒に包まれていた酒場スペースに、いやに不快指数の高くやかましい落下音が重なって響き、その結果妙な静寂を場に強いた。
誰もがなにが起こったかは理解できなくても、酒場の中心に重なり合って落ちてきた塊が、つい先刻までソルと会話していたハンス以下『百手巨神』のパーティーメンバーたちだということだけはわかる。
「え? あ? ぎ、ぎゃあああああああ!!! あああ、あ!? あぁ? ???」
その塊から血とそれ以外の体液が滲み広がるに合わせて、自分たちがどうなっているのかを激痛と共に理解したハンスたちの口から冗談のような絶叫が響き渡った。
だがその絶叫が尻すぼみに小さくなっていったのは、死んだ方がマシだと思える激痛と、本能が取り返しがつかないと喚き散らかしている致命傷が嘘のように治っていったからだ。
それはルーナが昨夜ソルから与えられた『治癒』を行使し、普通であれば取り返しのつかない致命傷をとんでもない速度で癒したからにほかならない。
ルーナにとって『治癒』とは、殺すだけで済ませるつもりなどない敵を嬲るのに、これ以上はないほど便利な魔法という認識である。
うっかり殺してしまわなければ、魔力の続く限り繰り返し苦痛を与え続けられるのだから。
殺すつもりはなく、あくまでも示威と警告でここまでのことをやってのけるのか。
そう戦慄したこの場に居合わせた冒険者たちは、自分の考えがどれほど甘いのかをあっというまに思い知らされる羽目になった。
自らの血と体液と涙と涎でぐちゃぐちゃになったハンスたちの顔が、どうあれ苦痛は去り致命傷を癒されたことによって安堵に染まると同時。
先刻とまったく同じ位置に強制転移させられ、同じように間抜けな音を響かせて再び墜落する。
これは示威でも警告でもなく、ただの見せしめだったのだ。
ソルに――ソルが新たに立ち上げたクラン『解放者』に仇なす者は例外なくこうされるのだということを、少なくともこの場に居合わせた者たちの魂に刻み込むための。
誰もが目を背けたくなる地獄が始まった。




