第276話 『旧最終迷宮』⑥
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だがそんなルクレツィアとファルラの決意は、はやくも揺らぎそうになっている。
なんとなれば最終迷宮の最初の階層、それも入り口をくぐった直後に階層主と接敵してしまったからだ。
いやもう、それ以前の問題としてそもそも入り口からして彼女たちの知る『迷宮』とはかけ離れ過ぎていたこともある。
確かに高難易度の迷宮には『門』めいたものが存在し、超重量であるそれをメンバーの力で開くことのできるパーティーしか攻略できないものもあると、聞いたことくらいならあった。
だがその大きさが山の如き規格外でありながら、それでいてあきらかに人工物であるとわかる『門』など当然初めて目にしたのだ。
確かに『勇者救世譚』にはそう記されてはいるが、それは浪漫を理解していたのであろう書き手が、いかにも神話めいた表現にしたのだろうと誰もが思っていたのだ。
それがまさか伝承の方が表現しきれておらず、実際に見ての驚愕の方が大きいとは予想外が過ぎる。
人は山脈や峡谷といった巨大な自然物には心を打たれ、素直に感動する。
その自然をも超越する、どうやってそれを造り上げたのかすら理解できない巨大な人工物には、本能的に畏怖を覚えるモノらしい。
それはおそらく、自分たちを超越する智と力を実感させられるからだろう。
神と呼ぶにふさわしい超越者の存在を嫌でも実感し、そしてそれが必ずしも人の味方ではないことを思い出すのだ。
ルクレツィアとファルラはこんな巨大な門をどうやって開けるのかと唖然としていたら、その神様によって封じられた地獄への入り口かのような巨大な『門』が普通の扉のサイズに思えるほどの巨竜――ルーナの魔創義躰が顕現して、普通に殴って開けてのけてみせたのだ。
神々しいという表現がまるで大げさではない巨大な『門』と『竜』の姿に反して、やっていることが実際的すぎて逆に現実感を喪失してしまうような光景であった。
おそらく人が「笑うしかない」のはこういう時なのだろう。
ともかく、巨大な『門』は開いたのだ。
その内側が海水に濡れていないところから見ても、この千年間、気密は維持されていたらしい.
だが一度開いた以上『妖精王』が海に穿った巨大な穴を閉じれば、この最終迷宮内部が水没してしまう事からはもはや逃れられないだろう。
誰かがもう一度、閉じでもしない限りは。
少なくとも千年前、『勇者』によって攻略されたと『勇者救世譚』に記されているこの最終迷宮が、今なお何人たりとも侵入を許していないような顔をして今この地にあったのは事実である。
つまり間違いなくいるのだ、伝説や神話の後始末をしている存在が。
そうして全員がその巨大な門をルーナの魔創義躰と共にくぐった直後。
最終迷宮などと嘯きつつ、いきなり迷宮でもなんでもない広大な空間が広がっていた。
そこには普通ならどうやっても勝てるとは思えない巨大な階層主魔物――金色の『多頭蛇』がおり、その九つの咢それぞれから咆哮をひしり上げつつ襲ってきたのである。
亜人種の代表たる鬼人族、獣人種の代表たる銀虎族としては、誠に遺憾の限りではある。
だがその金色の『多頭蛇』の咆哮を受けて、ルクレツィアは腰が抜けてへたり込んでしまったし、ファルラは反射的にエリザ――自らが強者と認め、己が腹を晒して甘えた相手の陰に隠れてしまったのだ。
未だレベルが一桁に過ぎない2人であればそれも無理はない。
レベル――基礎的な強さを数値化したもの――の桁が2も3も違う魔物の咆哮は、それだけで弱き者を竦ませるには充分足りる。
神話や御伽噺で語られる『竜の咆哮』によって絶命する人や魔物の存在が創作などではないのだと、ルクレツィアもファルラも今まさに確信している最中である。
しかしながら、さっそく固い決意が揺らぎそうになったのは、そんなまだ自分がとるに足りない弱者に過ぎないことを改めて思い知らされたからなどではない。
あまりといえばあまりな、本来であれば大陸中を蹂躙できたであろうその『多頭蛇』の末路を目の当たりにしてしまったからだ。
全竜の魔創義躰に、踏んで潰されたのである。




