第035話 『禁忌領域』③
「でしたら親父さん――『魔導鍛錬師』ガウェイン・バッカスと、その後継者アーニャ・バッカスの御二人、バッカス武具店と僕たちが新たに立ち上げた冒険者クラン『解放者』は専属契約を結びたいと思いまして」
ガウェインの返答に、我が意を得たりとばかりの笑顔を浮かべてソルが提案してくる。
「……今だって実質そんなもんじゃねえか?」
ものすごく変わった事情とやらに基づいて、ソルは今更『専属契約』をわざわざする必要があると判断したということらしい。
新規クラン――『解放者』とやらを立ち上げるからには、ソル自身は冒険者を引退するつもりなどさらさらないことも理解できた。
だが妙な言質を取ってまで、実質今でも専属契約のような状況を明文化しようとする真意がいまいちわからない。
ソルの許可なく素材を提供された武器を他所に流すつもりなどハナからありはしない。
ではなぜわざわざ――
「僕が提供した魔物素材を使って仕上げたものを僕たちにだけ提供してもらうのではなく、契約以降は親父さんとアーニャさんが造られるものはすべて、僕たち『解放者』が一旦買い上げるという専属契約ですね」
「うちもそれなりの売り上げはあるんだが……」
つまり完全にクラン『解放者』の専属になって欲しいという提案だ。
そこまで腕を見込まれるというのは正直嬉しいとも思うが、やりがいや情だけで商売が回るはずもない。
まっとうに入手できる魔物素材で仕上げた武器防具を高位冒険者たちに売るだけで、バッカス武具店は王都の大商会にも劣らない売り上げと利益を誇っている。
わかりやすい贅沢をしないのはそんなことに時間をかけるのであれば、工房に籠ってより技術を極めたいからだ。
金をかけるのは良い素材と優れた工具と旨い酒にだけでいい。
そのくせ孫娘と交代で店番までやっているのは、一度売上最優先の妙なやる気に満ちた店員を雇って痛い目を見たからである。
「そのご心配は御尤もだと思います。では専属契約するに値するクランだと認めてもらうために、一つ提案をさせてください」
自信ありげなソルの表情に、嫌な――いや正体不明の高揚をガウェインは感じる。
初めてソルに「高位魔物の素材をお渡ししたら、世に無い特別な武器防具を造ることは可能ですか?」と聞かれたあの2年前の時のような。
いや間違いなくその時を超える、悪魔が人間を唆す時には間違いなくこういう貌であろうという、邪悪なくせに無邪気な子供のような表情をソルは我知らず浮かべている。
そして人はその誘いを危険だと知りつつ、抗うことなどできはしないのだ。
「ここガルレージュ周辺の魔物支配領域の中で、加工したい領域主に順番をつけてください。『禁忌領域』も含めてくださってかまいません。そうですね、一月以内に5番目くらいまではそれを丸ごと提供できると思います」
「なん、だと……」
ソルがさらりと言った言葉に、生唾を呑み込むことも忘れてガウェインは茫然とすることしかできない。
『禁忌領域』とは国と冒険者ギルドが不可侵の地と定めた禁足地。
そこの領域主が万が一にでも領域外に出てきた場合、国が亡びると判断されている『災厄級』であり、自ら手を出して滅びを招かぬようにと定められた絶対の規律。
君子危うきに近寄らず。
それは国家間でも遵守され、他国の者がその国を滅ぼすために自滅覚悟で侵入した場合であっても、その他国こそが国際的に包囲殲滅されるほどに徹底されている。
その領域主が蹂躙するのが、たまたまその禁忌領域が存在した一国だけで済む保証など誰もしてはくれないのだから当然ではある。
もっとも昨今では国際ルール違反であることももちろんだが、世界宗教である『聖教会』が禁忌領域へ足を踏み入れることを、文字通り禁忌としていることの方が大きいだろう。
たとえ無神論者であっても、自ら進んで多くの人々が信仰する宗教から「神の敵」や「背教者」といった扱いを受けたくなどないのだ。
もっとも実際は禁忌領域に生息する魔物を相手に領域主まで辿り着ける能力者など皆無ではあるし、運よく辿り着いても鎧袖一触で殺されるだけで特になにも起きないことがほとんどではある。
だからこそ長い歴史の中で幾度も特別に編成された調査隊によって、領域に棲息する魔物や領域主の情報程度であれば集められているとも言える。
だが約200年前に禁忌を冒した大陸西部の某国が、領域主によって滅ぼそうとした対象国のみならず自らも含む周辺諸国すべて――その数は7にも及ぶ――が蹂躙される事件があって以降、『禁忌領域』への無許可での侵入は、どの国においても死罪で統一されている。
たとえそれが他国の者であってもそれは変わらない。
その西方一帯は今なお人の存在しない不毛の地として、個体名『国喰らい』――巨大な不定形魔物――が君臨している、大陸最大規模の『禁忌領域』となったままだ。
『禁忌領域』とは冒険者ギルドが「ここの魔物支配領域を解放してくれたらA級認定しますよ」などという、なんとか人の手に負える範疇から大きく逸脱しているのだ。
「冒険者ギルドは承認済みです。エメリア王国の方もまあなんとかなると思います。それに親父さんたちの武器を『解放者』だけで独占するつもりもありません。要はその販売権をクランで独占したいからこその提案です。とはいえ充分な利益はお約束しますよ」
だがソルは絶句したガウェインを置き去りに、淡々と商談を進めている。
しかもすでにある程度手を回していて、秘密裏にことを進めるつもりもないらしい。
――そりゃ、今さら目立ちたくないとか言ってる場合じゃねえわな。
本当にそんなことが可能な力を手に入れたのであれば、バジリスクの素材がどうのこうのなど些事でしかない。
200年前に西方で7つの国家を滅亡させるに至った禁忌領域の主。
たった1体でその厄災を招いたその『怪物』と、少なくとも同程度と看做されている領域主が密集しているのがこのガルレージュ周辺なのだ。
その禁忌領域の数はじつに九を数える。
どれか1体でも領域主が200年前のように暴走した場合、他の8体が連動する可能性は否定できない。
それも互いが潰し合ってくれるのであればまだしも、放射線状に大陸中へ移動されたらこの大陸に存在するすべての国が滅んだとしてもなんら不思議ではない。
ガルレージュ周辺は『怪物たちの巣』とも呼ばれており、それゆえにエメリア王国とイステカリオ帝国という二大強国が国境を接していても戦争が発生しない――できない理由の一つとなっている。
それを片っ端から――ソルの言葉通りだとすればたった一月で半数以上を解放すると言っているのだ。
ソルは冒険者である前に、エメリア王国の国民である。
先日『黒虎』が解放したA級魔物支配領域など比べ物にならぬ、広大なガルレージュ周辺の平原・森林・山岳地帯がすべて国土となるならば、エメリア王国はこの大陸に覇を唱えることも可能な国力を得ることになる。
つまりよほどの阿呆でもない限り、エメリア王国がソルの意志を尊重する可能性は限りなく高い。
目先の手に入る広大な領土はもちろんだが、そんなことを苦もなくやってのけるソルの手綱を、なにを差し出してでも握ろうとすることは想像に難くないからだ。
「その話が本当なら、旨い酒と旨い肴に困らねえ程度で金は充分だ。そんなことよりも本当に禁忌領域№9の領域主でもソルなら狩れるっていうのか? 本当に?」




