第036話 『禁忌領域』④
ガウェインはもはや駆け引きをするつもりなど、まったく失せている。
本当にそんなことが可能ならば、モノ造りに憑りつかれた一人の職人として金だの贅沢だのと言っている場合ではないのだ。
千年単位で誰も扱えたことの無い、とんでもない魔物素材を自分の手で鍛えられるのかもしれない可能性の前では、他のすべてが取るに足りぬこととして霞んでしまう。
それに自分に学のないことを自覚しているガウェインであっても、ソルが言い出した「専属契約」とやらはもちろん新規クランである『解放者』が儲けるためでもあるのだろうが、それ以上に自分たちを守るためだということくらいは理解できる。
そう遠くない将来にソルが確実になる立場からすれば、ソルと懇意にしていた人間が国家規模の思惑に巻き込まれてしまうことはもはや避け得ない。
それをわかっているからこそソルは先手を打って『解放者』というクランを立ち上げ、ソルにとって大事な存在を全てその専属とすることで「迂闊に手を出せない存在」にしてしまうつもりなのだろう。
つまりソルは本気なのだ。
『黒虎』解散のショックで誇大妄想に憑りつかれてしまったという可能性はなくもないが、今の一連の話をさも当たり前のように聞き流している『鉄壁』と『癒しの聖女』の様子がそうではないと保証してくれている。
「やっぱり『九頭龍』ですか。わかりました、それが優先順位1位ですね。とりあえずそれを納品しますので、それまでに2位以降も決めておいてください」
「主殿、それほどの魔物が地上におるのか? 迷宮の奥深くではなく?」
ソルの反応からは、ガウェインが自分の予想通りの領域主を優先順位筆頭に置いたことが嬉しいという以上のものを感じることができない。
それこそ『黒虎』級のパーティーが、駆け出し職人に頼まれて個人的にC級あたりの魔物素材を調達に行く程度のニュアンスでしかない。
強がりなどではなく、本気で些事だと捉えている。
正体不明の獣人系美少女はソルのその様子を当然としながらも、ガウェインの様子から人間からは相当に恐れられている魔物だと判断したのだろう。
『九頭龍』の個体名を持つ魔物が、どれほどまでに強いのかに興味津々の様子だ。
ガルレージュ周辺で生まれ育った子供たちにとって『九頭龍』と言えば、親に「言うことを聞かなければ夜中に顕れて九つの頭でバラバラに食べられちゃうよ」と言われるお決まりのあれを思い出して嫌な気持ちになるのが定石だが、ルーナはソルの活躍を期待しているかのようにその美しい瞳をキラキラさせている。
厳ついじじいであるガウェインであっても無邪気だなあとほっこりしてしまうその笑顔が、まさか自分が主のためにぶっ倒すべき相手が強いらしいことにわくわくしているが故とは想像の斜めが上過ぎて理解できるはずもない。
「ものすごく長生きした多頭蛇だよ。今の人間では軍であろうが冒険者であろうがまるで歯が立たない。自分の支配領域からはなぜか出てこないから世界は滅びずに済んでいると言われている『災厄級』の中でも最強格の一体だね。まあそれを言ったら迷宮深部から魔物が溢れてきたら、その日が世界最後の日になるんだろうけど……」
「なんだ多頭蛇ですか。ですがたかが蛇如きがリュウの名で呼ばれるとは……」
だが丁寧なソルの説明を聞いて、俄かに興味をなくしてしまったようだ。
幽霊の正体見たり枯れ尾花とでも言うように、『九頭龍』などと大仰な個体名で呼ばれている領域主の正体が、多頭蛇であることにわかりやすくがっかりしている。
それよりも音だけで聞いているので竜なのか龍なのかは判断はつかないものの、それでも蛇如きがリュウと称されることに憤懣やるかたない様子を浮かべている。
ちなみにこの世界の神話においては竜が上位種であり、龍は一段落ちると看做されている。
その中でも最強個体と謳われている『邪竜』――ルーナ曰く『全竜』ルーンヴェムト・ナクトフェリアとしては、蛇如きが己の眷属たちと同等に見なされているというのは納得しがたいところなのかもしれない。
「おいソル。このお嬢ちゃんはなにを言っとるんだ?」
だがガウェインにしてみればルーナの言動が理解できない。
いや視覚情報と音声情報としては正しく捉えてはいるのだが、よりによって『九頭龍』を唾棄すべき雑魚扱いしているという事実を正しく脳が理解しない。
「九頭龍――多頭蛇が歳経て巨大化した個体程度、本物の『邪竜』ルーンヴェムト・ナクトフェリアにとっては雑魚に過ぎないと言ってるようです」
「主殿、我は『全竜』です」
「だそうです」
小さい子をあやすように後ろからルーナの肩に手を回してソルが事実を告げる。
無防備にされるままになりながら自分の腕をソルの回された腕に絡めつつ、『邪竜』と呼ばれたことを顔を上へ向けたルーナが訂正する。
ソルは未だにルーナが妙に拘る『全竜』とはなんなのかを正しく理解できていない。
古代の竜にあった種族名のひとつくらいだとしか認識していないのだ。
「なんですって?」
だがガウェインにしてみれば、邪竜であろうが全竜であろうが『ルーンヴェムト・ナクトフェリア』という名にはさすがに反応せざるを得ない。
思わず言葉遣いも、駆け出しの頃自分の師匠にしていたようなものになってしまった。
転移を喰らったわけでもなく、目の前で5人もの冒険者崩れを瞬殺するところを見せられたわけでもないガウェインには、片角と尻尾を生やした変わった獣人系美少女にしか見えないのも無理はないのだが。
だが我ながら捻りのないその反応に対して、リィンとジュリアがさもありなんという苦笑いを浮かべるあたり、どうやら真実くさい。
連れられてきたひよっこ3人は驚愕の表情を浮かべているが、怪訝な表情にならないということはこの少女がそうであっても「驚く」程度で済ませられるだけの経験をしているということだろう。
だがガウェインも理屈では理解できる。
この信じられない話が真実だからこそ、ソルは『禁忌領域』を片っ端から解放するなどと言う、常人が聞けば正気を疑われるようなことを平然と口にしているのだ。
だが今目の前で頬を膨らませてソルにじゃれている美少女が、ガウェインとて子供の頃に瞳を輝かせて何度も聞いた『勇者救世譚』のラスボスとはどうしても信じられない。
「本物なんですよ。人化はしていますけど」
黙り込んでソルの方へ視線を向けることしかできないでいると、苦笑いしながらそう告げられた。
「……マジか」
確かに嘘ならもうちょっと信じてくれそうなものを言うよなあと妙な納得をしてしまったガウェインは、そう口にすることしかできなかった。
いや確かに信じるしかないのだ。
証拠を見せろなどと言って、ガルレージュの外壁を薙ぎ倒されでもした日には取り返しがつかない。
だからガウェインは難しく考えるのをやめた。
目の前でキャッキャッキャッキャとソルによじ登り始めようとしている美少女は邪竜、いや全竜様なのだ。
ガウェインとしてはそれでなにも困らない。
困ったときにはこの世からおさらばしているだろうからまあよかろう。
我ながら業が深いことだとは思うが、ルーナが本物のルーンヴェムト・ナクトフェリアなのだと一応納得した後にガウェインが最初に考えたことは『本物の竜だってんなら、角か爪の欠片でもいいからくれねえかなあ』であった。
いつかそれを叶えてくれるのであれば、衣食住を保証してくれるだけで『解放者』の専属となることも辞さないガウェインなのである。
なんならソルを「旦那様」と呼ぶことも、まったく厭わない所存である。




